Diary 2005. 5
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5月1日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第121弾! 

「たかやん議員日記」2005.第121弾!  5月1日(日)


今朝は5時に起きた。新聞がまだ来ていなかったので、本を読みながら新聞を待った。そして新聞を読んでからサッカーへ。もう夏の香りがする公園は本当に気持ちがよかった。例によって、みんなでゴミを拾いながらメンバーが揃うのを待つ。今日は初参加の小学生が二人来てくれて嬉しかった。小学生、中学生、高校生、大学生、社会人が一緒にボールを追いかける。これが実に楽しい。テニスとは違う体と体がぶつかり合う楽しさがあるのだ。そして休憩の時に飲むお茶の美味しいこと・・・。今日も幸せな朝だった。

徴兵
午後はお年寄り家庭を訪問した。といっても一緒にテレビを見ただけだったが・・・・。買い物の荷物を持ったり、壁にネジを取り付けたり、少しだけ役に立ててよかった。戦争の話になり、おじいさんの若いときの写真を見せてもらった。青春の大切な時期が、戦争によって奪われてしまったのだった。あの時代の教育を受けていたら、僕もきっと志願しただろう。今でも息子たちの代わりになら志願してもいいと思う。(体力でも若い世代には負けない自信がある・・・・。)息子達に人を殺して欲しくはないし、殺されるのもごめんだ。彼らが父親になっても、おじいさんになっても彼らの子ども達や孫達が戦争にいくような世の中にならないようにするのが、今の僕達の大切な仕事の一つだと思う。


5月2日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第122弾! 

「たかやん議員日記」2005.第122弾!  5月2日(月)

ゴールデンウィーク
五中時代は子ども達のテニスの大会で「ゴールデンウィーク」でもなんでもなかった。六中時代は練習に明け暮れた。要するに家族の為のゴールデンウィークは存在しなかったのだ。家族といるより、学校の子ども達と一緒にいる時間のほうが圧倒的に多かったのだ。今思うと、上の娘と息子には悪いことをしたなと思っている。僕自身、父親とはほとんど遊びにいった記憶はない。僕が子どもの頃はゴールデンウィークもなかったし、家族でキャンプや旅行などをする人たちは殆どいなかったと思う。そういう時代だったのだろう。家に車のある家は稀だったし、飛行機に乗るなんてことは月へ行くようなものだった。あの頃の僕らは貧しかった。僕らは5円玉を握り締めて新大久保から山手線に乗り、新宿、代々木、原宿・・・渋谷・・・・東京・・・上野・・・池袋・・そして高田馬場で下車をして百人町の公務員住宅まで帰って来るような遊びをしていた。電車に乗ること自体が立派な遊びだったのだ。
一度新大久保の駅前で200円の銀色のピストルを買ったことがあった。兄貴と二人でお金を出しあって買ったのだが・・・父さんは激怒して「返して来い!だらめが!」。僕は泣き泣きピストルをおもちゃ屋さんに返しに行った。代わりに買ったのが30円のピストルだった。父さんと遊ぶなんてことは考えたこともなかった。小学校1年生の時に麻雀を教えてくれて、それからはお正月になると麻雀はしてくれたが、それ以外で子どもの頃父さんを遊んだ記憶はない。父親に遊んでもらえなかった子どもは、自分の子どもともどうやって遊んだらいいのか分からないのかもしれない・・・・。少なくてもあの頃の僕はそうだったのだろう。
上の娘や息子にして上げられなかった分、今のチビにしてあげようと思っている。明日は西武園遊園地で遊ぶ予定である。



5月3日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第123弾! 

「たかやん議員日記」2005.第123弾!  5月3日(火)

憲法記念日
僕は今の日本国憲法が好きだ。前文も暗誦するようになって、ますます好きになった。明治以来、戦争ばかりしてきた国が60年も戦争をしなかったのだから、この憲法の力は凄いと思う。「平和ボケ」と言う人もいるが、平和ボケで結構。ずっと平和でボケていたいと思う。
病気になってはじめて健康の大切さを知るというが、戦争を平和の関係も同じだと思う。戦争を忘れた人たちが、平和の有難味を忘れた人たちがまた戦争を起こすことを考えていくのだと思う。
戦争はオリンピックやワールドカップでやればいい。スポーツの戦争なら大歓迎だ。それなら勝っても負けても命がなくなることはない。(サッカーでは時々あるが・・・・)スポーツで武器がなくてもあれだけエキサイトするのだ。今の若者達に武器を持たせたら・・・・そしてそれを使うことを許したら・・・地球の人口はどんどん減ってしまうだろう。そして憎しみが地球を覆っていくのだろう。
二中時代に修学旅行で広島へ行った。語り部の話を聞いて、子ども達と一緒に泣いた。あの平和教育は本物だった。子ども達は戦争を知ったのだ。多感な時期に広島へ行くことに意味があるのだ。あの修学旅行が何故急に中止になり、奈良・京都に変更にならなければならなかったのか・・・いまだに訳が分からない。一般質問で聞いてみるか・・・・。

西武園
親子連れで溢れていた。僕ら三人は電気自動車に乗り、機関車に乗り、写真を取った。途中で五中時代の卒業生と会った。「まこと!」「あ・・・せんせい。おひさしぶりです!」まことはもう33歳になっていた。可愛いおくさんと子どもが二人。いいお父さんになっていた。今日も幸せな一日だった。使ったお金は400円。そして教え子と会えたのだから言うことはない。


5月4日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第124弾! 

「たかやん議員日記」2005.第124弾!  5月4日(水)

五四運動
世界史で五四運動のことは知ってはいたが、五月四日にそれを意識したのは初めてである。中国での反日デモはそれ程の規模ではなかったらしい。

英語のジョークに
A little boy came into the living room and surprised his
mother by saying, "God lives in China, not heaven."
"Why do you think so?" his mother asked.
"Because," the boy answered proudly, "God made everything,
right? Well, on the bottom of all my toys it says, 'Made
in China.' So God lives in China

こういうのがあるが、今何を見ても中国製が目立つ世の中になってきた。日本経済もそれだけ中国に影響を受けているのだ。市場としての中国も大事だ。日本製品ボイコットが続けば結局一般市民にも影響がでてくるだろう。

国恥記念日
5月9日が中国の国恥記念日とされているということを初めて知った。大隈内閣の「対華二十一か条の要求」を受け入れた日を国恥記念日としたということだった。この対華二十一か条の要求というものも“世界史”では知っていたが、その内容をよく理解していたとは思えない。日清・日露と戦争に勝った勢いで、あの大隈重信も随分なことを要求したものである。日本と中国と韓国・・・歴史ははやり近代史から勉強する必要があると思った五月四日であった。


5月5日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第125弾! 

「たかやん議員日記」2005.第125弾!  5月5日(木)

こどもの日
久しぶりにゆっくり起きた。7時過ぎまで寝ていたから色んな夢を見た・・・・。昔僕の家に2年間居候していたNの夢。そして彼の大好きだったN子の夢だった。

子どもの日ということで午前中は空と遊んでいた。午後から西友のウルトラマンショー?を見に行って、それから新豊テニスクラブでテニスをやった。このテニスクラブには本当にユニークな人が多いので、毎回楽しくてしょうがない。学校でやっているのとはまた別の楽しさがあるのだ。何しろ人のことを見ていなくていいので神経を使わない。自分のテニスだけを考えていればいいのだがから、こんなに楽なことはないのだ。今日は六中の教え子の大学1年生のTと試合をやった。最初はスピードについていけなくて1−6だったが、2試合目は6−4で勝ち。僕のパートナーだったSさんはサウスポーで滅茶苦茶うまい。僕さえしっかりすればまだまだ学生達とも戦えると思った。

夕方は公園でサッカーボールを蹴った。「毎日の法則」である。毎日サッカーボールと仲良くしていれば、サッカーが上手になるのではないかと思ったのだ。僕は空と一緒に公園を走り回った。泥んこになったので二人でお風呂。何故か昔、雪や亮とお風呂に入ったことを思い出した。もう二人とも大きくなってしまったが、あの頃はちっちゃくて可愛かった。

ヤンキー先生
NHKに義家先生が登場していた。不登校の子ども達と向き合っているドキュメンタリーだった。テレビでは今まで色んな先生達が登場してきた。青春とはなんだ!に始まって、北野広大。金八先生。ヤンクミ。そしてヤンキー先生。僕はみんな好きだけど、この若いヤンキー先生と「夜回り先生」には勝てる気がしない。僕も若い頃は熱かったし、今でも子どもへの情熱はかなりのものだと思うけど、夜回り先生のように・・・他人の子どものために自分の指を切り落とせるとは思わない。そんなものは一面的なもので、奥はもっともっと深いと思うが・・・・・。
昔クラスのこともたちと金八を見ていたとき、僕はこの人には負けないと思っていた。金八は毎週金曜日の1時間だけの先生。だけど僕は毎週7日間。24時間体制の教師だったから・・・・真夜中にでも子ども達は駆け込んできたし、真夜中の電話も多かった。学校で朝から晩まで子ども達と付き合って、家に帰れば居候の子ども達。そして真夜中に相談する子ども達と付き合っていたのだ。だから金八には悪いけど負けない。そう思っていたのだ。だけど世の中にはもっともっと凄い先生達がいるのだ。今日のNHKを見てそう思った。子ども達の心を安心させる先生たち。熱くする先生達がたくさんいるのだ。新座にそういう先生達が増えたら嬉しい。子ども達を安心させて、そして熱くする先生が今必要なのだと思う。



5月6日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第126弾!

「たかやん議員日記」2005.第126弾!  5月6日(金)

食育基本法案
昨年国会に提出された「食育基本法案」のことを調べていたら、石神小学校の栄養士の先生の話が載っていたので紹介します。僕は「食育」は大切なことだと思っていますが、それを法律で縛るということになることには反対です。法律にしなくても、こんなに素晴らしい栄養士の方たちもいるのですから・・・・。「早寝早起き朝ごはん」という呼びかけで子ども達が元気になって、成績も伸びていった学校もあるようです。僕もとても気に入っている言葉です。でもそれが「法律」になったら・・・・嫌な感じがします。

学校給食は「地域の食卓」
 地域による食育の手始めは、学校給食を変えることにある。栄養学と輸入品を含む大量生産・大量流通にもとづく全国一律の学校給食を、地域の食材を生かす給食に変えていく。「自給の社会化」によって、給食を「地域の食卓」にするのである。
 それにはまず、農家・農村と学校栄養士が手を結ぶことである。栄養士は給食の献立を決定し、食材を決める権限をもっている。「地産地消」をめざして、積極的に地域の食材を取り入れようとしている栄養士も少なくない。たとえば、埼玉県新座市立石神小学校の栄養士・楠瀬里美さんは地域食材を生かした食育を進めるにはまず栄養士自身が食材のことを知らないといけないと考え、地元の農家に何度も足を運んだ。そこで、たとえば、「ヤングコーン」はトウモロコシの一番穂を大きくするために摘果した二番穂、三番穂であること、手間がかかるので出荷していないが、歯ごたえがあっておいしいことを知る。楠瀬さんはこの農家に頼みこんで皮をむかないままのヤングコーンを出荷してもらい、子どもたちに皮むきを体験させ、サラダにして食べた。子どもたちはトウモロコシがどのようにして生産され収穫されるのか、食べられる部分がいかに少ないか(皮が12キロに対して、実はわずか2キロしかとれなかった)を知ることができた。出荷の省力と体験学習の一石二鳥である。ここでは、地域の食材が給食に取り入れられただけでなく、子どもたちがトウモロコシという作物や農作業の意味を、体験を通して理解する食育が実現している(注4)。
 折りしも、学校教育法の一部改正案が国会で成立し、平成17年度から各学校に栄養教諭を配置できることになった。栄養教諭は従来の栄養士としての学校給食の管理の仕事に加えて、学校の授業やさまざまな教育活動での食の指導や子どもたちの個別指導にもたずさわることになる(注5)。農家の働きかけで、楠瀬さんのような栄養士におおいに活躍してもらい、学校給食を「地域の食卓」にしようではないか。



5月7日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第127弾! 

「たかやん議員日記」2005.第127弾!  5月7日(土)

柔軟性
ひばりが丘のA接骨院に通い始めて数ヶ月が過ぎた。毎回「筋肉が硬いです。」「いい筋肉をしているけど、これでは怪我をしますよ。」といわれる。確かにその通りで40を過ぎてから怪我が増えた。最近は筋肉疲労がなかなか抜けない。10台、20台と同じことをしているせいもあるとは思うが、体の手入れをちゃんとしていれば、怪我の率はかなり下がると思うし、疲労の回復も早くなる。勿論筋トレも大事だが、柔軟やストレッチはもっと大切だと思うようになってきた。そして食事。いい体はいい栄養で作られる。何歳になっても同じだと思う。

同じように頭の柔軟性も保つ必要がある。色々な人の意見を聞いて、たくさんの本を読んで、自分の頭を常にリフレッシュすることが大事だと思う。色々な角度から物事を見られるようになるにはやはり頭や心の柔軟性が必要だと思う。自分の考えをしっかり持ちながら、いろんな人の立場に立って物事を見られるようになるかどうか・・・頭も心もまだまだ進化の途中でありたいと思う今日この頃である。

蝙蝠
夕方、久しぶりに蝙蝠の飛ぶのを見た。「あ、蝙蝠だ!」というと、奥さんは「えっ!蝙蝠なんてみたことない。」という。僕は小さい頃、新宿の団地に住んでいたのだが、夕方になると蝙蝠の大群が団地の空を飛んでいた。余りにも日常的だったので、特別に意識をしたことはなかったのだが・・・今日の久しぶりの蝙蝠の姿はちょっと刺激的だった。蝙蝠を見るとあの頃の新宿のアパートを思い出す。僕の住んでいたアパートは公務員住宅RCの11。家の前には大きな公孫樹の木が二本。よくそこで野球をして遊んだ。ガラスもよく割った。割ったらみんなで謝って、弁償。そんなルールがあった。蝙蝠で記憶が一気に40年以上前に戻るのだから面白い。


5月8日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第128弾! 

「たかやん議員日記」2005.第128弾!  5月8日(日)

JR西の体質
上司に意見をいうことは許されない・・・・。おかしいと思っても、自分の意見を言う雰囲気ではない。飲み会に参加しないこといじめられる・・・。そして悪いことは隠蔽しようとする体質。どこかの学校と同じである。職員会議で意見をいうと目を付けられる。管理職の提案に反対しようものなら、徹底的にいじめられる。そういう職場で働く先生達は気の毒だ。いい授業をしても正当に評価されなければ、先生達のやる気は失われていく。子ども達や授業に対してではなく、管理職や教育委員会に神経を使う教師達がどんどん管理職になっていく・・・そういう管理職の下で働かなければいけない先生達。もっと気の毒なのは子ども達。不満を感じ、びくびくしながら働く先生たちにいい授業ができる訳がない。どこにも居場所のない先生が増えていく。職員室のいじめは子ども達のいじめに繋がっていく。学校全体に「いじめ」が当たり前のように存在することになる・・・。みんながそれに無神経になっていく・・・。学校全体の表情が暗くなっていく。みんなが知っていることなのに、なかなか表面にはでてこない。そういう学校を僕はいくつか知っているが、正反対の学校もまたたくさん知っている。JR西の体質から学ぶことはたくさんある。

コート整備
ひさしぶりにコート整備をした。といってもブラシをかけただけだったが・・・・。夕日が沈んでいくのを見ながらかけるブラシは少し重たく感じた。子ども達とコート整備をした日々を思い出した。そして高校や大学時代の夕暮れのコートを思い出しながら僕はブラシを引いていた。


5月9日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第129弾! 

「たかやん議員日記」2005.第129弾!  5月9日(月)

JR西の体質2
昨日の日記にJR西のことを書いたが、自分の学校のことを書かれたと思った先生たちもいたと思う。JR西にとって一番大切なのは乗客の命だが、学校にとって一番大切なのは子ども達の命である。JR西にとって次に大切なのは「お客様の満足度」だが、学校にとって大事なのは「生徒というお客様の満足度」である。学校の先生は生徒たちが分からない授業をしても給料がもらえる職業なのだということを認識しているだろうか。努力をしなくても毎回教室は「お客様で満員」なのは先生達の実力でもなんでもないのだ。自分のことは自分でしなさい。といいながら職員室の掃除や職員トイレの掃除を生徒にやらせている学校も多いだろう。今、生徒の満足度を考えている学校がどれだけあるだろう。子ども達が「楽しくて、楽しくてしょうがない」と思うような学校がどれだけあるだろう。JR西の常識は社会の非常識といわれているが、学校だって同じように言われているのだ。JR西から学ぶことは多いのである。
これを読んで、「その通り!」と言える学校はいい学校。「なんだ、この文章は!」と怒る学校はJR西体質である。

ヘルメット2
前回ヘルメットのことを書きましたら、かなりの反響がありましたので、その文章の内容を少し詳しく書いてみたいと思います。文章は平成17年4月22日付けで発行されています。

ヘルメットを着用していない場合の措置
1.ヘルメットを着用していない時      5日間の自転車登校許可停止
2.2度目の違反の時            1ヶ月の自転車登校許可停止
3.3度目の違反の時            学期中の自転車登校許可停止
4.4度目以上、違反が絶えない時      以後、自転車登校を許可しない
基本的に、S地区の生徒は「自転車登校の義務」はないわけです。徒歩登校してもかまわないのですが、希望すればいくつかの規則を守ることを条件に自転車登校を許可しているわけです。今年1年間、ペナルティーを科してまでヘルメットの着用を指導しますが、現状が改善されない場合は、自転車登校そのものを廃止することも考えざるを得ません。


*この自転車通学を学校が許可してやっているんだという態度が嫌なのです。あの踏切の向こうから歩いて通ったことがない教師たちの台詞です。子ども達は雨の日も風邪の日もあの距離から登校します。部活で遅くなってから歩いて踏み切りの向こうまで帰れば8時を過ぎることもあるでしょう。朝は7時過ぎには家をでなければ遅刻をしてしまうでしょう。自転車登校の義務はない。当たり前です。権利ですよ。学校の方にこそそういうことを言う権利があるのですかね。これこそ子ども達の満足度を無視した態度です。科学的根拠もなくヘルメットを被らせる。まるで田舎の学校です。先生たちも高校生達もかぶっていないのに、何故この中学校の生徒だけが被らなくてはいけないのか・・・。それも登下校の時だけのことなのか・・・。指定のヘルメットでなくてはいけないのか・・・疑問はたくさんあります。詳しくは6月議会で取り上げることにしましょう。JR西にならないことを祈ります。


5月10日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第130弾! 

「たかやん議員日記」2005.第130弾!  5月10日(火)

大会
久しぶりにテニスの大会に顔を出した。朝霞の青葉台公園で大会は行われていた。昔、関東や全国大会を運営していた時、先輩のN先生はこう言われた。「私たちはこの大会をやらせてもらっているんです。決してやってあげているのではありません。」「だから、選手に対して本部が横柄な態度で接してはいけません。常に、礼儀正しく接して、気持ちよくプレーしてもらいましょう。」「その為にも、選手のプレー、外からのコーチングには注意が必要です。本部に座っている人は最小限でいいのです。」
僕達は有明では最大23面のコートマネージをした。二人だけでこのコート数を担当するのは大変だった。トランシーバーでコートレフリーの先生と相談をしながら、朝から晩まで本部の机につきっきりだったこともあった。関東大会や、全国大会にはプレスの人たちも来る。プロのコーチも来る。大会運営にはいつも緊張感があった。テニスのルールとマナーをよく知っていないとできない仕事だった。
それでも大会本部にはいつも笑顔があった。笑顔があったからコートレフリーに入った先生たちは炎天下のハードコートで選手のプレーを見続けることができたのだ。

レフリーをやっているときは自分の学校の生徒たちを見ることもできない。逆に団体戦の時は大会の委員長であっても、本部の運営には携わらない。そんな十数年だったと思う。
中体連の大会はウィークデーに行われる。授業をしないで大会に参加するということだ。どんな大会運営をするのか、生徒達とどういう会話をするのか、そしてどういう表情で人と接しているのか・・・・見る人は見ているのだということを先生達は気付いたほうがいい。普段笑顔のない先生は笑顔がないし、普段から笑顔の多い先生はやはり笑顔のことが多いものだ。学校では通用する顔が学校を出ると通用しないことは多い。先生達は普段から顔の表情筋を鍛えておく必要があるのだ。笑顔が自然な人は毎日「笑う」表情筋を鍛えている人である。いつも「不機嫌」な顔をしている人はそういう表情筋を毎日鍛えてしまっているから、笑うと不自然になるのである。人相が悪くなる人はそうやって悪くなっていくのである。毎日のことだから早く気がつかないと致命的なことになる。先生達の人相がちょっと心配になった一日だった。


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