Diary 2009. 5
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5月1日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第120弾! 2009.5.1(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第120弾! 2009.5.1(金)   たかやん

メーデイ
今日から5月。連休中のお父さん達も多いらしく・・・若いお父さんが子供たちと遊ぶ姿があちこちで見られた。西東京市の小学校はお休みのところも多いらしく・・・小学生の姿も多かった。

Continuity is power.
継続は力なり。という言葉が好きである。小さい頃から何をやらせても長続きしないタイプで・・・「三日坊主」だった。そんな僕でも「継続」していることは力になっていると感じている訳で・・・21年間の中学校時代にも、この言葉はずっと言い続けてきた。そして子どもたちはこの「継続は力なり」を実践して、実力をつけ、そして自信をつけてきたのだ。まさしくContinuity is power.である。

新座市長
「かわごえN―ウェーブだより」が川越の友達から送られてきた。
「タウンミーティング」に望む  という題で
3月から行われている「市民と市長が語り合う、タウンミーティング」、大きい望みを持ちたいと思う。市民と直接言葉を交わすことは、とても大切なことである。市民から「話をするのは、選挙の時だけでしょ!」といわれてしまうことの無いよう、任期中には長く続けていただきたいと思う。さて、新座市長はその職が長いとの批判もあるが、90回を超える「市政懇談会」を開催している。その懇談会における市民の発言や市長の回答発言は、市のHPから誰でも読むことができる。これこそが開かれた市政であると言える。その努力を認め、参考にされることを願いたい。
* そうなのだ。やはりこれもContinuity is power.なのである。須田市長からも学ぶことはたくさんありそうである。

疲れない
本は何時間読んでも疲れないが、パソコンは2時間もやっていると頭がおかしくなる。テレビも2時間見ていると、どっと疲れてくる。パソコンとテレビを見る時間を減らそう。もっと本を読む時間を増やそう。

ゴールデンウィーク
どこかに行く予定はない。テニスを少しして、空と沢山遊ぶ・・・くらいである。確かにゴールデンウィークかも知れない。僕が一番やりたいことは・・・空と遊ぶことだから・・・


5月2日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第121弾! 2009.5.2(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第121弾! 2009.5.2(土)   たかやん

土曜日
ラジオ講座を聴こうと机の前に座る・・・が、流れてきたのは別の放送だった。
「そうだ!今日は土曜日だった・・・」庭に出ると風が気持ちいい・・・。布団干し日和って奴だと思った。

鰹節
毎朝、シャカシャカ鰹節を削っている。朝からいい香りが部屋中に漂うのはいいことだ。空が大きくなって、鰹節の匂いを嗅いだら・・・きっと我が家の朝を思い出すだろう。

海外
連休ということで、成田から海外へ行く人が多いらしい。「不況」とは関係のない人たちも沢山いるのだなあと思う。逆に言うと、そういう人たちがいるから不況なのかもしれない。我が家は海外どころか、どこへも行けない状態である。とほほ。

堂坂公園
「パパ、堂坂いくよ!」と空。「自転車でいくよ!」「坂だいじょうぶか?」「だいじょうぶ」空と二人で堂坂公園に向かったのは午後3時頃。空は公園の遊具で器用に遊んでいた。ちょっと前までは怖がっていた場所から平気で飛び降り、上り下りしている空を見て、ちょっとビックリしたのだった。

タバコ
そこに中学生軍団が7〜8人自転車に乗って登場した。その内の数名は六中のジャージを着ている。彼らはブランコのところでたむろして、なにやら話し込んでいた。そして、そのうちの一人が、当たり前のようにタバコを吸い始めた。「空、ちょっとそこで待ってろ。」と言い残し、中学生の方へ向かう・・・・「少年!タバコはいかんだろう・・」「・・・・」「六中の評判を落とすようなこと、するんじゃない!」「あのう・・東中なんですけど」「そっか。それでもタバコは駄目だ。中学生が公園でタバコ吸ってどうする?」「はい」「吸うなよ」「あ、はい」体は大きいが、まだ小学生のような幼い目をした子達だった。怒られた後に、「泥警」をして遊ぶ中学生。やはり子どもじゃ。昔から、六中と東中は仲がよかったっけ。そして、堂坂公園が溜まり場だったよなあ・・・。僕の教え子達も、同じように誰かに叱ってもらったのかも知れないなあ・・。そんなことを考えながら、空と堂坂を後にしたのだった。

東野圭吾
二日間で4冊読んだが、なかなか面白い。「容疑者Xの献身」「秘密」「手紙」「レイクサイド」・・・ちょっとはまりそう・・・。

教師を目指す人へのメッセージ
第三十三歩   「上を見ないで、下を見る」

大学を卒業して、教師になったばかりの頃は「教育は愛だ」という言葉を信じ、授業に燃え、子供たちの毎日の変化に喜びを感じ、学級通信を書き、先輩の授業に感心し、この職業を選んだことを誇りに思っていた・・・・そんな先生が多いのではないだろうか。

それがいつの頃からか、管理職試験に興味を持つようになり、担任を持つことよりも学年主任になることの方が大事になり、校長の顔色を伺うようになり・・・・市教委にも気に入られようと気を使い・・・管理職の道を進んでいく。下を見ないで、上を見るようになる・・・そういう先生もまた少なくはないのではないだろうか。

自分は評価されず、子どもたちへの情熱も失い、それでも生活のために教師だけは続けないと・・・そう思っている人もたくさんいるかも知れない。

優秀な管理職は下を見ることを忘れない。教職員の声や表情の変化に敏感で、悩んでいる先生には手を差し伸べ、やる気のない先生には活を入れ、そして授業を見てはよくなった点を誉めてあげる・・・・勿論、子供たちの名前は覚え、隙があれば子供たちと一緒に汗を流し、授業にも行き、そして一緒に仕事をする。それは優秀な担任だった人の特質なのだ。

トップが優秀な人間であれば、下を見るタイプの先生は自然に上に上がっていく・・・・。いや、そうでなければならない。そういう仕組みができていないところは大変だ。優秀な先生が管理職試験に落ち続け、そうでない先生が受かっていく・・・若い先生達はそれを見て、やる気をなくしていく・・・・。それでは教育現場に活気がなくなって当たり前。

本物は上を見ないで下を見るものなのだ。教師になった時の自分を忘れない。それが本物。自分の中で大事なものは子どもたちだったはずだ。自分の昇進などではない。教頭になったって、校長になったって、本物の教育者にとって一番大切なものは自分の「地位」や「名誉」ではなく「子どもたち」や「先生」であるはず。

荒れない学校には下を見る目が多い。学校全体が上を見ないで、下を見る。そんな学校の子どもたちは、安心して勉強に部活動に燃えられるものなのだ。「先生」「先生」と呼ばれて、まるで自分が偉い人間になったように錯覚する時期はあるものだが、錯覚したまま本当に学校や教育委員会でトップになっていくと下の人間達は大変である。

時々鏡で自分の顔を見ることだ。先生になったばかりの自分の笑顔と同じ目が輝いていれば本物。皴は増えても、いい人相になっていれば大丈夫。子どもたちが見て、安心するような笑顔があれば大丈夫。結局どんな人の人生もみな人相にでるのである。

子どもから愛される先生になりたい・・・大学を卒業したての頃、みんなそう思ったはずだ。子どもから愛されるのは簡単だ。子どもを愛すればいい。何があっても見放すことなく、子どもたちを愛すればいい。

この間、5中の卒業生のS君にあった。「担任は誰だったの?」と聞くと、高校生の彼はこう言った。「柳田先生です。」「ああ、柳田先生ね。俺大好きなんだ。あの先生。一緒に働いたことはないけどね。」「柳田先生は僕のことを見放さなかったんです。こんな僕でも合唱際で歌うことができました。先生のお陰です」「卒業したらどうするの?」「俺来年、親父の会社に就職します!」こういう先生がいるから、子ども達は先生を通し手大人を信じるようになる。社会を信じるようになる。そして自分の人生も信じられるようになっていくのだ。「地位」や「名誉」よりも子ども達の「記憶に残る」先生になって欲しい。「地位」や「名誉」は死んだら終わりだが・・・「愛」は子ども達のこころの中で生き続けていく。




5月3日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第122弾! 2009.5.3(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第122弾! 2009.5.3(日)   たかやん

憲法記念日
憲法改正の動きがある。動きがあるということは、今の憲法では都合が悪いことがあるということだ。それは、今の憲法に力があるという証拠でもある。いつの間にか自衛隊がソマリア沖の海賊退治に出かけようとしている。国会議員たちは、もう少し「憲法前文」を読んだほうがいい。

テニス
今日は三人でテニスをした。空が「空もやりたい!」とラケットを久しぶりに振った。亮は2歳くらいから「テニスをしたい」と言っていたが、空はなかなかやろうとはしなかった。ところが今日は違った。不思議なもので、そのフォームは昔の亮とそっくり。流石に兄弟だなと思った。


今日も花と鉢を買いに行った。狭い庭にまた花が増えた。土いじりは面白い。トマトの苗が大きくなり、苺がいくつもなってきた。その変化がたまらない。まるで学校の子供たちのように毎日変化していくのだ。

サッカー
公園でサッカーもやった。2対1のサッカーはかなりの運動量で・・・。僕はヘトヘトになった。空はママが蹴ったボールを顔面でブロックしたが・・・涙を堪えていた。それから鉄棒を練習し、滑り台で遊び、家に帰ったのだった。

教育は愛だ!その1
僕が新宿の西戸山幼稚園で初めて会った先生が高橋先生。早生まれで、何をするにも遅かった僕は、よく先生の膝の上で泣いていた。だから、遠足の写真も先生に抱かれて写っている。その記憶は、50年経った今でも僕の心に優しく残っている。
「人は一日に12回抱きしめられるべきだ!」という言葉がすっと胸に落ちるのは、高橋先生に抱かれたことを覚えているからかも知れない。
西戸山小学校1年生から3年生まで、担任は松本美佐子先生。御茶ノ水大学出身の先生は、綺麗で優しくて、クラスのみんなが大好きな先生だった。当時の僕は、遊び専門で成績はオール3.忘れ物ばかりしている子だった。そんな僕にも先生は優しかった。先生は結婚して向後美佐子先生になった。向後先生が出産のとき、臨時に来られたのが片岡先生。広島出身の先生は、僕らが何かやると「原爆デコピン」をした。僕らは先生が大好きで、わざとデコピンをしてもらった記憶がある。片岡先生は中学生になってから随分探したが、見つからなかった。向後先生の家には小学校を卒業してからも何度か遊びに行った。先生の笑顔はいつも同じ、優しい笑顔だった。
「ケツ竹刀」の原型は「原爆デコピン」にあったのかも知れない。
4年生になって初めて男の先生になった。田口先生は僕らとよく遊んでくれる先生だった。放課後校庭でドッチボールをやったり、キックベースをやったりしてくれた。先生は腎臓が悪かった。僕らと遊びすぎて、疲れてしまったのかも知れない。無理をして、無理をして、そして国立病院に入院し、亡くなった。たった1年間のお付き合いだったが、子ども達と遊ぶことの大切さを僕は田口先生から学んだ気がする。
5年、6年は桑名喜久枝先生。勉強熱心な先生で、「週末テスト」なるものを考案し、僕らは毎週末テストをやらされた。あとで考えると、国立や私立受験の練習だったのだが、僕達公立進学組にも勉強のやり方を伝えてくれたのだと思う。給食の時間に桑名先生はいつも本を読んでくれた。泣けるシーンになると、先生は本当に泣いてしまう・・・・そんな先生と別れるのが辛くて、女の子達は2月の終わり頃からよく泣いていた。それ程子ども達から慕われた先生だった。男っぽくて、気合が入っていて、そして泣き虫。僕は小学校までこんな素敵な先生達に出会ったのだ。
桑名先生から学んだことは、一緒に勉強する楽しさだろう。クラスのトップの子も、ペケの子も先生と一緒になって勉強した。6年3組だけが別世界だった。


5月4日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第123弾! 2009.5.4(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第123弾! 2009.5.4(月)   たかやん

須田健治
僕の目の前には困った表情の須田健治。「わかりました!応援します」と僕。それを聞いて喜ぶ星川一恵・・・・何なんだこれは・・・?おかしいと思ったら・・・やっぱり夢だった。

テニス
今日も親子三人でテニスをやった。駐車場のないコートへは自転車で・・・・。途中空が転んで大泣き・・・・「ママが押すからバランスくずれちゃったんだよ・・」と空。

姉妹
母さんは拝島の信子伯母さんのところへお見舞いに行った。帰りには福生の礼子叔母さんのところによってきた。三姉妹の若い頃の写真を持って帰ってきた。そこには僕が生まれる前の若い頃の母さんたちの写真が・・・

7000万
初めて住宅展示場なるところへ行った。最初に入ったのは「積水ハウス」なかなかの家で、かなり気に入った。2階ではしゃぐ空。「凄いねえ・・」とママ。「いくらですか?」と聞く僕。「建物だけで7000万です」という答えが返ってきた。今の家で十分満足しているのに、(いいなあ・・)と思った。1億円の宝くじを当てよう。

100円ショップ
7000万の世界から現実に引き戻された。鉢を7つほど買った。植物にとって大事なのは土と水と栄養と日当たり・・・鉢は100円で十分だ。

教育は愛だ!その2
西戸山中学校1年の担任は天野先生。数学の先生で僕は授業中に隣りの女の子とお喋りしては、よく叱られた。スバル360という小さな車に乗っていて、僕はその車に乗りたくてしょうがなかった。その夢は5月にあっさりと叶う。階段から飛び降りて、骨折したのだ。いつもおっかない先生だが、僕をおんぶして車に乗せ、そして病院に運んでくれた。先生がとても身近に感じた瞬間だった。
中学校2年生・3年生は河合隆慶先生。社会科の先生で、1年生の時から憧れていた先生だ。学芸大出身の先生の授業は滅茶苦茶面白くて、僕は試験前になるとまず社会からはじめた記憶がある。それでも成績は3.他の子達も先生の授業が好きで、みんな一生懸命やったから、どうしてもいい成績が取れなかったのだ。
僕たちが貨幣偽造をやって、戸塚警察が動いた時、警察に捕まる前に捕まえてくれたのが河合先生だった。僕達は職員室でお茶を出され、そしてこう言われた。「俺はジュンが好きだ。俺はタカが好きだ。」僕らはそこで泣きじゃくった。もう二度と悪いことはしない。心の中で先生にそう誓った瞬間だった。ジュンは今、都立高校の先生をしている。そして僕も、10年前までは中学校で子ども達と一緒にいた。みんな河合先生の影響である。
石神井高校1年生のときの担任は福富先生。国語の先生で、面白い話ばかりする先生だった。僕が授業中寝ていても、一度も怒ったことのない先生で、僕は安心してテニスにのめりこんだ。2年生のときの担任の先生は小野先生。地学の先生で「どこまでやった?」と生徒に聞き、その通りに授業をやる先生だった。僕らが3回同じ授業をやらせても平気でやる。そんな先生だった。東北への修学旅行のときは、夜先生の部屋に僕らを呼んで、一緒に麻雀をやってくれた。
3年の時の担任は川島正雄先生。学芸大出身の数学の先生で、僕に勉強する事の大切さを教えてくれた先生だ。僕は3年生になってから、急に勉強をやり始めた。受験には間に合わなかったが、先生のお陰で一浪ではいることができた。「北大一本で行きたいのですが・・」と言っても「おう、そうか。がんばれ!」先生は僕を信じてくれたのだ。
テニス部顧問の古川ひろし先生にはよく逆らった。教育大庭球部出身の古川先生に僕が誉められたことがなかった。1年生の時に先生に勝っても「松田はこの時期6−2だったな」とか強い先輩達と比較して言うのだ。「野崎、数学100点だったぞ!」と同級生の野崎の数学の点数をコートで発表する。そんな先生に僕は反発した。ところが卒業してからは違うのだ。僕をいろんなところで誉め、そして自慢してくれた。あんなに逆らった僕を、知らないところで誉めてくれる。自慢までしてくれる・・・そんな先生の愛というのは深いものだということを僕は古川先生に教えてもらった。

残念ながら大学1年のときから先生の記憶は殆どなくなる。授業に殆ど参加しなかったからなのか、どうかは不明である。つまり今の僕に影響を強く与えた先生達は幼稚園から高校3年までの先生だった・・・そういうことになる。僕は幸せなことに、出会った担任のすべての先生のことが好きだったし、尊敬もしていた。だから「先生に対する不信感」はゼロ。先生というのは子ども達をどこまでも愛し、そして子ども達も先生を慕い続ける・・。そういうものだと思って大きくなったのだ。
*臭いけれど、教育は愛なのである。愛は伝染する。僕は先生達から愛されたから、自然に子どもたちを愛せるような教師になった。そして、僕の教え子達もきっとそういう教師になってくれていると思うのだ。愛の連鎖は続く・・・永遠に続く。それが教育の素晴らしいところだ。


5月5日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第124弾! 2009.5.5(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第124弾! 2009.5.5(火)   たかやん

こどもの日
今日は親友の家族とテニスをした。子どもたちは公園で遊びまわり、大人達はテニスをしたり、子供たちと遊んだりした。これでコートが良ければ言うことないのだが、新座市営のコートはどこに出しても恥ずかしいくらいイレギュラーをするのだ。とっても大会などができる状態ではない。造っておしまい・・・手入れは無し。それが新座市の現状である。

大笑い
今日は朝から晩まで笑っていた気がする。笑って、笑って美味しいものを食べて・・・ゴールデンウィークだわ・・・

教育は愛だ!その3
邑新太郎は恐い父親だった。兄貴達はものでひっ叩かれるは、窓から放り投げられるは・・・それを見て育った僕は、父さんに殴られるのだけは避けようと必死だった。運動会の時は下着の白いシャツにステテコ、下駄という格好で「ともやー!がんばれー!」と一緒に走るような父親だった。僕はそれが嫌で、嫌で・・・できたら父さんには学校に来て欲しくない、そう思っていた。5年生の時、夜中に胃痙攣でもがいていると、その父さんが僕を背負って、新大久保の高橋病院まで走ってくれた。父さんの背中の温かさ、逞しさを初めて意識した瞬間だった。田舎に行って、一人で上の駅に戻ってきた僕を父さんは、いつもの大声で探してくれた。「ともやー!どこだー!お父さんはここだー!ともやー!」僕はその声を聞いて、ホット安心して、涙が出てきた。その声は今でも耳に残っている。中学生になって、父さんの職場の労働省、中央労働委員会へ遊びに行った。そこには僕らの知らない父さんの姿があった。周りの人から好かれていて、そしてスーツ姿もピシっと決まっている父さんを見て、僕は格好いいなあ・・・と生まれて初めて思ったのだった。
父さんは労働法関係の本をかなり執筆していた。僕らが寝付いてから、夜中に原稿を書いていたと後で母さんに聞いた。その父さんが、僕の作文を誉めてくれたことがある。学校の先生には一度も誉められたことがないのに、文章のプロから誉められた・・・そう思った僕は、父さんの言葉を信じた。(僕は作文が書けるんだ!)あの時の、父さんの一言が僕に「学級通信」を毎日書かせ、そして今もこの文を書かせている。
邑ひさ子は優しい母親だった。泣き虫の僕を背負っては泣き止むまで一緒に居てくれた。「勉強しなさい!」とは一度も言ったことがなく、好きなだけ遊ばせてくれた。どんなに危険な遊びをしていても、僕を信じて怒ったことのない人だった。外国人の子供と遊んでもOK、弱いものいじめさえしなければ、誰と遊んでも大丈夫。そんな母親に育てられたことが、今の僕の原型を作ったことは間違いない。ただお寺の娘を母に持っていたので、生きものを殺すことはさせないように僕を育てていった。お陰で僕は蚊や蝿も殺さない子になってしまったが・・・。小学校に上がる前のお話。あるとき駅かどこかで僕がゴミを捨てた。それを見た母さんはマジで怒った。「みんな捨ててるよ」と僕。「あなたはみんなじゃないの。お母さんの子でしょ!ゴミは自分のポケットに入れなさい!」それ以来、僕はゴミを道路に捨てることができなくなった。ハイライトを毎日50本吸っているときでさえ、吸殻を捨てることはできなかった。みんな母さんのお陰である。
小さい頃、死ぬことが恐くなって、夜中に泣いていると、「大丈夫よ。お母さんが先に行って待っているから・・お父さんもおじいちゃんも、おばあちゃんもみんないるから大丈夫。」と不安な僕を安心させてくれた。高校生になって、石神井高校の朝練に行くために僕は4時半に起きたが、母さんは3時半に起きて、朝ご飯と弁当を作ってくれた。どんなに遅くに帰ってきても待っていてくれ、そしてどんなに早く起きても、見送ってくれたのが母さんだった。自分が貧乏で女学校へ行けなかったから、僕達三人は大学まで絶対に行かせる・・・。そういう空気が我が家にはあった。ただ、どこの学校に行きなさいということはなく、高校も大学も全て自分の意思で選ばせてもらった。そして教師という仕事を選んだ時も、一番喜んだのが母さんだった。母さんは83歳になる今でも、僕のことを気遣い、そして愛してくれている。僕が色々なことに挑戦できるのは、父さんと母さんの愛情がしっかりと僕の中に蓄積されているからだと思う。失敗しても、戻るところがある。失敗しても、自分の力でまたやり直せる。そういう自信を植え付けてくれたのが父と母の愛だった。
僕が両親から貰ったものは、両親に返すことはできないが、僕の子ども達に伝えていくことはできる。僕が先生達から貰ったものは、先生達に返すことはできないが、僕の生徒達には伝えていくことができる。僕には自分がもらった愛情を子ども達に伝える義務があるのだ。それは楽しくて、やりがいのある義務でもある。子ども達をただ「愛する」。「見守るように愛する」。それが教育なのかも知れないと、僕は思っている。



5月6日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第125弾! 2009.5.6(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第125弾! 2009.5.6(水)   たかやん

吉田よしのり
「新座駅に吉田よしのりが立ってたよ!」と茜が教えてくれた。「ゴールデンウィークなのに凄いね」と茜。「うん、彼は毎年立っているんだよ。俺にはできそうもないなあ・・・」と僕。「へえ、そうなんだあ」と茜。凄い男である。

部活動
ゴールデンウィークに六中の前を3回ほど通った。真昼間だというのに校庭もテニスコートもガラガラ・・・。テニスコートが可哀そうに見えてしょうがなかった。土日はどこのコートも満杯だ。市内6つの学校のコートを市民に開放したら、みんな喜ぶんじゃあないかね。

イトーヨーカ堂
雨の日は東久留米のイトーヨーカ堂へ行くことが多い。駐車場に屋根がついているからだ。今日は所沢のお母さんと一緒に買い物をした。駐車場からフィットネスクラブの屋上のテニスコートが見える。そこはフットサルのコートも兼ねている。6月議会では小野議員と一緒に質問するか・・・。

Five-minute English
NHKのラジオ講座が面白い。スピードが普通なので、トレーニングにいいのだ。朝と晩に2回聴くことにしている。

教師を目指す人へのメッセージ
第三十一歩「校長の仕事」
僕には校長の経験がない。校長どころか学年主任もないし、副担任もない。「担任」が命だったからである。33を過ぎた頃、当時の校長に「管理職試験を受けてみろ」と言われたのだが、断った。「担任ができて、授業がやれて、部活ができたらやってもいいですけど・・・その三つともできないんじゃあ、僕にはできません。」そう言って断った。それで後悔はしていないのだが、最近になってそういう道もあったかなと思うようになった。クラスを持てなくても授業に乱入することはできそうだし、部活を持てなくても子ども達と一緒に遊ぶことはできそうだ。校長の仕事は大きい。学校は子ども達と直接関われる担任が基本だが、その先生達を温かく見守る校長の存在がとても大きい。

校長経験のない僕だが、校長の仕事のことを話せる歳になってきた。校長の仕事ははっきりとしている。まず「学校の雰囲気を明るくすること」である。職場の空気を明るくするというのは、立派な仕事だ。あなたが将来校長になろうとしているなら、そのことに気づかなくてはいけない。「雰囲気を明るくすることは、校長の大きな仕事」である。校長試験や教頭試験は“管理職試験”と呼ばれているから、何かを「管理しなくては」と思うかも知れないが、そうではない。まずは職場の雰囲気を明るくすることに務めることだ。そのことに気付かないと、学校は荒れていく。

校長が明るい雰囲気を作ると、先生達の心が開放される。心が開放されると、いい仕事ができる。当たり前のことである。先生の仕事は子ども達と向き合わないとできない。それこそ、偉そうなことを言っているだけでは「仕事」とは言えないのだ。子ども達の目を見て、クラスや授業を明るいものにしながら、子ども達を育てていくには気持ちに“余裕”がないといけない。その余裕が「学校の明るい雰囲気」である。

最近は親からのクレームが多い。若い先生達がそのことで独りで悩み、鬱状態に・・・そして自殺。そういう学校には校長はいても「仕事」はしていない訳だ。仕事のできる校長なら「俺に任せろ!」「俺が話をする」「担任を君に決定したのは俺だ!」「こういう時の為に校長がいるんだ」「君は子ども達に集中しろ」「大丈夫だ、みんながついている」「何とかなるものだよ」先生達が悩んで、病気になったり死んでいくのは、こういう校長がいないからである。この間も近隣の学校で初めて担任をした若い先生が亡くなった。孤独を感じない限り、人は死を選ばない。仲間の温かさ、上司の力強さを信じているものは決して死ぬことはない。

校長の顔色を伺う学校が増えてきた。教育委員会の顔色を伺う校長も多い。そういう学校には「明るい雰囲気」はない。そういう雰囲気の学校で育つ子ども達は可哀そうである。
「人生の中でかけがえのない六年間」「人生の中のかけがえのない三年間」を明るい雰囲気を体中で心一杯に感じて育つ子どもたちと、不安で暗い雰囲気を感じながら育つ子どもたちとの差は大きい。

学校の雰囲気を暗くするのは「犯罪」に等しい。いつも人の粗を見つけては怒るような校長(先生)になってはいけない。恐い人に人間は従うが、それは好きで従っているのではない。嫌々従っているだけだ。人間は「好きな人」の言う事を聞くのである。「好きな人」の為になら自分を捨てても頑張るものなのだ。それはいつの世の中も変わらない。校長と先生達との関係も先生と生徒達との関係も同じである。

暗い雰囲気、恐い雰囲気を持つ人間を心から好きになる人はいない。「昇進」や「異動」をちらつかせる校長が先生達から信頼されることはないし、「成績」をちらつかせる教師が子ども達から信頼されることは決してない。みんな嫌々言うことに従っているだけだ。要するに「仕事量はゼロ」あるいは「マイナス」である。

人間は好きな人の為になら、力以上のことまでやり遂げるものだ。それこそ「教育は愛」なのだ。学校中を「愛」や「熱」で一杯にすること。それが校長の仕事である。まずは自分自身が笑顔でいること。笑顔で先生達のいいところをたくさん見つけてあげること。そして先生達があなたのことを好きになったら・・・駄目なところを直してあげればいい。
気になるところがたくさんあったら、一日も早く相手に好きになってもらうことだ。それが校長としてあなたが一番最初にする仕事である。

「駄目な教師が多い」とボヤいてはいけない。それはあなた自身が駄目な校長であるということを意味する。駄目な生徒がいないように、駄目な教師だってあなたがいれば何とかなるのだ。
あなたは子ども達から好かれることは得意なはずである。「甘やかす」だけじゃあ馬鹿にされるだけで好きにはなってくれないし、「恐い」だけでは、言うことは聞いても好きになってはくれない。どうしたら子ども達が自分を好きになるか・・・答えはあなたが知っている。そう「自分が子ども達を好きになればいい」のだ。校長だって同じだ。自分の学校の先生達をまず好きになること。嘗ての子ども達に注いだ愛情と同じものを先生達に注ぐこと。それができるから、あなたは今「校長」なのだ。

あなたが校長を目指すなら、次のことは覚えていて欲しい。「校歌」は一日で覚えて、大声で歌えるようにする。「先生達の名前」着任前に完全に覚える。「子ども達の名前」は、最初の一ヶ月で全員覚える。「自習」の時間があったら、お話をしに教室へ行く。常にお話のトレーニングだけは欠かさない。何故なら、校長の授業は「お話」しかないのだから・・・。つまらない話をして高い給料をもらってはいけない。あなたの話を聞いていない子ども達がいたら、それはあなたの話に魅力がないからだ。反省して「仕事」になるような話を勉強することだ。学校の掃除を率先してやることは勿論だが、何よりも明るい雰囲気を学校中にばら撒くこと。それには先生達(子ども達)の真の声に耳を傾けることである。先生達の本音を聞いて、先生達の力を出し切らせて学校を組織の力で運営していく、それが校長としてのあなたの仕事なのだ。


価値のあるものを生み出すこと、人の役に立つこと。それが「仕事」だ。価値のあるものを生み出してなければ、人の役に立ってなければ「仕事」をしていることにはならない。僕は先生にそう習った。人に生まれてきたからには、残りの人生でいい仕事がしたいものだ。



5月7日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第126弾! 2009.5.7(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第126弾! 2009.5.7(木)   たかやん

新座中
朝から新座中にお邪魔した。何の断りも無しに行ったのに、快く授業を見させてもらった。新座中は校舎も新しくなり、教室も明るくなった。理科の授業はF先生。隣のクラスでは松江先生が数学を教えている。相変わらず授業は上手だ。(あれ?松江先生は校長になったはず・・・あれ?この3月で退官したんじゃなかったっけ・・)そこで目が覚めた。

空の背中
今朝歯空を幼稚園に送っていった。門から教室まで歩いていく空を見た。年少の頃は本当に小さかった背中が、随分大きくなった。それはそれで嬉しいのだが、靴のサイズはもう20センチ。そんなに早く大きくなるなよ・・・そう思うのは親の我がままなのかな・・・。

言葉の怖さ
空を送った帰り、幼稚園児にいきなり「馬鹿ジジイ」と言われた。笑顔で「おはよう!」と言ったのに、「馬鹿ジジイ」と言われてビックリ!中学生だったら、間違いなく泣かすところだが、相手は幼稚園児。それでもかなりショックだった。幼稚園児の言葉は誰かに教わる言葉だからだ。どういう環境で育っているのか・・・それが心配になったのだ。

ごめんなさい
その子が帰りにも一緒になり、僕のところへ飛んできた。「馬鹿ジジイって言ってごめんなさい」彼はそう言った。この言葉は嬉しかった。言葉の力は凄いと思った。親は勿論、大人がもう少し「いい言葉」を遣わないといけないなあ・・・そんなことを考えた一日でもあった。

五中
今週の土曜日は五中の“公開授業日”。塾で「六中もやるの?」と聞くと「やらないよ」という答えが返ってきた。他の中学校でもやればいいのに・・・。五中の公開授業が楽しみである。全学年の授業を見たいなあ・・・。

今日の塾日記から
母の言葉
昔々、僕がまだ3歳くらいの頃の話だ。新宿の公務員宿舎の庭で僕は蟻を殺していた。バットでブチブチと殺していたのである。それを見た母さんが「とんちゃんが蟻さんだったらどう思うのかな?痛くないのかな?」と言った。それ以来、僕は虫を殺せなくなってしまった。大学生になるまでは蝿や蚊も殺せなくなったのだから、母親の言葉というものは恐ろしい。因みに母を育てた祖母はお寺の娘。仏教の優しい心が母さんを育てたのだろう。

息子の言葉
いつの頃からか、蝿を輪ゴムで打ち落とすようになった。僕に狙われた蝿はほぼ100%助からない・・・。ところが最近、空がこういうのだ。「パパ!虫さんを殺さないで!」今度は息子の言葉が僕の心を優しくする。僕は蝿を一時気絶させ、そっと庭に放すようになった。蛾も、ナメクジも団子虫も我が家に侵入した虫たちは、こうして助かる仕組みになっている。テニスコートにいる蟻達も安全なところに避難させるようにしている。勿論、車を運転していても、自転車に乗っていても、虫たちをひき殺さないように気をつけて運転している。スピードがでていなければ、車の前を横切る蟻も助けることができる。お寺のDNAかも知れない。

5月号
駅立ちで頑張るよしのり議員に負けまいと、5月号の作成に取り掛かった。5月30日号の配布は6月の頭。今日1枚目が終わり、明日2枚目を作る予定である。


5月8日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第127弾! 2009.5.8(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第127弾! 2009.5.8(金)   たかやん

幸弘の日記
 都内へのアクセスは街づくりの資源だ
今日は仕入れの日だが、わけあって午前中、新宿へ出かけた。
コマ劇場で人と待ち合わせた。あまりにも久しぶりで、以前のことをよく覚えていない、というよりは昼日中にここを訪れたことはなかった。
 はて、こんなに綺麗な街だったろうか。
そんなことを思いつつ、歩いた。たしか、かつては、夜明けの時間など、道路にゴミが散乱してはいなかったか。いずれにしても綺麗な街に驚かされた。
 
 新座は都内へのアクセスでは、格別有利な地域になった。
志木駅から、副都心線で池袋にも新宿にも渋谷にも行ける。こんな有利な条件を活用せぬ手はあるまい。この有利さを街づくりの資源と明確に認識すべきだろう。

 この都内へのアクセスを街づくりの資源として、どう活用すべきか、新座市民の叡智をお借りしたい。
 「21世紀は実験の時代」だ。
今までのあらゆる哲学・モラル・経済理論・政治形態が通用しない時代、とも言える。だからこそ、果敢に実験に挑まなければならない、そんな時代だ。

 もちろん雇用もたいへんな問題だが、人に雇われることばかり考えている人間が多くては、人類の先は見えてこない。国内に1億人、世界に60億人、これだけの人がいれば何らかの需要は必ずある。とすれば、十分にいろいろな商売が成り立つはずだ。どれだけ多くの人が、果敢に実験に挑もうとするかに、人類の展望はかかっているといっても過言ではない。
 この点を、政府がどれだけわかるかが重要だ。何度でも新しいチャレンジができる、そのためのセーフティーネットをどう構築できるか、それが政治の大きな課題の一つだ。

2009.4.23 田中

幸弘の日記は面白い。しかし、更新しないから、結局見なくなってしまうのだ。議員のホームページは更新しないものが多いような気がする。ある人からこう言われた。「100のものを10にまとめることはできますが、3しかないものを100に引き伸ばすことはできません」要するに、数打ちゃ当るのである。まいっか・・・幸弘のことは・・・。
5月号完成
何とか5月号が完成した。「一生懸命」第44弾!である。これから編集会議をやって、来週には入稿できる。

幼稚園
今朝も幼稚園に送りに行った。小学校に入ったら、もうできないだろうから、今のこの時間を大切にしなきゃ。そう思いながら幼稚園に行った。上の子たちのときは、全く行ったことがなかった。朝練に行っていたのだ。普通のお父さんも幼稚園に行くことは難しいだろう。僕は今、ちょっとラッキーな父親をやっている。

議運
1時半からは議運。5月25日号の「にいざ市議会だより」の編集会議があったのだ。そう言えば、星川さんが居た頃は、発言の半分くらいが彼女だった。編集の経験があるらしく、やたら文章に詳しいのである。星川さんがいないせいもあるだろうが、今は色んな人から意見がでる。

直子と久美子
当時の僕は26歳。彼女達は15歳。それなのによく一緒にいたような気がする。我が家の居候の紀と直子が仲良しで、直子と久美が仲良しで、僕は紀といつも一緒にいたから・・・4人で歌を歌ったり、人生を語ったり、大助うどんを食べに行ったり・・・。僕ら4人は教師と生徒というよりは兄弟・姉妹のような関係だったかも知れない。今では二人とも立派なお母さんだ。そんな彼女達がお袋に色々お土産を持って、訪ねてきてくれた。彼女達は母さんのことを「おふくろさん」と呼ぶ。久美子は西東京市から、直子は西大泉から雨の中自転車で来てくれた。ありがたいことである。


今夜は雪も来てくれた。仕事で忙しいのに、母さんに会いに来てくれたのだ。雪と母さんが一緒に生活したのは所沢で2年程しかない。それでも家族だったことには変わりない訳で・・・。父さんも生きていた、今から30年近く前の話である。

県大会
明日はママの県大会。女子ダブルスの予選。3回勝てば本選。勝っても、負けても、楽しくテニスができればいい。がんばれ!


5月9日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第128弾! 2009.5.9(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第128弾! 2009.5.9(土)   たかやん

朝ごはん
5時、目が覚める。6時半には兄貴が迎えに来るので急いで朝ごはんの支度をする。昨夜の鍋にうどんを入れるだけの支度だけど・・・

県大会
今日はママの県大会。一般女子ダブルスに新座市代表で出場したのだ。空は所沢の妹のところに預かってもらうことに・・・


空は従兄弟達と遊べると、昨夜から遠足ムード。朝も「まだ?」「パパ、まだ?」とうるさい。そして浦所を走っていると「パパ、お腹痛い!」「え?」「うんち」「少し我慢できない?」「うん、あとどのくらい?」「5分かな・・」「頑張る」と頑張った。

うんち
空は何とかうんちを堪え、妹のところに無事ついた。どうやら空の「うんち」は本物だったらしく、風邪がお腹にきたらしかった。

関越
空を送ったあと、僕らは関越に乗った。先週は大渋滞だったらしいが、車はスイスイと走る。制限速度を守った状態でお昼前に舟見に着いてしまった。


入善のスーパーで昼ご飯を買って、舟見の家に着いた。ところが鍵が開かない。どうやっても開かないのだ。どうしようもなくなって、(昼飯だめになっちゃう!)とドアを持ち上げて鍵をはずした。

掃除
まず、布団を干した。何しろ半年も誰もいなかったのだ。布団は湿っていた。それをどんどん庭に出して・・・それから掃除機をかけて、雑巾がけ。夕飯を作って・・・今日の仕事は終わった。

県大会2
結果は1回戦敗退ということだった。昨夜から熱が出て絶不調だったからなあ・・・

温泉
500円の温泉に行った。泡がぶくぶくでる立派な温泉だ。まずは露天風呂に入って・・・そこに小さな男の子が入ってきて・・・僕はニコニコ。空を思い出していた。

寝袋
ビールを飲んで、刺身を食べて・・・兄貴は「寝る」と座敷へ行って寝てしまった。僕は居間に寝袋を敷いて・・・英語を聴きながら意識を失ったのだった。




5月10日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第129弾! 2009.5.10(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第129弾! 2009.5.10(日)   たかやん

5時
学校時代の懐かしい人たちが夢に沢山でてきて・・・・目が覚める。かなり幸せな夢だったなあ。青春って感じ・・。

布団干し2
今朝も布団を干した。家中の布団を干したかったが、ちょっと無理だった。お袋もかなり疲れていたらしく、干した布団をベットに自分で敷くのが「大変」とブツブツ・・・「お願い」と一言言えばいいのに・・・と、僕もブツブツ・・・

墓掃除
兄貴と二人でお墓の掃除をした。草を抜いて、雑巾で墓石を綺麗にした後、二人で手を合わせた。

掃除
今日も家の中の掃除に燃えに燃えた。窓のガラス拭きは勿論、全ての部屋の拭き掃除をやり家中をピカピカにした。

分別
ゴミだしに行くと、分別の細かさに驚いてしまう。これでもかと言うくらい、細かく綺麗に分別されているのである。


温泉2
今日も温泉へ。重いものを沢山持ったので、腰にかなりきている。それでも露天風呂でストレッチを繰り返していたら、かなり復活できた気がする。

舟見
いままで気にもしなかったのだが、この舟見という街にはゴミが殆ど落ちていないのだ。街の端から、端まで車で走っても・・・ビン・缶・ペットボトルなどは一つも拾えない。多分、誰も捨てないし、みんなで掃除もするのだと思う。新座市の道路と比べると「月とスッポン」なのである。昨日、今日で僕が見たゴミは半年間空けていた我が家の前に落ちていた「タバコの吸殻3本」だけ。それ以外は裏の道を歩いていても見ることができなかった。

父の匂い
どこからか父さんの匂いがしてくる。父さんが生まれ育った家ではないが、その家を利用して父さんが立て直した家だからかも知れない。ちょっとしたときに、父さんを感じることができて幸せである。


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