Diary 2007. 4
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4月1日 (日)  「たかやん議員日記」2007.第91弾!  4月1日(日)

「たかやん議員日記」2007.第91弾!  4月1日(日)


今日は神さんの命日。だからという訳ではないだろうが、そこいらじゅうで桜が満開になった。神さんがいくつだったか考えてみた。僕らが会った年が、1977年の4月。それから10年して僕は六中へ・・・しかし神さんはあと数年だからという理由で、特別に五中に残ったのだ。それが2年だとすると、1977年の時に、神さんは48歳だったことになる。今、生きていれば30歳を足して78歳。でも昨年亡くなったから・・・一歳引いて77歳。そう多分、神さんは77歳で生涯を終えたのだ。

体育館
何の練習だったか忘れたが、「たかむらさん、あんたちょっと残りなさい。」と神さんに残されたことがあった。場所は体育館の舞台の上。そこで神さんはピアノを弾いた。滝廉太郎の「花」である。そして僕に命令したのだ。「歌いなさい」僕は一人で歌い始めた。「春のうららの隅田川・・・」すると神さんはこう言ったのだ。「あんたはいい声しているよ。練習すればもっと上手になる。」中三の時、謝恩会で歌って以来、人前で歌ったことなどなかった僕が、それからギターやらピアノやらを弾きながら、子ども達の前で歌えるようになったのは、実は神さんのこの一言だった。

1000人の校歌
五中の体育祭は初年度から紅白対抗だった。学校中が紅白に別れて戦う。応援団は勿論、職員室の先生達まで紅白のハチマキを締めて、授業に向ったりしていた。そしてまるで地響きかと思うような校歌を歌わせたのが神さんだった。「ひかりがあります!ゆたかです!」1000人が絶叫する校歌は後にも先にも聞いたことがない。卒業式のハレルヤも忘れられないが、やはり校庭に響き渡った校歌の印象の方が強い。そして、子ども達にあれだけの声を出させた、神宮司久子という音楽教師の力量にも脱帽するのだ。

1年1組
神さんとは10年間、ずっと同じ学年だった。最初の年こそ学年主任と担任という無茶なことをやった神さんだったが、暫くは学年主任に専念していた。ところが5年目の1年1組の担任は神さんだったのだ。53歳の神さんは子ども達と一体化していた。放課後はいつも子ども達と教室で勉強をしていたのだ。「あたしはあんたみたいに教えられないから、こうして一緒に勉強するんだ。いいだろ?」と神さんは僕に言った。神さんは1組の子ども達をまるで孫のように可愛がった。神宮司チョップは存在していたが、それはばあさんの空手チョップだった。ちっとも痛くはないのだ。それが神さんの最後のクラスだった。
                                 
神さんへ
あの1年1組の子達ももう34歳になるんですよ。この間、ひばりヶ丘で「まちこう」と会いました。元気でしたよ。みんなきっと神さんがこの世にいないことを知らないと思います。でも大丈夫。神さんは、子ども達の胸の中にずっと生きていますから。僕は元気でやっています。神さんの遺伝子を受け継いで、子ども達を愛しながら、毎日生きています。早く会いたい気もしますが、空がまだ小さいのであと50年ほど待っていてください。まだまだやることが沢山あります。ピアノも歌も練習しておきますから・・・・どうか雲の上から見守っていてください。                 たかやん


4月2日 (月)  「たかやん議員日記」2007.第92弾!  4月2日(月)

「たかやん議員日記」2007.第92弾!  4月2日(月)

入学式
小中学校の卒業式は議会中で行けなかったが、入学式には行けそうである。楽しみなのは校歌が一緒に歌えること。小学生が中学生になった時の顔は期待と不安のサンドイッチのような顔をしていて、見ていて抱きしめたくなる・・・。その顔が上級生と先生達の圧倒的な校歌を聞いた時に、少し緩むのである。僕はその瞬間が好きなのだ。

君が代
小学校の高安先生に「君が代というのは天皇の代が千代も八千代も小さな石が大きな岩となって、それに苔が生えるまで永遠に続きますように・・・という歌なんだよ。」そう習ってから、僕は君が代を歌ったことがない。つまり40年以上歌っていないのだ。それを今更歌えと言われても、はいそうですか・・とは歌えない。歌は歌うもので歌わされるものではないから・・・・。もっとも、ワールドカップやオリンピックの時は、歌ってもいいかなあ・・と、思うようになってきたのだが・・・・。
そんなことを言うと、戦争へ行って死んで帰ってこなかった登叔父さんや生き残って帰ってきた父さん達には怒られるかも知れない。父さんは昔、小さかった僕にこう言ったのだ。「朋矢、いいか。兵隊さんはな。誰も“天皇陛下万歳!と言って死んでは行かなかったんだ。みんな”お母さん!“って言って、死んで言ったんだ。それを忘れるな!!」
君が代の君はなんなのか・・歌詞の解釈も色々、人それぞれ。それでいい。君が代の君が天皇だっていい。人民だっていい。人によって違うのだ。だから歌う、歌わないも人によって違っていい。僕はそう思う。
東京都では歌を歌わないだけで、処分された先生が出た。おかしな国になってきた。北朝鮮じゃああるまいし・・・・

返事
卒業式や入学式では子ども達の「はい!」という大きな返事を聞くのが楽しみだ。卒号式では最後の会話。入学式では最初の会話と言ってもいいからだ。子ども達の返事は楽しみなのだが、いつから来賓が生徒のように返事をするようになったのだろう。これは市役所の委員会でも感じたことだが、みんなの前で紹介されると大声で返事をする人がやたらと多いのだ。入学式の呼名なら分かる。卒業式でも分かる。だけど、来賓が一言挨拶する前に「はい!」と返事をすることに僕は違和感がある。結婚式で司会者に紹介されて返事をする人はいないだろう。どこかおかしいな、とはみんな思わないのだろうか・・・。名前を呼ばれたら返事をするのは当たり前?オリンピックで北島康介が名前をアナウンスされて、「はい!」というかね・・・先生に名前を呼ばれたら返事をするのだ。親に名前を呼ばれたら返事をするのだ。違うかな。                        たかやん


4月3日 (火)  「たかやん議員日記」2007.第93弾!  4月3日(水)

「たかやん議員日記」2007.第93弾!  4月3日(水)

模様替え
ピアノを自分の部屋に移動させた。考えに考えて、机や棚を移動させた。ピアノを入れたら、何かを出さなくてはいけないのだが、それが何とか出さないで済むから不思議だ・・・。これで朝でも夜でもピアノを弾くことはできる。下手っぴいなのだから、練習するしかない。音楽が身近にあるのはいいことだ。いつ、頭の中に斬新なメロディーが沸いてくるとも限らない。

鰹節
鰹節に目覚めて一ヶ月。最初の一本がまだ無くならない。要するに安いということだ。カシャカシャカシャカシャ一ヶ月、毎朝削り続けてまだ無くならないのだから・・・・。味噌汁は味噌の味の方に負けるかも知れないが、うどんの汁の味は格段に違うのが分かる。美味くて、安くて体にいい。それが鰹節なのかも知れない。

土地開発公社
14時から市役所で初会議があった。理事長を選出し(須田市長)、副理事長を選出し(加藤議員)・・会議は終わったのだが・・・・。会議が始まる前の須田市長の話が面白かった。市長を長くやっていると、ドラマのようなことが色々あるらしい。それを面白おかしく話すものだから、僕はついつい引き込まれて・・・・須田市長は学校の先生になれる。それも人気のある先生になれる。そう思った。先生に大事なものの中に子ども達を引き込む話術がある。子ども達は昔から、面白い話をする先生が大好きなのである。朝礼でつまらない話をする校長がいるが、先生としては失格なのである。

議会事務局
新しいスタッフの議会事務局にお邪魔した。新しく来られた方達は3人とも知った方達だったので、少しホッとした。特に局長のKさんは、前から(格好いいなあ・・)と思っていた人なので、嬉しかった。学校でも市役所でも上の人が格好いい人だと、下にいる人間はやる気になるものだ。僕も随分格好いい先輩達に出会った。それが学年主任の時もあれば、校長や教頭のこともあった。そういう時代は、働いていて気持ちがよかった。毎日が幸せだった。それは世界中どこでも、みんな同じだと思う。格好いいというのはルックスもある。(その歳になると、全て人相にでるものだから・・・)そして勿論、人間的に素敵だという意味でもある。女性でも自治振興課にいたTさんなどは格好いいなあ・・・と、ちょっと憧れていた。そして今日も受付の女性の笑顔で元気をもらった。市役所には格好いい人が沢山いる。僕は今日もついているのかも知れない。    たかやん


4月4日 (水)  「たかやん議員日記」2007.第94弾!  4月4日(水)

「たかやん議員日記」2007.第94弾!  4月4日(水)

ミクシー
最近少しだけはまっている。最初友達に紹介された時は、何がナンだか分からず・・・・そのままにしておいたのだが、よく見てみると、僕の所に訪問してくれている人達が居た訳で・・・・全然知らない人もいれば、よく知っている人もいる訳で・・・。不思議な世界があるものだ。

晴れ
僕は基本的には晴れ男である。大抵のイベントは晴れてしまうのだ。勿論、晴れ男がいれば、雨女もいる訳で・・・どちらが強いかはその時の天気しだいなのだが・・・・今日の雨で、やっぱり俺は晴れ男なんだと確信したのだった。

爬虫類と鰓
今日、小学生達に教えた漢字が爬虫類と鰓。書けそうで、なかなか書けない漢字の第二弾である。薔薇と憂鬱に続く漢字トレーニングに子ども達は喜び、もっともっとというから「皺」と「雛」も追加してあげた。「しわ」と「ひな」もまた、読めても書けない漢字の仲間と思われる。子ども達の記憶力というのは限りがないらしく・・・・世界一周に挑戦した後に漢字のテストをやらせてみたが・・・満点だった。恐るべし小学生。

お袋
今日は久し振りにお袋とよく話をした一日だった。耳が大分遠くなり、僕の言葉が聞き取れないことが多いのだが、静に二人だけで話をしていると・・・分かるのである。お袋は今月の半ばに一度富山に戻る。かかりつけの医者が向こうにいるのだ。歯医者も目医者も膠原病のお医者様も富山にいるのだからしょうがない・・・・。それまであと1週間。少しでもお袋の笑顔を見たい、そう思っている。

幼稚園
空は今度の日曜日にいよいよ幼稚園に入園する。ママと離れるのを嫌がるのでは・・・と心配していたが、「幼稚園行きたい!」と元気がいい。きっとたくさんの友達がいるし、若い女の先生がたくさんいるから、空は楽しみなんだと思う。一番上の雪の時は、所沢の幼稚園で運動会に出場してダントツでゴールした記憶があるが、空の幼稚園はどうだろう・・・・。
800M競争があるという噂もあるのだが、おっさんにはちょっと辛い距離である。今から密かに練習しておかないと、怪我をしてしまいそうだ。「毎日の法則」を信じて、やれることはやっておこう。そうだ、ビデオやカメラの用意もしなければ・・・
                                 たかやん


4月5日 (木)  「たかやん議員日記」2007.第95弾!  4月5日(木)

「たかやん議員日記」2007.第95弾!  4月5日(木)

いじめの解決法
中野区の小学校で、いじめに対する侵害賠償を提訴したら、2週間足らずで区教育委員会は再発防止を約束した。提訴した親達は子ども達を集団で欠席させるという作戦だったようだ・・・・。
僕はいじめられた子ども達に対して、「記録を取りなさい」と言うことにしている。黙っていじめられているのではなくて、記録を取りなさい。そうすれば、卑怯な奴らには仕返しができるから・・・。勿論、信頼できる先生が傍にいるときは、そういう言い方はしない。しかし、どうみても子ども達の立場、弱いものの立場になって考えられない先生ばかりの時は、こういうことにしているのだ。
弱い立場の者が、集団で自分たちを守るというのは悪いことではない。強いと思った教育委員会が、実はあっさりと降参してしまうのも笑える。今回の場合も担任や校長に問題があったのだろう。何故なら繰り返しいじめを訴えたからだ。解決できるチャンスは沢山あったのだと思う。

いじめの質が昔と違う。いじめが陰湿になってきた・・・そういう声もよくきく。確かに、それでも親か?というような親もたくさんいるから、そう言いたい気持ちも分からないでもない。しかし・・だ。学校で起きることは、教師だけが解決できるのである。その現場にいるのは教師しかいなのだから・・・。学校で起きたことを親のせいにしてはいけない。少なくても、その実情を見て、キャッチできるのは教師だけなのだから・・・・。
いじめは世界中にあるだろう。でも、いつでもどの教室でもあるかと言えば、答えはNOである。同じ生徒を違う教師が担任すると、全く違うクラスになるのだ。たとえあったとしても、解決するスピードがまるで違う。いじめを解決すると、クラスはあっという間に明るくなり、あっという間に子ども達の力は伸びていくものなのだ。安心して暮らせるクラス。それが子ども達が求めているクラスである。

始業式
乙武洋匡さんが杉並区の小学校で始業式を迎えたという記事を読んだ。丁度彼の本を読んだばかりなので、(がんばれー)とエールをおくりたい気持ちで一杯になる。気になるのは、東京都の学校がもう始業式だということ。授業時間の確保に熱心なのだと思う。埼玉県はそういうところが本当に遅れている。関東で相変わらず、授業日に中体連の大会を行っているのは埼玉だけなのに・・・・古い体質のままである。埼玉教育委員会の議事録を見ると、内容のお粗末さに笑えるらしい・・・。そんなことをある議員が言っていたっけ。授業時間を増やせばいいっていう問題じゃあないだろうが、今の授業のやり方じゃあ、教科書を終わらせられないのだったら、考えないといけない。           たかやん


4月6日 (金)  「たかやん議員日記」2007.第96弾!  4月6日(金)

「たかやん議員日記」2007.第96弾!  4月6日(金)

桜とポン太
5時半、6時、6時とこの3日間はまあまあの時間に目が覚めるようになってきた。3月は、7時前くらいに起きることが多かったのだ・・・・。本当は毎日5時半には起きるようになりたいのだが・・・。
今朝は母さんと散歩へ行けた。黒目川の傍の公園は桜が満開・・・?いや、もう散り始めていた。それでも僕らは暫く桜の下で、「きれいだね」と桜の花を眺めていたのだった。帰りにポン太に会った。ポン太は頭のいい可愛い犬で、毎回散歩の時に頭を撫でていたら、僕のことを覚えてしまった。

赤ジャージ
嬉しかったのは、朝メールをチェックしていると、六中の赤ジャージの子からメールがきていたこと。その子達が2年生の時、僕は3年生の担任。彼らが2年生の時の1年間だけしか教えなかったのだが、僕のことは勿論、あの神さんのことまで覚えていてくれたのが嬉しかった。あの時教えた2年生は2クラス。たった1年間で他学年の僕を、まだ覚えていてくれるなんて・・・僕は商売だから、大抵の子達は覚えているのだが・・・・。本当に嬉しいメールで涙がでそうだった。

過呼吸
神さんの授業で思い出したことがある。僕は2年生の2クラスに授業を教えていたのだが、産休の先生で神さんが六中に来ることになったのだ。60歳で退官をした後の神さんに、悪ガキ達が悪戯をしないように、僕は理科の授業でこういう話をした。(当時、僕は2年生にはかなり恐いというイメージがあったと思う)
「頼むから、神さんにだけは逆らわないでくれ。俺は校長も教頭も屁とも思わないが、あの先生だけは恐いんだ」「あの先生が怒った時の恐さは半端じゃないぞ!」「俺の恐さが10だとしたら、神さんの恐さは100以上だからな・・・」「お前達が逆らったら・・・俺がやられるんだから・・・・」
子ども達は俺の話を信じ、恐い先生の一言、一言に集中したらしい。そして校歌の練習の時に。息を大きく吸いすぎて・・・・過呼吸で倒れる生徒が続出したのである。
理科準備室のインターホンが鳴る。「たかやん?また倒れちまったよ。頼むよ!」『はい、今行きます!』僕は音楽室に飛んで行き、そこで倒れている子どもを保健室まで負ぶっていくのだった。その数10人以上。みんな必死になって、怖い先生の言うことを守って歌っていたのだと思う。あの時の六中の校歌は学校中に響いていたから・・・・

6分
僕が中学校1年生の英語の教科書を暗誦するのにかかった時間である。意外と短い感じがした。基礎英語3ヶ月分の方が時間がかかった。6分で終わることを1年かけてやるのだから、英語の授業も大変である。中学校1年生のRちゃんは約2ヶ月で、教科書1冊を完璧に暗誦できるようになってしまった。最初はアルファベットも苦手だったのに・・・・子ども達は大変身をするものなのだ。それを信じて教えることが大事なのだと思う。
たかやん





4月7日 (土)  「たかやん議員日記」2007.第97弾!  4月7日(土)

「たかやん議員日記」2007.第97弾!  4月7日(土)

自転車
今日は自転車の掃除をした。庭に椅子を持ち出して、座りながらゆっくりピカピカにしていった。小さい頃、小さいお兄ちゃんと二人で2年以上お小遣を貯めて、やっと買った中古の自転車。その大切な、大切な自転車を僕らはたった2週間で盗まれてしまったのだ。勿論鍵もかけていたのに・・・・。毎日、毎日磨いていたポパイ号・・・まったく、酷い奴がいるものだ。だから自転車をピカピカにするのは、僕の小さい頃からの夢。今日は久し振りに夢がかなったのだった。

入園式
明日は空の幼稚園の入園式。ちょっとドキドキする。今まで、子ども達の入園式、入学式には行ったことがないのである。もっとも、長男の亮は自分の学校に入学してきたので、中学校の入学式だけは経験があるのだが・・・・。
今から、カメラとビデオを用意して・・・・。空がどんな表情をするのか、楽しみである。

1リットルの涙
録画しておいた「1リットルの涙」を見た。僕は沢尻エリカが好きで・・・薬師丸ひろ子も好きなんだけど、やっぱり沢尻が好きで・・・今日も泣いてしまった。

一週間
お袋と一緒にいるのもあと一週間。今回は麻雀もしてあげられなかったし、散歩も思ったほど行けなかった。だから、せめてこの一週間は一緒にいる時間を増やしたい・・・そう思っているのだが、色々あってなかなか思うようにはいかない。子どものお守りをテレビにさせるという話はよく聞くが、お袋のお守りもテレビにしてもらっているようで、申し訳なく思っている。

六中の二期生
僕にとっての、六中の二期生からメッセージが届いた。最近、そういうメッセージが多いので嬉しい限りである。華ちゃんは卒業していく時に、僕の下駄箱の扉の裏に落書きをしていってくれた。華が卒業してから、“たかやん!愛してる!”という刺激的な落書きを毎日見ながら、僕は6年間六中に通ったのだった。緑ジャージの子達も、もう30歳か・・。みんなどうしているんだろう・・・。会いたいなあ。

落書き
その緑ジャージの前の赤ジャージの子達が卒業する日の出来事。僕のクラス3年2組は学年で一番綺麗なクラスだった。掃除を真面目にやっていたからだ・・・。卒業式の前の晩、僕は子ども達の机の落書きを消しながら、机を整頓して、黒板に最後のメッセージを書くのが毎回の儀式だった。ところが、綺麗過ぎて机の落書きがゼロだったのだ。机の落書きを消しながら、思い出に涙する担任としては、ちょっぴり物足りなかった訳で・・・・・
卒業式の当日、「お前達、つまらないぞ。落書き一つないんじゃあ・・・」そう言ったところ、子ども達は何を勘違いしたのか、僕がいない間にマジックで教室中に落書きをしてしまい・・・・それを見た校長が激怒して、「お前、責任を取って、もう一度このクラスの担任をやれ!」とまあ、そんな訳で・・・僕は2年連続3年2組の担任をやることになったのだ。今から16年ほど前の出来事である。       たかやん



4月8日 (日)  「たかやん議員日記」2007.第98弾!  4月8日(日)

「たかやん議員日記」2007.第98弾!  4月8日(日)

入園式
空の制服姿は可愛かった。ブカブカの制服を着て、嬉しそうな空。ママも母さんも、そして僕もその姿を見て、空の成長を素直に喜んだ。
片山幼稚園に入ると、直ぐにクラス発表が待っていた。空はタンポポ2組。幸子先生と七瀬先生という、とても綺麗な二人の先生が担任だった。七瀬先生は、大学を出たばかりの先生で、ママは自分が幼稚園の先生になった時のことを・・・そして、僕は自分が五中の3年4組の担任になった時のことを思い出していた。明日から、空は幼稚園に通う・・・何だか不思議な気持ちだ。毎日、一緒にいた空が・・・初めて家族と離れて生活するのだから・・・。寂しいような、嬉しいような不思議な感覚である。

写真
大泉のおじいちゃん、おばあちゃんの所へ行って写真を撮った。もう85歳を越えるママのおじいちゃん、そしておばあちゃんは空が来ると大喜びしてくれる。そんなおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に記念写真を撮った。「私もこの玄関で写真を撮った記憶がある」とママ。小さい頃、空のママは大泉のおばあちゃんの家に住んでいたのだ。その頃はみんな若くて・・・・元気で・・・・

投票
初めて石神会館に投票に行った。今までは野火止8丁目の集会所だったから、ちょっと変な感じがした。あと数ヶ月もすると、自分の選挙があるのだなあ・・・そんなことを思いながらの投票だった。

意識不明?
夕方、教え子と飲みながら色々と語った。美味しい焼き鳥とビールを飲みながらの語りは楽しかった。仕上げにうどんを食べて・・・気がつくと、お袋の炬燵で意識を無くしていた。

2リットルの涙
目が覚めるともう11時を過ぎていて・・・それから「1リットルの涙」の後半を見た。昨日も泣いたのだが、今日はもうボロボロ泣いてしまって・・・合計2リットルの涙を流した気分になった。自分が高校時代のことを思い出したり・・・そして母さんの背中を思い出したり・・・みんな寝てしまって、僕一人だけだったので、おいおい泣いてしまった。おかしいなあ・・・もういい歳したおっさんが、テレビを見て泣くなんて・・・・
                               たかやん



4月9日 (月)  「たかやん議員日記」2007.第99弾!  4月9日(月)

「たかやん議員日記」2007.第99弾!  4月9日(月)

幼稚園
空は朝時間がかかる方なので、いつもより少し早起きして朝ご飯を食べた。初めて登園する日はお母さんの手を離さないという子もいるらしいので、ちょっと心配していたのだが・・空は制服を着るのが嬉しくてしょうがないらしく・・・・言われてもいないのに、ちゃっかり着替えていた。そして車で送って行くと・・・ママの方は一度も振り向かないで、スタコラ教室の方へ歩いて行ったらしい・・・。

八石小学校
僕はそのまま、八石小の入学式に・・・。ところが受付は9時55分からということで、一度家に帰ったのだった。そこで幸弘から電話が入った。「たかやん、9時半だよね?誰も来ないんだけど・・・」『偉い!1時間前に行く。流石幸弘だ。4月からそれで行こう!』要するに、幸弘は僕が「9時半だよ」と言ったのを信じて行った訳で・・・今日は入学式に一番乗りをした、たかやんと幸弘ブーちゃんでした。

君が代と校歌
今日も君が代は歌わなかった。理由は好きじゃあないから・・・。その代わり、校歌は大きな声で歌った。空ママの母校なので、朝教えてもらったのだ。

呼名
八石小学校の体育館にいた時間は30分。残念だったのは“呼名”が無かったこと。親だったら、ちょっぴり寂しいと思う。1年生だから長持ちしないのは分かるが、主役は彼らなのだから、“呼名”はして欲しかった。たった61名の入学式なのだから・・・。

五中
自転車で家に帰って、昼ごはんを食べ、今度は五中へ向った。本来なら六中へ行くべきなんだろうが・・・「たかやん!五中に来てよ!」という教え子達の熱意に勝てる訳もなく・・・僕は五中へ行ったのだった。名簿には吉田よしのり県議や亀田市議の名前があったのだが、来たのは平野市議だけ・・・「僕の学区なので、僕が挨拶をしてもいいですか?」と平野市議。『勿論だよ。どうぞ、どうぞ・・・』と平野市議が挨拶することになった。

はい!おめでとうございます!
来賓紹介になり、小学校の校長先生達は、皆同じように返事をし、そして同じことを言っていた。
僕は、こう言った。『20年前に五中を卒業した邑です。卒業生達はみんな君達のことを応援していますから、(僕は10年間楽しんで卒業したけれど)みんなは五中での3年間を安心して楽しんでください!』子ども達は、不思議そうな顔で僕を見ていた。そして保護者席には沢山の笑顔が・・・・。

今回も、五中の校歌を僕は歌った。10年間で何度歌ったことだろう・・・。1年に1000回以上は軽く歌っているだろうから・・・10000回ってところか。忘れたくても忘れられない校歌である。今日は先生達が歌ってなかったのが残念。僕らの時代は、入学式でもみんな一緒に歌っていたから・・・・

それにしても五中の体育館は綺麗だった。僕らが夜中までテニスをした体育館。3年生を送る会でピアノやギターを弾いて歌った体育館。床も壁も綺麗にリフォームされて、天井のライトも新しくなっていた。教室の床も新しいし・・・五中生は幸せである。たかやん


4月10日 (火)  「たかやん議員日記」2007.第100弾!  4月10日(火)

「たかやん議員日記」2007.第100弾!  4月10日(火)

キーボード
空がキーボードを打つ。「空ってどう書くの?」「SORAだよね」『うん』「じゃあ、ババは?」『BABAだよ』「じゃあ、いぶきは?」『IBUKIだよ』「じゃあひとみは?」『HITOMIだよ』「じゃあ、あかねちゃんは?」「AKANEだよ。」ひらがなより先にアルファベットを覚えてしまった空は、キーボードを使って、平仮名を覚えているのだ。沢山の名前を打つ空。しかし、ともやという名前もパパという文字もなかったのだった。

漢字3
今日の漢字は捏造と隠蔽。最近テレビのニュースや新聞でよく出てくる漢字なのだが・・・さあ、書けとなるとちょっと苦しいはず。基本と言えば基本なのか知れませんが、少なくても小中学生達には厳しい訳で・・・それを喜んでやる子ども達。毎日の法則の力を借りて、着々と漢字力をつけているのであります。これで子ども達が覚えた漢字は、薔薇・憂鬱・爬虫類・鰓・皺・雛・捏造・隠蔽。

石原都知事
浅野さんが立候補する前から、従兄のハルちゃんは「石原が勝つよ」「浅野は負ける」とはっきり言っていた。「浅野さんは江戸っ子の心をつかめない」とハルちゃん。選挙は難しい・・・石原対浅野だけだったら、少しは可能性があったのだろうが・・・。あのおっさんはどこまでやるのかねえ。それにしても凄い人気というか・・・あの人を選ぶ人の多さに驚く。僕はもう都民じゃあないからいいけどさ。

あっちのクラスへ行って!
空とママが部屋で遊んでいた。ちょっと覗きに行くと、「パパはあっちのクラスへ行って!」「このクラスは空とママのクラスなの!」というから大笑いしてしまった。幼稚園で覚えてきた言葉がクラスとは・・・・

目医者
母さんの眼の状態がよくないので、西大泉の眼科へ行った。視力検査をすると、どうやら母さんは殆ど見えないらしく・・・「見えませんねえ」といい続けていた。目が見えないからテレビも見ないし、本も読まない。頼りになるのはラジオだけ・・・もう少し時間を作って、母さんと話をしよう。

おから
お豆腐やさんで、おからを買った。「あたし苦手なのよね」と言いながら、ママがおからを煮てくれた。それがまた美味しいのだ。どうやら乾燥椎茸をもどして、だしをとったらしく・・・黒豆も美味しく煮あがったし、ひじきの煮物も美味しかった。煮物が好きになるということは、おっさんになったということかいなあ・・・。と、思ったこともあったが、最近分かったのだ。53年間、色々食べてみて・・・本当の美味さが分かってきたのだと。
人工調味料や砂糖の甘さにごまかされなくなってきたということだ。    たかやん




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