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5月1日 (月) 「たかやん議員日記」2006.第121弾!
「たかやん議員日記」2006.第121弾! 5月1日(月)
メーデー 小さい頃はメーデーって何だろうと思っていた。メーデーというよりはメイデイなのだと気付くのに大分時間がかかった。昔は一大事件だったのに、最近はテレビでも新聞でも余り大きく取り上げられない。そういう僕もメーデーに参加したことはないのだが・・・・。
水俣 小池環境相の読み上げる言葉に僕は政府の誠意を感じなかった。認定から50年。それ以上前から水俣病で苦しんでいる人たちがいたということだ。胎児性水俣病の人は僕と同年齢か少し若い人が多い。この人生の全てが有機水銀中毒の人生だったら・・・・そう思ったら、あのような言葉とは違ったものになったはずだ。 五中の3年1組で「水俣病」を取り上げたことがある。僕らの目の前に「水俣病」の人が匍匐(ほふく)前進しながら登場したショックは今でも覚えている。そして車椅子で登場した「胎児性水俣病」の人が僕と殆ど同じ歳の人だと知った時のショックも・・・・ 子ども達はその時、初めて「水俣病」を肌で感じたのだ。水俣病患者が語る一言、一言に僕らは耳を傾けた。そして僕らは「水俣」への思いを文化祭にぶつけていった。 小泉純一郎はアフリカではなくて、水俣へ行くべきだったのだ。僕には水俣の人たちの無念がよく分かる。政府の要人はゴールデンウィークには海外へ行くことが慣例になっているらしいが、国民の税金だろ?といいたくなる。裁判を引き伸ばしているうちに「水俣病」は消滅してしまう。そうやって「水俣」を忘れようとしている気がしてならない。
テニス 教え子達に誘われて、久しぶりにテニスをした。女の人が6人が、子供たちの面倒を交代で看てくれたので、僕らは久しぶりに気楽にテニスができた。西堀のテニスコートはネットが新しくなり、コートの状態もまあまあだった。ただ真夏日だというのに、テニスコートに全く日陰がないのには参った。そして隣りの交通公園?は手入れがまったくされず、どういう訳だか資材置き場になっていて、とても市民が憩える場所ではなかった。旧西堀小学校跡地は・・・・ガラガラで僕ら以外は誰もいなかった。入り口に看板は無いし、狭くて車は入りにくい。市民を集めよう・・・・という気が全く無いのを感じた。お金をかけて運動施設を作っても、市民がそれを利用してナンボなのだ。「今日の管理人さんは優しいけど、ひどい時はコート整備を命令されるのよ!」とお母さん達。市民軽視の姿勢がこういうところにも見え隠れするのだ。市民はみな「お客様」。市税は「お客様」から預かった大切なお金。観光新座にはゴミや資材置き場が多すぎる。そして市民一人一人を大切にする気持ちが無さ過ぎる。
蕎麦 テニスが終わった後はシャワーを浴びて蕎麦。「こんなに暑くちゃ、やっぱり蕎麦でしょ」という一言でお腹一杯美味しい蕎麦をご馳走になった。そう言えば西堀コートはテニスコートだというのに、シャワールームがない。新座市民から1時間400百円も取るのだから、それくらいのサービスがあってもいい。(近隣市は市内在住の人は半額の場合が多い)「財政難ですから・・・」という以前にそういうセンスがきっと無いのだろう。有明や小金井公園は高いけど、休憩場所やそういう施設はしっかりとしている。だから人が集まるのだ。人を集められない「観光都市新座」は必ず失敗に終わる・・・・。
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5月2日 (火) 「たかやん議員日記」2006.第122弾!
「たかやん議員日記」2006.第122弾! 5月2日(火)
6月議会の準備 気がつくとあと少しで6月議会が始まる。3ヶ月に一度といっても、議会と議会の間隔は二ヶ月しかない。前回の議会報告を出しながら、次の議会の準備をしなくてはいけないのだ。3月が予算の議会だとすると、6月議会は決算の議会。17年度の決算を審議することになる。一般質問は何を質問するかで、今回も悩むことになりそうだ。新しい教育長、学校教育部長の答弁がどう変化するか・・・・それともしないか・・・蓋を開けてみなければ分からない。
カイゼン 資料の整理をしていたら、自然に部屋の片付けモードになって、半日徹底的に掃除と模様替えに燃えてしまった。机の位置を変えて、勉強に集中できるようにした。人生勉強だ。どうせやるなら集中できる環境で勉強したいものだ。
図書館 浪人時代、僕は毎日のように石神井図書館で勉強した。杉並の柿木図書館(そんな名前だったと思う)でも勉強したが、殆どが石神井図書館だった。そこでの勉強のお陰で僕は大学に合格した。僕は新座の図書館に行ったことがない。久しぶりに図書館に行って勉強したくなってきた。
白血病 「父が30日の日に亡くなりました」と正義。「よくわからないけど、不思議と涙がでませんでした」骨髄移植が成功しても、肺炎を併発して亡くなることがあるのだ。正義のお父さんは58歳。僕の父さんが亡くなったときは57歳。だから彼の今の年齢と、その当時の僕の年齢も同じくらいだ。 僕が一番泣いたのは「父さんがすい臓がんでもう助からない」と母さんに電話で言われた時。学校から家までの帰り道、どうオートバイを走らせたか全く覚えていないくらい、ショックで泣きっぱなしだったのを覚えている。病院で父さんが息を引き取る時は僕が手を握っていたのだが、その時は母さんのことの方が心配でそれ程泣きはしなかった。お葬式でも僕は泣いた記憶はあまりない。ただ母さんとお祖母ちゃんが嘆くのを見ていて、泣いたのを覚えている。人の感情は思い通りにはならない。涙は突然に出てくるものなのだ。正義もきっと予想しない時に涙がでるはずだ。人間は不思議な生き物なのだ。
団子売り 明日から四日間団子売りのアルバイト。しかも「たかやんは明日から一人でやってもらうよ」と言われ、マジかよ!たった一日の研修で一人立ち。恐ろしい世界である。
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5月3日 (水) 「たかやん議員日記」2006.第123弾!
「たかやん議員日記」2006.第123弾! 5月3日(水)
憲法記念日 朝から日本国憲法を声を出して読んでみる。前文と第九条を暗誦しながらバイクで小金井公園へ・・・・。今日は団子売り二日目。しかも一人で売るという未知の世界だ。ドキドキしながら「おはようございまーす!」と挨拶をした。
段取り 団子はまず炭の火をおこすことからスタートする。ガスコンロを借りて、30分ほど炭を燃やす・・・・その間に机をセットし、机の上にブロックを並べ、その上に炭焼き用の火鉢のようなものを置く。そして三色のタレを用意し・・・・・9時半頃から団子は売れる状態になるのである。
連帯感 一人で売るということは交代要員がいないということな訳で・・・・トイレに行く時は隣りの「生ビール」屋さんに「ちょっと済みません!」とお願いして行くことになる。当然、ビール屋さんが「すいません!」と煙草を吸いに行く時は、僕がビールを売ることになる訳で・・・・お互いに自然に助け合う雰囲気になってくるから面白い。僕の掛け声も「炭焼き団子に生ビールはいかがですかー!」とか「生ビールに団子はいかがですか!」とかになっていた。
親子連れ 小金井公園は親子連れで溢れていた。その数数万人・・・・芝の上で遊ぶ家族を見ていると、どうしても空のことを思い出してしまう。そしてそういう遊びをしたことがなかった、上の二人の子供たちのことも・・・・
100本 新米でもそれなりに工夫をして、何とか100本売った。心がけたのはお客様にたくさん話しかけること。「どちらからおこしですか?」「ぼく、どこからきたの?」「何歳?」「何年生?」きっかけを作り、どんどん話し込んで・・・・石神井高校の裏に住んでいる人や、新堀一丁目から来た人もいたことが分かった。
御通夜 正義のお父さんの御通夜で五中時代の教え子達に会った。二期生と四期生の彼女達と暫く話しこんだのだった。彼女達は正義のお父さんに小さい頃随分可愛がってもらったらしい。正義もお母さんも涙を堪えていたが、正義の妹は随分泣いていた・・・可哀そうだった。
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5月4日 (木) 「たかやん議員日記」2006.第124弾!
「たかやん議員日記」2006.第124弾! 5月4日(木)
ベテラン? 団子売り3日目なのに「団子売りのプロに見えますよ!」とビール屋さんの義君。義君はその道16年という本物のベテランだ。僕らはベテランらしく、団子屋が忙しくなれば二人団子屋になり、生ビールが忙しい時は二人生ビール屋になって、大忙しの一日だった。
純一郎! 目の前に教え子を見つけた。「純一郎!」と叫ぶと「あっ」「どうしてここにいるんですか?」と純一郎。「万里は?」「向こうにいます。」と純一郎。万里も純一郎も僕のクラスの子だったのだ。万里も来て「よく分かりましたね。」というから「担任の底力だよ」と僕。団子屋の前で、みんなで大笑いしたのだった。
茜 こころ、茜、息吹、永遠、匠の教え子とその子供たちがわざわざ新座から団子を買いに来てくれた。しかも道路は大渋滞でこころは車から降りることもできずにいた・・・・。全部で6本も買っていってくれた茜。持つべきものは可愛い教え子である。
七本 今日の瞬間最大売り上げは、横浜から来たおばあちゃんの七本。孫達全員に買ってあげるという・・・・。そのおばあちゃんだけでなく、おじいちゃん、おばあちゃんが孫達に団子を買ってあげるケースが多かった。一番財布の紐が固いのはお母さん。子供たちが団子を指差して「欲しい!」と言っても「あとでね!」と揺るがない。
江別 「どちらから来られました?」と聞くと「江別です」「嘘!」「知ってますか?北海道の・・・」「僕北海道大学だから・・・」「うそーっ!」「友達が江別に住んでて、遊びに行ったさ」北海道三人組の若者は満面の笑顔を僕にくれたのだった。
新堀小 「何年生?」「五年生」「何小?」「しんぼりしょう」「えっつ!」「埼玉の新座市からきました!」「嘘−っ!」新堀に住んでいる親子が二日続けて僕の団子を買に来るとは・・・・もうびっくりである。
売り切れ 今日は132本売った。三日間続けて売り切ったところが自慢だ。焼いてしまった団子は次の日という訳にはいかない。だからどこで止めるかが難しい。今日は4時前には片付けに入る程、売り切るのが早かった。めでたし、めでたし。
人生勉強 新聞も読まなければ、テレビも見ないで一日を過ごす・・・・。それでも公園の一角から見えてくるものもあるのだ。今日も沢山の家族、そしてたくさんのスタッフと出会い、人生の勉強をしたのだった。
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5月5日 (金) 「たかやん議員日記」2006.第125弾!
「たかやん議員日記」2006.第125弾! 5月5日(金)
こどもの日 年に一度のこどもの日だというのに、どの子達とも一緒にいなかった。今日も小金井公園は家族連れで満員。臨時の駐車場も満杯になった。気温が高いと炭焼き団子は売れない。気温がたった3度違うだけで、団子の売り上げが半分近くまで落ちるという恐さを初めて体験したのだった。
生ビール 反対に売れたのが生ビール。「今日はこどもの為にきたんですが、すいません!我慢できない僕を許してください!」といいながら生ビールを頼んだお父さんがいたのには笑った。彼は1時間ほどしてからもまた登場し、「僕は本当に駄目な奴です」「すいません、もう一杯!」と僕らに最敬礼をしていったのだった。
48歳 Iさんという男性のスタッフから「たかむらさんは僕より随分若いよねえ。」「10歳近く若いでしょ?」と言われたから(確かに僕のほうが10歳は若いと思うよ)「Iさんは何年生まれですか?」と聞くと「昭和32年生まれです」というから「嘘―っ!」と大声を出してしまった。「40代前半か30代後半でしょ?」というから「なかなかいい線いってますよ」と答えておいた。
休憩ゼロ 今日も一日休憩はゼロ。途中2分ほどトイレに行った以外は団子とビールを売り続けた。休憩が無くて寂しいのは本が読めないということ。英語や韓国語の勉強もできなければ、ピアノも弾けない。サッカーやテニスをして体を動かすこともできない。やったことと言えば、チューブトレーニングを数分間だけやったことくらい。明日は神代植物園。小学校の遠足以来かも知れない・・・・・。
浦和レッズ 知らない間に浦和が千葉に負けていた。千葉も好きなチームなのだが、浦和にはずっと先頭を走っていて欲しかった。明日も五時半起きで団子売り。体力で幸弘に負けたくはない・・・つまらない意地で頑張っているが、団子売りに比べれば「駅立ち」はきっと楽に感じるだろう。それが少しだけ、今から楽しみなのである。
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5月6日 (土) 「たかやん議員日記」2006.第126弾!
「たかやん議員日記」2006.第126弾! 5月6日(土)
ゴールデンウィーク 今年のゴールデンウィークは「団子売り」に始まり「団子売り」に終わりそうである。今日は神代植物園の予定だったのだが、結局は小金井公園。だけどそのお陰で、五中、六中、そしてたかやん塾の卒業生達が遊びに来てくれ、最後に我が家の奥さんと空まで僕の「団子」を食べてくれたので、かなり幸せだった。
三福団子 僕が売っている団子には三福団子という名前が付いている。隣りで焼き蕎麦や骨付きフランクフルトを売っていたKさんが「大福、裕福、幸福のどれがいいですか?」と聞くから、僕は「幸福ですね」と言った。裕福も大福も魅力があるが、幸福がやっぱり一番だと思うのだ。
こどもフェスタ 今日は子どもフェスタということで、特別な出店が30も40も・・・・ミニSLは走るは、珍しい出店はあるはで、大賑わいだった。我が家の空君も200円で2周走るミニSLに乗り大満足。ところが、僕らの出店はどこも閑古鳥・・・人は居るのだが、人が来ない・・・という経験を初めてさせてもらったのだった。イベントの力というのは凄い。人を集めて、そして物を売って・・・みんなが幸せな気持ちになって・・・・ゴールデンウィークで一番暇な一日だったけど、隣りのKさんとたくさん話ができたり、売り場のおばさん達と仲良くなったり・・・やっぱり今日も楽しい一日だった。
小金井公園と新座総合運動公園 何が決定的に違うかと言えば、誰の為に造った公園なのかという点だろう。大きさだとか予算だとかではなくて、誰の為に何のために公園は造るのか・・・・その点が決定的に違うのだと思った。名前が運動公園だから運動施設が中心になった当たり前、予算がないから子供たちが遊べる施設がないのも当たり前・・・・そんな声が聞こえてくるのが我が新座市の公園に対する役所の認識である。小金井公園にはいくつもの「広場」があった。そしてその通りに広場は機能していた。だから人があれだけ集まるのだ。駐車場が有料でも人が集まる公園と無料でも人が全然来ない公園。僕らの時代の公園イメージとはもうまるで違う公園が人を集めるのだろう。だけど公園の基本は同じだと思うのだ。「誰の為に造ったのか」「何の為に造ったのか」を間違いさえしなければ・・・・・ たくさんの新座市民がわざわざ小金井公園まで行って、バーベキューをするのである。「新座市にはいい公園がないんだもん。」今日もまたそういう声を聞いてしまった。全く同感である。
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5月7日 (日) 「たかやん議員日記」2006.第127弾!
「たかやん議員日記」2006.第127弾! 5月7日(日)
日曜日 本当に久しぶりの日曜日という感じがした。メールに目を通してから、ダラダラと本を読み、ダラダラと寝転んで録画したビデオを見て、気晴らしに本屋へ行き、家族三人でスーパーでお買い物・・・空と一緒にお風呂に入って・・・それからダラダラと飲み、今これに向っている訳で・・・
いらっしゃいませー! 西友で「いらっしゃいませー!」という声を聞くたびに反応してしまう自分がいた。(もう少し声が大きい方がいいぞ)(うん、いい感じだ)下手をすると誰かに「いらっしゃいませー!」と言ってしまいそうになるからおかしい。この数日間、僕は「いらっしゃいませー! 」と声を出し続けてきた。今までの僕の人生では一度もなかったことである。(うどん屋の時はサボっていた・・・)本当にいい経験をさせてもらった。幸弘に感謝である。
友達 5日間の「団子屋」生活で一番の収穫は友達ができたこと。いつも隣だった生ビール屋の義君とは本当に仲良くなった。僕は毎日お弁当を義君と分け合って食べていたし、準備も片付けもずっと付き合ってもらっていた。そして何よりお互いの店が忙しい時に、自然に手伝ってきたことで、いい友達になれたのだと思う。損だとか得だとかではなくて、義理とか人情で僕らは友達になったのだった。
海鮮丼 今日の夕飯は海鮮丼。雲丹とイクラが半額だったので思い切って「雲丹イクラ丼」に挑戦してみた。安い(雲丹もイクラも1パック300円くらい)のに何故か贅沢な気持ちになれて幸せである。量的にいって、明日の昼までは海鮮丼を食べられそう・・・・うふふふふ。
浦和レッズVS鹿島アントラーズ 小野が大活躍した試合だった。僕は鹿島も好きなのだが、やはりどっちかということになると浦和である。杉山がいた三菱時代からのファンなのだからこればかりはどうしようもない。そして小野伸二。彼が活躍するのを見ていると、心がわくわくしてくるのだ。今、もし小学生だったら・・・・間違いなくサッカーをやると思う。それくらい彼の笑顔は素敵である。
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5月8日 (月) 「たかやん議員日記」2006.第128弾!
「たかやん議員日記」2006.第128弾! 5月8日(月)
談合? 団子屋の格好からいきなりのスーツにちょっと戸惑いながら市役所に向った。議会事務局で「みんなゴールデンウィークは何してたの?」と聞くとIさんは「長野へ行ってました」「いいなあ・・・僕はずっと小金井公園で団子売ってたんだよ」するとみんなが反応して「団子?」そう「団子」たまたま傍にいた星川さんも反応して「談合?どこで、どこで!」「違いますよ。談合じゃなくて、団子です。小金井公園で団子売ってたんです!」「どうして?」「話せば長いんですけどね・・・幸弘が・・・・・それで・・・・と言うわけで・・・」
編集後記 議会便りの編集後記の原稿を出してなかったのは僕だけだった。早速その場で原稿を書いたのだが・・・書く前に他の人の原稿にも一応目を通して・・・「勇さん、字が上手いねえ。綺麗な字だねえ、驚いた。字と顔は関係ないんだねえ・・」などと冗談を言っていたら、Tさんが吹き出した。それほど勇さんの字は上手だったのだ。こんなことを書くとまた勇さんに「お前また書きたいこと書きやがったな!」と怒られそうである。
土地開発公社 今日は土地開発公社の理事会。新しい理事を迎えて、新メンバーでの最初の理事会である。どういう訳だか、僕は理事長(須田市長)の隣りの席。質問しやすい席だったので、理事会以外でも色々と質問させてもらった。自分の頭の中で、モヤモヤしていたものが今日の理事会でかなりスッキリしたのだった。
机 控え室に新しい事務机が入った。これで仕事がやり易くなり、部屋の感じもよくなった。勇さんも仕事がしやすいように、部屋を少し片付けて6月議会の準備を始めたのだった。
クシャミ 空が「ハクション!」とクシャミをしたので、例によって「bless you!」と言うと、いつもの「thank you!」ではなくて「しつれいしました」と言ったので、笑ってしまった。子どもはどうやってこういうやりとりを覚えていくんだろう・・・
駅立ち 吉田よしのり県議の日記を見ていたら、ゴールデンウィーク中は朝から晩まで駅立ちをしていたことがわかり驚いた。それも毎年恒例だという。おっさんも団子売りを朝から晩までたち続けでやっていたから、終日たち続ける辛さはよく分かる。若いとは言えたいしたものである。海外へ「遊学」などという国会議員が多い中、よしのり議員は地元で駅立ち。おっさんも議会報告を手に立たねばならぬ!朝だけでも立たねばならぬ!明日は視察があるから、明後日からだな・・・・・場所? ひ み つ !
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5月9日 (火) 「たかやん議員日記」2006.第129弾!
「たかやん議員日記」2006.第129弾! 5月9日(火)
墨田区 13時に志木駅に集合したのは平松、石島、田中、並木(平八)、星川、邑の6人。会派も委員会も関係なく墨田区の地域振興政策の視察に向った。僕や大佑は30分前には到着していたし、幸弘も珍しく10分前には到着していたので、予定よりも1本早い電車に乗ることができた。
両国駅までみんなでワイワイ話しながらいった。陽子(石島議員)とは「修学旅行以来だねえ、一緒に何処かへ行くの・・・」「本当ですね」「覚えてる?あの修学旅行で遅刻したの・・」「校長先生に怒られたでしょう?」「いや、校長は怒らなかったよ。でも大熊先生が怒ってたなあ・・・副担だったからね」「あはははは」あの時の僕は23歳。そして陽子は15歳。30年前は担任と教え子だった二人が一緒に視察をしているのだから面白い。
JR両国駅には墨田区役所の染谷さんと秋元さんが待っていてくれた。名刺を交換し、挨拶をしてから歩き始める。いつもの視察とは違って、今日の視察はひたすら歩く視察なのだ。
回向院の脇を通って、最初に向ったのは小さな博物館「袋物博物館」。そこには革製品を中心に江戸時代からの作品が飾ってあり、館長さんの説明を受けながら僕はお袋のロウケツ染めを思い出していた。館長の木戸好子さんは83歳。丁度父さんと同じ大正11年生まれ、福井からでてきたのだと言っていた。東京大空襲の時には副館長の娘さんを背負って火から逃げ回り、何とか生き延びた話もしてくれた。
次の小さな博物館は「相撲写真資料館」で工藤明さんや工藤さんのお父さんが撮影した力士達の写真で溢れていた。懐かしい、栃錦や朝潮、若乃花は勿論、双葉山、千代の山、そして大鵬、柏戸、佐田の山の少年時代の写真などもあって、一気に少年時代に戻っていく自分がいた。
吉良邸跡 吉良上野介の上屋敷跡にも行った。赤穂浪士の討ち入りによって、20名近い吉良上野の家臣達も命を落としたことや墨田区と赤穂市の間で最近「和解」をしたこと。でも吉良家では今でも許していないことなどを初めて知ったのだった。
とら焼き 吉良邸跡の近くに和菓子屋さんがあった。ドラ焼きではなくてとら焼きというのがあって、210円を出して一個買った。幸弘が欲しそうな顔をしたので、半分分けてやると、それを見ていた一恵さんが「美味しそう!ちょっと頂戴!」と言って、幸弘から半分以上奪っていった。僕は残った半分をさらに半分に分けて、陽子に「食べる?」と聞くと「うん」というので分けてあげた。
勝海舟 両国公園には勝海舟の生誕の地という碑があった。そこは昔僕が小さい頃、緑町の従兄弟達と遊んだ公園だと思われ・・・あの頃の紙芝居を思い出しながら僕は少し感傷的になっていた。
芥川龍之介 両国小学校は芥川龍之介の母校らしく、芥川の「杜子春」の一部が碑になっていた。
桐 そして次は小さな博物館「桐の博物館」。桐は樹木ではなくて、ゴマノハグサ科の草の仲間であること(理科の教師は当然知っていたけど)や桐の生長が早く、そして材質が軽く、火にも強いのでこれからの環境問題も考えると、実に有用な植物であることなどを説明してもらった。
足袋 最後はやはり小さな博物館の足袋屋さん。宮内梅治という人は宮内庁御用達の無形文化財で、力士は勿論天皇の足袋を作っているという話だった。
それから・・・ 墨田区役所の方達とさよならをして、それから僕らは喫茶店に入って一休みした。両国らしく、隣りには春日野部屋の若い力士が三人いて、僕は「栃錦のファンだったんですよ」と話しかけていた。喫茶店で僕と幸弘は90円の団子を頼んだ。他の人達は500円のみつ豆。どうも俺達は貧乏臭くていけない・・・・。
それから 帰りは新宿を通って、山手線で帰った。途中「ホラ、あそこが僕の中学校!」と説明しながら帰った。墨田区の施策は新座市ではどうも通用しなさそうだが、発想は大事にしたいと思った、たかやんであった。
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5月10日 (水) 「たかやん議員日記」2006.第130弾!
「たかやん議員日記」2006.第130弾! 5月10日(水)
雨 さあ、駅立ちだ!と思ったら雨・・・・「雨の日はやめたほうがいいよ」という駅立ち先輩大佑の言葉を信じて今朝の駅立ちは中止にした。
議運 今日の議運は市議会便りの校正。1時半から5時までびっしりの会議だった。いわば編集会議だから、編集の仕事をしていたという星川さんが一番発言の回数も多い。次が笠原さん。僕も一応発言はするが、この二人にはかなわない。議場と同じである。最後に尾崎議員の住民基本台帳問題について星川さんが質問。休憩しながらの議運は続いた・・・・
朝鮮戦争とベトナム戦争 朝鮮戦争で米軍は約14万人が戦死した。ベトナム戦争では5万8000人・・・・太平洋戦争で負けた日本が、両戦争で最前線に立たなくて済んだのは「日本国憲法」「第九条」のお陰だ。太平洋戦争で40万人以上が戦死した米軍はその後も戦死者を出し続けてきた訳だが、日本は230万の戦死者と80万人の民間人の死者を出した以後60年間は戦争による死者を出していない。 昔から戦争で負けた国は勝った国の戦争に狩り出され、最前線に送られるのが当たり前だった。それを救ったのが「日本国憲法」「第九条」なのは誰がみても分かるだろう。その憲法の草案が仮に全てGHQの作ったものだとしても、日本人の知恵がその中に隠されていたとしても、我々日本人はこの憲法に感謝しなくてはいけないのだ。この60年間、一人の戦死者も出していない国、戦争で誰一人殺していない国、日本。日本国憲法は世界に誇れる憲法なのである。それを「改憲」「改憲」というのだから・・・・困ったものだ。
はるちゃん 従兄弟のはるちゃんに電話をした。緑町にいった話をすると、嬉しそうだった。「朋矢、水を飲まないといけないよ。血液をサラサラにするには水を飲むのが一番なんだ。それにバランスの取れた食事、それからストレスの無い生活・・・俺は全部駄目だったから脳梗塞になったんだ。」八丈島にいるはるちゃんは今脳梗塞と戦っている。お袋も同じ病気で倒れたから、きっとそういう家系なのだろう。僕も毎朝起きたとき、風呂の前後、寝る前だけは意識して麦茶を飲んでいるのだが・・・・ 選挙のイロハを教えてくれたはるちゃんは今日の電話でも延々1時間近く、僕にやるべきことをアドヴァイスしてくれたのだった。「いいか朋矢、この間は石原慎太郎が俺のところに挨拶に来てな・・・・」はるちゃんの話は尽きなかった。僕の自慢の従兄弟である。
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