10月1日 (木) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第273弾! 2009.10.1(木) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第273弾! 2009.10.1(木) たかやん
幼稚園 昨日、今日と久しぶりに空を幼稚園に送りに行った。年長さんになり、顔なじみのお母さんが激増。あちこちから声がかかり、思わず笑顔になる。今朝は茜に会って、暫く立ち話。完全におばさん化するわたし・・・。
議会報告 今日も9月号の最終校正。書くことが多すぎて・・・本当に困った。ただ、駅立ちは13日からになりそうである。
塾 時々、難問にぶつかることがある。それが面白い。子どもたちと一緒に難問に取り組む。その時間がたまらない・・・。
命日 今日は陵平の命日。塾が終ってから、車で陵平の家に向かう。「お味噌が来ました!」と政江さん。10時だというのに、大貫家は陵平の友達で溢れていた。
勇人 陵平達は23歳になった。陵平の野球の友達、勇人の話は面白かった。僕もかなり笑わせたが、勇人の「語り」も面白かった。僕らは「家庭」や「仕事」や「恋」や「人生」を語りに語ったのだった。
純 営業の仕事に疲れ果てて、最後に登場したのが純。「俺、村長になるのが夢なんですよ。」「まずは市議会議員になって・・」と純。「市民感覚そのものを議会に持ち込みたいんです」と純。語る会が2名になるかも知れないぞ・・・。
写真 0時45分。残ったメンバーで写真を撮った。走太、達也、しゅん、純、ひろや、勇人、政江・・・「またな!陵平!」と最後に陵平に挨拶して・・・僕らは大貫家を後にした。10階から下を見ると・・・やっぱり足が竦むような気がした。あの壁を乗り越える「力」は恐怖だったのかも知れない。10階から飛び降りる以上の「恐怖」に陵平は押しつぶされてしまったのだろう・・・。「みんながいくら大きくなっても、陵平が同じ用に大きくなるとは思えないのよ」と政江さん。「あの子はいつまでたっても13歳のままなの・・・」政江さんのその言葉が悲しかった。それにしても陵平は良い仲間を持っていた。先生には恵まれなかったかも知れないけれど、友達には恵まれていたのだ。9年経っても、こうして顔を出してくれる友達がいるのだから・・・・。
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10月2日 (金) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第274弾! 2009.10.2(金) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第274弾! 2009.10.2(金) たかやん
29年前の今日 僕が26歳の時に、父さんは死んだ。膵臓癌だった。1月の人間ドックでは異常なしだったのに・・・3月に「腹が痛い」と苦しんで・・・4月に自分が事務局長をすることになった魚津労災病院で癌が発見された。余命一か月とも三カ月とも言われたのだが・・・それから半年頑張りぬいた。しかも仕事をしながら・・・父さんは労災病院の建て替えを本省とかけあっていたのだ。
父さんの手 29年前、温かい父さんの手を握っていた。呼吸数がどんどん減り、脈拍数がどんどん少なくなり、そして体温がどんどん下がっていった。そして父さんの呼吸が止まった。看護婦さんやお医者さんが駆けつけ、人工心肺が取り付けられ父さんは再び呼吸をはじめた。でも、29年前のあの夜が父さんとの別れの夜だったと僕は思っている。僕の手を握りながら、父さんは逝ったのだ。
シリウス 病院の外に出ると空高くシリウスが輝いていた。まるで父さんが僕に何かを言っているようで、僕は星に向って語りかけていた。「とうさん、痛いのによく頑張ったね」「おとうさん・・・お父ちゃん、僕らを育ててくれて本当にありがとう。」僕は泣きながら、父さんと暫く話をしていた・・・
温もり 病室に帰ると父さんの手には温もりがあった。呼吸が止まったのに、無理やり呼吸させられているようで可哀そうだったが、それでも父さんの手の温もりを感じられることの幸せは魅力的で・・・僕は叔父と兄が来るまで、暫く父さんの手を握っていたのだった。
写真 もう5年以上、毎日ホームページの更新をしているのだが、写真を載せられると気づいたのが昨夜。これには笑ってしまった。そういう訳で、これからの日記には時々写真が入ると思う。楽しみ、楽しみ。
川掃除 日曜日には川掃除がある。下の写真は9月6日の川掃除風景。特定外来種のアレチウリを廃棄しているところ。結構重くて大変だった。2枚目はその時のメンバー。今月は4日(日)にやります。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意しますので、気軽に参加してください。
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10月3日 (土) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第275弾! 2009.10.3(土) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第275弾! 2009.10.3(土) たかやん
4時33分 昨夜から9月号の最終校正に燃えていて・・・気づけば朝。もう直ぐいつも起きる時間になってしまった。そうだ!素振りも夜が明ける前にしないと・・・流石に体が重い気がする。明日は朝からトレーニング。少し寝ないと、体が持たないかも・・・・
杉山愛 今日が杉山愛の最後の試合になった。杉山愛・・・中学生の時は神奈川でNO1ではなかった。彼女より強い選手がいたのだ。関東中学も補欠。関東中学に出られなければ全国中学には出られない。その時、愛ちゃんのお母さんから我が家に電話があったっけ。神奈川の事情を知っていた僕は、愛ちゃんを補欠の1番に推薦し・・・愛ちゃんは無事、全国大会に出ることができた・・・あの時は、まさかこんなに凄い選手になるとは思っていなかったなあ・・。愛ちゃん、お疲れ様でした。そしてありがとう。人生の次のステップを楽しんでください。
二郎 もう直ぐ二郎の命日だ。田村二郎、五中サッカー部のセンターハーフだった。運動神経抜群の男がオートバイの事故で死ぬとは・・・。そう言えば五中サッカー部だった隆治もオートバイ事故で亡くなったっけ・・・。二郎は生きていれば41歳。隆治は38歳。何があっても俺より先に逝くなよな・・・俺がお前達の葬式に行ってどうするんだよ。本当に馬鹿な奴らだ。さかえだってそうだ。頭が良くて、あんなに可愛かったのに・・病気になっちゃって・・・俺は、さかえの結婚式に出たかったぞ!
骨折 今日は父さんの命日。そのせいか、父さんの夢を見た。お母さん、猛おじちゃん、達矢兄・・雪・亮・空・ひとみ・・・我が家の家族も総出演の豪華な夢だった。そこで母さんに電話をすると・・・「骨折しちゃったのよ」と母さん。「え!大丈夫なの?」「大丈夫じゃないわよ。痛いわよ。先生は入院しなさいっていうんだけど、入院したら動けなくなっちゃうから、コルセットして、痛み止め飲んでいるの。大分良くなったわ。」「あのねえ・・背骨だろ?本当に大丈夫なの?」「大丈夫よ」「兄貴たちは知ってるの?」「誰も知らないわよ」「迎に行こうか?」「大丈夫」「本当かよ」・・・もう直ぐ85歳だというのに、入院もしないで頑張るとは・・・流石に俺のお袋である。
今日の写真 真中にいるのがお袋。僕の隣にいるのが息子の直人。民謡の世界で頑張っている。亮の兄貴である。
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10月4日 (日) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第276弾! 2009.10.4(日) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第276弾! 2009.10.4(日) たかやん
川掃除 今日は恒例の川掃除。9時、栗原1丁目公園に集合したのは、祐晴、直弘と僕の3人。「久しぶりに3人だけか・・」と言っていると、勝将一家が登場。暫くしてもりのぶも登場し、そして奥村政美が子どもたちを連れて登場したのだった。それに空が合流し、暫くして宮本さんも来て、利平さんも参加・・・結構賑やかな「川掃除」になったのだった。
誕生会 今日は飲み会をする積りはなかったのだが、明日が祐晴の誕生日ということで、急遽バースデーパーティーを我が家でやることになった。直弘が買ってきたケーキにローソクを立てて・・・「予想もしてなかった!」と喜ぶ祐晴。そのケーキを8等分したのだが、人間は9人。子どもたちに優先的に配給した後、例の「ドビン・チャビン・ハゲチャビン大会」で一人食べられない人間を決めたのだが・・・・負けたのは、ケーキを買ってきた直弘。これにはみんな大笑いで・・・・
横田めぐみさん 明日はあの横田めぐみさんの誕生日でもあるらしい。彼女は今45歳。年齢は祐晴達より一つ上になる。青春時代を日本で過ごすことのできなかっためぐみさんは北朝鮮で幸せに生きているのだろうか・・・お父さんや、お母さんに会いたいだろうなあ・・・。
暑苦しい 「どんな先生だったんですか?」と勝将。「熱いというか、暑苦しい先生だったね。」とマサ。熱い先生というのもウザいが、暑苦しい先生というのはそれ以上にウザい訳で・・・俺は、なるほどねえ・・と、隣で大笑いしてしまった。
不思議な感覚 マサの息子は空と同じ歳。今日は二人で仲好く遊んでいた。マサの息子と僕の息子が仲好く遊んでいる・・・「こんなこと、あの時代想像もできなかったよなあ」と僕。「ほんとだよねえ」「俺も色々波瀾万丈だったけどさ。」とマサ。
44歳 僕が中学校を辞めたのは11年前。今の祐晴達の時だ。あの時、二中から逃げ出してなければ、今の僕はいない。(自分の心が死んでしまう・・・)そう感じたから、僕は学校を辞めたのだ。将来のことは何も分からず、なんとかなるさ・・・と日本を飛び出した。色んな失敗もしたけれど、僕の周りにはいつも子どもたちがいてくれた。本当にどうしようもなく苦しい時にはひとみがいてくれた・・・。僕を二中や六中テニス部から排除しようとした人たちに、心から感謝しなくてはいけない。今の僕があるのは彼らのお陰なのだから・・・。学校を出て、たくさんの人と知り合うことができた。沢山の知らない世界を知ることができた。そして、昔の仲間とも会える時間もできた。教師を辞めても、子どもたちはいつでも傍にいてくれる。大策のように教え子でなくても、僕のことを覚えていてくれる子たちもいる。教師っていう仕事は本当にいい仕事だ。「暑苦しいほど、子どもたちを愛した」だけなのかも知れないが、子どもたちは忘れないでいてくれるのだ。44歳・・・人生これからだ!なんでも可能性はあるぞ!
今日の写真 1枚目が黒目川の中に捨てられた自転車を川の中から引き揚げ、ゴミ捨て場へ持っていく直弘と勝将。2枚目が明日誕生日の祐晴がケーキを前に照れているところ。
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10月5日 (月) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第277弾! 2009.10.5(月) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第277弾! 2009.10.5(月) たかやん
舞ちゃん 久しぶりに舞ちゃんのお迎で一日がスタートした。9月は一度もお迎に行けなかったのだ。車の中では「嵐」のメンバーの話で盛り上がる。「マツジュン」や「二宮」や「さくらい」の話をしている時の舞ちゃんは、どこにでもいる小学校6年生の女の子だ。
10月号 9月号に続き、「一生懸命」の10月号の作成に取り掛かる。議会がないので時間はある。そういう時は、トレーニング、掃除、勉強、議会報告の作成、ホームページの作成、ポスティングに限るのである。
トレーニング 趣味を兼ねて、テニスで体を動かすように心がけている。他のトレーニングもテニスの上達に繋がるようなトレーニングを意識するようにしているのだ。
掃除 我が家を奇麗にできない奴が、黒目川や新座市を奇麗にできる訳がない・・・。こまめにやるしかない、のである。
勉強 これはもう本かなあ・・昔のように一日に3冊という訳にはいかないんだけど、とにかく本を読んで、読んで、読んで・・・人に会って吸収する。そう人に会うのは、本を読むより勉強になるものなのだ。
議会報告 これは完全に仕事。これなしでは僕の仕事は語れない訳で・・・議会報告を発行しない議員が多いことにビックリする訳で・・・選挙前に「私はこれをやりました」「私の働きでこれができました」などと書く人達の気が知れない訳で・・・それを信じる市民の気持ちも分からない訳で・・・これがないと駅立ちもポスティングもできないのだから大変な訳で・・・
ホームページ 5年8カ月、毎日更新してきたけれど・・・まだまだ教員時代には遠く及ばない。ただ、学級通信を読む人は限られていたけれど、このホームページは色んな人が見る訳で・・・そこが面白い。僕のことを好きな人も嫌いな人も見ているところが笑える。僕は自分が愛する人の為に書いているのだが・・・
ポスティング 暑い時は大変だけど、これからはいい季節だ。空と一緒に自転車で行くのも楽しいし、独りで歩いていくのも楽しい。石神は勿論、栗原、野寺、西堀、新堀にも行かなくては・・・。
情報 インフルエンザの情報が公開されていない。八石小学校の4クラスが学級閉鎖とか六中の2年生が学年閉鎖とかはどこからか入ってくるのだが・・・市のホームページを見ても、市教委のホームページを見ても、インフルエンザの情報は書き込まれていない。市民を守るためには学級閉鎖や学年閉鎖をするだけではいけないのだ。その情報をどんどん公開して、今どの地域が危険なのか・・・ウィルスがどういう状態にあるのかを時間を追って、知らせていく必要があるのだ。違いますか・・・。豚インフルエンザだからこれで済んでいるが、「鳥インフルエンザ」になったら、これでは済まないのだから・・・。
今日の写真 今日の8時。舞ちゃんを迎えに行った時のスナップ。舞ちゃんはお父さんもお母さんもこの世にいない。このお祖母ちゃんに育てられたのである。来年の春からは特別支援学校へ行く。僕のボランティアも終わりになってしまうのだ。2枚目は今朝の石神小学校での舞ちゃんとさなちゃん。この二人の笑顔で僕はいつも元気になるのである。
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10月6日 (火) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第278弾! 2009.10.6(火) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第278弾! 2009.10.6(火) たかやん
基礎英語 朝の基礎英語で完全に目が覚める。聴いた時間内で全てを暗誦するからかも知れない。兎に角頭を使うことが大事なのだ。子どもたちに負けるわけにはいかない。
雨 車椅子に雨は厳しい。誰か傘を差してくれたら・・・そう思っても、手を貸してくれる人はいないことが多い。そう言えばよこ糸のMさんが言ってたなあ・・・「何年も送迎のボランティアをしてきたけれど、学校の先生達が手伝ってくれたことはない」って。僕なんかもそうだったけど、学校の先生って、そういうボランティアの経験がないから、どうしたらいいか分からないんじゃないかな。まともな大人なら、誰かが困っていたら手を差し出すものなのだが・・・先生達に余裕がないのかも知れないなあ。僕は一度も気になったことはないけれど、非力な女性のボランティアの場合は(助けて!)って内心思うことがあるのだろう。今朝は雨・・・ちょっと大変だったけど、頭を使って舞ちゃんは濡れずに済みました。はい。
忘れないうちに・・ 9月議会の内容を忘れないうちに書いておかないと・・・。人の記憶はどんどん薄れていくから・・・。僕の場合、3冊のノートと自分で書いたこの日記が頼りである。書きたいことが10月号でも書ききれなくて、11月号も書くことになりそうである。とほほ。
トレーニング 今日も1時間だけトレーニングをした。安孝の言う通りの練習をする。なかなかいいイメージで試合に臨めそうである。
猛威 インフルエンザの猛威が止まらない。空のお友達もバタバタと倒れている。症状は軽いようだが、何が起こるか分からないので親は不安だ。
そして台風 今度の台風はかなり危険らしい。この3日間でどれくらいの被害が出るのだろう。石神3丁目だって、豪雨となれば危険な地域である。少なくとも判断ミスで被害に遭うことのないようにしよう。
今日の写真 久しぶりに登場したマサ。我が家は禁煙だから庭で吸っているところ。「絶対に吸殻を捨てない」とマサ。確かに携帯灰皿を手にしている。勝将が「刺青あるかと思った」と言ったので、みんなで大笑い。ひとみの代の女の子からは「一番優しい先輩」として慕われていたっけ。川掃除にも子どもたちと参加してくれたマサ。人は見かけによらないのである。
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10月7日 (水) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第279弾! 2009.10.7(水) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第279弾! 2009.10.7(水) たかやん
朝の基礎英語 使えそうな表現がたくさんあって、なかなか楽しい。新座市の9年間の固まったプログラムよりもいいんじゃないかなあ・・・。ラジオを録音して授業の中で使っているのは早稲田中学校。流石に頭がいいや。年間7000万はかからないだろうしね。
雨の中の試合 昨日に引き続いて、今日は午前中・・・小雨の中で試合をした。今度の試合は8ゲームマッチなので、同じようにやってもらった。昨日は8−1で今日は8−2。8ゲームの感覚が少し分かって来たかも知れない。
仕事 毎日テニスばっかりやっていると思われそうだが、テニスは1時間だけ。毎朝の散歩の代わりだ。兎に角、体が資本なので病気にはなれない。市民の声を聞く。議会で発現する。議会報告を作成する。駅立ちする。そして、ポスティング。その為に体を鍛える。そして、こうして文章を書き続ける・・・。その為のテニスなのだ。勘弁してもらおう。
試合 実はテニスの試合に出ようと思ったのは、息子の亮のことがきっかけだ。心臓の病気で、もうテニスができなくなった亮の分、テニスをしたい。普通は親父の夢を息子がかなえるものかも知れないが、その逆があってもいいだろう。亮の夢はテニスを思い切りすることだった。だから、僕は今、毎日素振りをして、そして試合に備えて練習しているのだ。亮には亮の人生を精一杯生きてもらう。でもテニスは俺が代わりにやるのだ。強くならなきゃ、息子に申し訳ないのである。亮の心臓は多分、俺の遺伝だから。
台風 今日の予定の試合が、台風の影響で金曜日に延期になった。土曜日の空の運動会と重なったら、どうしよう・・・そう思っていたのでホッとした。
電子黒板 文科省が電子黒板を凍結させたらしい。1対24で語る会以外の人たちはみんな賛成したっけ。例の地デジ対応大型テレビは全額新座市負担となるということか。国の補助金だからと飛びついて、現場が必要としていないものを無理して買う・・・市民の血税が小中学校の大型テレビになる。それでも使えばいいのだろうが、多分それ程は使われないだろう。ああ1億3000万円・・・どうせ使うのなら、先生たちが希望しているところに、お金を使いたかったなあ。それとも大型テレビは電子黒板じゃあないから関係ない?まさかねえ・・・。
2000円 ここ数日、僕の昼ごはんは大泉のお祖母ちゃんからもらった「冷麦」。鰹節で出汁をとって、ネギを入れるだけだから、多分50円もかからない昼ごはんだ。試合が近いからと、無理してテニスクラブに入ったので我が家の家計は大ピンチ!経常収支比率が100%を超えてしまったのでは・・・と思うくらいである。そこで、一日の食費は暫く2000円以内と決めた。朝ごはんさえちゃんと食べれば一日生きていけるタイプなので、それで十分なのだが・・・・奥さんはちょっと寂しそうである。
今日の写真 これは今朝の我が家の「孫はやさしい」朝食。今朝の「ま」は納豆におからに油揚げ。「ご」はオクラの胡麻和え。「わ」は海苔。「や」はオクラにきんぴらに小松菜。「さ」はチリメンジャコ。「し」は味噌汁のエノキ。「い」はサツマイモととろろ芋。と、こんな感じである。もう何年もこの朝ごはんが続いているのだが、飽きた!と感じたことは一度もない。あと50年続いても、大丈夫そうである。
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10月8日 (木) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第280弾! 2009.10.8(木) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第280弾! 2009.10.8(木) たかやん
台風18号 気になって、真夜中に目が覚めた。黒目川が近いので、やはり心配なのだ。真っ暗な外に出てみるが異常はない。富山の母さんのことが気になる。基礎英語が終わるころに電話してみた。
雨戸 「今、雨戸を閉めているところ」と母さん。背骨を骨折しているのだから、かなり大変だったはずだ。飛んで行って、雨戸を閉めてあげたいところだが、それもできない。体が二つあったらなあ・・と真剣に思ってしまった。
掃除 7時半過ぎから急に雨が強く降り出した。風もかなり強い。久しぶりの台風直撃という感じである。本州のど真ん中を突っ切っていったのだから、直撃ではなかったのだが・・・ こういう時は掃除をするに限る。風の合間を縫って、掃除をし、ゴミをだしたのであった。
ショック 完成した10月号を勘違いして消去してしまった。もう大ショックである。午前中いっぱいかかったのに・・・ガビョーン!
テニス 明日が試合ということで、今日も1時間だけテニスをした。そして素振りも・・・今日で連続45日。きっと何かいいことがあるだろう。
休校 小平から通っている中学生は「休校だった」と笑顔。五中に通っている子たちは「4時間目からだった」と笑顔。そして六中に通っている子たちは「学年閉鎖だからずっとお休み」と笑顔。子どもたちは学校が好きじゃあないのかなあ・・・。そう言えば、今日の台風で空の幼稚園も休園。先生たちはいい休養になったかも・・・。
今日の写真 娘の名前はゆき。全日本のジュニアのチャンピョンだった。我が家の居候の一人である。あの杉山愛より強かったのだから凄い選手だった。久しぶりに我が家に里帰りした時の写真。今は立派なお母さんである。明日の試合はゆきのパワーも貰わないとね。
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10月9日 (金) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第281弾! 2009.10.9(金) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第281弾! 2009.10.9(金) たかやん
試合 いったい何十年ぶりのシングルスの試合だろう。多分、市大会の決勝で負けて以来の試合。それを除けば、大学時代以来・・・・いつも通に目が覚めるが、心も体も緊張しているのが分かる。
昭和の森オープン 大きな大会ではない。それでも試合から遠ざかっていたという思いは強く、会場に着く前に、もう疲れてしまうくらい緊張していた。
8ゲーム 心配していたのは体力だ。走り込みをしていないので、足がもってくれるかどうか分からなかったのだが・・・初回戦から7−7にもつれ込み・・・何とか9−7で勝ったのだった。
おにぎり 今日は最高で4試合やると聞いていたので、おにぎりを3個、昭島のコンビニで買った。試合の時は食べる気がしないものなのだが・・・初回戦が終わるともう1時前。バクバク食べてしまった。
着替え 一応シャツも5枚用意していた。毎回、試合ごとに変える積りでいたのだ。しかし、大会本部は殆ど休ませてくれず。2回戦目に突入。ここでも5−5と競りまくり・・・・何とか8−5で勝ちあがったのだった。
痙攣 しかし、この時点で僕の左膝は悲鳴を上げていた。激痛が走り、バキバキ音がなるのだ。そして右足は2か所も痙攣していた訳で・・・本当に情けない話なのだが、それだけの体力しか残っていなかったのだ。
準決勝 そんな状態で第一シードとの準決勝に臨んだ。相手のショットに1歩も動けないポイントが続いた。球はそんなに速くないのだが、体が動かない・・・・サービスも強く打とうとすると右足が痙攣する。そして膝が踏ん張れない・・・・本当に情けないくらいの惨敗だった。相手の井上さんは全日本で5シード。流石というテニスをしていた。今回は情けないくらいの完敗だったのだが、次回は相手を追い詰めるくらいのテニスをしたいと思っている。この悔しさをバネに全日本に挑戦していこう。そして六中の子どもたちが日本一になったように、いつの日か年齢別で日本一になりたいと思う。
カタツムリして 家に帰ると、空が飛びついてきた。「パパ、カタツムリして!」「え?」「カタツムリしてよ!」「意味がわからないよ・・・」「あ・・カタツムリじゃなくて、カタグルマして」「ごめん、膝が駄目なんだ。少し休んでからにして・・」「わかった」
攣った! そして椅子に座っていたら、いきなり右足の太ももが攣った。走り込みをしていなかったツケがきたのだ。体が少し戻ったら・・・また、走りはじめよう。
素振り それでも素振りはやる。これから表に出てやる。試合のイメージで振ってくる。継続は力なりを信じて振る。
写真 今日の写真はその井上さんと。スコアーは0−8。テニス人生で初めてというくらいの負け方だった。それでも今日一日で友達はたくさんできたし、テニスそのものは楽しめた。そしてかすかに、自分の可能性も感じることができたのだった。
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10月10日 (土) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第282弾! 2009.10.10(土) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第282弾! 2009.10.10(土) たかやん
最後の運動会 今日は空の片山幼稚園での最後の運動会。全身筋肉痛でも7時45分には幼稚園に着いた。そう、今日は駐輪場係りだったのだ。ところが、ママの調子がおかしい。「眩暈がして起きれない・・・」というのだ。僕は駐輪場の係りが終わると同時にダッシュで空を迎えに・・・そして何とかギリギリ、開会式に間に合ったのだった。
長淵 その駐輪場係りのお父さんの中に、六中の卒業生がいた。「青ジャージだったんですよ」「テニス部でいうと中君の代ですね」六中が初めて全国優勝したときの学年だ。その彼が、「先生が長淵を歌ったのを覚えてますよ。それで長淵ファンになったんです!」というから驚いた。僕の学年でない子たちまで、僕の歌を聴いていたのだ。理科の授業は覚えてなくても、僕の歌は覚えているという子が多いのは、嬉しいような悲しいようなである。
ビデオ&カメラ ママが倒れてしまったので、独りで撮影隊をやって大変だった。独り会派には慣れてはいるのだが、一人撮影隊には慣れていないのだ。全身の筋肉痛の上に、一人撮影隊・・・男はつらいよ状態だった。
友達 それでも今日一日で友達が増えるのだから人生は面白い。同じマンションに住んでいるjさんや、3年間同じ学年だったKさん。そして六中卒業生のS君など・・・新しい友達が増えたのが嬉しかった。
涙 今日の運動会で泣いたシーンがあった。卒園児によるリレーである。トップランナーに障がいのある女の子が先生と手を繋いで走ったのだ。明らかに不利なスタートである。ところがそのクラスは後半、足の速い子が走り、どんどん追いついてきて・・・そして、最後に1位になるのだ。その時の担任の先生と子どもたちの喜びようといったら・・・・僕は六中の3年2組のことを思い出していた。
マー君 3年2組にはマー君という男の子がいた。運動機能障害、そして知的障害・・・体育祭でマー君がいることは学級対抗には明らかに不利だった。しかし、3年2組は練習に練習を重ねた。最初はまったく走れなかった二人三脚をいったいどれだけ練習しただろう。怖がって、手ぬぐいを捲くことさえ拒んでいたマー君と僕はどれだけ一緒に走っただろう。そして体育祭の本番。マー君はクラス一の秀才と二人三脚のアンカーを務めた。3年2組はぶっちぎりだった。ところが・・・二人の手ぬぐいが切れた!のだ。必死になって結びなおそうとする二人。しかし、切れた手ぬぐいはなかなか繋がらない・・・次々と後続チームに抜かれ・・・3年2組は悲鳴をあげた。それでも僕らにとっては優勝だったのだ。僕らは間違いなく1位だった。今日のリレーでその時の記憶がよみがえってきたのだ。クラス全員の力で戦うことの意味を・・・今日のあのクラスも、3年2組の子どもたちも感じてくれたと思うのだ。僕は周りに気づかれないように涙をぬぐった。カメラのシャッターを押しながら恥ずかしいくらい、涙が出てきたから・・・
今日の写真 その時のリレーの様子。小学校1年生達が必死に走っていた。そして優勝したクラスの万歳!たまらなかった。
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