Diary 2004. 11
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11月1日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第229弾! 

「たかやん議員日記」2004.第229弾!  11月1日(月)

新座市教育週間に市立小中学校を公開(11月1日〜11月6日は新座市教育週間)

広報新座を見て、普通の人は1週間学校が公開されると思うだろう。週間というのは普通7日間を言うからだ。ところが新座市の中学校は月曜日と土曜日しか公開しないという。そして6校の内4校が二日のうちの一日は「合唱コンクール」を公開しますというのだ。要するに普通の授業を見せるのは一日だけということなのである。その理由が新人の地区大会があるからというのだ。3日は休みだし、大会で2日は先生たちが揃わない。そして合唱コンクールがある。だからという理由で授業を見せるのは一日だけ。そんな馬鹿な・・・・・である。

9月の議会で教育委員会に授業を見せて欲しいとお願いした。ちゃんとした手続きをとってくれればいつでもお見せしますという答弁があったからだ。それから1ヶ月以上が過ぎたが委員会からの連絡は何もない。しょうがないから「教育週間」で見に行こうと思えばたった一日だという。新座市議会の文教委員も馬鹿にされたものである。僕の場合は議会で発言できるからまだいいが、発言できない人たちもたくさんいるのだろう。その人たちの分も議会では頑張らないといけない。

結局今日は新座市6中学校のうち、4校にお邪魔した。(4中は合唱コンクールだということなので校舎の中には入らなかったが・・・)

二中は懐かしい先生たちがたくさんいた。ただどこでどういう授業が行われているかが掲示されてなかったので、一般の人は困るだろうなあと思った。僕のようにどこにどういう教室があるということを知っている人はいないだろうから・・・。

新座中は予想よりもよくなっていた。特に2年生が落ち着いて勉強していた。先生達の表情もよかった。寝ている子達の数が減っていたように思う。

六中はかなり騒々しかった。授業に遅刻してくる子や授業中にお喋りしている子達は新座中や二中よりも多かった。

詳しい感想はまたの機会にします。             たかやん



11月2日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第230弾! 

「たかやん議員日記」2004.第230弾!  11月2日(火)

テニス
昔の同僚から連絡があった。「テニスの試合をみにきてよ。」というのだ。色々仕事があったのだが、切り上げて立教新座へ向った。六中のテニス部の子達がお弁当を食べていた。「たかやん!何でいるの?」塾生が驚いていた。本部前には六中テニス部の顧問を経験した人が4人も集まっていた。「たかやんのせいで俺達ここにいるんだからね!」と嬉しそうに文句をいう友達。六中の新しい顧問の先生も若くてなかなかいい感じの先生だった。テニスが上手でも下手でもいい。子ども達と一緒にやってくれる先生が子どもには必要なのだ。
「たかやん!」突然五中時代の教え子の貴光が現れた。「何でいるの?」『お前の方こそどうしたの?』「うちの子この大会にでてるから・・・」時の流れを感じる。彼は関東3位、全国8の時のレギュラーだったのだ。あれからもう18年も経つのだ。

自転車
塾へ行く時は水道道路を走る。中学生達が歩道のない道路を連なって走る。時々小学生もいる。非常に危険な道路だと思う。子ども達やお年寄りへの配慮のない道路なのだ。排気ガスもひどいし、本当に走りにくい道路である。
今日の帰り道はバス通りを走ってみた。途中で高校生の男の子に抜かれたので、ちょっとむっとして競争になった。懐かしい気持ちが蘇ってきて・・・・ぶっちぎり!最後の坂道も走りぬけた。どうやら最近のランニングで体力が戻ってきているらしい。まだまだいけそうである。


11月3日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第231弾!

「たかやん議員日記」2004.第231弾!  11月3日(水)

朝のゴミ拾い
いつも子ども達と使わせてもらっている公園のゴミを拾う。塾の子ども達との「習慣」である。六中テニス部の子ども達が10年以上毎朝六中の周りのゴミを拾い続けたのと同じことを僕らは今続けている。(1週間に1,2度だけど)これが結構楽しい。軍手をして拾えば煙草の吸殻も気にならない。朝の散歩をしている人たちからは笑顔付の温かい挨拶がもらえるようになるし、公園はきれいになるし、いいことだらけなのでやめられない。子ども達の中には遅刻をして、ゴミ拾いに遅れてしまう子もいるが、「まいっか・・・」である。

ダッシュ力
最近一番気になっていたのは、本気でダッシュすることができないのではないかということ。でもこのところ毎日走っているので、今朝は試しに中高生と競争してみた。8人中4番だったが、トップとの差はそれほどなかったので安心した。もう少し鍛えれば30代の頃のように、100Mを12秒台くらいでは走れそうな気がしてきた。

観閲式
今度の日曜日に初めて観閲式に出席する。防衛庁から招待状がきたのだ。台風や地震で何万人も避難生活をしている時期だし、それでなくても色々な批判がある「観閲式」だが、実際に自分で体験してみないとなんとも言えないので、とにかく自分の目で見たいと思ったのだ。そして自分の心がどう感じたかをみなさんに報告したい。生の小泉純一郎に会うのもちょっぴり楽しみである。テレビで見ると昔よりも人相が悪くなっているが、本当のところはどうなのだろう。色んな人の人相を見るのが楽しみである。人の心は人相にでてしまうから面白い。


11月4日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第232弾! 

「たかやん議員日記」2004.第232弾!  11月4日(木)

大忙しの一日
5時半過ぎ、いつものように起床。そとが明るくなるまで新聞を読む。「ブッシュが大統領に再選!」という記事を読みながら、これからの世界はどうなっていくんだろうと考える。ケリーが大統領になったとしても、アメリカの根っこは同じだから・・・・そういう考え方もあるが、それはイスラムをはじめとするアメリカ以外の世界にはわかりずらいことだろう。

朝のランニングは楽しい。ごみをちょちょいと拾ったあとで走る空気はおいしい。体中の細胞が喜んでいるのがわかる。

朝食をすませてから立教新座にテニスを見に行く。スーツにネクタイで行ったので、みんな驚いていた。そのあとは10時から会派の打ち合わせ。お昼も食べずに2時前までぶっ通しで「刷新の会市政報告会」と「17年度予算ならびに施策に関する要望書」の話をしていた。

車で買い物に行った後、自転車で新堀まで走る。今日は「韓国語」の勉強をしながら走った。大声で韓国語を叫びながら走ったので、すれ違う人が振り返っていた。

それから塾で英語、数学、国語、道徳と完全燃焼して・・・・ふらふらになって帰ってきた。そういう充実した一日だった。


11月5日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第233弾! 

「たかやん議員日記」2004.第233弾!  11月5日(金)

新座の英語教育
今の「英会話教育特区」が始まる何年も前から、新座の「英会話」教育のレベルは埼玉県内外で有名だった。何故なら新座にはそれだけ能力の高い教員達がいたからだ。スピーチコンテストでも班大会は勿論、県大会でも活躍していた。優秀な英語教員は生徒達のやる気を引き出し、能力を引き出す。

僕の好きな言葉に
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.
というWilliam A. wardの言葉がある。

「良い教師は生徒に説明し、優れた教師はやってみせるが、偉大な教師は生徒のやる気を引き出す。」と訳せばいいのか・・・。そういう英語教員の影響を受けて、どれだけの子ども達が「英語」と関わっていこうと決心したことか・・・・

新座にはThe great teacherがたくさんいたし、いまでもいるのだ。ところが今、その偉大な先生たちはAETと授業ができないという目に合っている。AETとのティームティーチングを10年以上も研究してきた、わが新座が誇る英語教員達が子ども達の前でAETと英語を話すことができないでいる。これもまた「英会話教育特区」を全面委託したことによる弊害である。新座には独自でプログラムを組めるだけの能力の高い教員がいるのだ。そしてAETの中にも能力の高い人たちがいる。教育委員会はそういう事実を見ていない。宝物が眠っているのである。

子ども達の英会話能力を高める方法は意外と簡単である。そう「全英語教員」の英会話能力を高めればいいのだ。
ところが今のシステムではそれができない。だから子ども達は話せるようにはならない。現場の教師達は誰もがそう思っているはずだ。明日も「英会話」の授業を見学に行く。英語をちゃんと勉強した人であれば、そのレベルに驚くはずだ。今のシステムは税金の無駄遣いである。市民の暮らしは決して楽ではない。せめて効果があることをやってもらわないと・・・・このままでは踏んだり蹴ったりである。


11月6日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第234弾! 

「たかやん議員日記」2004.第234弾!  11月6日(土)

今日は久しぶりに「命の応援団」に参加した。大勢の人たちが中央公民館の和室に集まった。所沢からも春日部からも駆けつけてくれた方がいた。陵平のことを4年たった今も覚えてくれている人たちが集まった会だった。「命の応援団」に今まで二中は勿論、教育委員会からも参加した人はいない。学校に責任がないと本気で思っているのなら、胸を張って参加すればいいのに・・・・。4年間、一度もこの会に参加できなかったという事実こそが
「学校に責任があった。」と認めていると僕は思う。

政江さんからのメール

昨日は、事前準備も含め、集会のためにお力をいただきありがとうございました。
「忘れてはいけない!」と思う人たちが集まってくれた会だと思います。

Hさんの本音には、びっくりしましたが、
彼女の思いがはっきり見えて、今にして思うとさっぱりした気分です。
「ご両親はつらいでしょう。」
そうです。当時の出来事は思い出すと辛いことばかりです。
ことに、学校や教育委員会の人たちの態度には腹が立ちます。
だからこそ、議会の一般質問に取り上げるに値するものと言えるのではないでしょう
か。
だからこそ、傍聴にも出かけていくのです。
「忘れてしまいたい。」と思う人たちに向かって、
時には「忘れていたい。」と思う私自身にも、
「忘れてはいけない!」という言葉を差し出していきたいと思うのです。
昨日の集会で、すぐに発言できなくて残念に思っています。

2年前にカナダに研修に行ったときに、目が覚めるような想いを体験しました。
テーマは「性虐待」でしたが、終盤の演習で、マギーという講師は、
「私たちは、世界中の美しいものを見るために生まれてきたのです。」
という言葉を発してくれました。
その言葉を聞いた瞬間に、私は生き続ける意味をやっとつかむことができたのです。
(もちろん通訳の方の日本語で。素晴らしい通訳の方でした。)
陵平がいなくなり、さらにたくさんの醜いものを見聞きし、ズタズタになっていた私
でした。
それでもなお、生きているのは、
地球にも人間にも、まだ私が見たこともない美しいものがあるんだから、
それを見なければ死んでしまうわけにはいかないでしょう、……
そうでなければ、生まれてきた意味がないでしょう、……
陵平は、たくさんの美しいものたちを全部見ないままに出かけてしまったけれ
ど、……
陵平の分まで私が見届けなければならないでしょう、……
そんな風に私に語りかけてくれていたように感じました。

久しぶりに生命の応援団を開き、
懐かしい方々、若い人たちと時間を共にすることができて、
「美しいものを見せていただけたなぁ。」と感謝しています。
阿世地くんは、中学時代もよく小学校に遊びに来てくれていましたし、
生命の応援団の集会にも足を運んできてくれましたが、
尾崎くんの方は、今回突然の参加で、私自身びっくりしてしまいました。
陵平が元気でいたら、こんな再会はしなかったでしょう。
陵平が元気でいたら、高邑さんにも出会わなかったように。
和伸くんの現れ方も印象に残ります。
学校帰りだったのでしょうね。
和室の入り口の所で、遠慮がちに首を伸ばして中の様子をうかがっていました。
私がたまたま気がついて「どうぞ。」と言えて本当によかった、と思いました。
たかやん塾の若い人たちと出会い、そして率直な意見を聞けるのも、うれしいことで
す。

どんなに小さくても、どんなにささやかでも、
「美しいもの」を見つけること、それを大事にしていくこと、続けていくこと、つな
げていくこと、広げていくこと、
……をしていきたいと、今回はまた改めて思いました。

高邑さんの一般質問は、
私が忘れかけていたものを思い出させてくれている、と思うことが多々あります。
陵平の存在、陵平の命にかかわる大切なことであり、
それにかかわり続けていること自体、「美しいもの」と私は思えます。
陵平もきっときっと見ていると思います。

12月議会での第4弾、私も覚悟して臨みたいと思っています。
当時のことを超える辛いことなど、たぶんあり得ないでしょう。
思い出す作業は、供養と思っていますので、何でも聞いてください。

おおぬき まさえ

どんなに小さくても、どんなにささやかでも、
「美しいもの」を見つけること、それを大事にしていくこと、続けていくこと、つな
げていくこと、広げていくこと・・・・

僕も今日の「命の応援団」で「美しいもの」見ることができたと思っている。

たかやん





11月7日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第235弾! 

「たかやん議員日記」2004.第235弾!  11月7日(日)

観閲式
国道254は大渋滞だった。僕の車のすぐ後ろに右翼の車が10台くらい連なって走っていたので、自衛隊方面への道路が封鎖されたのだ。僕の車は254から右折できずに30分近く止まったままだった。POLICEと右翼と自衛隊。それにデモ隊が加わって、道路は大変なことになっていた。

観閲式にあれほどの人が集まってくるとは正直思っていなかった。東京ドームを満員にするより遥かに多い人間がそこには居た。小泉純一郎が登場したのは10時33分。人々が
「わーっ!」と歓声を上げ、日の丸を打ち振っているのを見て時代を遡っているような感覚になった。知っている顔の国会議員達はみんな黒塗りの車で登場した。

僕の目の前には陸・海・空合同音楽隊。観閲部隊。防衛大学校学生隊。防衛医科大学校学生隊。少年工科学校生徒隊。普通科部隊。空挺部隊。陸上女性自衛官部隊。中央病院高等看護学院学生隊。海上自衛隊部隊。航空自衛隊部隊。航空女性自衛官部隊が勢ぞろいしていた。多分小泉純一郎が到着する何時間も前から彼らはそこに整列していたのだろう。「貧血」で倒れる自衛官もかなり居た。

観閲式が終わり、ほっとした顔の自衛官達が昼食の弁当を食べていた。この為に想像を超えるような練習をしてきたらしい。そのせいかまだあどけない顔をした自衛官達はみな笑顔だった。

戦死した僕のおじさんもきっと今から65年前には所沢の航空兵学校では同じような顔をして笑っていたのだろう。死んだ父さんも、そして伯父さんも観閲式を兵隊として経験したのだろう。

自衛隊が誕生して50年。丁度僕と同じだけの年齢だということだ。僕の親友のお父さんは自衛官だったし、友達の弟も自衛官だ。そして僕の教え子達の中にも何人か自衛官がいる。だから僕は自衛隊が嫌いではない。自衛官に戦死して欲しくないのだ。自衛官に人を殺して欲しくないのだ。

だから僕は、目の前を通るミサイルや戦車が人殺しに使われないように祈っていた。自衛隊の武器がどんな人の命も奪わないことを祈っていた。そして若い自衛官達が誰一人戦死しないことを祈っていた。この50年間で殉死した自衛官は1749名。黙祷をしながら僕はまた祈ったのだった。


11月8日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第236弾!

「たかやん議員日記」2004.第236弾!  11月8日(月)

82歳の誕生日
今日は死んだ父さんの82回目の誕生日だ。陸軍少尉で機関銃部隊の指揮官だった父さん。何度も死にそうになったが、生きて帰って来られたのはお前達のおじいちゃんとおばあちゃんがお父さんを丈夫に育ててくれたからだよ。といっていた父さん。そんな父さんが死んでもう25年になる。小さい頃僕が「海ゆかば」を歌っていると『だらめが!』と怒った父さん。「何でいけないの?いいメロディーだから歌っているのに・・」そういうと『歌詞の意味を考えて歌え!いいか朋矢。兵隊さんたちはな、誰も天皇陛下万歳!と言って死んだりしなかったんだ。みんなお母さん!って言って死んでいったんだ。だからそんな歌を歌うんじゃあない!』そう言った父さん。僕はそれを聞いて泣きそうになったのを覚えている。17歳で死んだ登おじさんもきっと「お母さん!」って言って死んでいったのだ。父さんはお酒を飲んでは登叔父さんの話をして泣いていた。弟を失った兄貴があれだけ嘆くのだから、息子を失った母はどれだけ苦しんだことだろう。だから僕は戦争が嫌いなのだ。

教育委員会
僕は別に教育委員会が嫌いなわけではない。前の教育長は僕の父親のような人だったし、教育部長だった人は僕の兄貴のような人だった。(誤解のないように言っておくが、彼らが僕をどう思っているかは僕には全くわからない。)僕の五中時代の先輩や同僚は教育委員会や管理職になった人が多い。だから基本的にはどちらかというと好きなくらいなのだ。今朝も6時過ぎにランニングに行くと自転車で出勤していくK先生の姿が見えた。彼は体育の教師だが僕は好きである。そう僕が一番好きな先生は体育だし、別に体育の教師だから嫌いなわけでもない。
この間控え室に来て話を聞いてくれたT先生も毎晩10時過ぎまで役所に残っているといっていた。みんな物凄く頑張っているのだ。それは僕もよくわかっているつもりだ。でももっともっと子ども達のほうを見て欲しいのだ。学校現場で頑張っている先生達のほうを見て欲しいのだ。


ふと自分の存在が蟻のように感じる時がある。僕がどんなに議会で質問しても、教育長も教育委員会もびくともしないのではないか・・・・彼らは巨象なのかも知れない。だから思ったことを正直に言えば言うほど、逆に簡単に潰されてしまうのではないか・・・六中テニス部が簡単に潰されそうになったように、僕の塾も簡単に潰されてしまうかもしれない・・・ふと、そう思うことがある。塾の子ども達のためにはおとなしくしていたほうがいいのではないかと思ったりもする。だけどもっとたくさんの子ども達・・新座の子どもたちのためには黙っていてはいけない。そう死んだ父さんがいっている気がする。もう50年も生きてきたのだ。昔の人たちは人生20年といっていたではないか・・・。そう思うと蟻は蟻なりに精一杯生きたほうがいいやという気になってくる。新座の子ども達が楽しく学校に通えるように蟻は蟻なりの努力をしていけばいいのだろう。多分・・・・。


11月9日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第237弾! 

「たかやん議員日記」2004.第237弾!  11月9日(火)

囲碁の先生
僕には何人かの囲碁の先生がいる。その内の一人から今日こう言われた。「たかやんはハートは良いんだ。ハートは良い。だけど頭が悪いな。馬鹿だな。自分の主張を少しは引っ込めないと・・・。」引っ込めないと勝てないぞということらしい。囲碁の世界では確かにそうだと思う。自分だけが主張していると負けてしまうのだ。布石を大事にして、あの手この手でからめて殺していく。それが囲碁だ。
だけど僕は器用ではないから、そういうことはできないだろう。その方が楽だと分かっていても、自分の感性を信じて進んでいくしかない。そう思っている。「たかやんは頭はいいけど、ハートがねえよな。」そういわれなくてよかったと思っている。

ガラス
土曜日に新座中へ行くと生徒玄関のガラスが割れていた。子ども達に話を聞くと8枚くらい割られていたらしい。ガラスでよかったと思う。そりゃあガラスにだって命はあるのだろうから、かわいそうなことをしたとは思う。だけどその何かのはけ口が子ども達自身に向けられなくてよかったと思うのだ。授業中の子ども達を見ていて、新座中は確かによくなってきているように感じた。もっとも、あれだけのメンバーが揃っているのだから、よくなって当然といえば当然である。だけれども僕が最後にいた頃の二中と何かが似ていると感じたことも確かだ。アンテナを高く立てるときだ。子ども達のSOSをキャッチして欲しい。

俳句
逆に4中は少し苦しくなってきていると感じた。子ども達と先生の波長があっていないように見えたのだ。去年の方が断然よかった。そう思うのは多分僕だけではないはずだ。だけれども廊下に張り出されていた子ども達の「俳句」の作品を見て、僕は驚いた。心に響くものがたくさんあったのだ。彼らには潜在的な高い能力があるのだ。だけれども今それが出せないでいる。4中にも魅力的な先生はたくさんいた。その頑張りに期待したい。


11月10日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第238弾! 

「たかやん議員日記」2004.第238弾!   11月10日(水)

教え子
最近、ちょっとした隙をみてテニスをするようにしている。そうスポーツジムに通う感覚かも知れない。お昼休みの空いた時間に行きパコンパコンと打ってさっと帰るのである。これが実に面白い。昨日はコーチになった23歳の教え子の悠を呼び出し試合をした。(中学時代は14勝1敗だったそうだ。)彼は今ジュニアを教えている。僕が桜田クラブという有名なテニスクラブに通って勉強したのと同じように、彼も田中さんという有名なトレーナーについて勉強している。試合の結果は0−6。手も足もでなかった。ジュースが6度くらいはあったが、アドバンテージは2度。先生と生徒が逆になった。嬉しかったのは悠が手を抜かなかったこと。「どんなに相手が強くても、どんなに相手が弱くても全力で戦え!それがスポーツマンシップだ!」そう毎日のように彼らに言い続けてきた僕にとって、彼の試合態度は嬉しいものだった。勝負にこだわりすぎるのはよくないという人もいるが、全力で勝とうとすることこそが大事なのだと僕は思う。

昔、本当に世界チャンピョンを育てたい。そう思ったことがあった。毎週桜田に通い、練習を盗ませてもらった。1年生の時から試合をして3年間で合計165試合をした子がいた。彼は高校2年で県のチャンピョンになり今の全日本チャンピョンの本村剛一選手を6−0.6−1で倒すような選手になった。あのサンプラスと国際大会で戦うまでに成長した。だけど大学で彼はそこの古い体質に合わず、やめてしまった。そこで僕の夢の一つが終わった。だけど僕の夢は僕の教え子達が受け継いでくれているのかも知れない。「世界チャンピョン」を育てるのが僕の夢です!という一久という子がいるのだ。彼とも僕は3年間で150試合をした。五中や六中のテニスコートで流した汗は今も教え子達に受け継がれているのだ。昔はそういう優秀な卒業生が毎週コートに戻ってきてくれていたから中学生が強くなったのである。

いい汗をかいた。心も体も少し健康になったような気がした一日であった。


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