Diary 2011. 10
メニューに戻る
10月1日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第273弾!  2011.10.1(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第273弾!  2011.10.1(土)   たかやん

ミラクル相馬
朝の7時から“地域の力”の理事会。今日は会議で一日がスタートした。僕らのチームは継続的に「東北支援活動」をしているのだが・・・特に相馬に対する支援プロジェクトの打ち合わせをしたのだった。相馬市には戦時中に母さんがお世話になった(学童疎開の保母さん)こともあり、僕自身特別な感情がある。詳しい内容はまだ書けないが、その内発表できると思う。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

ピッカピカ
今日は体育館のトイレ掃除に超燃えた。お陰でトイレはピッカピカ。みんな凄く頑張ってくれたから嬉しいよ。(絵美)
*教室掃除もフルスピードで、みんなでやっていつも一番。そして、綺麗。雑巾がけもみんなでやると楽しいね。

ドキッ
知能テスト。先生の「やめい!!」の声、凄いビックリした。心臓が止まりそうだったよ。今度、乾杯歌ってね。身体測定・・・ショックが大きかったわ。(由紀)
* OK。ピアノ弾きながら歌ってあげるよ。

友達
だんだん、友達と話せるようになってきた。(宏隆)
* でしょう・・・。みんなどんどん1組のこと、好きになっていくからね。

教室は間違えるところです
『おっはよう!』連休で久しぶりの教室。「おはようございます」という挨拶がいつもより小さい。それもそのはず、今日は市大会で20人も欠けているのだ。当然、授業は成り立たず・・・・1時間目から数学のプリントに燃える1組であった。「ねえ・・・方程式ってどうやるんだっけ?」と泰広。『方程式はさ、Xが犯人なんだ。だから、犯人Xを等式の左側にして、邪魔なものをどんどん消していけばいいんだよ。例えばね・・・』と担任。「この問題はどうやりますか?」と香織。『それはね・・』と担任。久美子、航、政幸・・次々と質問に来て、担任は大忙し。『昔ね、向井先生の教室に、こう書いてあったんだ。“教室は間違えるところです”ってね。1組の前にも、もう直ぐその言葉を貼るからね。だから、みんな間違えることを恥ずかしがっちゃいけないよ。本当に恥ずかしいのは、わからないことをそのままにしておくことなんだよ。』頷く1組。いいぞ、いいぞ!

夏みかん
事件はわずか数秒の間に起きた。「高邑先生、2組のテレビ見てあげて下さい」と宮下先生。『はーい!』ベランダから2組に入り、テレビの調整をしていると・・・ガシャーン!ガラスの割れる音がした。廊下へ出ると・・1組の前の窓ガラスが割れていて、廊下には夏みかんが落ちていた。(さっき、克彦が持っていた奴だ・・・)犯人は弘だった。2組の佐藤とキャッチボール(キャッチみかん)をしていて、佐藤が見ていないのに、夏みかんを投げたのだった。担任がベランダに出た時は全員席についていたのに・・・モミザルのやつ・・・放課後、便所に呼び出すか・・・

交差点
給食が始まった。今日歌った歌、“交差点”なんかいいな!!(明美)
* でしょう?いいよね、交差点。恋をしたことのある人には分かるんだなあ・・・。

講演会
明日は富士見市での講演会に行って来る。午前中は講演会へ行き、午後は地域のお母さん達と打ち合わせ。「子ども達を放射能から守るにはどうしたらいいか」それが明日のテーマである。

今日の写真
六中の最初の赤ジャージが関東に優勝して、全国大会へ行った時の写真です。立教や慶応と真っ向勝負して、勝った子達です。兎に角、練習をしました。六中の周りを毎朝掃除し始めたのも、六中のトイレがピカピカになったのも、全部この子達からなんですよ。勉強もできました。あの猛練習の中から東大生がでたのですから間違いありません。

20111001-1.jpg



10月2日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第274弾!  2011.10.2(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第274弾!  2011.10.2(日)   たかやん

講演会と懇談会
「放射能から子ども達を守るには」どうしたらいいのか・・・。初めて講演会に行ってきた。午後からは市内のお母さん達で、「放射能から子ども達を守るには」どうしたらいいのかを親権に考えているお母さん達との懇談会。子ども達の命と健康を守りたい!という母性として、当たり前の感覚が嬉しかった。

命日と誕生日
昨日は陵平の命日。明日は父さんの命日。5日は二郎の命日。来月の1日は和彦の命日。陵平の集まりは8日の土曜日になった。陵平の友達はきっとまた成長した姿を見せてくれるのだろう。

昔の日記
2005年の10月の日記を初めて読み返した・・・和彦のことを思い出したら、泣けてきてしまった。2004年の今日の日記にはこんなことも・・・・議会でのやりとりが浮かび上がってくる。そして、新座の教育そのものも・・・

 ◎高邑朋矢議員
 
〇議長(三村邦夫議員) 続いて、11番、高邑朋矢議員の一般質問を許可いたします。
 11番、高邑朋矢議員。
   〔11番(高邑朋矢議員)登壇〕
〇11番(高邑朋矢議員) 11番、高邑です。通告書に従って4点質問いたします。
 2000年秋の二中の2年生の自殺について、再度質問します。この事件は、もう皆さんおわかりだと思いますけれども、2000年9月28日、二中の2年生のある生徒が昼休みにベランダに出ていて、そこでハイチュウというお菓子を食べていたことが発覚し、その後放課後教室で担任の先生に聞かれて、9名の生徒が学年全体の先生に指導されます。その後、その数が21名になります。学年全員の先生プラス生活指導担当の先生に生徒たちが指導をされたと。その時点で反省文を書かされています。その反省文については、3月の議会で読ませていただきました。その後、親に連絡が行き、それから次の週の学年集会で決意表明をしてもらうと。それから、ライターを持ってきた生徒に関しては、親を呼び出すと、そういう指導がされたわけです。大貫陵平君は、その次の日、担任からの突然の電話によって母親にその内容を知られ、そして少しの会話の後10階から下に飛び降りました。この重大な事件、子供の命が亡くなってしまったという重大な事件に対して、私は3月にこういうふうな質問をしました。大貫陵平君が自死してから3年以上の月日がたちました。ベランダで休み時間にお菓子を食べた生徒に対する指導で起きた事件を今どのように考えていますか。また、事件以降どのような努力をして、再発を防いできたのでしょうか。こういう質問をしたのです。ところが、教育長の答弁を聞いて、全く納得ができませんでした。
 大貫陵平君です。13歳と10か月しか生きられませんでした。今もし生きていれば、17歳と7か月です。高校3年生になります。高校3年生というと、先月の末の所沢高校の3年生のカンニング事件による自殺のことを皆さん連想すると思うのですけれども、私も同じでした。同い年というのももちろんあるのですけれども、カンニングしたかしないかは別として、複数の教師によって1人の生徒が指導を受け、そして母親にごめんなさいというメールを残して、遺書を残してそして死んでしまった。非常によく似ているのです。この事件が起きたときに、私のところにやはり10通以上のメールが届きました。どうしても陵平君のことを連想してしまう、そういうメールが届きました。その中から、陵平君のお母さんの政江さんから来たメールをちょっと読ませてもらいます。「きょうは、勤務先の運動会です。もうすぐ出勤します。3年8か月前のあの日の翌日も同じように運動会でした。あの年も5年生を担任していて御神楽という民舞に取り組んでいました。なぜか同じシチュエーションです。男子生徒のご家族のことを思います。表現などできない怒濤のような感情の渦の中に今いらっしゃるであろうことを思います。私に何ができるのだろうか、私は何をしなければならないのか。また、この問いを真っ正面に突きつけられたように感じています」これが、陵平君のお母さんの政江さんからのメールです。あれから4年近くたとうとしていますけれども、親の納得できない気持ち、悲しみ、ちっとも減っていないのです。そのことをまず教育長には知っていただきたいというふうに思います。
 私も21年教員やりましたので、この集団の指導というのはやったことが何回かあるように思います。例えば、五中時代の子が三中に殴り込みに行って、竹刀を持ったり、チェーンを持ったり、バットを持ったりして三中へ殴り込みに行ったときに、学年の教師が慌てて引き戻して、みんなで必死になって彼らのことをしかった記憶があります。ただ、やっぱり人を傷つけてはいけないと、君たちはけがをしたらどうするのだと、そういう怒り方だったし、しかり方だったし、そういうすごく重大な事件のときでさえ必ず学年の先生の中には、もちろん怒る人は当然いるわけだけれども、肩を抱く先生もいるわけです。全員が同じように休み時間にお菓子を食べたということで、とんでもないことをしたのだというようなこういう指導をしたことは、私は21年間に1度もありませんし、何でこういうわけのわからない指導を平気でするのかと、今でも全然納得できません。
 やっぱり、私が習ってきたこと、先輩から習ってきたことというのは、しかるときはなるべくみんなにわからないようにしかる、褒めるときはなるべくみんなの前で褒めるということなのです。この学年集会でみんなの前で決意表明をするというのは、みんなの前で謝れに等しいわけです。だから、やはり生徒が、子供たちがどれだけの大きなプレッシャーを感じていたのかということを、やっぱり教師たちは知らなくてはいけないと思います。
 中学校というのは、子供たちは非常に今ぴりぴりしています。昔の子供たちよりも、はるかに今の子たちの方がぴりぴりしている。それは、どうしてかというと、ふだんの生活態度が内申書に関係あるということを子供たちは常々言われているからなのです。陵平君もリーダーと呼ばれていたようですけれども、1年生のときはそうでもないのでしょうけれども、2年、3年になると突然委員会の委員長に立候補する子供たちがふえてきます。何で、おまえそんなにやる気があるのだいと聞くと、やはり内申書のことがもう頭にあるのです。14歳、15歳の子供たちは、内申書をよくするために一生懸命先生の印象をよくしようと、そういうことを考えているわけなのです。その中でのこういう指導だったと、そういうことをまずわかっていただきたいというふうに思います。まず、その点に関して前回と同じように今どう思われているのか。あの所沢高校の事件、同じような事件があった後、教育長はどう思われているのか、その答えをまたお聞きしたいと思うのです。
 大きな問題です。新座市の教育界がこの問題をどう解くのかと言われている大きな問題だと思います。前回の質問のときは、私の中ではいまだ大きな課題です、そういうような答えでした。それから、校長が判断をしたことに私はとやかく言えませんと、そういう答弁が返ってきました。これは、だれも納得しません。教師というのは、子供たちに問題を解かせます。時間内に解かせます。50分でできなければ、答えが出なければ、いまだに課題ですと言ったら、零点なのです。零点なのですよ、答えがまだ見つからないというのは。もう4年近くたっていて、まだ私の中で課題ですとか、答えが見つかりませんというのは、零点の回答だと私は思っております。今どのように考えているのか、まずその点をお聞きしたいというふうに思います。
 事件から1か月の間、具体的に学校や教育委員はどう動いたのか、この問題を解決するためにどういう仕事をしたのか、どう解決しようとしたのかの具体的な動きを資料要求しましたので、お願いします。
 2番目は、同じように3月の議会で決まりを守るということが非常に大事なのだと、そういうことを教育長は言われました。そして、お菓子を食べることは大したことではないと、私はこう言ったのです。ここらあたりから見解が大分違うかなと、私も確かに違うと思います。小さなことの積み上げが大きなことになる、私はいつもそう思っています。そういうふう教育長は答弁されました。言ってみると、悪い芽は小さいうちに摘んでしまえと、そういう指導が教育長のベースにあると。私のベースは、いい芽は、小さいいい芽はどんどん伸ばせという、育てていけと、それが私の教育理念なのです。大きく違って当たり前なのですけれども、その悪い芽を摘んでいく、子供の中の悪い芽を消していくということは、本当にその教育として、新座市の教育としてどうなのだろうかということを考えてもらいたいと思います。
 資料要求として、現在どのような校則がありますか、小中学校でどんな校則がありますかということを要求しました。要求しながら、ではほかの学校はどうなっているのだろうか。いわゆる有名である中学校です、例えば麻布だとか、武蔵だとかちょっと頭に浮かんだもので、問い合わせをしてみました。そうしたら、武蔵は、学校の校則はありませんと、明文化されたものはありませんという回答でした。麻布は、学校の規則はない、標準服はあるが制服はありません。運動部の生徒が外へ、対外試合に行くときだけ着ますと、そういう答えが返ってきました。それから、筑波大附属は、決まりはない、マナーに関するものはある。だけれども、そういういわゆる校則のようなものはないと、こういう返事が返ってきました。
 あとは、おもしろいなと思ったのは開成なのですけれども、3枚ファクスが返ってきたのです。これ、結構あるではないかと思ったのですけれども、例えば生徒が集会等を行うときはこういう届け出をしなさい、生徒が講師を呼ぶときはこういう届け出をしなさい、生徒がこういう印刷物を出すときはこういう届け出をしなさい、つまり生徒が何かをしたいときはこういう許可を得ればできるよという、そういう生徒心得が2ページ半ぐらいあるのです。そして、服装規程というのもあるのですけれども、黒の詰め襟の学生服であれば所定のボタンをつければいいと、制帽の着用は任意とする。運動着も白であれば何でもいいと、体育館履きと運動場履きだけは分けなさいと、こういう決まりなのです。
 それから、立教中学もちょっと送ってもらったのですけれども、立教中学にはちょっと関係あることが書いてありました。飲食は、昼休み及び放課後とし、それ以外の休み時間等での飲食はしない。ただし、モーニングブレイク、第2時限と第3時限の間20分の休み時間では軽食はとってよい。要するに、学校の中で教室の中で休み時間どうぞ食べなさいと、そういうことが書いてあるわけです。子供はおなかがすきますよね。私も朝の6時から練習したりしていたので、よく休み時間に何か食べた記憶があるのですけれども、どんなきょう校則が出てくるのかちょっと楽しみなのですけれども、お聞きしたいのは、その校則を通してどういう子供を育てたいと思われているのでしょうか。こういう校則があるから、こういう校則を守ることで新座市の学校というのはどういう子供を育てたいと思われているのでしょうか、そのことをお聞きしたいと思います。
 それから、3番目ですけれども、全小中学校の管理職についてお聞きしますということで資料要求したのですけれども、何でこんなことを、やっぱり陵平君の事件にもちろん関係があるわけで、2001年5月20日、「朝日中学生ウィークリー」という新聞にこういう記事が載っているのです。学校長は、「原因に思い当たる節はない」、陵平君の自殺について思い当たる節はない。ああいう指導をして1人の生徒が亡くなって、思い当たる節がないという、こういう能天気なことをどうして言える管理職が新座市から出ているのだろうか、この人はどういうところからこういう言葉を出すのだろうか。こういう人が管理職になってもらったら本当に困るなと思ったので、ちょっと調べてみたいと思ったのです。管理職試験、県の教育委員会にも問い合わせたのですけれども、10倍だとか15 倍だとか17倍だとか、物すごい倍率なのです。でも、学校としては自殺の原因に思い当たる節がないという、その共感能力のなさというか、こういう人がどうして管理職になっているのか、ちょっと私は知りたくて、20年間分の資料を要求しました。ところが、3年間分しか出せませんと言われました。それで、きょうは3年間分の資料要求ということになるのですけれども、よくわからないのは教育委員会が評価をして県に推薦を出すわけです。それで、何十倍もの難関を通って管理職試験に合格をした、物すごくめでたいわけです、新聞に載っけたっていいぐらいです。私は、21年間教員やってきて、だれが受かったかと正式に聞いたことはないし、見たことはないのです。何となく暗黙のうちに、だれが合格したってさというので終わっているわけです。なぜ教育委員会が3年分しかつかんでいないのか、これ物すごい疑問なのですけれども、それしか能力がないのか記憶力が悪いのかよくわかりませんけれども、私は21年間教員やって、そこに石島陽子議員いますけれども、布施陽子という名前で私のクラスにいました。どこの高校に行ったか覚えています。普通調査書を書いたら、担任なので私は3年生だけで360人ぐらい卒業生出しましたけれども、どこの高校に行ったか名前もみんな覚えています。27年も昔のことだけれども。だから、何で3年間分の記憶しか今の新座市の教育委員会はないのだろうかというのが、非常に疑問です。
 最後です。小学校の施設の市民への開放は定着してきましたけれども、市内の六つの中学校の施設、体育館、球技コート、校庭等の市民への開放はほとんどされていないと思います。市内中学校の施設を積極的に市民に開放していく考えはありますか。これは、非常に今中学校の校庭や球技コート、体育館もそうですけれども、あいていることが多いのです。私たちがやっていたころは、それこそ元旦から大みそかまでやっていたりしましたので、余りあいていなかったと思うのですけれども、土曜日、日曜日も休みになった関係なのか、顧問が高齢化したのか理由はわかりませんけれども、非常に中学校が、市民の大事な施設が非常にすかすかにあいている、あいていることが目につきます。これは、ぜひ小学校と同じように市民の方に積極的に貸し出しをしてもらいたいというふうに思っています。そういう声がたくさん聞かれます。そのことについて、積極的に開放していく考えがおありかどうか。
 以上、4点についてお答えいただきたいというふうに思います。
 以上です。
 
 ◎資料提出要求
 
〇議長(三村邦夫議員) お諮りいたします。
 ただいま高邑朋矢議員から資料の提出要求がありましたが、これを市長に求めることにご異議ありませんか。
   〔「異議なし」と言う人あり〕
〇議長(三村邦夫議員) ご異議なしと認めます。
 よって、ただいま高邑朋矢議員から提出要求のありました資料の提出を市長に求めることに決しました。
 
 ◎資料配付
 
〇議長(三村邦夫議員) ただいま要求されました資料が送付されましたので、配付いたします。
   〔事務局職員配付〕
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 教育問題4点にお答えをいたします。
 最初に、改めて大貫陵平君に哀悼の意を表します。
 1点目の質問でありますが、その件について今どう考えているかと、こういうご質問であります。前回も同じご質問がございました。私といたしましては、二度とこういうことがないように、自分として重い課題として受けとめておるということを申し上げたとおりでありまして、つい先日も中学生に続いてこういう事故があったと新聞報道等がありました。本当に胸が痛む思いであります。もう決して起こらないようにというのが、私の重い課題であります。それを3月に申し上げました。
 それで、そのことにかかわって決まりのことに絡んで小さい芽を小さい芽のうちにつぶしていくということを3月に答弁を申し上げたわけでありますが、小さい芽というのは問題のある、直さなければいけない芽であります。当然小さいよい芽は、これはもう認めてどんどん伸ばしていく、これが教育であります。事が大きくならないうちに先手必勝、これはいつも校長にお願いをしております。素早く対応して正しい指導をして子供の成長を助けるというのが基本であるということはいつもお願いをしているところであります。それを申し上げました。
 それから、校則の問題であります。麻布とか開成とかという話が出ましたが、校則というのは学校の実態に応じてつくるものであります。教育目表達成のために学校として、この実態だったらこういう校則が必要だなと、その実態に応じて基本的につくるものでありまして、学校によって当然これは違ってまいりますし、またある時期になったら要らなくなる場合もあります。それは、学校の実態に応じておりますので、どこの学校はなくていい、こっちの学校はあって問題と、そういう考えは私どもは持っておりません。
 3点目の管理職の件についてですが、ちょっと質問の意味がよくわからなかったのですけれども、教育委員会、その3年きり資料がないということでありますが、これは志願書とセットで3年の保存期間というのがあります。それにのっとって以後3年で処理をいたします。
 それから、校長はどういう子供の成長を願っているか、どういう子供に成長させようとしているのかというご質問でありますが、これは各学校の学校要覧にすべて載っております。一番上には教育目標があり、学校像があり、児童像、生徒像が載っております。すべて学校それぞれ地域の保護者の皆さんのお声を聞きながら全部それは表示をされておりまして、保護者の皆さんにも学校だより等で年度初めには必ずお知らせをしております。
 4点目の貸し出しの件でありますが、現在もこれは中学校は貸し出しをいたしております。目的外使用の場合には、手続をきちんと踏んで校長の判断で貸し出しをいたしております。原則生徒と一切関係のないことで、学校の経営に、部活動等に影響のないあいている日ということであります。ただ、これも大変学校としては難しいわけであります。といいますのは、校庭をお貸ししたら、その前に自分たちの練習の日に雨が降ってしまったと。3日も4日も雨が続いて、ようやく晴れたらその日貸してしまってあったと、練習したいのだと、こういうようなことも出てきております。できるだけ話し合いをしながら、基本的には学校優先、教育優先ということでお貸しをしているということであります。
 以上4点、ご答弁を申し上げました。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) ありがとうございました。
 その教育目標ですか、私が聞いたのは学校ごとの目標を聞いているのではなくて、教育長は新座市の子たちをどういう子供にしようと思っているのかということをお聞きしているのです。学校ごとにそれは違うからとかいうことを聞いているのではなくて、あなたはどういう子供たちにしたいと思っているのかということを聞いているのです。
 この問題を、教育委員会は学校の責任にしてはいけないと思うのです。普通常識としては、教員というのは校長に管理されているわけで、校長は教育委員会の指示を受けているわけです。学校であったことが、その学校の判断に任せるとか、何かこういう大きなことがあったときに学校長に任せてあるとか、そういう逃げの答弁をしていただきたくないのです。
 資料を見ているのですけれども、教育委員会にお願いしましたけれども、校長は出張していると。私は、具体的な動きと書いているのに、校長出張ではどこに出張したかわからないではないですか。一、二、三、四、五個、校長出張と書いてあります。どこに何の用事で、この大きな事件のときに校長はどこに出張したのですか、それをお聞きしているのです。何で1か月かというと、陵平君の両親が何があったのか、学校で何があったのか、どんな指導があったのかと聞いたことに対して、10月31日、この資料の一番最後にありますね、両親との話し合い。そこまでわからないのです。両親は、そこまで何があったかを把握することはできなかったわけなのです。なぜこんなことが起きるのですか、普通の社会では考えられないではないですか。学校で起きたことなのです。いろいろファクスで幾ら質問しても、電話をかけても忙しいとか、出張があるとか、研修があるとか、陵平君の命よりも大事なものって一体何なんですか、学校にとって生徒の命よりも大事なものがあるように受け取れてしまうのです。それは何なのでしょうか、全然わからないのです。
 私がお聞きしたいのは、教育長の考えなのです。前も言いましたけれども、新座市の学校のリーダーなわけですから、教育長の考えをお聞きしたいのです。今新座市は、実に細かい指導というのですか、そういうのが本当に行き届いているように思うのです。例えばある小学校では、げた箱に靴をそろえるときに、げた箱のへりから1センチ中に入れなさいと。それをチェックしている先生がいるわけです。実にきめ細かい指導です。そういったことが新座市の学校で行われている。私なんかもちっちゃい子がいますから、非常に不安なのです。そういう細かい、ちょっとしたことで怒られると。今そういう目で新座市の学校というのは見られているのです。ちっとも伸び伸び育っていないと。子供が命を失っても学校はちっともそれに対して真摯に向き合っていないと、納得できない、こういう声が非常に強いのです。その辺、ちゃんとお考えを言っていただきたいと思います。
 陵平君が亡くなったときに、学年主任や教頭は申しわけありませんでしたと、頭を下げています。申しわけありませんでした、学校のその場にいた人が、責任者が言っているのです。その後、どうして1か月たった後に、申しわけありませんでしたが、学校の指導に間違いはなかったと、そんな自信満々に言い切れるのですか。そして、それについて教育委員会としては学校長が判断したことだから、私の方では判断できない。では、教育委員会なんか要らないではないですか。校長が判断したことに間違っていると言えるのは、教育委員会だけではないのですか。我々が幾ら言ったってだめでしょう、それが言えるのは教育長が一番言えるのではないですか。教育長の考えを、本当の考えを聞かせてください。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えいたします。
 1点目、教育長はどういう子にしたいか、教育長自身の考えを。これも何度もいろんなチラシ、あるいは広報等で市民の皆さんに知らしめているように思っているわけでありますが、子供が幸せな人生を送るには小中学校の段階でどういう力をつけたらいいのかと、これが一番私の出発点であります。当然それには知、徳、体、決まりを守る、社会生活をしっかりできる、個人の力を十分発揮して、自分の力を存分に伸ばして、自分の人生を切り開いていくたくましい力、強い子を育てていく、これずっと申し上げているところであります。どういう子に、そしてそういう子を求めて各校長もそれなりの学校の子供たちの実態を見詰めて、うちの学校ではそういうふうに進めるためにこういうことにしようという教育目標を徹底している。これは、当然もうそういう順番は議員におかれては承知をしていることと思います。校長の判断に任せるというのは、何任せているのだかちょっとわかりませんけれども、校長の権限でやるものと教育委員会の権限でやるものとがあります。このいろいろと起こった一連のことについての判断、これは私ども教育委員会ではこれをどうするこうするということをできる立場に、それほどの情報は持ち合わせておりません。ただし、相談をずっと続けております。事実を聞いては相談し、事実を聞いては相談し、もう何十回もやっております。そして、最後にこういう判断でどうだということで話をしているということでありまして、最終的にはこれ校長の判断、権限でありますから、私ども指導はずっと続けております。任せては決しておりません。
 申しわけありませんでしたという言葉につきましては、いろいろな意味があるかと、ちょっとわかりませんけれども、こういうことが起こるのを発見できなくて申しわけなかったかもしれないし、何があれだったか、前の方はちょっとわかりません。ただ、少なくとも原因が現在わかっていない、それは重い課題であろうと思っております。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 子供が幸せな人生を送れるように、そう考えて指導した結果、子供が死んでしまったのです。
 決まりを守ることが大事だ、そういう指導をしたことで子供が死んだのです。それで何も感じないのですか。学校と何十回も話し合いをしていると、何十回も話し合いをした結果、学校には責任はありません。私たちには全然責任はないのですというのが、それが答えなのですか。では、だれが、何がいけないのですか。わからないでは、答えになっていないわけです。子供は納得しませんよ。子供は、こういう答えをテスト用紙に書きなさいと、わからなければバツになるわけですよね。こんなに大きな問題が起きて、あなたが言っている一番大事なものを失って、何十回も話し合いをした結果が、自分たちに間違いはなかった、悪いのはだれかほかにいるだろうという結果を出しているわけではないですか、その当時の二中は。それを教育委員会としては指導できない、それはおかしくありませんか。教育長自身も何回か陵平君の両親から一度会ってくれと言われていますよね。でも、忙しいから会えないという返事をしていますよね。教育長自身は、両親の話し合いにどうしてこれ出られなかったのでしょうか。それとも直接会ってお話をしていますか。10月31日の両親との話し合いにどうして教育長は参加されなかったのでしょうか。今たくさん資料があるのですけれども、教育長の名前が全然出てこないのです。
 それから、さっき、どこに出張したのかというお答えをされていないのですけれども、校長の出張は一体どこだっだのでしょうか、教えていただきたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 学校教育部長。
〇学校教育部長(金子広志) 高邑議員の校長の出張についての質問にお答え申し上げます。
 校長は、出張という用務がありまして、日々そういう用務を日常こなしているわけですけれども、こういう大きな事件、事故があったということでありまして、その後臨時の校長会を開催をしております。その校長会に出たり、あるいは定例の校長会等も10月5日には開催をして、教育長から命の大切さということについて各学校で子供たちに教育をするようにというような指示もこのときも出ておりますし、また10月13日におきましては県の訪問がございまして、この県の訪問の担当者からの全体指導がございましたので、新座市役所に出張しております。また、10月19日等につきましては、子供たちの新人の陸上競技会がございましたので、そういった競技会に校長として引率をしたということもありますし、10月25日におきましては朝霞地区の予選会に引率をしたということでございます。そういったことで出張をしております。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えをいたします。
 幸せな子供をつくるために決まりを守らせたから、そういう指導をしたからこういうことになったのではないかと、こういう質問でありますが、この決まりを守る指導と守らせる指導とこの件と、イコールでつながるかどうか、私は別に考えたいと思っております。学校としては、教育委員会としては、子供たちが社会生活をしっかりできるように決まりを守らせる、守る、そういう指導はずっと今後も続けていきますし、必要なことと考えております。それとイコールにつなげることができるのかできないのか、これは全くわかりませんけれども、私どもとしてはこれは全然別の次元の問題かなと思っております。
 それから、ご両親との話し合いの件につきましては、答弁を差し控えさせていただきます。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 差し控えさせていただきたいと、どういうことなのでしょうか。差し控えないでください。
 だって、子供が亡くなっているわけですよ、わかりますか。私だって同じことをしますよ、自分の子供がそうやって亡くなったら。校長にも言いますよ、教育委員にも言いますよ、教育長にも行きますよ。それで、忙しいから会えないと言ったら、自分の子供を命は何なのだと思うではないですか、そういう態度が不信感を招くわけです。
 それから、あの指導とあの事件とを別に考えたい、それは別に考えたいですよ、学校側としては。教育委員会としても、別に考えたいのはわかります。私が、どうしてもわからないのは、こんなことで、いいですか、こんなベランダに出てお菓子を食べたということで、その友達の名前を全部言わせて反省文書かせて親に通報して、学年の前で、みんなの前で決意表明までさせる、これに驚くわけです。これで、そんなに大ごとになったらほかのことのときはどうするのですか。法を破ったときは、どうするのですか。何で、こんなちっちゃなことで。私は、ちっちゃなことだと思いますよ、ベランダでお菓子を食べるなんて。本当に許せないことですか、本当に正しいことなんですか、それでみんなで寄ってたかって、学年全部の先生が来るわけですよ、そのときの中学生の気持ちがわかりますか。
 教育長、この間こう言われましたよね、「何でおまえが」、小学生のとき「何でおまえが」と言ったときに涙を流したと。1人の先生に言われたって子供は泣いてしまいたい気持ちになるのです。それを、学年全部の先生と、ほかの学年の先生にまで責められて、陵平君はどんな気持ちになったのですか。突然母親に電話をされて、陵平君だけ違うのです。ほかの20人の子たちは、死んでいません。でも、陵平君だけは死にました。だから、陵平君がおかしいのではないかという考え方はおかしいです。陵平君だけ違うことがあります。それは、担任が陵平君に予告なしに母親に電話を入れたということです。それから、ライターの件を母親に尋ねさせているのです。12人の教師が、おまえたちとんでもないことをしたのだよと言った後に、13人目が母親なのです。そういう役割を母親にさせているのです。陵平君が亡くなった夜のことです。陵平君の母親です。「陵平、大事な話があるんだ、テレビ消して」、陵平、無言でテレビのスイッチを切る。母、「今池田先生から電話があったんだけど、学校でお菓子を食べたって本当」、陵平「うん、ごめんなさい」、母「ライターを学校に持っていったっていうのも聞いたんだけど、そうなの」、陵平「うん、ごめんなさい」、母「ライターで何をしようと思ったの」、陵平「ただ持っていっただけ」、母「まずいことしちゃったね、ライターを持ってきた子供の親は来週学校へ呼び出しだって。でも、私は月曜日ちょうど休みだからいいよ、行ってくるよ。来週学年集会もあってね、そこで決意表明をしてもらんだってさ、陵平はその準備をしておかなくちゃいけないね」最後に母親と陵平君はこういう会話をしているのです。そのときの陵平君の気持ちがどんなだったかわかりますか。
 学校の先生全員に、おまえたちはとんでもないことをしたんだ、リーダーなんだから。とんでもないことをしたんだ、反省文、立派な反省文書きましたよ。陵平君の遺書を覚えていますか、「死にます。ごめんなさい。たくさんばかなことして、もう耐え切れません。ばかなやつだよ。自爆だよ。じゃあね。ごめんなさい」私、これを読んで涙が出たのですけれども、すごいなと思ったことが一つあるのですよ。それは、だれも責めていないのです、だれの名前も出していないのです。二中のニの字も、先生のセの字も、何も出していないのです。自分が悪いと言っているのです。でも、中学校2年生の子供が、お父さんとオートバイの試合に出ることを楽しみにしていた13歳の子が、何で死ななければいけないのですか。これ、絶望したからではないですか。未来に絶望したのですよ、何で絶望しなければいけなかったのですか。お母さんが、このたったこれだけのことを言ったから、それが原因で死んだのですか。教育長自身が言われていたではないですか、一言一言の中に重みがあるのだと。その重みを12回ぶつけられて、母親から13回目が来たのです。母親は、しようがありませんよね、担任の先生にそう聞いてくれ、ライターの件聞いてくれと、学年集会で決意表明をしてもらうということを伝えてくれと言われたのだから、そう言うしかありませんよね。私が親でも多分そうしますよ、いや、そんなことやらなくていいと言えたら、これは大した親です。普通は、担任の先生ですから信頼していますから、やっぱり言ってしまいますよ、そのとおり。それを悔いているのです、お母さんは。そのときの陵平の気持ちがわからなかったと、わかりませんよ、でも学校でそんなことがあったのわからないのですから。
 両親は、教育委員会に、あるいは二中に幾つか要望を出しています。例えば大勢の先生で少数の生徒を指導するやり方はやめてほしいと、あるいは反省文を書かせるような指導、あるいは自分の友達を売ってしまうような、そういうような指導はやめてくれと。あるいは、アンケート調査をしてほしいとか、そういうことを二中に要望を出しています。全部ことごとくノーなのです、返事は。そういうことが、教育委員会は逐一知っているはずなのです、違いますか、それとも知らなかったのですか。
 それとも、教育委員会の指導でそういうことを二中はやられたのですか、教えてください、何があったのか。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えをしますが、ちょっと意味が十分理解できないところがありますので、もし外れていましたらまたお願いしたいと思いますが、両親との話し合いにつきましては、ご両親とのお約束がありますので、差し控えさせていただきます。
 それから、お菓子の件につきましては、この当時の議会でもご答弁をし、経過を説明してあるのですが、改めて申し上げますと、発見されて担任が指導をしたと。そうしたら、またしばらくしたらそれが広がっていたと。おさまっていない、それで数人の関係ある担任の教師がその関係のある子供たちを集めて指導したと。それでも、何日かたっておさまらなくなって学校でどんどん広がっていったということで、学年で指導し、学校全体で指導しと、順番を踏んで指導していったと、こういうことの経過であります。急に1人の生徒をみんなの教員で囲んでやったと、そういう指導ではありません。段階を踏んで、結局指導しても指導しても広がっていった、そういう事実を何とか改善したいということで学校全体が今度かかわってきたと、最終的にはそうなったと、こういう経過であります。
 そういう指導について、特に問題はないと考えております。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 両親が要望しているのに、両親との話し合いの結果のことがあるので申し上げられないと言ったのですか、そういう意味ですか。ちょっと、さっきの答えがわからなかったのですけれども、どうして両親と話し合いをされなかったのかと私は尋ねたのですけれども、両親との話し合いの結果、控えさせていただくということなのですか。
 なぜ一番、この大問題、私は教育長が直接携わっていないのかが非常に気になるところなのです。それが、さっき順を追って、こういう手はずでやった、こういう段階を踏んでやった、だからこの指導に間違いはないと、だって死んだら間違いではないですか、どんな手続とろうが。何で子供が死んだのに、段階を踏んでいったから正しいのだと、そんなばかな発言があるわけですか。子供が死んだわけです。この間の質疑のときに、学校の決まりと子供の命とどちらが重いかなんていうそういうことをはかりにかけられないと言っておきながら、それほど子供の命が大事だと言っておきながら、段階を踏んだ指導だったから間違いはないというのは、これは何なのかなと思います。段階を踏んでいたら子供が死んでいいのですか。所沢高校は、同じことをやったではないですか。私が、何でこれしつこくやっているかというと、また新座市の子供でこういう子が出たら困るから言っているのです。段階を踏んだ指導で殺されたらかなわないのです。
 自分の子供たちが学校へ行って、細かいことまで積まれていって、ああ、またこれやったからだめ、学校の決まりだからこれはだめだと言われて、休み時間にお菓子を食べたことで、また同じことやりますか、では。もう一度同じことを本気でやりますか。段階を踏んで正しかったことだったら、では同じ子供が出たときに、いいですか、ベランダでお菓子を食べた子がいたときに、同じことをやりますか、正しかったのだから、では。二中であの事件があったときに、では何で六中は同じような指導をしなかったのですか。ベランダに出ている子なんかうじゃうじゃいました。何で学校によってそういう正しい指導の方法が違うのですか。学校任せなのですか。教育委員会というのは指導して監督をする、そういう立場ではないのですか。いいですか、もう一度お尋ねします。
 正しい指導だったのですか、段階を踏んでいたから、子供が死んでも。そういうお考えなのですか。また、このことを繰り返しますか、新座市の学校で。ベランダに出てお菓子を食べた子がいたら、同じ指導をして、それでいいのですか。私は、もう心配でしようがありません。答えてください。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えをいたします。
 両親との話し合いを持ったのかということにつきましては、ご両親との約束があるので、それについては答えは差し控えさせてもらいたいと、こういうふうに申し上げています。
 それから、段階を踏んだ指導につきましては、これはケース・バイ・ケースであります。何でもこれやるというわけではありません。その場、その場に応じて学校で指導を考えることだということを申し上げているので、ああいう指導をしろ、こういう指導と、そこまで教育委員会は指示はいたしません。これは校長の責任でやることであります。
〇議長(三村邦夫議員) 以上で、11番、高邑朋矢議員の一般質問を終わります。
 これにて一般質問を終結いたします。

今日の写真
亮が2年生の時の全国大会は名古屋でしたね。この写真は名古屋行きのバスの中です。川又さんの顔が見えます。このお父さんが全てし切ってくれたのです。「先生は試合に集中してください!」ってね。楽しかったですねえ・・・

20111002-1.jpg



10月3日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第275弾!  2011.10.3(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第275弾!  2011.10.3(月)   たかやん


集団登校しながら、『寒いよねえ・・』「うん、寒い」と寒がる僕ら。子ども達の荷物から水筒が消え・・・長袖が増えた。秋が来た!って感じである。

月曜日
下を向いて歩く子が多い。集団登校の欠点の一つである。前の子について行くだけ・・・。周りを見ないから、危険を察知することもできない。人の顔も見ないから、誰が危なくて、誰が自分を見守ってくれているかにも気がつかない。そういう子が増えている。勿論、前を見て、周りを見て、大人の顔を見て、笑顔で挨拶できる子もいる。しかし、数は少ないのである。下を向いていると、大人もその子を覚えられない・・・実に勿体無いのである。

父さんの命日
午前中、母さんに電話をするが・・・でない。夜にもう一度電話すると・・・でた。『今日、父さんの命日だよね。』「そうね」『何かしなかったの?』「しないわよ。もう直ぐ、お母さんもあっちに行くしね。」『そっかあ・・・』「仏壇を開ける元気もないのよ」『ホンマかいな。』母さんが、もう直ぐあっちの世界に行くと言っているのに、何故か笑ってしまったのだった。こっちの世界もいやなことばかり起きているからなあ・・・。「テレビつけてもお笑いばかりで、いやになっちゃうのよ」と母さん。原発で何が起きているか・・・そんなこと考えられない人間ばかりになってしまいそうで・・・怖いよなあ・・・。

小学生塾
学校を誰よりも愛していたので、まさか辞めるとは・・・夢にも思っていなかった。僕の人生はその連続かも知れないが・・・中学生が対象だったのに、いつの間にか小学生にシフトしてきたことも予想外である。しかし、これがまた面白いのである。小学校の先生達って幸せだなあって思うのである。勿論、中学生を教える方が楽だ。21年間も一緒にいたのだから・・・その後の塾だって大半は中学生。合わせると30年以上中学生と一緒に勉強してきたことになるのだから・・・。小学生達の頭は柔らかい。まさにゴールデンエイジである。チビッコ達といると、あっという間に時間が過ぎてしまうのである。

中学生塾
夜の部は中学生塾。こっちは質問の嵐がくるので、これまた面白い訳で・・・。こっちも辞められそうにない。この世にいる間はずっと塾で楽しんでいる気がする。幸せ、幸せ。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

ジョーカー様
給食が始まって3日目。座席はトランプで決めるというシステムがスタートした。担任のカードはクラブの3。右隣は有香、その前が宏隆、その右隣が秀希という席だった。ジョーカーを引いたのは瞳。『ジョーカー様!おかわりをしていいですか?』「どうぞ・・・」そうジョーカー様の許可がないとお代わりはできないのだ。「いただきます」も「ご馳走様」もジョーカー様の号令で・・・明日は誰がなるのかな。

桜の木の下で・・
今日の1時間目は学活。『全員の名前を覚えるぞゲーム』をやった。勿論、罰ゲーム付。「修ちゃん結構鈍いかも知れなーい!」と意外な奴が弱かったりして・・・。みんなで燃えに燃えた。浩子、弘、哲也、正裕、芳明といったところも危なかったのだが・・・・負けたのは裕作。全員がベランダに出て見つめる中、桜の木の下で「3年1組万歳!!」と絶叫し、大拍手を浴びたのだった。ああ、楽しかった!!

* 六中にもベランダには出ない。そんな決まりはあったかも知れない・・・でも、教師も生徒も自由にベランダを歩いていた気がする。授業中に出ると、さすがに拳骨ものだったが・・・。遼平も六中だったら・・死ななくて済んだのに・・・ハイチュウは僕の胃の中にも入ったかも知れないなあ・・・当時の六中は授業時間と休み時間のメリハリがあったと思う。休み時間は漫画を読んでもトランプをしても怒ったことはない。一緒にやっていたしね。でも、授業時間に入ったら・・・切り替えをピシっとしないと怒ったなあ・・・授業中の漫画は容赦しないで破いたし、窓から外に放り投げた。「学校に必要なもの以外は持って来てはいけない」という先生も多かったけど・・・・漫画やトランプや将棋は休み時間には必要なものだったからねえ・・・。大事なのは授業と休み時間のけじめだと僕は思うのです。大人になっても遊びは大事なのだから、子どものうちから、みんなで楽しく遊ぶ方法を知っておくことも大事じゃないかねえ。そんなことを思い出させてくれた学級通信でした。

2時
いつの間にか、今夜も2時をまわってしまった。寝るのは3時頃になりそうである。5時に起床は厳しいかなあ・・・。おやすみなさいませ。


今日の写真
昨日の続きです。この前の年は全国で優勝して・・・この時はベスト4だったような気がします。優勝するチャンスはありましたが、監督の力不足でした。

20111003-1.jpg



10月4日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第276弾!  2011.10.4(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第276弾!  2011.10.4(火)   たかやん

明け方
まずい・・いつの間にやら4時半を過ぎてしまった。もう寝るに寝れない・・・。このまま夜明けを待つとしよう。さて、今日(もう昨日か・・)を振り返ってみよう。

挨拶
ちょっと寝不足で八石小学校へ・・。途中で会う小学生に笑顔で「おはよう!」というが反応なし。毎朝、同じ子が無反応で同じ子が笑顔で挨拶してくれる。挨拶って習慣なんだよねえ・・・。

おはようございまーす!
東門にいると、教頭先生の元気のいい声が聞えた。いつ会っても元気のいい先生である。順子と一緒に東門の見守りの後は校庭へ・・・埃舞う校庭で遊ぶ子達を複雑な思いで見守る。(あの埃を吸わないでほしいなあ。。。)(あの埃の中にセイウムが無いといいなあ。。。)

9時15分
清さんが迎えに来てくれた。今日は4市の“議員研修会”が10時からあったのだ。内容は「放射線をより良く理解するために」福島第一原発事故の影響と私たち・・・・そういうテーマの講演会だった。それが酷かった。申し訳ないが、内容が滅茶苦茶だった。「原発推進派」というのは、そこまでするのかね・・・というくらい酷かった。10分で席を立とうと思ったが、60分我慢した・・・。でも、それが限界だった。まさか、あの公演の内容を信じる人はいない・・いや、いっぱいいるんだろうなあ。流石、議員研修会だわ・・・。

14時
午後は議運。9月議会の“議会だより”編集会議である。これは、あっという間に終わった。

献血
市役所の玄関に献血者が停まっていたので・・・時間があったら、やろうとねらっていた。このところ、毎年、献血をしているのである。

16時過ぎ
塾、スタート。僕の幸せな時間が始まった。小学生達の塾が終わったのは19時。いやあ、実に楽しい・・・。

都市問題会議
明日から2泊3日で鹿児島へ行く人達がいる。「全国都市問題会議」に出席する市議会議員の方達である。市長と一緒の研修ということらしい。2泊3日で7万以上の経費は政務調査費(市民の税金)から出る。語る会は行かない。でも・・・気をつけて行ってきてくださいね。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

N中
そうそう向井先生が凄いことを言ってたな。「N中は髪を耳より上で止めちゃいけなかったり、スカートの長さを女子1列に並べて計るんだよね」『げっ!』「ちょっと髪の毛が茶色ぽかったりすれば、親呼び出し!」『本気かよ・・・20年くらい遅れてない、それ・・・』「授業中は誰も喋らない」『病気だあ、そりゃあ・・』「学年集会とか体育座りで誰も喋らない。シーン」『・・・・』「それが当たり前って言うの・・・」『凄いな、それ・・・』学校は楽しいところでなくてはいけない。心が浮き浮きするようなところじゃなくっちゃ。そう思わない?規格品作るところじゃないんだから・・・。

*21年間の経験で言わせてもらうと・・・厳しい生徒指導をしている学校程、生徒指導ばかりに目がいっている学校ほど、学習レベルは低い。当たり前のことだ。教師のパワーが本来あるべきところにいかないのだから・・・。生徒指導のエネルギーは学習指導に向うべきなのだ。いい授業をやれば、公平な評価をすれば、それが生徒指導にも繋がる訳で・・・。まずは分かる授業をやることだ。僕もこのN中と同じような雰囲気の中学校で最後の1年を過ごした。そこまでは酷くなかったけれど、底に流れている方針は同じだった。教師が自信を持ってないと、小さなことにびくびくして、直ぐに親を呼び出す。内申をたてに、生徒指導をする・・・それじゃあ信頼関係が生まれる訳がない・・・そういう学校で陵平は逝ってしまったのだ。当時『学校が陵平を殺した!』そう発言したのは、そういう意味である。今は勿論、違う学校に生まれ変わっていると信じている。

今日の写真1
献血の針は太く・・・ちょっと痛かったです。でも、かない濃い血液だったらしく・・これで誰かが助かるかも知れない・・・そう思ったら、幸せな気持になりました。

今日の写真2
しかも、こんなにおまけが付いてきたのです。幸せな気持になれたから、「ありがとうございました!」と言ったら、「ありがとうございました!」と言われて、このお土産です。もうビッくリしました。日本赤十字のみなさん。新座ライオンズクラブのみなさん。お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

20111004-1.jpg 20111004-2.jpg



10月5日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第277弾!  2011.10.5(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第277弾!  2011.10.5(水)   たかやん

二郎
今日は二郎の命日だ。田村二郎・・・若くして逝った3年8組のセンターハーフ。そして直弘の弟・・・。僕は思うのだ。苦しいことがあると、先に逝ってしまった子達のことを。僕より先に逝ってしまった、馬鹿な子達のことを。さかえ、ガンモ、しんじ、バンナ、薫、福、麻季子、聡、哲、そして二郎。もう直ぐそっちに行くからね。でも、もう少しだけ・・・こっちの世界で頑張らせておくれ。子ども達の為に・・・できる限りのことをやりたいんだ。

祐晴
そして、今日は祐晴の誕生日だ。「お誕生日おめでとう!」1年生の時に理科を教えただけの祐晴と毎月「黒目川の川掃除」で会えるようになるとは夢にも思っていなかったよ。そして、二人の娘達が僕の塾に来るようになることもね・・・。いい出会いだったんだね。これからもよろしくね。

川掃除
色々検討したのですが、今月は9日の日曜日しかできないことがわかりました。8日(土)10日(月)希望の子達(子達はないか・・・・)ごめんねえ。勿論、例によって反省会だけの参加も大歓迎です。川の水もそろそろ冷たくなってきたから、ゴム長よろしくね!!  たかやん

校正
今日は半日「議会報告」の校正をしていた。記事を入れ替え、写真を入れ替え・・・大作業だった。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

絵美子
「ねえ、聞いて聞いて。みんなでカラオケ行ったのよー。直美と裕子と有香と・・・そんでえ、たかやんに教えてもらった曲、歌ったんだよー。ね、ね、ね、偉い?」朝から、まくしたてる絵美子。『何が・・・』「偉いでしょ!!」「すっごいノリなんだもん、この人」と有香。どうやら踊りつきだったらしい・・・・。

二日目
今日、歌を歌った。知らない歌だったけど、何回か聴いているうちに、大体歌えるようになった。これからもいろんな歌をたくさん知りたいから歌ってください。(浩子)
* 歌はいいね。100曲は歌っちゃおうかな。浩子は一番前の席だから、一緒に大きな声で歌ってね。

今日は入学式だから、早く終わるからいいと思った。先生はギターが弾けてカッコいいと思った。ジャンボ!!(徹)
* ギターは中三の春休みに買ったんだ。高校・大学と殆ど弾けなくて・・・教師になってから、教え子に教えてもらったんだよ。それが千春の歌だったという訳。みんな、今からギターやったら、すっごく上手になるよ。

やはり今日もみんなと友達になれるか、仲良くなれるか心配でした。でも、朝会うと気持ちよく「おはよう!」と言ってくれた人がいました。嬉しかった。歌を歌ってくれるのはとっても嬉しいです。これからも、どんどん歌ってください。(奈月)
* 元気のいい、笑顔つきの挨拶は本当に気持がいいね。『ジャンボ!』って教室に入ると、「ジャンボ!」とみんなの元気のいい挨拶。それだけで、一日幸せな気分でいられるもの。

ジャンボ
そうだった。この学年は、“ジャンボ!”っていう挨拶だった。学校中で「ジャンボ!」が流行したっけ。勿論、言いだしっぺは僕。アフリカ旅行に行った親友が「おはようもこんにちはもおやすみも・・・みんなジャンボなのよねえ」と言っていたのを思い出したのだ。この挨拶は、僕と子ども達の距離を凄く縮めてくれたんだ。

今日の写真1
最近読んだ本です。どうしても「原発」「放射能」関係の本が多くなっています。ネットの情報も合わせると、随分知識が増えました。そして、何が嘘か判断する能力が高くなりました。

今日の写真2
我が家の三男です。少し、大きくなったでしょう。トイレトレーニングができたので、最近はかなり自由に家の中を走り回っています。まだ、外には出せないのですが・・・

NHK
寝不足で(寝すぎも)血糖値が上がるらしい。徹夜などはしてはいけないのだ。さ、寝るべ、寝るべ。朝まで寝るぞー!!                  たかやん

20111005-1.jpg 20111005-2.jpg



10月6日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第278弾!  2011.10.6(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第278弾!  2011.10.6(木)   たかやん

ゆっくり
久しぶりにゆっくり寝た。11時半には布団に入ったのである。目が覚めたのは早かったけど・・・やっぱり、早寝早起きはいいね。

雨上がり・・
爽やかな朝だった。一緒に登校する子達も、道で会うおばさん達も、純一や順子も・・雨上がりのせいかな。

ハイタッチ
校庭にいると、沢山の子達がハイタッチしてくれた。「空父!」という子と、「たかやん!」と言う子と・・・幸せな瞬間。

痛み止め
少しトレーニングをしたのだが、痛み止め無しでやれた。どうやら、背中の痛みから解放されそうである。原因はわからない。でも、治ればいいや。

入稿
校正に校正を重ね・・・やっと9月号の原稿を入稿することができた。そして、直ぐに10月号の作成にとりかかりたいくらい、書きたいことが多いことに気づいた。

川越からのメール
たかやん様

そうそう、忘れていました。たかやんの日記を読んで思い出しました。
6日(5日出発)から、鹿児島で全国都市問題会議でしたね。

川越では、都市問題会議の参加には、予算がしっかりとってありまして、
10名か11名分、随行職員2名の費用。
議員が10名、随行2名、市長と随行1名・・・最低でも14名ということに
なります。

政務調査費で行こうとしている新座市議会議員はまだ、まともです。

そして、わが議会の中では議員の四分の一が行ける計算になるので、
任期中の4年に一度、行かせてあげるわよ・・・っていうことに
なっているのです。
政務調査費だって、年間に84万円あるのですから、行きたきゃ政調費で
行けば、随行職員の費用も浮きますけど〜。
(しかし、はたして「市政に関する調査研究」になるのかどうか???)

http://www.city.kagoshima.lg.jp/_1010/shimin/7siseijouhou/_40645/_40646.html
ここに案内が載っていますけど、「一般の方の傍聴はできません」ですって。
近くの人だったら、傍聴させてあげればいいのに〜。
議員のほとんどが税金で出席しているのでしょうし、
参加費が一人1万円の会議って、有益なんでしょうし、議員じゃない市民にも、無料で
見せてあげればいいのに〜。議員は非公開がお好きなようで。

千恵子

そうか・・・新座市はまともだったのだ。参加費が1万円かあ・・もの凄い数の人が鹿児島に集まっているのだろうから・・・儲かる?のだろうなあ。たくさんの国会議員の方達は、どうやら海外へ“外遊”する月らしい。どうせ行くなら、みんなで東北へ行けばいいのに。それにしても川越は政務調査費が年間84万ですか・・・新座市の24万とはえらい違いだわ。まあ、何万もらっても・・・無理に使う気にはならないけどね。市民の税金だから・・・。川越の親友は政務調査費で何をしているのかな・・・ちょっと興味があるなあ。川越市の議員報酬は月に57万。ボーナスは300万を超える。別世界である。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

思い込み
自分は能力がないと思い込んでいた時代があった。小さいお兄ちゃんに「お前は馬鹿だ」と言われ続けていたからかも知れないが、自分には勉強で伸びる可能性は全くないと思いこんでいた。遊びの世界しか知らず、本は1ページも読めない。そういう子だった。それが中2になって変わった。テニスで僕の才能を認めてくれた白浜先生がいた。「うーん、いい発想だ。タカややればできるよ」と誉めてくれた河合先生と出会えた。「高邑、本を読めよ。楽しいぞ」といろんな本を読ませようとしてくれた福良がいた。そして、好きになった江崎リエさんは・・頭のいい、本が大好きな女の子だった。授業と言えば、隣の女の子とお喋りすることの楽しさしか知らなかった僕が、先生の話に集中し、聴くことの楽しさを覚えた。手を挙げて、指されることの快感を知った。昔の僕と同じように、駄目だと勝手に思い込んで、諦めている子が沢山いるような気がする。

朋子
最近、学校で「朋ちゃん」と呼ばれる。酷い時は「朋子!」と呼ばれる。勿論、呼ぶのは正裕を中心としたサル軍団。朋子にはピンと来ないが、朋ちゃんには笑顔で反応してしまう。条件反射ってやつだろう。どうも怒る気になれなくて、笑ってしまうのだ。

数学の授業
2組で授業をしていると、隣の1組から奇声が聞えてきた。何事かと思って、覗きに行くと・・手を挙げているのだ。「ハイ!」と手を挙げればいいところを「ヒェー!」と叫びながらあげている訳で・・『誰だ、気が狂った奴は!』というと、芳明が「弘と哲也ですよ」『お前は?』「僕は違いますよ」それにしてもサル軍団。元気が余っているんだか、欲求不満なんだか・・・京都へ行くのが恐ろしい。
職員室で戸張先生に『誰がうるさいですか?』と聞くと「黒田、小林、萱森・・それに斉藤」『やっぱり・・』「あとは静かよ」やっぱりねえ・・・。

* この通信は5月31日の45号だ。多分、修学旅行前で、みんな興奮していたのだろう。このサル軍団・・・みんな立派になっているから面白い。学校の物差しと社会の物差しは違うのである。

今日の写真
掛け算の九九が言えなかった小学生達も数ヶ月で、みんな複雑な計算ができるようになりました。子ども達の脳みそって、どうなっているんでしょうねえ・・。兎に角、サルが人に進化していくのを見ているような気になります。(失礼)ゴールデンエイジっていうんでしょうねえ。僕は中一までサルのままでした(笑)。漢字が読めなければ、本も読めなかった訳で・・・この子達とえらい違いです。自分が教えているのに、ちょっと羨ましくなることがあります。小学校の先生って楽しいんでしょうねえ・・・。塾の時間はあっと言う間に過ぎていってしまいますから・・・。

3時17分
これを書いている時間は、真夜中?の3時17分。寝るか・・そのまま起きているか、ちょっと悩みますね。2時間でも寝たほうがいいのかな・・・明日は(今日は)金曜日。花金だぜ!!

20111006-1.jpg



10月7日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第279弾!  2011.10.7(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第279弾!  2011.10.7(木)   たかやん

3時半
結局、昨夜も布団に入ったのは3時半過ぎ。流石にちょっと眠い・・・寝不足は体に良くないとわかってはいるのだが・・・やることがたくさんあるのよねえ・・・。

学校
どんなに眠くても、集団登校には付き合う。東門には立つ。駅立ち以外の日はそう決めている。朝の1時間は貴重だが・・・子ども達の安全とは引き換えにできない。

カッパおじさん
「ねえ、カッパおじさん!」と、1年生の女の子達に声をかけらた。『え?誰のこと?』「カッパおじさんだよー!」『何でカッパおじさんなの?』と6年生のKちゃんにそっと聞くと・・・「ほら、この間の雨の日、カッパ着てたでしょ?あの日から・・・」『ああ、オレンジ色のカッパね・・』「そう」「カッパおじさん、自転車で学校行っちゃいけないんだよ!」『なんで?俺は小学生じゃないんだぜ・・・』「だめなんだよー!歩いていかなきゃ・・・」
すっかり、カッパおじさんになってしまった空父であった。

学力を上げるには・・・
どうも、朝の子ども達の元気がない。大きな声で「おはよう」「おはようございまーす!」と言える子が少ないのである。21年間の経験では・・大きな声で音読ができるクラスは学力が高い。朝ごはんをしっかり食べてくる子、特に和食の子は学力が高いのだ。要するに、学力を上げるには“朝ごはんをしっかり食べて、元気よく挨拶ができる子たち”を増やしていけばいい訳で・・・・そんなに難しいことじゃあないような気がする。勿論、一番大切なのは「授業」なんだろうけれど・・・

川越からのメール2
たかやん様

ブログへのUP、ありがとう。
政務調査費は、市民のお金から出ているのですから、
たかやんのように「市民の税金ですから」との
考え方で支出されることが、議員として当然の姿です。

しかし、全国でこれだけ政務調査費の返還請求訴訟が
起きているということは、市民・県民が納得のいかない
支出が多いということになります。

政務調査費は、地方自治法に
「市政に関する調査研究に資するための費用の一部として、交付することができる。」
と書いてありますので、市長は交付することが義務ではありません。
交付しなくてもいいのです。しかし、各地で不当な支出が見つかるのですから、
どこかの市長が「もう、交付しない!」と言ってもよさそうなものですが、
「やめる」とは言わない。

不当支出で市民から住民監査請求書が提出されると、請求人が請求の対象とするのは、
市長であって、訴訟になれば、市長は被告なのに・・・です。

そして、また「新座市議会はまとも″だ」と私が言う理由をあげますと・・・。
平成13年第一回定例会で、「政務調査費交付条例」が市長提案によって上程
されています。委員会に付託もされ、委員長報告によりますと、
その金額等を決めるにあたっては、議事録に以下のような発言があります。
「制定に際しては、自治省通知によりまして第三者機関の意見を
聴取することを通知されておりますので、
本市におきましては平成12年10月20日に新座市特別職報酬等審議会へ諮問し、
同年12月6日に同審議会から答申をいただいております。」
本会議では、反対討論はなかったですが、賛成討論もあり、可決です。

ところが、わが市の場合は、
政務調査費交付条例は、「議員提案」によって、定例会最終日に
いきなり上程され、提案理由の説明は議員が行い、
委員会付託省略・質疑なし・討論なし・採決・議決。

議員が政調費を交付するわけじゃなくて、市長が交付するのに、
議員が提案して、議員が議決して、市長は質疑もできず、反対討論もできず、
でも交付を決めたのですから。すごいでしょ?!

議員が条例や規程をつくり、議会が上程して、議決して、支出するのも議員という
このようなことは、法的には問題がないのかどうか?を市長へ質問書(8月26日)
を出しているのですが、今になっても回答はもらえていません。

新座市議会は「まともです」と、私が言うのは、このような差です。 千恵子
*千恵子さんは川越では超有名な主婦で、新聞にもかなり名前が掲載されている。
政務調査費の返還請求訴訟のエキスパートなのだ。その千恵子さんが言うのだから、新座はかなり「まとも」なのかも知れない。ま、川越と比べたらの話だけれど・・・

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

家庭訪問日記5
浩子を車に乗せ石神5丁目へ。五木ひろしの歌を聞きながら部屋に案内された。浩子の髪の毛(ロングヘアー)、スカート(ミニ)の話に始まって・・お父さんの囲碁、将棋、麻雀。僕の母親の話。次から次への話題がかわって・・・1時間半は喋ってしまった。女の子の髪の毛は長い方がいいし、スカートは短いほうがいい。都会の中学生はそうだよねえ・・。
* 因みにミニスカートをはいていた浩子も、高校大学をトップの成績で卒業し、今は立派な公務員である。

牡蠣事件
あれはもう、今から15年以上も前の話。その頃、僕は所沢に住んでいて、丁度中三の担任で・・3年1組の子を中心に、男の子達が7.8人、我が家で合宿をしていた。その子達は長い子で半年、短い子でも3ヶ月、僕の家に居候していた訳で・・・。その内の一人、雅明(現在、高校の先生)が「おじさんのところから牡蠣送ってきたから」と言って、牡蠣をどっさり持って来たのだ。牡蠣が大好物だった僕は、その夜は生牡蠣を腹いっぱい食べ(子ども達も勿論食べた)次の夜はフライにして食べまくったのだが・・・その夜の内に昭弘が発熱。『風邪か・・』次の日の朝、賢一が下痢。ん?そして午前中、次々と子ども達が腹痛を訴え・・お昼前、遂に僕もトイレへ・・それからの状態は筆舌に尽くしがたく・・・

僕は保健室で冷たくなってしまった。悪寒が走り、歯がガチガチ鳴り、顔面蒼白。体が全く動かなくなってしまったのだ。心配する子ども達。女の子達が交代で授業をサボリながら、僕の手足を温めてくれたくらい、僕の状態は酷かった。(このまま死んでしまうかも知れない・・・)

子ども達の快復ははやかった。魚が食べられない雅明は勿論牡蠣も食べられず、OK。一番最初に熱を出した昭弘も次の日にはサッカーをやっていた。「ちょっと腹が痛かっただけだよ」という雅美みたいな、凄いやつもいた。ところが僕は・・・

1ヶ月も快復しなかったのである。体中から力が抜けてしまったようだった。びっくりしたのは腕相撲。五中NO1の子とやって互角だったのに・・・クラスで一番弱い女の子とやっても全然勝てないのだ。サッカーなどはもってのほか。走ることすらできなくなってしまった。僕の牡蠣に対する恐怖心は相当なもので、15年以上たった今でも、スーパーの牡蠣を正視することはできない。勿論、食べるなんていうことは100万ドル貰ってもできる訳なく・・・オイスターソースを見ただけで、鳥肌が立つのである。という訳で、僕は牡蠣だけは食べれない。

* あれからもう30年もたつのに、牡蠣は食べられそうにない。15億積まれても無理。そんな感じである。それ程、苦しい記憶があるのだ。あの事件がなければ・・・10年は長生きできたかも知れないと思うくらいだ。

今日の写真1
若いですねえ・・・このカップル。この中に僕のDNAを持った子がいます。どの子だと思いますか?答えは明日の朝刊で・・・なんてね。

今日の写真2
我が家のガット張り機です。五中時代はヨネックスのバネ式。六中時代はプリンスの油圧式・・・それと比べると凄い性能です。ガット張り機も進化しているのですねえ。僕のテニスも進化していますけれど・・・韓国ドラマを見ながら張るのです。おほほほほ。

20111007-1.jpg 20111007-2.jpg



10月8日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第280弾!  2011.10.8(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第280弾!  2011.10.8(土)   たかやん

朝練
久しぶりに8時から朝練。2時間程練習して、試合に入る。埼玉県の50歳以上のチャンピョンと元インカレのペアーを6−1で倒す。今月末の茨城選手権も勝てそうな感じ・・・。大事なのは、来月にある東北大との定期戦だけど・・・今年もたおーす!!

カーネーション
朝の連ドラを見て、「空も何か縫いたい・・・」『マジかよ・・』余った布を縫い始める空。初めてなのに・・・妙に上手い空。『お前、俺に似て器用だねえ・・・』笑いながら、針を進めていく空。ゴールデンエイジだねえ・・・。

陵平
生きていれば25歳・・・13歳の陵平が亡くなってから、もう12年の月日がたとうとしている。今年は命日が政江さんの運動会と重なって・・・12回忌は今日になったのだ。「命の応援団」のメンバーと久しぶりに会い、陵平の兄貴の走太に久しぶりに会い、陵平の同級生のしゅんと達也に会い・・・語りに語って、家に帰ったのは1時を過ぎてしまった空父であった。

六中
U教育長が見に来たくらいの六中だったが・・・教師に対して反抗的な態度をとる生徒は皆無だった。喧嘩をやらせると、近隣の中学では全く相手にならないくらい強かったのだが・・・どんなに弱い女の先生にも手を出すことは勿論、逆らうことすらしなかった。それが、信頼関係だと思う。生徒指導は一部の教師に任せ、後の教師達は授業と生徒指導のフォローだけに集中する。みんなで同じことをネチネチ言わない・・・それが五中や六中の生徒指導だったのだ。当時の二中はそういう柔らかい発想がなかった。「共通理解」「同一行動」という言葉を信じていたのだと思う。よく考えればわかることなのだが、その考え方は最悪である。個性溢れる教師達が、その個性を表現することなく子ども達と接する・・・。常識で考えても、おかしいだろう・・・。みんなで同じように理解し、みんなで同じように接する。それは順位をつけない、徒競走のようなものだ。子ども達が一人一人違っていい!そう主張するのなら、教師だって、一人一人違っていていいのである。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

家庭訪問日記1
葉月の家にはFAXがあった。『FAXありますね。あれ?昭和基地って何ですか?』「主人が行ってたんですよ。」『えーっ!南極に?すっごい・・』「先生と多分同じ大学です。」『げっ!北大の先輩ですか?』葉月のお父さんは北大の先輩で、しかも学部の先輩で・・・もうびっくり。『先輩によろしくお伝え下さい。』笑うお母さん。うーむ、世の中は狭いねえ・・。南極かあ、プランクトンかあ・・行ってみたいなあ・・・。

かつあげ
昨日は体調を崩し・・・つぐみの家の家庭訪問をキャンセルしてしまった。キャンセル次いでにつぐみを連れてマルフジへ。『悪いけど、お豆腐屋さんへ行って来てくれる?』「うん」『お豆腐1、厚揚げ2、油揚げ2.それから隣の八百屋さんで長ネギとほうれん草。覚えた?』「うん」車の中で待っていると・・・つぐみが戻ってきて、「お豆腐どういうやつ?」『あ、150円のやつ。絹でも木綿でもいい。』「わかった、あとかつあげ2つだっけ?」とつぐみ。『豆腐屋でかつあげしてどうするんだよ!厚揚げだよ・・』「あ、はははははは」『もう・・・』気分は最悪だったが、余りにもおかしいので、車の中で大笑いしたのだった。

今日の写真1
陵平の野球部の友達の二人です。左がしゅんで右が達也。毎年、彼らと会って語るのが楽しみになってきました。

今日の写真2
命の応援団のメンバーです。左から陵平のお母さんの政江さん。弥生さん。そして僕。何年たっても気持が通じる人達とはこうして長続きするのですねえ・・・。

川掃除
明日は川掃除です。9時集合です。よろしくお願いしまーす!たかやん

20111008-1.jpg 20111008-2.jpg



10月9日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第281弾!  2011.10.9(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第281弾!  2011.10.9(日)   たかやん

朝練
7時45分から8時45分まで朝練。ダッシュで家に帰り、黒目川へ・・・朝練も気持がいいが、黒目川の空気もまた気持がいい訳で・・・。

連休の中日
今日は3連休の中日。それでも、直弘、純一、智、文夫、一早、いくと、美穂・・・僕を入れると8人のメンバーが集まった。ありがたいことである。

大物
こういう日に限って、大物が引き上げられる訳で・・・。テレビ、マットレス、鉄の塊・・・ご本尊!!色んな物が川の中から出てきたのだった。

御本尊
中には「南無妙法蓮華経」と書かれてあり・・箱の表には中島家と書いてあり・・・みんな「マジですか・・」とこんなものを捨てる人はどんな人だろう・・と、疑問に思ったのであった。

お昼
川掃除はお昼前には終わり・・・昼ごはんは素麺。これがまた美味しい訳で・・・安いしねえ・・

13時
来年の選挙の打ち合わせ。新人も沢山でてくるらしく・・・若さに負けないように、頑張らねばならない訳で・・・ちょっと気合が入った。

15時
川掃除の反省会。と、いっても五中の4期生の子達のミニ同窓会という感じで・・・タバスコにヒーヒー言いながら、笑いまくった3時間であった。

21時
またしても打ち合わせ・・・会談。某Y氏との会談は0時近くまで続いたのであった。こうして、僕の忙しい一日は終わった。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

今日は1.2年生共に遠足で学校は実に静かである。職員室も妙に人がいないし・・・校庭もガラガラ・・そして3年生は実力テスト。うーん、まいっか・・・。

『修ちゃん、賭けようよ!』「いや、今回はだめ」『ゆか子は?』「ハンディーいくつ?」『俺がほしいくらいだよ。』航も芳明も相手にしてくれず、朝から寂しい担任であった。
『あと、15分』両手を突き上げ、大欠伸する哲也。どうやら終わったらしい。首をコキコキ鳴らしているのは絵美。緑の羽を胸につけ、じっと一点を見つめるのは香織。徹・・睡眠。将彬、弘、正裕もお休み状態。浩子の時計の木村拓也がこっちを見て、笑っている。明美が僕の方を見て、ニヤっと笑う。つられて僕もニヤっと・・。窓の外を眺める正和。隣の秀希と何やら話すがっちゃん(ピーッ!反則!)『あと4分。』問題用紙を落とす克彦。何故か右後方が気になる貴之。時計をじっと見つめ、次に僕をじっと見つめるつぐみ。(・・・ん?)ここでチャイム。1時間目の国語が終わった。

コンパス
「数学のテスト、コンパスいるんでしょ?」とゆか子。『じゃない?』と、担任。「みんな持ってきてないよ。」「ほかのクラスは持ってきているのに」と由香。『俺のせい?』「そう!」『全く、指示待ち人間!』「そっちこそ」『いつ、俺が誰に指示されたって言うんだよ!このタコ!大体なあ、数学のテストにコンパス持ってくるっていうのは常識なんだよ。ちょっと頭を使えばわかることだろ!』「へん!」「いいよ、いいよ、適当にやるから」とゆか子。「適当に書けるよね」と浩子。(この二人はちょっぴり大人かも・・・)

理科嫌い
「たかやん、難しかったよ、理科」『でしょ?あれは難しいわ・・』「誰が作ったの?」『俊さん。』「もう・・・・」『俺も理科嫌いになりそうだもん・・・』「笑わせないでよ!」そう言えば、社会もなかなかの問題で・・・社会科嫌いも増えるかもねえ・・・。


今日の写真1
川掃除スタート時のメンバーです。この写真、小学校4年生が撮った写真です。なかなかセンスあるでしょう・・・。メンバーの格好が長袖になってきましたねえ・・・。

今日の写真2
今日は川の流れがきつく・・・結構大変だったようです。(僕は入っていないので・・・)みんな40過ぎているのですが、直弘のように短パンで頑張るのだから、若いですよねえ・・・。
向こうにいるのは純一です。

今日の写真3
大人4人がかりでやっと川から引きあげた大物です。僕は見ているだけでしたが・・・だははは。いやあ、本当に大物が多かったですね。きっとあの台風の影響だと思います。

20111009-1.jpg 20111009-2.jpg 20111009-3.jpg



10月10日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第282弾!  2011.10.10(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第282弾!  2011.10.10(月)   たかやん

完成
議会報告72弾!が完成した。という訳で、明日はひばりヶ丘で駅立ちである。いつもは月曜日なのだが・・・たまにはいい。と、いう訳で、東久留米は水曜日に、新座駅は多分、木曜日になります。志木にも行っちゃうかも・・・ま、お天気次第ですわなあ・・・。

トレーニング
血糖値がやや高いので、3時間程、トレーニングに燃えた。中高時代に運動をしっかりやった人は肉体的に若いというデータがあるらしく・・・30代くらいの気持になって、動き回った。駅立ちが終わったら、早朝のポスティングに燃えてみよう。兎に角、運動することが僕の体と心には良さそうなのである。

いい湯だな・・あははん
ココアと二人でお風呂に入った。ビビるココア。何とか湯船から出ようとするのだが、足が滑って空回り・・・。大笑いしながら、写真を撮ったのであった。

スイミング
久しぶりに空のスイミングクラブに行った。バタフライの日だったらしく・・・ずっとバタフライを泳ぐ空。それにしても、凄い体力だと思った・・・。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

電池の実験
はじめの方は電流が流れなくて・・なんでだろうとおもった。でも、色々工夫していくうちに流れてきたのでよかったです。給食の食器がアルミで出来ているのは知っていたけれど、体によくないとは知りませんでした。(伊代)

アルミが溶けるなんて、初めて知りました。何か・・怖い。給食も怖い!でも・・美味しいから好き。(明美)

非常に楽しかった。もっと電流が流れる方法で実験をしたいと思いました。(克彦)

始めは全然動かなくて、なんか寂しかった。だけど、色々試して行くうちに、少しずつ動くようになり、レモンを入れたら、針が振り切れて・・・レモンは凄いと思った。(将彬)

* 僕も子ども達も実験が好きでしたねえ。お話も好きでしたが・・・・。歌も好きでしたねえ・・・。理化の時間に歌?まさかねえ・・・


今日の写真1
左から、一早、智、直弘、文夫、純一です。普段はここに、家庭サービスでお休みの勝将や誠一、そして政美が加わります。急に仕事が入ってしまってお休みの哲雄もね・・・・。そうそう、ジャパンオープンを見に行った真弓ちゃんやロックフェスタに行った明美ちゃんもレギュラーになりましたねえ・・・。おっと、祐晴もいた・・まだまだメンバーは沢山いるわ・・

今日の写真2
ココアの横顔です。ちょっと可愛いですよねえ・・・。これは台所に入りたくて、入れない・・・そういう顔です。

今日の写真3
我が家の守宮です。もう随分前から我が家に棲みついてくれています。可愛いですよねえ・・・。ふふふ。

さて、明日はひばりヶ丘の駅立ちなので、今日は早めに寝ることにします。因みに、来月の川掃除は13日の日曜日に決定しました!    たかやん

20111010-1.jpg 20111010-2.jpg 20111010-3.jpg



| 1 | 2 | 3 | 4 |
2011/10
SuMoTuWeThFrSa
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     

前月     翌月