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11月1日 (水) 「たかやん議員日記」2006.第305弾! 11月1日(水)
「たかやん議員日記」2006.第305弾! 11月1日(水)
幼稚園 今日は空の入園試験ということで、朝から色々大変だった。昔幼稚園の先生だったママは朝早くスーツ?で幼稚園へ・・・「普段の格好で行けばいいのに・・・・」「駄目!こういう時はちゃんとした格好をするものなの!」と怖い。 僕は空と朝ごはんを食べて・・・・「どうする?今日は幼稚園のテストだぜ?」と言うと、空は嬉しそうだった。
そして面接 幼稚園の試験に付いて行った記憶はないのだが、今回はスーツを着て行ってみた。お父さんは二人くらいしか見あたらず、殆どがお母さんだった訳で・・・面接でも、僕は何も聞かれず、ただ黙って座っていたのだった。
入園料? 制服やジャージを買って、色々揃えると全部で引越し代と同じくらいになるので驚いた。父は必死で働かなくてはいけない。もうすぐ引越しだし、気合を入れないと、お正月に餅が買えないかも知れない・・・とほほ。
単位不足 高校の校長先生が亡くなった。自分の命と引き換えに、お願いをして亡くなった。生徒思いのいい先生だったのだろう・・・世界史と日本史。僕は受験が世界史だったので、日本史の授業のことは殆ど覚えていない。全く記憶にないのだ。日本史に興味を持つようになったのは大学を卒業してから・・・・今も歴史は大好きだ。でも、それは高校の授業とは関係がない。 当時の北大の入試は13科目もあったから、色々勉強しなくてはいけなかったが、入試に関係ない授業の時に他の勉強をしている奴なんて山ほどいたと思う。普通科の高校に通う生徒にとっては「大学入試」は大きな山なのだ。
問題は、困難にぶつかる時に、インチキをするな!と教えるべき学校や教育委員会が、「インチキしておけよ。得だからさ」と生徒達に言っていたことにあると思う。筋が通らないことをしたのだ。大学の入試をどこも全教科で行えば、こんな問題は起きない。
校長 岐阜の中学校の校長は本当にみっともなかった。“加害者”の4人の親が「いじめ」を認めて謝罪すると・・・どうにもならなくなって、教育長とともに謝罪したのだから・・・・。 ああいう阿呆が全国で校長をやっているかと思うと、「美しくない日本」が見えてきて怖い。校長といっても、人事権も予算権もない“中間管理職”のような存在だから、会社でいうと課長クラスなのかも知れない。結局は上を見ながら生きていく人が多いのだろう。教育委員会のご機嫌を伺い、先生達には偉そうに振舞う・・・・生徒はどこへいったの?ということになるのだ。
昔の校長達は優秀な人が多かった。少なくても最後まで「教育者」だった。子ども達の為に、教育委員会と戦う校長もいたのだ。そういう兵が少なくなった。「教育基本法」を変える前に、全国の“教育力”のない校長を換えた方がいい。本当に優秀な人が校長になるようなシステムにしたほうがいい。
少なくても「英会話教育特区」の新座市で「英会話」の初歩もできない人は校長や教頭にはなるべきではない。学校のトップが英語が話せないのを見て、子ども達は「英会話」をしようと思うだろうか・・・。 たかやん
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11月2日 (木) 「たかやん議員日記」2006.第306弾! 11月2日(木)
「たかやん議員日記」2006.第306弾! 11月2日(木)
教育週間2 議会事務局に原稿を出したあと、市教委に電話をした。教育週間の情報を教えてもらおうと思ったのだが・・・・「全て公開ですので、特別な資料はありません」という答えだった。分からないでもないが、行ってみたら「合唱際の練習」では困るから聞いたのだ。「午後は公開していません」という学校もあったから聞いたのだ。今日四中では授業公開をしていると聞いているのに、市教委は「公開日ではありません」。どっちが正しいのかは行ってみないと分からないということか・・・・・。結局授業はあったらしく・・・教育委員会の情報のいい加減さに参ったのだった。教育委員会が知りえないことを、どうやって一般市民が知ることができるのだ。保護者向けの「授業参観」とは意味合いが違うのである。公開の「教育週間」が聞いて呆れる。本当にがっかりである。
新座中 「公開日は終わりましたが、どうぞ・・・」と新座中の鈴木松江校長先生に言われて、まず新座中へ行った。「地域の方にも何時でも公開するのが原則ですから・・・」と鈴木先生。そのままを見て下さいという訳だ。
普通教室の全ての授業を見たのだが、新座中の子ども達は実にいい表情で授業を受けていた。全学年で寝ていた生徒は2,3人。先生達の表情もよかった。「授業を受けるときの姿勢が悪くて・・・」と鈴木先生。僕の目には、なかなかいい姿勢に見えたのだが・・・・。 あの先生と子供たちなら「学力向上」作戦は成功すると思う。後は先生と子ども達の気合である。先生の表情のいい学校は必ず子ども達の表情もよくなるものなのだ。こういう学校が増えてくれるといい。
石神小 受付に誰もいなくて、大丈夫なのかしらん・・・。時間割もなくて、どこで何をやっているのか知らん・・・・。ジャージ姿のツルツル頭のおっさんが黙って入っていいのかなあ・・・。と思いながら校舎に潜入した。
中学校から小学校へ行くと、どんなに大きい子達でも「可愛いく」見える。中学校と違うところは、同じ学年でもクラスによって、授業の雰囲気がえらく違うところだ。先生が子供たちの気持ちを引っ張っているクラスは先生の表情も、生徒の表情も、教室の空気も明るい。先生と子ども達の気持ちが離れてしまったクラスとの差を僕は感じてしまった。
新堀小 2時間目の6年生のクラスが非公開だったので、1年生の「英会話」を見た。なかなか楽しい授業だったのだが、授業の最後の方は少し集中が切れていたかも知れない。低学年の子ども達に、45分授業はやはり長すぎる。
西堀小 丁度2時間目と3時間目の休み時間に校庭に入った。みんなで音楽に合わせて走るという企画だったらしく、全校生徒が一斉に校庭を走り始めた。その中には何かを感じさせる走り方をする子達もいて・・・(この子にテニスを教えたら、凄く伸びるだろうなあ・・)などと思いながら見ていた。「先生!」と声を掛けられて、振り向くと五中時代の教え子が先生になって、笑って立っていた。
西堀小の子ども達は落ち着きがあった。4年生から6年生の授業を中心に見たのだが、どのクラスもいい感じだった。古い学校だが、教室それぞれに特徴があって・・・・僕は5年生の空き教室で孫の書写を見つけ、ちょっと泣きそうになった。上手なのだ。その上手な作品が剥がれていたので、バッグの中から糊を出して、それでくっつけて補修しておいた。(勝手に入ってすいません)
そして孫のいる体育館へ・・・。久し振りに孫に会った。「あ、ともやちゃん!」と喜んでくれた。女の子の友達とも男の子の友達とも仲良く話していたので、少し安心した。じいちゃんとしては孫が独りではない。友達がいる。笑顔で話していた。それだけで嬉しいのである。
今日感じたことは、学校によって、参観する保護者?の数が全く違うことである。殆ど参観の無い学校と、本当にたくさんの参観者のある学校と・・・保護者の意識の問題なのか、それとも学校の連絡の仕方の問題なのか、それは分からないが・・・・。後は電気の付けっぱなしがどこの学校も多かった。僕は昔の習性で、空き教室に勝手に入り、電気を消して歩いたのだった。新座市は財政難。節約節約である。 たかやん
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11月3日 (金) 「たかやん議員日記」2006.第307弾! 11月3日(金)
「たかやん議員日記」2006.第307弾! 11月3日(金)
ホームページ 先週の土曜日から日記以外のホームページの更新ができなくなっていた。ちょっとしたことが原因だったのだが・・・・友達のマーちゃんに見てもらって、解決したのだった。ホームページといえば、今回の「授業公開週間」のことが市教委のホームページにUPされていない・・・。「英会話特区」というけれど、ちょっと前までは「情報教育」に力を入れていたのではないのか?教育委員会には優秀な先生達が集まっているはずである。各学校に見本を示す意味でも、そういうことはしっかりとやって欲しいものだ。
始球式 安部信三の始球式を見た。球が速いか、コントロールがいいか・・・年齢からいくと、結構速い球を投げるかと思ったのだが・・・ありやあ、まるでオッサンの球だ。スピードも無ければ、コントロールも駄目。あの人は運動音痴なのだと思った。政治の世界でも、スピードとコントロールは求められる。大丈夫なのかいな・・・・・
命の応援団 今日は20時から久し振りに「命の応援団」の会合があった。陵平が無くなってから6年。「命の応援団」は今でも活動を続けている。残された大人達に何ができるのか、悩む子供たちの、そして親達の役に少しでも立てたら・・・そんな思いで続けてきた「命の応援団」だと思う。僕は第4回から参加し始めた。朝日新聞を読んで、「どうしても僕が言わなくては・・・あの当時の二中の実態を語れるのは僕しかいない。」そう思っての参加だった。結局、学校や教育委員会の体質は全く変わらず、当時の議会も瞬間で終わり。挙句の果てには六中のテニス部がとばっちりを受けるというひどい結果になったのだが、それでも僕は後悔していない。あの時の悔しさが今の僕のエネルギー源になっているから。あの時の陵平が伝えたかった事。そして六中テニス部の子達が叫びたかったこと。子ども達の悲鳴を僕は伝えなくてはいけないのだ。恥ずかしい大人達の損得に振り回された子供たちの思いを伝えるのが僕の仕事だ。
写真 政江さんに陵平の写真をたくさん貰った。“たかやんの応援団”の写真館に載せるためである。陵平の写真は明日の夜くらいには僕のホームページに掲載されるだろう。僕が一番引っ掛かったのは、陵平の「入学式」の写真だ。あの学校に入学さえしなければ・・・・陵平は今でも生きていたはず。どうしてもそう思ってしまうのだ。政江さんは2年5組の写真だと言っていた。陵平の机の上に花が飾ってある写真だ。「何故、ここに陵平がいないんだ!」と憤りを感じる。政江さんは、そう言っていた。 たかやん
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11月4日 (土) 「たかやん議員日記」2006.第308弾! 11月4日(土)
「たかやん議員日記」2006.第308弾! 11月4日(土)
いじめ 「弱いものいじめ」だけではない。「強いものいじめ」もあれば「目立つ子いじめ」もある。よく、「いじめられる方にも原因あるのだ!」と自信満々にいう奴がいるが、そいつらは馬鹿だ。いじめがどんなものか理解できていないか、いつもいじめる側にいたか・・・要するに頭が悪くて、理解力が無いってことだ。
被害者 僕が心配しているのは、被害者がいじめにあうという、信じられない、何とも理不尽なことが日本全国の学校で行われているということだ。「あんたが警察に届けたから、うちの学校の評判が落ちた」「いじめられる方にも原因があるのに、マスコミに流しやがって・・・」「うちの子の進学に影響が出たら、責任が取れるのか!」「この学校は最高の学校なんです!」というような攻撃である。子どもを失った親に向って、平気でこういう言葉を吐きつけるのだからどうしようもない。子どもを苛められてなくした親が、今度は自分がいじめれるのだからたまらない。陵平の時も全く同じだった。当時の二中のPTAの集会のテープを聞くと、その攻撃の毒々しさに反吐がでそうになる。今回の「失神ゲーム」という“いじめ”での逮捕者は5人と聞く。いじめで悪いのは、まずいじめた本人なのだ。そしてそれを見逃したが学校や、そういう育て方をした保護者に責任があるのだ。悪いのはいじめた方。苛められたほうは何も悪くない。そこを間違えると大変なことになるのだ。子どもだから(大人だって)間違いはある。悪いことをしたら「馬鹿野郎!」と本気で怒ればいい。それを「悪いことをしたのは理由があるんだよね」と同情から入ってはいけないのだ。悪いことは悪い。だからこれからはよくなろうね!よくしていこうね!それが筋だと思う。
吉田よしのり 昨日の「命の応援団」のメンバーが、志木駅で朝から晩まで立っていたらしい。という話をしていた。今日は友達からメールが来て、「吉田よしのりが新座駅に立ってるよ!」という情報が来た。僕の「駅立ち」の先生はよしのり君だから、彼の凄さがわかる。2時間だって、結構フラフラになるのだから、一日中となったら・・・・・・本当に頭が下がる。もしかしたら、彼はこの3連休を「駅立ち」と決めているのかも知れない。僕も「11月号」を早く完成させて、今月も5日間の“駅立ち”をしなくては・・・・・。
一票を託す会 新座・生きた一票を託す会のホームページを見た。10月28日に公開質問状の回答がUPされていたのだ。それぞれの会派が色々な見方をしているんだと思った。ただ尾崎議員の所属する最大会派「政和会」が回答していないのには驚いた。どういう意見でもいいから、市民からの問いかけにはこたえないと・・・・。自治憲章条例を自信満々で可決した会派なのに・・・・。 たかやん
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11月5日 (日) 「たかやん議員日記」2006.第309弾! 11月5日(日)
「たかやん議員日記」2006.第309弾! 11月5日(日)
昨日、今日、明日 空が過去と未来の意味が分かってきたらしい。「アイス買わなくていいの?」と聞くと「ママが昨日買ったから、おうちにあるよ。」と言う。「今日はプリン食べなくていいの?」と聞くと「明日食べるからいいんだ。」とちゃんと計画を立てているから笑ってしまう。 ついこの間までは今日と明日の区別が出来なかったのに・・・・子ども達の脳みそは日に日に変化しているのだ。
教育基本法 憲法も教育基本法も変えてしまえ!という雰囲気が当たり前のように歩き始めた。「今の子供たちに愛国心や道徳心が無いのは、教育基本法のせいだ!」というのだからビックリ仰天である。「愛国心や道徳心がないのは自民党の代議士たちではないのかね。」といいたくなる。愛国心というのは“民”を愛することだと思う。日本の“民”を苦しめる人たちに「愛国心」を語る資格は無い。
新座選抜 学童野球の応援に西武ドーム(インボイスというらしい)に行った。残念ながら決勝で負けたのだか、新座の子ども達は元気に走り回っていた。最後に負けて、子供たちが泣いた。それを見て、親も泣いていた。泣けるほど練習してきたのだろう。それでいいのだ。勝っても負けても泣く。それでいいのだ。
退職 市内中学校の先生が2学期になってから二人も退職した。しかも3年生の担任ということだから、事は重大だ。子供たちは動揺しているだろう。中学生にとって、担任の教師というのは特別な存在だ。どの学年も重要だが、単純に考えても3年の担任の代わりをするのは難しい。副担の先生が担任になったのか、学年主任が担任になったのかは知らないが、いったいどうなっているのだろう・・・・その二人の先生を退職に追いやったものはなんだろう。家族のある中年の男性が退職するということは、よほどのことなのだ。それも学期の途中となれば・・・・精神的に追い詰められていたとしか考えられない。僕は6月に辞めることを決心したが、「3月に一緒に卒業しような!」と子供たちと約束して卒業した。子供たちを残して辞めることはできなかったし、そんな気は1%もなかった。あと半年というところまできて、子供たちを残して辞めるということは・・・それ以上に辛いことがあったということなのだろう。
やる気 先生の仕事は子供たちをやる気にすることである。そして管理職の仕事は先生達をやる気にすることだと僕は思う。新座の学校はどうしちゃったんだろう・・・・学校が楽しいところじゃなくなってきているのか・・・・どうもわからん。
海鮮丼 ちょっとムカムカしていたから、久し振りに夕飯を「食ってやる!」というやけ食いモードになった。「雲丹だ!」「イクラだ!」「ネギトロだ!」と買いまくり、久し振りに2000円を越えてしまった。腹いっぱい食べたら、ちょっと気持ちが落ち着いたのだった。「ねえ、雲丹ちょっと取っておいてね。明日の朝食べるから・・・」700円の雲丹を全部食べることはできないのである。とほほ。 たかやん
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11月6日 (月) 「たかやん議員日記」2006.第310弾! 11月6日(月)
「たかやん議員日記」2006.第310弾! 11月6日(月)
陵平のお母さんからのメール
高邑さん
おはようございます。 ホームページを見ました。 豪華なアルバムとなってできあがって、びっくりしています。 それから、写真選びやコメント入れの時に感じた、 ざわざわした感じがします。 これってなんでしょうね。 何とも言えないこの落ち着かない心のざわめきは…。 今までもつきあってきた心の揺れであるし、 これからもしばらく感じるものだろうと思っています。
多くの人がこのアルバムを見ることを想像します。 そして、考えることをやめていたものを考え始めることを想像します。 考えたことを誰かに語り始めることを想像します。 ……そういう想像が私をとても勇気づけてくれるような気がしています。
ありがとうございます。
おおぬき まさえ
あれから6年。忘れたい人と、忘れたくない人と・・・・忘れてしまった人と、そして忘れられない人と・・・それぞれの6年だったのだろう。
僕はいつも思うのだ。もし陵平が僕の息子だったらと・・・。亮や空だったら・・・・僕はいったいどうしていただろう。どうするのだろう。死んだ父さんなら、きっと学年の教師全員を殺しにいっただろう・・・戦争へ行っている世代は本当にそういうことを考えるものなのだ。僕にはその血が流れている訳で・・・・自分が怖くなる。だけど本当に怖いことは息子たちが、この世から消えてしまうことだ。自分が人を殺すことよりも、自分が死ぬことよりも、息子達が殺される・・・それが一番怖い。子どもが死んで、親が生きていかなくてはいけない・・・それが一番苦しい。だから戦争はしてはいけないのだ。死んでいく兵士達にも親がいるのだから・・そして爆撃の後には誰かの子供たちの死があるのだから・・・
ただ、あの場面で自分が学校に呼び出されたら、「そんなことで、本気で怒るなよ。本気で怒らなきゃいけないときにどうするんだ」と、あの先生達に言ったかも知れない。息子達にも「相手にするな、ほっとけ!」と言っただろう・・。あの時の二中の教師集団のとった行動は、五中、六中では有り得ない指導だったから・・・・。それが分からないようでは教育を語る資格はない。少なくても教育者であれば、ああいう結末にはならなかったはずだ。日本全国根っこはみな同じなのだ。 たかやん
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11月7日 (火) 「たかやん議員日記」2006.第311弾! 11月7日(火)
「たかやん議員日記」2006.第311弾! 11月7日(火)
自殺予告 朝からドキッとした。これこそ命がけの直訴だ。文科省の発表は文章を読み上げているようで、どうもいかんと思ったが・・・こどもの手紙の内容は本物の匂いがした。豊の字に関係なく、全国の小中学校で子ども達の声に耳を傾けて欲しい。予告をした子と同じ状況に置かれている子達が、日本中にたくさんいるはずである。そのことに気づいて欲しい。学校は楽しいところでなくっちゃ。先生にとっても、子供たちにとっても・・・。この自殺予告が“予告自殺”にならないことを祈るだけである。
教育基本法 朝刊に「教育基本法案 来週 衆院委可決へ」という見出しがあった。今国会で成立強まるとあった。愛国心を法律で強制的に育てようということか・・・それでどうしようというのだ。改憲への準備運動の積りなのだろうか・・・改憲をして、それでどうしようというのだ。法律を変えるときは必ず裏がある。それは・・・・
71キロ台 久し振りに体重が71キロ台になった。体脂肪率も18,5%と過去最低になった。三食の食べ方とお酒の飲み方、そして運動の成果だと思う。夢の60キロ台へあと少し。体が軽くなるということはいいことだ。
先生の仕事 勿論授業が第一だ。それは当たり前のことなのだが・・・・新座市の先生達も本来の授業以外のことに凄くエネルギーを割かれている。「家庭でそれくらいはやってくださいよ!」と言いたくなることが山ほどあるのだ。朝ごはんをちゃんと食べてこない子がいる。中には夕飯もちゃんと食べてない子がいる。学校の給食だけが頼りじゃあ・・・荒れて当たり前である。 いじめをしても、「苛められるほうも悪い」と親が言えば、子ども達は反省などしない。また繰り返すだけだ・・・・。 中学生が煙草を吸っても、何も言わないで一緒に家で吸う。子供たちの方がニコチン中毒にはなり易いという知識すらない。そういう親とも付き合わなくてはいけないのだから、教師という職業は大変である。だからこそ、やりがいがあるとも言えるのだが・・・
教育予算 足立区の教育予算のランク付けにはビックリした。成績のいい学校には予算を増やし、下位校には予算を少なくするというものだ。俺が校長なら・・・最下位の学校の校長になり、そこをトップにすることに燃えるかも知れない。俺が教育長なら・・・最下位の学校に優秀な教師を集めるだろう。俺が文部大臣なら、そんな馬鹿なことは辞めろ!と言うだろう。 少なくても公立の学校のやることじゃあない。どうして足立区全体のことを考えないのだろう。足立区でトップだって、新宿区のトップには完敗ってこともあるだろうに・・・・ 僕は学年最下位のクラスをトップにするのが好きだった。1学期の最初に最下位でも、1年が終わる頃にはトップにいる。そういうクラスを作ることが面白くてしょうがなかったのだ。最初からトップのクラスはつまらない。夢がないもの・・・・
たかやん
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11月8日 (水) 「たかやん議員日記」2006.第312弾! 11月8日(水)
「たかやん議員日記」2006.第312弾! 11月8日(水)
父さんの誕生日 大正11年の今日父さんは生まれた。新太郎という名前には悲しい事実がある。父さんには一夫という兄がいたのだ。一夫伯父さんはお祖父ちゃんとお祖母ちゃんにとって、初めての男の子だった。ところが、お祖父ちゃんは二男で、長男の“本家”には子どもがいなかった・・・・。 一夫伯父さんは“本家”の跡取りとして、お祖母ちゃんの家と直ぐ近くの”本家“へ養子に行くことになった。お祖母ちゃんは、可愛い息子を手放さなくてはいけなくなった。お祖父ちゃんだって一緒だ。お祖母ちゃんはきっと泣いただろう・・・・。
だから父さんが生まれた時に、「新しい長男」だから新太郎と付けられた。旧民法の時代だから、父さんは“長男”という意識を常に持ちながら生きてきた。いつでも邑家全体のことを考えて生きてきたのだ。だから我が家でも三兄弟の長男の和矢だけは“長男”の教育がされた。朝ごはんの時、達矢と朋矢は正座だったが、和矢だけは胡坐をかくことが許された。田舎に行って、泊まるときも・・・座敷に寝ることを許されるのは和矢だけ。達矢と朋矢は2階で寝るのだ。座敷は暗くて怖いから、僕はそれでよかったのだが・・・・
うちの父さんは飲兵衛だった。毎晩のように午前様・・・玄関で鼻を垂らして寝ている父さんを何度運んだことだろう。それでいて、真夜中に起きて原稿を書くのだから凄い人だった。素面の時はえらく怖かったので、小さい頃はあまり父さんが好きではなかった。特に授業参観とかには来て欲しくなくて、いつも「お母さん来てね!」と言っていた。父さんは頭が剥げていたし、あまり格好よくなかったのだ。 それが職場の父さんを見た時に一変した。もの凄く格好よかったのだ。小学校高学年になった僕は、父さんに憧れるようになった。
労働省の中央労働委員会で文書課長になり、富山の労働基準局長、茨城の労働基準局長などにもなった。死んだあとに勲章を貰っているから、国家公務員としてはかなりの地位になったのだと思う。兎に角仕事のできる人だった。
僕にとっての父さんは、僕を心から愛してくれた人。それに尽きる。僕はもう直ぐ父さんの死んだ時の年齢になるが、今僕が生きていけるのは、父さんに愛されていたからだと思う。僕が何をやったとしても、どんな生き方をしたとしても、父さんと母さんだけは僕の味方でいてくれる。そう思えるから、今まで一人になることがあっても生きてこれたのだ。
僕は死ぬまでに、それだけは真似ておきたい。雪、亮、空の三人の子供たちが、何があっても生きていけるように、どんな生き方をしても「愛している」というメッセージを三人の子供たちに送り続けたい。新太郎の命が、僕の中で生きているように、僕もまた三人の子ども達の中で生き続けていきたい。今日は父さんの誕生日。父さんは僕の中でも、孫達の中でもしっかりと生きている。 たかやん
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11月9日 (木) 「たかやん議員日記」2006.第313弾! 11月9日(木)
「たかやん議員日記」2006.第313弾! 11月9日(木)
教育委員会不要論 今朝の朝日の朝刊に「教育委員会は必要?」という記事があった。三者三論でどれもなるほどと思いながら読んだ。
戸田忠雄論にあるように、確かに教育委員会や学校は「教師の論理」に支配されている。「教育しがらみ共同体」である。教育委員会の事務局は現職の教員が仕切り、教育長もまた教員のOBなのだから・・・学校や教師が不祥事を起すと(陵平などはそのいい例だ)、教育委員会は教師側からものを見るのはその為である。もっとも、教育委員会(校長)にとって都合の悪い教師に対しては実に冷たいのだが・・・・。
問題なのは、その教員が子ども達や学校に必要かどうかではなくて、教育委員会や校長達にとって必要か、そうではないかという観点で見られることなのだ。校長や教育委員会にとっていい教員というのは要するに「イエスマン」な訳で、彼らは勿論子ども達のほうは向いていない。そして本当に問題なのはそういう教員が「管理職」になっていくというシステムである。勿論実力で管理職になっていく人もいる。だけど現場の教員達は知っているのだ。実力が無い「イエスマン」が管理職試験に合格していくことを・・・・。
授業が上手で子ども達の気持ちも掴んでいる。そういう教員が管理職になっていくことに異議を唱える人はいないだろう。そういう先輩達を見て、みんな必死に授業を考え、生徒の気持ちを考え、自分もいつかは校長になろう!そう思う。それが自然だ。そしてそういう時代は実際にあった。
教員というのは実際は職人の世界なのだ。意見が多少違っていたって、癖があったって、授業が上手くて、子ども達の気持ちをひきつける人には誰もが弱い。一目も二目も置くのである。そういう校長が少なくなったら・・・・そしてその校長の上の教育委員会にそういう人が少なくなったら・・・学校は崩壊していくだろう。
教員は職人なのだ。自分より技術のない、意欲のない親方には従いたくはない。自分の技術を見抜けないような親方について行きたくは無いのだ。勿論、職人だから、評価するのはお客さん(生徒達)だということは分かっている。だけど、せめて親方には自分の仕事を的確に評価して欲しい。そう思っているのだ。
今、全国の学校に求められているのは、“本物”の親方である。教育委員会に「本物」の親方の教育長がいれば、必ずその地域は伸びていく。「偽者」であれば、確実に落ちていくだろう。学校に「本物」の親方の校長がいれば、必ずその学校は伸びていくのだ。
学校は「職人集団」の世界だ。肌で掴んだものを次世代に伝えていく。それが教員の世界なのだ。そういうことさえ理解できていない人間が校長や教育長になったら・・・・学校に未来はない。
見てくれなんて、どうでもいい。今日本中で求められているのは“熱”のある職人先生、職人校長である。そして、そういう集団の教育委員会である。これが僕の教育委員会論である。
石神と野寺 石神に住んでいるお母さんが、野寺の中学校を見学した。「石神の中学校とまるで違う。本当にビックリした。生徒が一生懸命勉強しているから・・・」僕はその話を聞いて、笑えなかった。野寺の中学校は娘の母校であり、石神の中学校は息子の母校だからだ。
僕は新座の学校をよくしたい。23の小中学校をよくしたいと思っている。悪いところは悪いとごまかさずに認めたうえで、埼玉一、全国一の学校にしたいのだ。 石神のお母さんは続ける。「上の子は石神の中学校へ行かせましたけど、下の子は絶対に野寺の中学校へ行かせます」僕は野寺の中学校に10年いた人間だから、嬉しいことは嬉しい。だけどだ・・・・石神の(実際は石神ではない)中学校にも10年いたのだ。僕にとってはどちらも大切な、大切な学校なのである。そういう思いを持っている人が、校長なり教育委員会にいたら・・・新座の中学校はどんどんよくなっていくだろう。僕は3歳の空を新座の学校に通わせたいと思っている。
新座の中学校の先生が自分の子どもを私立や国立に行かせている。そんな状況はよくないのだ。新座の学校は国立や私立に負けない。だから自分の子どもも新座の学校に行かせる。そういう学校を僕は作って行きたい。あの石神の中学校が「汚くて暗い」とお母さん達から思われていることに、僕は耐えられない。絶対にあの学校をよくしてみせる!世界で一番、僕が愛している学校だから・・・ たかやん
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11月10日 (金) 「たかやん議員日記」2006.第314弾! 11月10日(金)
「たかやん議員日記」2006.第314弾! 11月10日(金)
家庭訪問 今日は朝から議会報告の残りを配って歩いた。10月号が500枚ほど残っていたのだ。最後の家庭訪問をした二中の学区を歩いた。懐かしい名前を見て、昔のことを思い出していた。
職員会議 二中の最初の職員会議を思い出したのだ。「硬式テニス部を作りたいのですが・・」とうい僕の提案に「8年前の職員会議で新しい部活は作らないと決めたので、作れません」というS教頭。「今、ここにいない人たちが決めたことに従うのはおかしいですよ。どうおもいます?校長先生」と僕。「原案通りでお願いします」とS教頭。「僕は教頭先生に聞いているのではありません、校長先生に聞いているんです。」と僕。そこで立ち上がって激高するS教頭。結局校長は何も言わなかった。その職員会議の後、毎日のように嫌がらせが始まったのだった。後で話しを聞いたところでは「あいつは絶対やめさせてやる!」と飲んだ席で言っていたというから、本気で僕を潰そうとしてきたのだろう。パワハラもいいところだ。まあ期待通りに辞めた僕も僕だけど、子ども達のことよりも、自分達が気に入らない奴はとことん潰すというしつこさには本当に呆れる。S教頭は六中の校長になり、僕が教えていた六中のテニス部まで潰しにかかるのだから「凄い」の一言だ。子ども達のことなど何も考えていない人に学校を任せた教育委員会にも責任はある。あれから六中はどんどんおかしくなってしまったのだから・・・。
体育 あの時の六中の校長は体育。教頭も体育。教務主任も体育。そんな中学校が日本に存在すること自体がどうかしている。僕が辞めた二中も、校長が体育で教頭も体育。誰が考えてもおかしい。彼らの後も体育の校長で、そして陵平の事件が起きたのだ。それも市教委に責任がある。二中は体育学校ではないのだから。
六中のS校長は僕を校長室に呼んで、「立候補する時は私に断ってください」といったのだから、世間知らずもいいところだ・・・。どこの世界に学校長に断って立候補する人間がいるのだ。
僕が許せないのは、僕を辞めさせたことではない。僕は辞めてよかったと思っているのだから。僕は愛する新座の学校を壊したことが許せないのだ。先生達のやる気を無くしてしまったことが許せないのだ。文句を言った先生達にはことごとく報復していくというやり方を黙認していた?(あるいは指示していた)教育委員会にも失望したのだ。結局、新座は優秀な先生がどんどん外に出て行ってしまった。そして力のある先生が、どんどん辞めてしまった。今、現役で頑張っている魅力のある先生達が潰れてしまわないように、援護射撃をしなければ・・・と思う。そんなことを思いながら、議会報告を配って歩いた。
静先生 今日は1時から3時半までみっちりとトレーニングをした。最初のストレッチは勿論、色々なトレーニングメニューを静先生と一緒にこなしていった。不思議だったのは、自分の体の機能がどんどん向上していること。関節の可動域が広がり、少しずつ筋力がアップしているのが分かるのだ。「無理しないでくださいね」と静先生は優しい。こういう人が学校にいたらなあと思う。部活動は勿論、学校の体育でも、静先生のように教えたら・・・怪我が減るのではないかと思った。
クラス会 明日は五中の最初の教え子達、3年4組のクラス会である。44歳になった子供たち?に久し振りに会う。「娘が大学受験なんです」というお母さんもいる。「独身なのよ。先生誰かいい人いない?」という女の子もいる。午後2時に五中に集合して、新座墓苑にお墓参りして・・・6時から宴会の予定。楽しみ、楽しみ。 たかやん
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