Diary 2007. 11
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11月1日 (木)  「たかやん議員日記」2007.第304弾!  11月1日(木)

「たかやん議員日記」2007.第304弾!  11月1日(木)

長い夜・・
どんどん夜が明けるのが遅くなっていく・・・。ちょっと前までは、5時を過ぎると明るくなっていたのに・・・・。長い夜も悪くはないのだが、早起きすると電気代がねえ。でも、折角出来た習慣を今更変えたくはないし・・・うーん。

教育週間
中学校と違い、小学校の方は僕の顔が知られてない。校長や教頭に余り気を使われても困るし、普段の授業に近い授業が見たい僕としてはその方がいい。という訳で、いくつかの小学校にお邪魔した。それにしても小学生達は可愛い・・・。目の輝きが違う。あの目の輝きを大人になっても持ち続けて欲しいと思う。

休みなさい・・
3時からひばりヶ丘のK整体院へ行ってきた。僕の体を見て、「かなり痛んでますね」とK先生。先生は僕より15歳も若いが、本当に感じのいい先生で・・・・。僕はK先生に1時間近く体を任せ、そして眠ってしまったのだった。そして先生曰く「疲れたら、休んでくださいね」どうやら、かなり疲れていたらしい。気をつけよっと!

応援団長の日記から・・・(彼は僕の昔の日記を掘り起こしては自分の日記に書いている)
先生
ある小学校の6年生の話である。落ち着きの無いM君を担任のS先生は毛嫌いしている。毎日M君を言葉で傷つけていることにも先生は気付かない。担任の先生は自分が学校で一番優れた教師だと思っているから、自分の感性だけが正しいと思い込んでいる。ある時はM君の母親を呼びつけ、「この子はADHDです。」「病院で検査をしてください。」と要求する。最近になって「M君は中学校の普通学級には無理です。特殊学級へ行かせて下さい。」と言い出した。「普通学級へ行ったら、ついていけなくてM君のためになりません。」というのだ。
実はS先生はM君の実力を知らない。小学校6年間の漢字を全部読めることも、分数の足し算引き算ができることも知らない。M君を見ていないから気付かない。今、小学校6年生でそういう子どもがどれくらいいるだろう。通分ができない中学生など、ざらにいるのだ。そのくせ「僕はM君とずっと一緒にいるんです。M君のことはお母さんよりも分かります。」と平気でいう。人間っていうのは一緒にいる時間で理解するものじゃあない。そんな簡単なことすらこのS先生は知らないのだ。
大体僕がS先生なら、M君が中学校へ行っても困らないように、毎日放課後一緒に勉強するだろう。先生っていうのはそういうものなのだ。このS先生は自分が何もしないで「普通学級は無理です。」と決め付けるのだからどうしようもない。こういう人が先生をやっていることにも驚くが、こういう先生を野放しにしている管理職の能力の低さにも驚く。
M君はS先生が嫌いだから、先生の言うことを聞かないのだ。先生が自分のことを嫌いだと全身で感じているのだ。M君にとってはそれが精一杯の抵抗なのだ。
中学校の担任でさえ、子ども達にとっては大問題である。それが小学校ともなるとこれはもう死活問題といってもいいくらい、子ども達の人生に影響があるのである。先生の一言で子ども達は「やる気」を出し、先生の一言で子ども達の心は「死んでしまう」のである。
S先生には先生としてよりも、人として大切なものが欠けている。
どんな子にだって、キラっと光る何かがあるのだ。それを見つけようとするかしないかが先生の分かれ道なのだ。S先生はその分かれ道を間違って選んでしまったらしい。先生はそれでいいかも知れないが、子ども達は毎日少しずつ先生に自分の心を殺されていく。先生という職業は恐い職業なのである。

子どもサイドから物事を見ない教育委員会には、こういう話は伝わらない。子ども達の実態は先生の話をいくら聞いても分らないものなのだ。校長の話を聞いて、その学校の実態を知ろうなどというのは論外なのである。

*去年の10月20日の僕の日記らしい。自分が書いた文章なのに、ドキっとする。現役の先生達にも読んで欲しいと思った。                 たかやん


11月2日 (金)  「たかやん議員日記」2007.第305弾!  11月2日(金)

「たかやん議員日記」2007.第305弾!  11月2日(金)

そう言えば・・・・
昨日、バイクで走っていて、いきなり左折しようとした車に轢かれそうになった!あと数センチのところだった。「この馬鹿タレが!」と怒鳴ったら、相手はおじいちゃん。僕を全く見ていなかったらしく、キョトンとしていた。車を止めて、怒鳴り飛ばそうという気持ちがスッと消え、僕は何事も無かったかのように走り続けた。

教育週間3
午前中は小学校を中心にと思っていたのだが・・・・いくつか回って、新座小まで来たついでに、4中に寄ってみた。中学の教育週間は終わっていたのだが、同期の五十嵐校長ならOKと言ってくれそうな気がしたのだ。
ところが行ってみると、下駄箱に何やら札が貼ってある。教育長に始まって、市教委の先生達の名前がズラっと並んでいた。その中には「山田清」とか「望月秀夫」とか懐かしい名前もあった訳で・・・(もしかして・・・学校訪問か?何だかまずい時に来ちゃったなあ・・・)と、一度は帰ろうとしたのだが・・・・その清さんにバッタリ。
「元気?」「おうひさしぶり」と話が弾み、今度は望月先生が顔を出し、「あら!」と握手をして・・・・そして向こうから来たのは小松先生。何をしているのかと思ったら、4中の教頭先生だった。小松先生は五中の小松先生の旦那様で・・・・「もう、実名で載せるんだから・・・」「いやあ、もう奥様にはいつもお世話になっています・・・」と僕。好きな先生は実名で載せる癖があるのだ。そして僕は校長室に入り、久しぶりに五十嵐さんと会い、大好きな森田先生と会い・・・話は盛り上がったのだった。

四中はどんどんよくなっている。何年も続けて見てきたから、よく分かるのだ。先生達も子ども達も実に気持ちのいい挨拶をしてくれる。(それも自然な挨拶だから笑顔になる。)

二年生のあるクラスで若い女の先生が、不思議な顔をしていた。クラスはシーンとしている。(これはまずい時に来ちゃったなあ・・)と思ったのだが、どうなるのかなと興味があったので、気付かないふりをして暫く教室の中にいた。
「○○君、駄目なものは駄目なのよ」「うるせえなあ、出ちゃったんだよ」彼はどうやら授業中に漫画を出したらしい・・・かなりの時間、先生も子ども達も黙っていた。一歩も引かない先生の気迫が、クラスを静にさせていた。この若い先生はいい先生になるな・・・僕はそう直感した。今の先生達に必要なのはそういう気迫である。子ども達に口で負けない。気持ちでも負けない大人が必要なのだ。

1年生の理科の授業を見た。鮫島弘樹という若い先生が「有機物と無機物」の実験をしていた。僕は一番後ろの班に紛れ、子ども達に聞いた。「鮫ちゃんの授業は面白い?」「はい、凄く面白いです!」という笑顔つきの答えが返ってきた。成る程、授業はまあまあよかった。
鮫島先生が中一の時の理科の先生は、その単元で“お好み焼き”をやった。何が有機物で何が無機物かを調べる実験で、全クラスお好み焼きをやりながら授業をした。そんな馬鹿な!と、思うかも知れないが、本当の話である。彼が本当はそういう授業をやりたいのかどうかは分からない。教育委員会にお好み焼きの指導案を出したら・・・考えただけで面白い・・・。

四中は綺麗だった。そして楽しい授業が多かった。僕はまた四中が好きになった。


11月3日 (土)  「たかやん議員日記」2007.第306弾!  11月3日(土)

「たかやん議員日記」2007.第306弾!  11月3日(土)

そう言えば・・・
娘の雪からこんなメールが来た。「ニュースで見たんだけど・・新座の中学生が乱闘準備で逮捕ってどこの学校だったの?」確かに小学校6年生の母親とすれば、気になる事件だと思う。だが、まてよ・・どこかでそういう話なかったか?あれは今から27年ほど前・・・

3年の2学期
所沢の我が家には7人の中学生達が居候していた。娘の雪がまだ2歳くらいの頃の話だ。その内の5人が三中へ殴りこみへ行った。しかもその5人のうちの3人は自分のクラスの子だった。通報は市民からあった。「五中のジャージを着た中学生が竹刀やバットを持って大勢歩いている・・・」僕らは三中へすっ飛んで行った。その内の一人は慌てて、五中の前の道路で交通事故を起した。それくらい、みんな気合が入っていた。そして・・・・
警察に捕まる前に、数十名を補導し・・・彼らは相談室に正座させられて・・・長い説教が始まった。僕は直ぐに我慢できなくなって、3年1組のアキとナスとババツをその場でひっぱたいて、「来い!」と1組へ連れていった。

担任VS三年生
「ふざけるな!喧嘩するのに集団で武器を持っていく奴があるか!」「俺に黙っていくとは何事だ!」と怒った記憶がある。そして僕らは1組で机と椅子を片付け・・・上半身裸になって戦った。「そんなに喧嘩したけりゃ、俺が相手だ!!かかってこい!」となった訳だ。
普段、所沢の家で毎日一緒に暮らしている男たちが、教室でやりあうのだから笑ってしまう。みんな僕と一緒に風呂に入り、一緒に勉強し、一緒に寝て、僕のパンツを穿いていたのだ・・・・・。
彼らは強かった。僕はヘトヘトになり、最終的にナスにプロレス技をかけられ、ギブアップ・・・・僕らの戦いは終わった。


その時、彼らの親には連絡がいっていない。担任の僕が親の代わりだったからかも知れないが・・・・。相談室でひっぱたいて、そして教室で戦って、お終い。そんな時代だった。3年の2学期だったのだから、今なら内申が気になるだろうが、彼らは誰も気にしなかった。友達が喧嘩を売られ、それに付き合っただけの話らしかった。「こっちはジャージで行ったのに、向こうは特攻服だった・・・」と笑い話にもなった。

エネルギー
中学生にはそういうエネルギーがあるものだ。昔も今もそれは一緒。だから雪。あまり心配するな。俺も新聞で読んだ時は、(あれま!)と思ったけど、別にどこでもいいじゃないか・・・。お前の大好きだったアキやナスやババツがやったと思えばいい。

因みに・・・
その時戦った三人はその後、ある会社の副社長、社長そして高校の先生になった。そしてみんなお父さん。立派なものだ。

そう言えば・・
昨日の4中の2年生の英語の授業は楽しかった。僕が大好きな岸部先生が隣り(僕の)に居たから、きっと岸部パワーが入っているのだろう。彼女の熱意は凄い。生徒は勿論、若い先生達に大きな影響を与えるのだ。六中時代、僕は岸部先生とラジオ英会話で毎日トレーニングをしたことがある。彼女は僕の英語の先生でもあるのだ。
あの授業も生徒で受けたてみたかったなあ・・・。4中の子達は幸せである。

そう言えば・・・
民主党が大連立拒否と見出しにあった。当たり前だ!そんなことがあってたまるか・・・。大政翼賛会じゃああるまいし。自民党は政権与党である為には何でもするとは思っていたが、まさかこの時期に・・・。うーん、何を考えているんだか・・・・。(3日、朝五時の日記)たかやん


11月4日 (日)  「たかやん議員日記」2007.第307弾!  11月4日(日)

「たかやん議員日記」2007.第307弾!  11月4日(日)


昨日は昭和の森公園で東北大とのOB戦があった。昭和の森に行くのは久しぶり、関東ジュニアでお手伝いをして以来だから何十年ぶりか・・・。ハードコートがオムニになり、雰囲気が柔らかくなった気がした。僕らが到着した時には、なにやら大会が行われていた。大会本部へ行って、「何の大会ですか?」と聞こうとすると・・・「おはようございます!あれ?どうしてここにいるの?」「邑先生!おひさしぶりです!」昔、桜田クラブでお世話になった阿部幸恵さんだった。五中時代に、僕はよく桜田クラブに行った。五中のテニス部の子ども達を連れて、当時の日本のトップジュニア達の練習を見学させたのだ。僕はそこで、橋爪さんや藍先生のコーチングを学び、子ども達はトップジュニア達の目の輝きを学んだのだ。あの松岡修造が中一の頃からのお付き合いなのだから、今からもう20年以上前のお話・・・。九州の別府がお住まいの阿部さんに、昭和の森で会うのだから、これも何かの縁だろう。

瓔珞みがく
東北大のとのOB戦は気合が入った。OB戦とは言っても、対抗戦形式なので記録はずっと残るのだ。僕のパートナーは2年先輩の川西さん。当時のキャプテンで、僕が一番お世話になった人だ。ダブルスでインカレに行った名プレーヤーなのだが、最近は「メタボ川西」と呼ばれている。対する東北大ペアは石川さん、中元さん。僕が1年生の時の4年生と3年生で北大が完敗したときのレギュラー。負ける訳にはいかないのである。先輩達はもう57歳。一番若い僕が走り回るしかない訳で・・・・。僕は走りに走り、そして集中して・・・川西・邑6−2石川・中元となり、対抗戦全体でも北大6−4東北大となったのだった。めでたし、めでたし・・・。
二次会はみんなで飲んで、食べて、そして寮歌を歌った。「瓔珞みがく」「青葉もゆるこのみちのく」そして「都ぞ弥生」大学を卒業して、もう30年以上経つが、寮歌はみんな歌える。若い頃覚えた歌は忘れない・・・のかも知れないなあ。

おさかな君
昭和の森には我が家と日下部家も同行した。テニスを一緒にやった後は「狼少年」と「おさかな君」のステージを皆で見た。テレビで見る「おさかな君」よりもステージのおさかな君はテンションが高く、金切り声を上げており、空は「パパうるさいよ」と呟いていた。それでもおさかな君のクイズにみんなで「はい!」「はい!」と手を挙げ、僕らは大いに楽しんだのだった。

市民大会と教育週間
そして今日はテニスの市民大会。うちの奥さんと日下部家の奥さん二人は、“中級”にエントリーしており、僕は子ども達二人のお守り。と言っても、会場の栄コートには教え子達の子ども達が10人程集合した訳で・・・子ども達は木登りをしたり、縄跳びをしたりして・・みんなたくましく遊んでいた。
今日は「教育週間」で小学校は公開授業。僕にとっても大会がこの日にあるのは困るし、この大会にエントリーしていた小学校の先生達は棄権するしかない訳で、大会日程の調整あるいは会場の変更が今後は必要だろう。


夕方からは塾。今日も大人が入っての塾で、一緒に勉強し、そして色々なことを語った。「中学校の“合唱祭”を見に行ったら、先生がお菓子を食べた生徒の胸ぐらをつかみ、罵声を浴びせていた!ショックでした。」とお母さん。新座の中学校ではないのだが、お菓子に過剰反応する先生達はやはりいるのだなあと思った。本当に悪いことをしたときは、見てみぬふりをするのに・・・つまらないことに“本気”になるのでは困ったものだ。僕の授業でも飴やガムを食べた子達がいない訳ではない。僕はそれを見逃したことはない。「ふざけるな!授業中だ!俺がガム噛みながら授業やったら気分悪いだろう?」「飲め!」と飲み込ませたものだ。その代わり、休み時間には殆ど怒ったことはない。トランプは一緒にやったし、卓球もやった。紙飛行機だって飛ばした・・・・。でも授業が始まったら、授業に集中させる。ゴミはゴミ箱に捨てるようにさせる。当たり前のことができないのは、やはり先生の気合の問題だろう。

小沢辞任?
全く何を考えているのやら・・・。アメリカのロックフェラーから何か言われたのかね。流石妖怪福田の息子、と福田さんを誉めるべきなのか・・・自民党も民主党も同じ穴の狢ということか・・・・。やっぱり早く総選挙をやって、ガラガラポンをしたほうがよさそうだ。                               たかやん


11月5日 (月)  「たかやん議員日記」2007.第308弾!  11月5日(月)

「たかやん議員日記」2007.第308弾!  11月5日(月)

ありがとう
7時過ぎにその電話は来た。聞いた事の無い名前だったが感じのいい女性の声・・・・。
「ひばりヶ丘で荷物を運んでもらったものです。あの時はありがとうございました。」と、思いもしなかった、“ありがとう電話”だった。ひばりヶ丘の階段のところで、荷物を運んだことは確かに何度かある。数名の女性の顔が浮かんだ。そして僕らは待ち合わせることに・・・・
そこで「田舎から新米が届いたので、食べてください」と彼女はお米を僕にくれたのだ。僕は「ありがとうございます」と言って、お袋からもらったお茶を彼女に・・・彼女は「ありがとうございます」と嬉しそうだった。「ありがとう」という言葉には力がある。僕は朝から、「ありがとう」を連発し、「ありがとう」と言ってもらい、なんとも言えない幸せを感じたのだった。

玲美
彼女を担任したのは、もう19年前のこと。その玲美が我が家を訪ねて来てくれた。自転車の篭に、みかんとお米とお酒を積んでの登場だった。今日はお米についている日だ。新潟県に住んでいる玲美は「魚沼産コシヒカリだよ」と笑顔で僕に差し出した。彼女は友達の結婚式で久しぶりに上京したのだ。その友達が、新座中出身で、僕と同期の関重一郎の教え子だと聞いて、なんとも言えない縁を感じた。関さんは僕の同期の仲間の中では一番気が合った。サッカーの練習もよく一緒にやったが、教育に対する考え方が一番近かった気がするのだ。結局二人とも学校を辞めてしまったが、学校や子ども達に対する思いは同じだったと思う。僕らは久しぶりに語った。玲美は「ありがとう」の言葉の意味を知っていた。スノーボードで全国大会に出る選手は、メンタルタフネスの勉強もしているのだ。

11月号完成!
議会便りの11月号がほぼ完成した。後は最終チェックをして、印刷をするだけだ。これでまた駅立ちができるし、応援してくれている人たちへ配布することもできる。11月も忙しい月になりそうである。

眼鏡と読書
最近本を読むペースが落ちた。ちょっと前は3ヶ月で200冊とかのペースで読んでいたのに、最近はさっぱりだったのだ。理由は簡単。本を読むと目が疲れるのだ。それで読めなかった。ところが眼鏡をかけてみると・・・楽に読める訳で・・・もうジタバタしないで、老眼鏡をかけて本を読もう。そう決めたのだった。疲れることはよくない・・・目のトレーニングはするが、無理はしないでおこうっと。            たかやん


11月6日 (火)  「たかやん議員日記」2007.第309弾!  11月6日(火)

「たかやん議員日記」2007.第309弾!  11月6日(火)

黒目川
久しぶりに黒目川を散歩した。なかなか有意義な時間だった。自然の力は凄い。心が暖かくなった気がする。

制服
石神3丁目の子達が、五中の制服を着て登校していた。僕が五中の頃には当たり前の光景だ。石神3丁目は五中の学区だったから・・・・。空はお姉ちゃんの五中とお兄ちゃんの六中とどっちの学校へ行くのだろう・・・どっちの制服を着るのだろう・・・

石神小
舞ちゃんとMちゃんと三人で石神小へ。車の中での会話が面白くて・・・僕らは笑いっぱなしだった。小中学生の生の声は面白い。先生達は、実に細かく観察されているということを知っておいた方がよさそうだ。

担任
D君のお母さんの要請で、急遽六中へ行くことに・・・。1時間目は音楽。合唱コンクールの練習だった。ピアノは片山陽子先生。五中で10年、六中でも10年近く、一緒に燃えた仲間だ。彼女は現役で入ったので、僕より1年先輩なのだが、生まれたのは僕のほうが1ヶ月先。高校までは同級生ということになる。まいっか、そんな話は・・・。
D君指揮の合唱は、「本気」とは程遠いものだった。僕は彼らの合唱を聴いて、ひさしぶりに六中で「担任」に復活したい衝動にかられた。
合唱コンクールは練習にドラマがあるのだ。「合唱なんてかったりー」という中学生は昔からいた。その中学生を燃やして最後に泣かすのが担任の仕事だ。勝って泣いて、負けて泣いて・・・・でも、練習で本気を出さなかったクラスに涙はない。「受験勉強」に集中する余り、朝練や午後練をサボる子達を「合唱」という舞台に引き上げる。中三は「受験」の為にあるんじゃない!そんなことを教えるのも担任の仕事だ。新座の六つの中学校では、沢山の担任が怒ったり、感動したりしているだろう。指揮の子達が、ピアノの子達がきっと涙を流しているだろう。そしてもっとたくさんの子達が、きっとクラスの合唱を作り上げる為に燃えて、そして泣いているはずだ。
僕は体育祭も燃えたが、合唱コンクールにはもっと燃えたかも知れない。僕のクラスの合唱には21回のドラマがあった。「金八」などより、はるかに面白いドラマがあった。僕は、久しぶりにそういうドラマを見たくなった。子ども達の「一生懸命」な顔を見たくなった。そして最後に子ども達と一緒に泣きたくなった。学校をやめたことを、久しぶりに後悔したのだった。                            たかやん


11月7日 (水)  「たかやん議員日記」2007.第310弾!  11月7日(水)

「たかやん議員日記」2007.第310弾!  11月7日(水)

駅立ち近し
11月号がほぼ完成。駅立ちが近づいてきた。大分寒くなってきたから、温かくして、風邪をひかないようにしないといけない。今朝も5時は真っ暗。夜が長くなってきた。

校正
市議会便りは議運で校正するが、自分が発行する議会報告は自分で校正するしかない。毎回悩むのは「写真」かな・・・。どこかの国会議員と写っているような写真は嫌だし、自分がこれをやりました!みたいな誇大広告はもっと嫌だし・・・。なるべく本当の自分が伝わるような写真がいいと思っているのだが・・・。

空の職業
幼稚園の帰り道での父と子の会話。「パパ、そらね。おおきくなったら、アイスクリームやさんになりたい!」「アイスクリーム屋さんね。いっぱい食べるの?」「うん、いっぱいうるの」「ふーん」僕が小さい頃、最初になりたかった職業は「お肉屋さん」。どうしても挽肉を挽きたかったのだ。空はアイスクリーム・・・うーむ、現代っ子だねえ。

赤ちゃん
義理の妹の赤ちゃんを数時間預かった。抱っこすると軽い。懐かしい軽さだ。最初は泣かなかったのだが、段々ぐずり始め・・・三人で買い物に行った。すると、車の中でスヤスヤ・・・流石、空の従兄である。よく似ている。赤ちゃんがいると、自然に笑っている自分がいる。優しい気持ちになっている自分がいる。いつもそういう自分でいたいなあと思う。

掃除力
義理の妹と一緒にお昼を食べた。4チャンネルでは「おもいっきりテレビ」。そこに登場したのが、松居和代(こんな字だったかな・・)。彼女はこう言った。「汚いところには、幸せは来ません!」掃除をすると運気が上がる、という言葉には半信半疑でも、「汚いところには、幸せは来ません!」には納得する。確かにそう思う。汚いところには幸せはこない・・・自分の人生を振り返っても、確かにそうだった。掃除力で幸せになろう。お金はかからないし、家は綺麗になるし・・・いいことだらけ。何も奥さんにやらせなくても、自分でやればいいことだし・・・。早速、テレビの周りを綺麗にしてみた。

NHK
ひょんなことで、今から27年前の五中の合唱コンクールのビデオを見た。NHKの「おはよう広場」に写っている自分は、髪が長く、スマートで・・・今とは全然違う感じがした。1年2組の子ども達の合唱を聞いて、ちょっと涙が出てしまった。あの時のことを思い出したのだ。テレビの中では語りきれない、色々なドラマがあの時はあった。
27年前も「校内暴力の嵐」は全国で吹き荒れていた。だけど、五中はそれとは無縁だった。そこに今でも通用する何かがあるような気がする。

合唱祭
明日は、市内中学校の合唱祭。六中へ行ってから、五中・・・・そんなスケジュールになりそうである。          たかやん


11月8日 (木)  「たかやん議員日記」2007.第311弾!  11月8日(木)

「たかやん議員日記」2007.第311弾!  11月8日(木)


合唱コンクール
六中に着いた時、教室から歌声が聞えてきた。懐かしい雰囲気だ。僕は職員室に入り、六中時代にお世話になった宗像先生とお話。宗像先生は7年、僕は10年いた職員室だから、全く違和感がなく・・・僕らは昔話に花を咲かせたのだった。

校歌
9時にスタートするはずのコンクールは9時半過ぎにスタート。久しぶりに六中の校歌を歌った。何千回も歌った歌だから、自然に声が出た。何度歌ってもいい歌だと思う。歌は歌わされるのではなくて、自分で歌いたくて歌わないといけない。六中の校歌は綺麗だ。日本一の校歌だと思う。あの校歌が昔のように、体育館に響き渡る日が来るのを楽しみにしていよう。

ドキドキ
僕がいつも一緒にいるクラスは2年1組。だから、どうしても2年1組の番になるとドキドキしてしまう。特に今回はディックンが指揮をするというので、バクバク・ドキドキものだった。練習の時は余り声が出ていなかった1組が、今日の本番ではかなり大きな声を出していたのには驚いた。そしてディックンが指揮しやすいように、女の子達が顔でリズムを取って、一生懸命ディックンに伝えていたのが嬉しかった。みんなの必死さ、そして優しさが伝わってきた瞬間だった。僕はまた2年1組がちょっと好きになった。

合唱祭
六中の3年生の最初のクラスを見てから、今度は五中へ。残念ながら子ども達の歌は終わっていた。でも、8組の子ども達の合唱と選択音楽の子ども達の合唱。そして先生方の合唱にお母さん達の合唱は聞くことができた。どの合唱も素晴らしく、五中の音楽のレベルの高さを感じたのだった。

やっぱり!
懐かしい顔に沢山会った。赤団の太鼓をやっていたK君。バスケット部だったYさん。1年3組で担任をした弘子。2年・3年と持ち上がった宏美。そして最初に担任し、議会でいつも一緒の陽子。「やっぱりそうか!似ていると思ったんだよなあ」とK君。彼は体育祭の応援団で一緒に燃えた仲間だ。体育祭に優勝して、みんなで焼肉食べ放題へ行き、駐車場でみんなで塔を作って、大声を出して・・・・ちょっぴり怒られたっけ・・・学年は違ったけれど、彼らが卒業する時は2年生もみんな泣いたんだった。そんな仲間たちと会えて、今日も僕は幸せだった。

父さんの誕生日
今日は父さんの誕生日。大正11年生まれだから、生きていれば85歳ということになる。すい臓癌で逝ってしまったのは57歳の時。僕はどんどんその年齢に近づいている。

亮と空
父さんは、雪のことをもの凄く可愛がった。「目の中に入れても痛くない」という可愛がり方は、あの可愛がり方を言うのだと思う。父さんは亮と空を知らない。ちょっとした仕草が父さんと似ている孫二人のことをきっと上から守ってくれているとは思うが・・・・

言葉
「パパ、どこへいくの?」「え?何処にも行かないよ。何で?」「だって、ぼうしかぶっていたから・・・」「被ってないよ。どこにも行かないよ。」「かぶっているようにみえたんだよ。だから、どこかへいくのかなあとおもって・・・」「お前、いつの間にか難しいこと言うようになったねえ」4歳の空は、毎日、毎日新しい言葉を覚え、そして使えるようになっている。そんな風に英語やスペイン語や韓国語が上手になったらいいなあ・・・と思ったパパであった。

面白いよ
野寺に住むNさんから「議会報告面白いよ」と言われて嬉しかった。「ちゃんと取ってあるからね」「本当ですか?」そういう風に言われると、調子に乗ってどんどん書きたくなってくる訳で・・・12月号の作成に明日から取り掛かろうと思っている。

駅立ち
11月号の印刷が終わり、いよいよ駅立ちを開始する。まず明日はひばりヶ丘。月・火は舞ちゃんのお迎えだから休んで、水曜から東久留米、志木、新座と立つ予定だ。また、新しい出会いがあるといいな。                      たかやん


11月9日 (金)  「たかやん議員日記」2007.第312弾!  11月9日(金)

「たかやん議員日記」2007.第312弾!  11月9日(金)

続掃除力
早速5時から台所のシンクの掃除をやってみた。前の晩に重曹に浸しておいたのだ。これがまた綺麗になった訳で・・・かなり気持ちがよかった。

5時55分
今日の駅立ちはひばりヶ丘。5時55分からのスタートになった。最近は顔見知りの人が多くなってきて、色々と声をかけてもらった。「寒いから、風引かないでね」「あんたのは面白いのよ」「たかやん!おはよう!」「今日も早いね!」

え?
面白かったのは、六中の卒業生達が重なってきた時のこと。1年目の男の子と10年目の女の子が並んで、僕に笑顔。僕は二人がてっきり一緒に歩いてきたと思い、「何で二人が一緒なの?」と言うと、二人の方がキョトンとしていた。

完売
今日も500部以上のチラシが完売になった。それでも時々、全く持っていってもらえない時間帯がある。それを救ってくれるのは大抵教え子達だ。「おはよう!」「たかやーん!」「行ってきまーす!」と笑顔で階段を上がっていく。その笑顔にどれだけ救われるか・・・。本当にありがたいものだと思う。

8時45分
初めて8時を越えてやってみた。これがまた結構面白い。今まで会えなかった人と会えるからだ。今度からは、9時までやってみようかなあ・・・

お兄さん
ひばりヶ丘から自転車でダッシュで帰ってくると、空が幼稚園の制服を着て僕を待っていた。「パパとじてんしゃでいく」と空。「よーし、いくぞー」と僕。お肉屋さんの前を通ると僕らはいつも元気よく「おはようございまーす」と言うのだが、今朝も元気に挨拶すると「行ってらっしゃーい!」と元気のいい声がお店の中から聞えてきた。空を送った帰りに、チラシを渡すと「え?お兄さんが市会議員なの?」とビックリされた。僕は「おにいさん」という言葉にビックリしたのだった。だって、僕より全然若いお兄さんにそういわれたのだから・・・・。

おばちゃん
10時から12時まで、おばちゃん達のテニスの練習に付き合った。市民大会が近いので、みんな練習を見て欲しいらしい。駅立ちの後だったので、ちょっぴり腰にきた・・・・。

研修会
2時からは研修会。これがまた面白かった。星川さんが見つけてきた講師は、弁護士の
宇都宮健児さん。テーマは「多重債務問題と行政の責務」。2時間の講演はあっという間に感じるくらい、内容のあるものだった。サラ金やヤミ金融の実態も分かり、改めて事の重大さを思い知らされた。そして行政として、どう多重債務者と接していけばいいのかを宇都宮弁護士は教えてくれたのだ。詳しくは12月号やホームページで書くことにしよう。
本当に勉強になった2時間だった。星川さん、ありがとう!


そして塾で早速「多重債務」の授業をやった。習ったことは直ぐに使う。それが基本だ。子ども達は不思議そうな顔で話を聞いていたが、色々と感じてくれたらしい。たかやん


11月10日 (土)  「たかやん議員日記」2007.第313弾!  11月10日(土)

「たかやん議員日記」2007.第313弾!  11月10日(土)

名人戦
昨日、高尾名人と張挑戦者の七番勝負をテレビで観戦した。七番目を勝った張は「やっと終わってほっとしています」と言い、負けた高尾は「力を出し切ったので悔いはありません」と言った。囲碁も将棋もトップの棋士達は実に潔い言葉を話す。どこかの国の政治家に見習わせたいものである。

耳の中
「ねえパパ、みみのなかにはなにがあるの?」と空。「外耳道っていう道があってね、鼓膜っている震える膜があるんだ。その奥に耳小骨や半規管があってね。渦巻き官があって・・・聴神経が、脳に繋がっているんだ。」「パパ、すごいね、よくしってるね」「お、おう・・」(一応理科の先生だったからねえ・・・)


朝から雨で、また掃除に燃えた。掃除をしていると、気になるところがどんどん増えてくる。今まで見えなかったものが見えてくる。(あ、これだな!)と思った。段取り力がついてきて、時間を大切にするようになり、そしてそれが仕事や生き方に結びつく・・・・
「掃除をすると幸せになる」というのは、そういうことなのかも知れない。

12月号
11月号の駅立ちが始まったが、同時進行で12月号の作成に入った。雨だと、そういうことに集中できていい。ホームページの「五中・六中応援団のページ」や「第三写真館」の更新もしてみた。子ども達の活躍の様子や僕達議員や、市の職員の普段の様子が伝わると嬉しい。12月号は今週中に原稿が完成し、来週には印刷の予定。頑張らないと・・・・

陵平味噌
今月の13日は陵平の21回目の誕生日。その日に間に合うように、陵平の家に「陵平味噌」を届けた。お母さんは不在だったので、お兄ちゃんの走太に渡した。走太はとっても嬉しそうに受け取ってくれた。栃木のおじいちゃん、おばあちゃんにも届けないといけない。

10階
陵平の家は10階にある。今日は空と一緒に行ったのだが、空が下を覗こうとする度に、背中がスーっとした。僕は昔から高いところが平気な子だった。でも、陵平の家の前の廊下だけは、(恐い!)と思うのだ。あれからもう7年が過ぎたけれど、陵平の苦しみはあの空間に浮かんでいるようだった。
通告書
12月議会の一般質問の通告書を書きはじめた。市教委には資料要求をしないで、今までの資料から質問をする積りだ(今のところ・・・)。この12月議会で引退する議員も何人かいるらしい。僕らだって、来年2月の選挙の結果次第で、12月議会が最後になるということもある訳で・・・。悔いの無い質問にしたいと思っている。さて、続きをどうするかなあ・・・・たかやん



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2007/11
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