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4月3日 (火) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第95弾! 2012.4.3(火) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第95弾! 2012.4.3(火) たかやん
4時27分 今朝の起床は4時27分。ひばりヶ丘より15分遅いだけなのに、起きるのは27分も遅くていいのだから不思議だ。それで十分に間に合うのである。
5時45分 東久留米に到着。この時間で、既に世の中は明るい。真冬の駅立ちとは比べ物にならないくらい明るいのだ。
手袋 それでも手袋をして79弾を配布した。昨日のひばりヶ丘は素手でやったのだが、思ったより寒くて、えらい目にあったのである。
4月になって・・ いつも会える人に会えなくなった。勿論、会える人の方が多いのだが、今まで一度も会えないことがなかった人と会えなくなった。風邪、出張、それとも転勤・・・心配である。
表情 いい表情の人もたくさんいるのだが・・・全体的にはどうだろう・・・少し暗くなってきた・・そんな気がしてならない。政治も景気も悪いのだ。・・おまけに原発事故・・それも当たり前か・・。
笑顔 「おはようございます!」「いつもありがとう!」「おめでとう」「がんばってね」「おは!」「たかやん!」「先生!」今朝も「一生懸命」を取ってくれた400人の内、半数以上の人が声をかけてくれた。中でも、小さな子を二人連れたおばさんには驚いた。あずき(六中の赤ジャージ)のお母さんだったのだ。「え?この子達・・・」「そうあずきの子です」「あらまあ、お父さんとおじさんね、中学校の同級生だったんだよ」と子ども達の頭を撫でる。「パパの先生よ!」とあずきのお母さん。不思議な顔をする子どもたち。これから新潟まで帰るのだそうだ。なんだか、孫に会ったような気持ちになった、たかやんであった。
PTA そろそろ、動かなくてはいけない。5月には総会があり、その後に運動会があるのだ。マンションの理事会もやらなくては・・・でも、選挙や3月議会に比べたら・・・なんてことはない。頑張ろう!
4月号 駅立ちの最中だが、4月号の作成に入った。書きたいことは山ほどある。5月号まで書いてもいいくらいである。
4月 春休みである。新学期を前に子どもたちはドキドキしている。特に中学生になる子達は・・部活や勉強や友達や先生に不安を感じていると思う。通り過ぎれば何のことはないのだが・・・。楽しいことがたくさんあるのだが・・・そんな新中学生達を応援したい気持ちで一杯のたかやんである。
日本選手権 8時からは家族みんなでテレビに集中した。水泳などに余り興味はなかったのだが・・・空の泳ぐのを見てきて、彼らがどれ程の練習をしてきたのか・・・それを想像するだけで、胸が苦しくなるのである。あの逆三角形の体は、何年間もの猛練習の結果、作られたものなのだ。それは、北島康介だけはなく、8位に沈んだ若者も同じである。あの試合にでられなかった若者達も、吐くほど練習をしてきたのだ。そんなことを考えながら、僕は北島の泳ぎを見ていた。
今日の写真1 今朝の東久留米です。5時45分過ぎでこの明るさ・・・本当に季節の変化を感じます。そう言えば、我が家の庭にも日が差し込むようになりました。冬の間は、前に建った家の陰になって、庭に殆ど日が差し込まなかったのです。いよいよ春ですね。
今日の写真2 新しいラケットケースを買いました。バボラの青いケースでラケットが6本入ります。(3本しか持ってないのに・・・)来週の大会で大活躍してくれるといいなあ・・・。元気にテニスが出来る・・本当に幸せなことです。誰もが趣味で楽しめるようになったら・・もっと世の中に笑顔が増えるんだろうなあ・・労働者派遣法をなんとかせないかんなあ。
*明日は保谷で駅立ちの予定でしたが、訳あって、来週に変更します。保谷のみなさん、すみません。明後日の新座は予定通りです。最近、パソコンの調子が悪く、その日の内にアップできないことがあります。勘弁してね! たかやん
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4月4日 (水) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第96弾! 2012.4.4(水) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第96弾! 2012.4.4(水) たかやん
鍛治さん 憧れの先輩のダブルスを組んだ。鍛治真起・・・石神井高校の2年先輩。国体選手である。そのテニスのセンスは僕らには真似ができるものではなく・・特にスマッシュはどこからでも打てる、凄い選手だったのだ。その鍛治さんと、僕がダブルスを組んだ。当然、鍛治さんがバックサイドで、僕がフォアサイド。そして、試合が始まった。不思議だったのは、鍛治さんが高校生だったことで、当然・・・僕も高校生で・・・夢心地でテニスをしていたのだが、4時に目が覚めたら・・・本当の夢だった。鍛治真起・・・あの数独を日本から世界に発信したニコリの社長である。
4時 今朝は保谷へ行くはずだった。その準備もしていたのだが・・・訳あって、行けなくなった。折角4時に起きたのに・・・とほほ。明日は新座にいけると思います。はい。
お風呂の中で・・・ 「お父さん、アニョハセヨって書けるよ!」と空。「ハングルで書けるの?凄いねお前。」「ほらね」と空。「じゃあ、ハローは書けるかな?」「書けるよ」hello.と書く空。「お父さん、空ね、韓国語も中国語も勉強したい・・・」「それに英語と日本語が完璧なら、それだけで仕事ができるよ」「仕事は嫌だ。ほかにやりたいことがあるから・・・」「そうすか・・・」天を駆ける馬の将来が楽しみである。
テレビ 昨日の夕方に続き、今朝もテレビ朝日で「市民と語る会」が放映されたらしい。勿論、取材されたのは明日香で、僕らではないのだが・・・週間朝日に掲載されていたよー!というツイートもあった。プレイボーイにフライデイに週間女性。日本全国、色んなところから「見たよー!」というメールが来ている。「語る会」も全国ネットになってきたねえ(笑)
歯医者 母さんの歯がやっと復活した。入れ歯が駄目になって、しばらく何も噛めない状態が続いていたのだ。今日、やっと入れ歯が完成し・・・夕飯から何でも食べられるようになった母さん。よかったねえ、母さん。明日からの食事が楽しみだねえ。
今日の写真1 空はこの春休み、テニスにも挑戦しました。全然練習をしていないのに、久しぶりにやると、前よりも上手になっているから不思議です。子どもには不思議な力があるようです。
今日の写真2 僕のテニスの先生です。僕にテニスを教えられる人は余り(殆どかも・・)いません。安孝の教え方はシンプルで分かりやすくで・・・やる気にさせる教え方です。僕の強引な教え方とは違います。安孝に習うと、勝てる気がするから不思議です。
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4月7日 (土) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第99弾! 2012.4.7(土) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第99弾! 2012.4.7(土) たかやん
加織ちゃん 久しぶりに加織ちゃんに会った。お姉ちゃんの千織ちゃんにも、お兄ちゃんの元紀君にもあった。後藤家のみんなと会えて、僕は幸せだった。僕の初恋の相手の加織ちゃんは、今でも綺麗で・・・あの頃のままで・・え?そんな訳は・・・・ああ、やっぱり夢だった。目を覚ますと、携帯の時計は4時27分だった。
朝練 空を朝練に連れて行き、家に帰ってからカレーを食べた。そして、ラケットを持って、テニスクラブへ・・・。ひとみと二人で1時間程練習してから、空を迎えに行った。短パンでいる僕に「若いですねえ!」とFコーチ。「テニスやってきたから、暑くて・・・」と、僕。寒い中で練習をしていて、最後には半袖・短パンになる・・・五中や六中での朝練を思い出した空父であった。
春祭り 智から電話があった。「早く来ないと、旨いカツ丼が売り切れちゃいますよ!」「おう、今から行くところだよ」Y課長と開会のセレモニーに行く約束をしていたのだ。そして、その場所に行ってみると・・・
サンバ 音楽に合わせて踊る3人の女性・・・どう見ても裸にしか見えないような衣装で踊る3人に、おじさんはたまげたのであった。
司会 そのステージで司会をやっていたのが、五中4期生のババツで・・・いたる所に知り合いが居て、それだけで楽しかった。
嵒 「あの、私甲神先生に1年の時から3年間担任して頂いて・・・大学卒業したばかりの甲神先生で・・・」「えーっ!そうなんですか?僕にとって、甲神嵒は兄貴そのものなんです。神宮司先生はお母さんで・・・」「木下先生や望月先生にも・・・」「えーっ!キノッピーにモッチャン!!みんな大好きな先輩ですよ。」嵒のお陰で、Kさんにも会えたのだった。
空 菜の花畑を見て、「ちょっと写真に撮ってくる!」と駆け出したのは空。二人で記念写真も撮って・・・「明日また来る!」と、春祭りが気に入ったようだった。
ブラックボード 1980年、全国に校内暴力が吹き荒れた頃・・・僕は五中の教師だった。あのテレビの学校と違うところは・・・当時の五中にはその嵐は吹いていなかったことだ。当時の五中には校内暴力の嵐は吹きようがなかったのだ。あの頃の五中には「何があっても子どもを見捨てない!」という精神が教師たちに行き渡っていたような気がする。学校にバイクで侵入してきた奴らもいたけれど、頭のいい教師たちの方が上を行っていて・・・警察の出る幕などなかったのだ。警察に捕まった子を引き取りに行ったことは何度もあるけど、子どもを警察に連れて行ったり、引き渡したりすることは決してなかった。何があってもだ。ヤクザから子どもたちを奪い返した時だって、警察の助けは借りなかった。それが良いことのか、悪いことなのかは分からないが・・・子どもたちといつでも向き合っていたことだけは胸を張れる。金八なんかに負けられない、本物の教師の意地があったのだ。
ゲンコツ そりゃあ、ゲンコツもけつ竹刀も、100発ビンタもハリもあったけれど・・・親を学校に呼び出したりするような情けないことはしなかった。学校であったことは学校で落とし前をつけたし、ゲンコツひとつで全て帳消しにしていたのだ。教師も親も肝が据わっていたと言うのかな・・・・そんな目に見えない信頼感のようなものがあったことも確かだ。小さなことで目くじらを立てるよう先生もいたけど、子ども達から相手にされていなかった。「服装の乱れが心の乱れなんです!」なんて、まじめな顔をして言う先生もいたけれど、そんな訳はないということは、大学を卒業したばかりの僕にでも分かった訳で・・・僕は子どもたちと一緒に意味の分からない“学校のきまり”に抵抗していた気がする。
今日の写真1 サンバを踊るお姉さん?達です。お姉さん達のサービス精神はもの凄く・・・口を開けっ放しのお父さんもあちこちにいました。
今日の写真2 左から、みんなの党の城口さん、智議員(大山)、和久議員(塩田)です。明日は僕自身が“黒目川流域川づくり懇談会”として参加します。朝、魚を採って、水槽で展示します。
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