Diary 2005. 1
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1月1日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第1弾! 

「たかやん議員日記」2005.第1弾!   1月1日(土)

初日の出
きれいな朝だった。去年色々あったことを忘れてしまいそうな、そんな朝だった。僕はいつも公園でしていたように、手を翳しながら太陽を見て、そしてエネルギーをもらった。僕は疲れるといつも子ども達と太陽からエネルギーをもらっている。今年もそうしていくだろう。
タイにいるスティーブが心配である。メールが返ってこないのだ。彼は海が大好きだから、海岸にいた可能性は大きい。

こんな時こそ「多国籍軍」が登場し、「災害」という敵と戦ってくれたら・・・そう思う。人類はおろかだ。戦争なんかしている場合ではないのに・・・。戦争は最大の環境破壊だ。人類は地球からしっぺ返しをされている気がしてならない。

今日もたくさんの人に会えて幸せだった。教員を続けていたら、元旦から教え子達や懐かしいお父さん、お母さんに会えることはないだろう。「たかやんの市議会報告」を手に五中学区を中心に回った一日は本当に楽しいものだった。
「ママの中学時代の先生よ。」とお母さんになった教え子。「昔から意地っ張りでしたか?」と優しいお父さん。家族が増えた教え子達に会えるのは幸せである。


1月2日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第2弾!

「たかやん議員日記」2005.第2弾!   1月2日(日)

ついさっき、スティーブから「元気だよ!」というメールがあった。バンコクにいたから大丈夫だったらしい。「南の方は大変らしい。行きたいけど行けない!街は新年だけど祝う雰囲気じゃあなくて、静かだよ。」と言ってきた。

同じくバンコクにいる順子からも「元気です!ご心配おかけしました。」というメールが来ていた。
自分の大事な人が無事でよかったからといって、喜ぶような状況ではないけれど、それでもやっぱりほっとしている自分がいる。
僕は財産とか地位とか守るものは何もない人間だから、一番大事なのは人だ。僕を愛してくれる人たちを僕が愛する人達を大事に大事に今年も生きて生きたい。


1月3日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第3弾!

「たかやん議員日記」2005.第3弾!   1月3日(月)

茜とこころ
久しぶりに茜とテニスをした。彼女が六中のテニスコートに初登場した日のことを僕はまだ覚えている。昔から新入生が来ると必ず「手つなぎ鬼」を全員でやるのだが、その小さいやせっぽちの女の子は何度やっても最後まで残っていたのだ。『あの子の名前は?』「島 茜です。」茜は4月に入部し、5月の大会にもう出場していた。勿論1年生なのだから勝てるはずはない。それでも時折見せるショットと動きは普通の子ではなかった。茜はみるみる強くなっていった。上級生を倒し、男子を倒し、6中のエースになるのにそれほどの時間はかからなかった。
ある日、その茜を金網の外からじっと見ている小学生の女の子がいた。ちょっと鼻をたらしているその女の子があまりにもじっと見ているので、『テニスやりたいの?』と聞くとこくっと頷いた。しばらくして3キロのランニングの時間になったのだが、その子はまだいたから『一緒に走る?』と聞くとまたこくっと頷いた。
走り出して驚いたのは、その小学生の女の子が僕を抜かそうとしてきたことだ。僕はその頃毎日子ども達と走っていて、(1500は5分くらい。)いつも先頭の方だったから、まさか小学生の女の子が僕を抜かしにかかってくるとは思わなかったのだ。3キロが終わって、そのこの方を見ると、その子は悔しくて少しベソをかいていた。それがこころだった。

こころはその日から毎日のように六中の練習に参加するようになった。小学生が中学校の部活に参加していたのである。僕は前から「このテニスコートはみんなのものだよ。だから君達の弟や妹がきてもいいし、お父さんやお母さんが遊びにきてもいいんだよ。」といっていたので、その通りにこころを受け入れたのだった。
ところがそれに怒ったのが中学生の女の子達だった。自分が教わる時間が減ってしまうと思ったのだろう。物凄い反発がきた。だけど僕はそれでもこころを練習にこさせたのだった。『お前達とだって練習はやってやる。何時からだって練習してやる!』そう言うと彼女達は「3時半からお願いします!」と言ってきた。『分かった!』
そうして僕達は真夜中の3時半から体育館で練習をしたのだった。顧問が顧問なら生徒も生徒、それにしてもよくもまあ親が練習に行かせたと思う・・・・。その後部活の雰囲気が少しよくなったのは気のせいではなかったと思う。

今日はそんな懐かしい昔を思い出しながら、茜とテニスをやった。楽しかった。


1月4日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第4弾! 

「たかやん議員日記」2005.第4弾!  1月4日(水)

仕事始め
塾がスタートした。色々な質問に答えているうちに『いいか、不安と仲良くしちゃあいけないぞ!いいか、人生ってえのはな・・・・』と語り始める僕。僕を見つめる瞳に向って、自分の熱を伝えようとすると・・・・どんどん脱線してしまう。そう言えば学校の教室でもよく脱線をしたっけ・・・・授業をほとんどしないで、50分間喋りっぱなしのこともあったような気がする。

午後からは「市議会報告」を配る。この家庭訪問は大変だ。僕の記憶力だけが頼りで、しかも一度話し込むと1時間や2時間はすぐにたってしまうのだから・・・・。なかなか終わりの見えてこない、楽しい家庭訪問が10日まで続く。

3年4組
元旦に「議会報告」を配って歩いていると、石島陽子議員が「新年のご挨拶にまいりました!」とマイクで話をしていた。やはり教え子が元気にしているというのは担任としては嬉しい訳で・・・一人でニヤニヤしてしまったのだった。陽子ちゃんは僕が生まれて初めて担任したクラス、五中の3年4組のメンバーだった。すんばらしく出来のいい生徒だったが、静かな子だったのでマイクを持って、みんなの前で堂々と話す姿は想像できなかった。5中の3年4組の卒業生たちは大変だったろうなあ・・・担任か、同級生か・・・・
二人とも当選してめでたし、めでたし・・・。何かいてるんだ俺?


1月5日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第5弾!

「たかやん議員日記」2005.第5弾!   1月5日(水)

ももこよ
 おまえがぐずってしかたないとき
 わたしはおまえに
 げんこつをくれる
 だが 桃子
 お父さんの命が要るときがあったら
 いつでもおまえにあげる

この詩は八木重吉という人の詩です。僕の高校の先輩はこの詩が好きで、最初の子どもに桃子とつけたそうです。今、子どもを虐待する親がたくさんいます。きっと自分が一番大事なのでしょう。でも、もしかしたら自分のことも愛することができない人たちかも知れません。人は愛することで顔がよくなっていきます。人相の悪いあの親達はみな愛するということそのことが、できない人たちなのかも知れません。人をたくさん愛した人はいい顔をしています。いい顔になるには人を愛せばいいのです。みんなでいい顔になろうではありませんか・・・・・・。

それにしてもこの詩はたったの数行なのに、最後の三行だけで泣きそうになります。僕の父さんは、きっと同じ気持ちで僕を見ていてくれただろうと思うからです。そして僕も今、雪や亮や空に対して同じ気持ちでいるからです。もっとも最初に誰かに命をあげてしまったら、残った二人には申し訳ないのですが・・・・。

ただ、例えば僕の目があったら、目が見えるようになるとか、腎臓があったら、病気が治るとかだったら、躊躇しないであげてしまうと思います。親にとってこどもというのはそういう存在なのです。少なくても僕の心の中では・・・・。
だけどあの人たちもきっと、小さい頃愛されなかったのだと思います。愛されなかったから、愛し方を知らない・・・。「虐待」という言葉が世の中に増えてきました。そんな嫌な時代だからこそ、この「桃子よ」という詩が光るのかも知れません。    

去年の2月の塾日記を読んでいたらこんな文章がでてきました。もしかしたらゲンコツも「抱きしめ」なのかも知れませんね。


1月6日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第6弾! 

「たかやん議員日記」2005.第6弾!  1月6日(木)

家庭訪問
今日はあるお宅で、お茶とお新香とおでんをご馳走になった。 それがまた美味しくて、話が楽しくて・・・・昔々の家庭訪問を思い出した。

一番最初の家庭訪問の時、僕はまだ23歳。子ども達とは8歳しか違わない新米の教員だった。「家庭訪問で茶菓子等がでることがあると思うが、遠慮するように。」職員会議での通達があり、僕は出されたお茶を一杯も飲まなかった。そのことを学年主任の神さんに報告すると、怒られたのだ。
「貴方に飲んで欲しくて、食べて欲しくて用意したものを手もつけずに帰って来るなんて・・・・家庭訪問をされる側の気持ちになったことあるの?」と神さんは厳しかった。
『わかりました。』次の年から僕は、出されるものは何でも飲んだし、食べたのだ。

子ども達は「たかやんは何が好き?」と聞いてくる。『そうだなあ・・・きつねうどん。アップルパイ・・・かな。』一日にきつねうどんを5杯食べたこともあった。その中に美味しいお新香があったのだ。

長いことやっていると面白いこともある。一日の最後の家で「いらっしゃい!疲れたでしょう?さあお風呂に入った、入った!」と強引にお風呂に入れられたのだ。そしてお風呂からでると、お父さんが友達と僕を待ちうけていたのだ。僕はその日、家に帰ることが出来なかった。

今日は白菜のお新香を頂いた。温かいおでんも美味しかった。そして何より、そこでの話が温かかった。



1月7日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第7弾!

「たかやん議員日記」2005.第7弾!  1月7日(金)

自衛隊に入ろう!    高田 渡

みなさん方の中に 自衛隊に入りたい人はいませんか
ひとはたあげたい人はいませんか 自衛隊じゃ人材求めてます

*自衛隊に入ろう入ろう入ろう 自衛隊に入ればこの世は天国
  男の中の男はみんな 自衛隊に入って花と散る

スポーツやりたい人いたら いつでも自衛隊におこし下さい
槍でも鉄砲でも何でもありますよ とにかく体が基本です
*リフレイン

鉄砲や戦車や飛行機に興味を持っている方は
いつでも自衛隊にお越しください 手とり足とり教えます
*リフレイン

日本の平和を守るためにゃ 鉄砲やロケットがいりますよ
アメリカさんにも手伝ってもらい 悪いソ連や中国をやっつけましょう
*リフレイン

自衛隊じゃ人材求めてます 年令学歴は問いません
祖国のためならどこまでも 素直な人を求めます
*リフレイン

僕らは中学生の頃この唄を歌っていた。新宿の西口広場で歌っていた。

自衛隊がスマトラ沖地震・津波の被災民救援の為に約1000人を派遣すると聞いて、嬉しくなった。これでこそ、愛する日本の自衛隊である。日本人からは勿論、世界中から誉められる。自衛隊はそうでなくてはいけないと僕はそう思っている。イラクに居る自衛隊もみんな撤退して、本当に誰からも喜ばれることをして欲しいと思う。



1月8日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第8弾! 

「たかやん議員日記」2005.第8弾!  1月8日(土)

遊び
朝サッカーをやった後、子ども達と公園で遊んだ。僕が鉄棒の練習をしていたら、子ども達がわいわい集まってきて、そのまま遊びになってしまったのだ。ブランコでどこまで遠くに靴を飛ばせるか。鉄棒をどこまで飛び越えられるか。逆上がり、前回り、足掛け後ろ回り・・・・そして逆立ち。
みんなで近所迷惑になるくらい、「キャーキャー」叫びながら僕らは遊んだ。
昔、鉄棒少年だった僕が、逆上がりができないことを知り、大喜びの子ども達。逆立ちは昨日完全復活したものの、逆上がりは相変わらず最後まで回らなかったのだ。そして普段使わない筋肉を使っていたら・・・・
倒立してどこまで歩けるかという競技で僕は思わず「倒立前転」をしてしまったのだ。ようするに自分の体を支えきれなくて倒れこんだのである。昔の体の動きを覚えていたからいいようなものの、危うく大怪我をするところだった。
最近トレーニングをサボっていたツケがきているのだ。若者よ、体を鍛えよう。脳みそばかり鍛えていてもしょうがないぞ。体も一緒に鍛えよう。

新年会
夜は「応援団」の新年会だった。7時半から11時くらいまで、みんなで楽しく人生を語った。みんな苦しいことがあったんだと思った。
苦しい時は自分のことを考えるのではなくて、人のことを考える。人のことを思いやる。それが大切なんだと思った。


1月9日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第9弾! 

「たかやん議員日記」2005.第9弾!  1月9日(日)

出初め式
幹事長の分さんが、ヘルメットを被って登場した時は驚いた。文さんは大和田五丁目の自主防災会のメンバー なのだ。文さんは議員としてではなくて、自主防災会のメンバーとして、最初から最後まで参加していた。僕も大和田五丁目のカメラマンとして少し活躍させてもらった。
今日もたくさんの人たちに会えた。五中、六中時代の教え子達は勿論、懐かしい人たちに会えたのだ。市役所の裏の駐車場で毎年「出初め式」が行われていることを僕は去年まで知らなかった。
保育園児達の防火宣言はかわいかったし、本物の消防士達のはしご車を使った訓練も凄かった。そして何よりも地元の消防団の方たちの団結の強さを僕は感じたのだった。

年賀状
年賀状の答礼がやっと書き終わりそうである。全て自筆ということなので、全て自筆で書いている。議員というのは窮屈なものだと思った。好きに手紙も出せないのだから・・・・。
あと5枚。毎日20枚ずつ書くと10日で200枚。隙間時間で書いていくのがコツなのだろう。


1月10日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第10弾! 

「たかやん議員日記」2005.第10弾!  1月10日(月)

成人式
式典の前に六中のテニス部の子ども達に捕まった。塾の卒業生にも捕まった。「たかやん!」みんな笑顔で僕の前に登場した。写真をたくさん撮ってから会場に入った。

式典が始まっても会場は騒がしかった。「去年は静かにみんな座ったのよ。」どうやら毎年雰囲気は違うようだ。各学校の先生が来ているのだから、とりあえず全員で前にでてもらって静かにしてしまえばいいのに・・・・成人とはいっても中身はまだまだ中学生に近いのだから・・・というか中学生だったら、もっと人の話を聞くかも知れない。余りの騒がしさに、黙って我慢するのが大変だった。

会場には懐かしい先生達がたくさんいた。五中、六中時代にお世話になった先生、二中でお世話になった先生。そういう先生たちに会えただけで行った意味があった。

アトラクションの最後に各学校の代表の先生達が話しをしてくれた。僕の知っている先生が殆どで、それもまた楽しかった。一つだけ気になったのは、自分のことを「先生は・・・・」と呼んでいた先生が多かったことだ。人から先生と呼ばれるのはいいとしても、自分のことを一人称で「先生は・・・」と話すのはどうかと思っているのは僕だけなのかなあ・・・?

午後は六中のテニス部の子達から電話があって、テニスコートに呼び出された。久しぶりのコートへ行くと、練習はしていなかった。「練習してないんだ・・・」「そう、みんなそれで驚くんですよ・・・・」どうやら彼らの時代は休みがなかったらしい。

「ここで練習していると先輩達が成人式が終わって来てたじゃないですか。だから僕らも自然にここに集合が当たり前かなと・・・」「そう言えばそうだったかもね。」六中の卒業生達はみんな山桜に戻ってきていたのだ。
僕達は写真を取りまくった。楽しくて話が尽きなかった。テニスだけしか教えていない僕が、彼らの中にそんなに存在しているとは夢にも思わなかったので、何だかとっても幸せな気持ちになったのだった。

裏方
成人式では教育委員会の人たちが裏方として一生懸命仕事をしていた。今までは気付かなかったけど、そういう人たちのお陰で子ども達が集まる機会を与えてもらっているんだなあと思った。教育委員会との距離がまた3センチ縮まった気がした。                     



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