Diary 2004. 6
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6月1日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第78弾!

「たかやん議員日記」2004.第78弾!  6月1日(火)

6月議会
いよいよ6月議会がスタートした。3月議会の時とは全然違う雰囲気で、(少しは慣れたような気になっている。)大丈夫かと思っていたら、ずっと議場の札を立てるのを忘れて、隣の幸弘さんに教えてもらった。3月議会の初日のように長くなるかなと思って、お弁当を持っていったのだが、あっけなく午前中に終わってしまった。議会は18日まで・・・・毎日がまた勉強である。学校のことには強いのだが、それ以外のことには弱いのだ。4月、5月ともっと勉強すればよかったと少し後悔しているたかやんであった。

遅刻
教育委員会のF先生と12時20分に約束をしていた。今度の「一般質問」に対する打ち合わせである。僕はお弁当だったので、「いつでも平気ですよ。」と約束をしたのだが、11時半頃「最初だからみんなで食べに行きましょうよ。」という誘いに乗って、外に食べに行ってしまった。50分あったので十分に帰ってこれると思っていたのだが、注文して20分してもうどんが出てこない。いつもは10分もしないで出てくるのに・・・・・結局10分も待たせてしまったのだった。(それも4人も待っていてくれた・・・)4X10=40
40分の時間の無駄遣いだ。本当に申し訳ないことをしてしまった、たかやんであった。
先生方ごめんなさい!今後気をつけます。





6月2日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第79弾!

「たかやん議員日記」2004.第79弾! 6月2日(水)

タムソン
昔の六中には色々なあだ名の先生がいた。たかやん、わに、よっしー、きのっぴー、たむそん・・・
今日の教育委員会との打ち合わせにはタムソンと生徒から呼ばれていたT先生がいた。彼は数学の先生で実に分かりやすい授業をする人だった。黒板の字も僕なんかとは比べ物にならないほどきれいだし、何よりも生徒がみな授業に集中していた。ようするに「気」のある授業をする先生だったのだ。生徒との接し方は僕と180度違っていたが、僕は彼が好きだった。彼が僕をどう思っていたかは分からないが・・・・・・。
人間の「気」というのはどこへ行っても通用するものだと思うから、教育委員会でもきっといい仕事をするのだろう。こんなことを書くとまた怒られちゃうかな?

上田事務所
大佑に誘われて、初めて上田事務所へ行った。知事の事務所なので、何となくおっかないイメージだったのだが・・・・そこにいたのは五中時代の教え子のTさん。ところがその当時は僕が長髪でやせていたので、すぐには僕だと分からなかった。「えー!覚えてる!あの長髪でかっこよかった邑先生!いたいた。確かにいた!」驚く大佑。「光があります、豊かです!」二人で五中の校歌を歌ってさらに大佑を驚かせたのだった。今日は平松大佑26歳に感謝である。教え子と再会するのほど楽しいことはないのである。


6月3日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第80弾!

「たかやん議員日記」2004.第80弾!
カッター
長崎の佐世保の事件はショックだった。小学校6年生の女の子ということもあるが、最初から殺すつもりだったという証言がショックだったのだ。色々な新聞に「兆候があったはずだ。」「周囲が気付けたはずだ。」という意見がたくさん載っていたが、僕はそうは思わない。担任のアンテナが高く上がっていたら、確かに防げていたかも知れない。だけど今時の小学校6年生の女の子のことが男の先生に分かるだろうか。僕には全然自信がない。教室を出て行くところを目撃できれば別であるが・・・・・。
メールとかチャットとか掲示板とか・・・今の子ども達は面と向って言えないことを、キーボードでは言ってしまう。勿論大人だって同じなのだが、なかなか感情をコントロールできなくなってしまったのだと思う。
憎しみは愛情から生まれて来るから、「仲良し」でなければ殺意は生まれなかっただろう。そういうところまで教師が見抜くことはなかなか難しいと思うのだ。
自分の意見をなかなか発表できない子達が、メールだと結構思ったことを言えたりする。そんなにきついことをいう気はないのに、ついついきつく言ってしまう。キーボードにはそういう魔法のような力があると思う。僕もそれで随分失敗した。勢いで書いてしまって、ポンと送信。そして相手を傷つけてしまったのだ。
一ついえることは今回のことも一対一ではなかったということだ。掲示板はたくさんの人に見られるのだから、嫌な書き込みをたくさんの人に見られるという恐怖感があっただろう。そしてもう一人の友達の存在である。女の子三人の仲良しがずっとうまくいく例は余りない。勿論例外もいくつか知ってはいるが・・・。そのもう一人の子に嫌われるという恐怖感もあったかも知れない。同じクラスでの「殺人」。悲劇としかいいようがない。そのクラスの担任は勿論、クラスメート達も一生この事件を背負っていかなくてはいけないのだから・・・・。


6月4日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第81弾! 

「たかやん議員日記」2004.第81弾!   6月4日(金)

今日の本会議も午前中で終わってしまった。議会開会直後から携帯電話は鳴るし、なんともしまりのない議会だったような気がする。もっと発言をしていかなくてはと思う。黙って座っているだけでは、僕に票を入れてくれた人に申し訳がない。

映画
佐世保の事件に映画の影響があったのではないかといわれている。椅子に座らせ、タオルで目隠しをして、はずされると自分の左手で目隠し切ったというから「映画」の世界かも知れない。昔流行った仕事人に似てなくもない。女の子でも取っ組み合いの喧嘩でもすれば、また違った結果になっただろうに・・・・。
親も教師もパソコンやメールという世界を子どもの頃体験していないわけだから、やはりあの事件を想像することは難しいと思う。二人の雰囲気がおかしいからといって、すぐに「殺人」に結び付けられる人などいないからだ。シャッター事件といいい、くらい事件が続く。


6月5日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第82弾! 

「たかやん議員日記」2004.第82弾!  6月5日(土)

朝の公園
今日は5年生の男の子が新しいメンバーになった。幸弘さんの紹介で参加してくれたのだ。お母さんも一緒にサッカーを始めたのだが、開始後30分で足がつりリタイア。ちゃんと準備運動をさせなかった僕の責任だ。まさお君はテニスが初めてということだったが、センスがよくあっという間にボールが前に飛んでいくようになった。フォアハンドもバックハンドも真っ直ぐ飛ぶのだから凄い。今日はテニスクラブでジュニアのコーチをやっている教え子も参加してくれ、実に楽しかった。来週も小学生が3人来たいと連絡があった。小学校2年生から、中学生、高校生、大学生、社会人、主婦と一緒にスポーツをするのは面白い。


6月6日 (日)  升田幸三


渚も合格
小学校六年間の漢字の読み。渚も合格した。テストをしていて、家で練習してきたのがよく分かった。そうなのだ、家での隙間勉強が大事なのだ。トイレでお風呂で脳を使う。ウォーターボーイズのコマーシャルの間に脳を使う。そういう心がけの合計が自分の脳をよくしていくのだ。渚も勉強のこつをつかみ始めたかも知れない・・・・。

達成感
今日でテストも3日目。あと1日だあ!!でも何か乗り切れそうな気がする。読むのも速くなった。書くのも速くなった。前より聞き取れるようになった。テスト勉強始めたのはいつもと同じなのに、夏休みにやってたことが繋がってきているから、ちょっと達成感というか手ごたえがある。学校へ行っても受身で授業をやっているだけじゃ英語は使えないんだって分かった。大切なのは自分で少しの努力が出来るかってことだよね。明日のテストも、テスト返しもなんか楽しみだなあ。(紅美)
* 練習をやると大会が楽しみなのと同じだね。そういう時は練習も楽しいし、試合も楽しいよね。勉強も同じ。自分の脳みそをトレーニングして、その結果が分かるのがテストなんだから面白いに決まっているのだ。トレーニングをしないと・・・・テストは恐いよねえ・・・嫌だよねえ・・・夏の英語の本が効いてるね。そして大声を出して覚える紅美の勉強法、中学生達も見習うといいね。

世界チャンピョン
今日はちょっと具合が悪かった。だけど色々なことをやった。久しぶりに計算世界チャンピョンをやった。すっごい出来なくなっていた。ショックだった。(太陽)
* そう使わないと、機能は落ちていくんだ。毎日やるよ、世界チャンピョン。答えあわせも入れて、15分で4種目やるからね。

基礎英語の書き取り
みんな朝、集中して聴いていると思ったら・・・・聞き流していただけだった。太陽も祐希もお手上げ。これには僕がショックだった。集中力も鍛えなければ伸びはしないのだ。毎日のトレーニングの中に基礎英語の書き取りを入れよう。勿論英語のスピーキングの練習も取り入れよう。うーん、何か見えてきた気がする・・・・。

升田幸三
昨日の読み聞かせは、将棋の升田幸三の「勝負」。思ったよりも子供たちが楽しんでくれた気がする。子供の頃この人の将棋を見て、かっこいいなあと思ったんだ。たかやん


6月7日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第83弾! 

「たかやん議員日記」2004.第83弾!  6月7日(月)

英会話
東北小の英会話の授業を見学した。かわいい1年生が英語の歌を歌い、踊りを歌っていた。ネイティブの先生が面白い人で、子ども達は悲鳴のような声を出しながら笑ったり、答えたりしていた。子ども達は英語が読めないので、ひたすら音を真似することから入るのだろう。中学生よりも発音がきれいだった。2年生から6年生まではどういう風になっているのか益々知りたくなった。

給食
新開小の給食をご馳走になった。220円で、あれだけ美味しい給食が食べられるとは思わなかった。民間委託で味が落ちているのではと思ったが、僕が覚えている二中の給食よりは遥かに美味しかった。何といっても食器がアルミではないのがよかった。メニューは地場野菜を使ったハンバーグとアスパラのソテー。それにごはんとふりかけ、牛乳。僕は思わずお代わりをしてしまったのだった。

公開授業
6月7月は公開授業がたくさん行われるらしい。でも僕が見たいのは「普段の授業」なのだ。公開授業が普段の授業ではないことは、21年の経験で知りすぎるほど知っている。それでは意味がないのだ。勿論公開授業でも見えてくることはある。子ども達はそんなに急には変われないものだから・・・・。僕は新座の小中学校の普段の授業を見たい。そして少しでも授業のレベルが高くなっていくことを期待したい。


6月8日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第84弾!

給食の思い出

西戸山小学校の時は脱脂粉乳を毎日飲んでいた。友達の仲には「気持ち悪い」といって飲めない奴もいたが、僕は美味しかったのでいつもお代わりをしていた。小学校時代は運動会とか特別な時だけ「牛乳」が出た。僕は牛乳が大好きでいつも人の分まで飲んでいた。
西戸山中学に入っても、僕の牛乳好きは続いた。放課後校庭でサッカーをやったあとに給食室まで行き、そこに残っていた牛乳を何本もまとめて飲んだりしていた。ところがある日、ちょっと酸っぱいかなと思いながら飲んだら・・・・・学校帰りの地下鉄の駅で目の前が真っ暗になり意識を失くしてしまった。腐った牛乳に当たったのだ。僕はそれ以来、牛乳を飲めない体になってしまった。だから高校時代も大学時代も牛乳は飲んでいない。飲むとお腹がごろごろしてひどいことになるのだ。ところが教師になって、困ったのが毎日の牛乳。生徒の手前まさか飲まないわけにはいかない。そこで「清水の舞台から飛び降りる」覚悟で飲んでみたのだ。すると不思議なことになんともない。調子に乗って普通の牛乳を飲むとすぐにゴロゴロ。学校の牛乳だけはOKという変な体になってしまったのだ。一つは精神的なものだと思うが、もう一つは学校の牛乳は薄いということからくるのかも知れない。
冬にストーブがあるときは子ども達と一緒によくパンをストーブで焼いて食べた。その時の美味しさが忘れられず、教室にトースターを置いたことがあった。パンはトースターで焼くと添加物が全部飛ぶから体には絶対にいいのだ。でも匂いがするので、他のクラスからクレームがつき、トースターを準備室に持っていった記憶がある。
お代わりのルールは小学校によって違うらしく、1年生の最初は結構もめていた。だから僕はいつもじゃんけんにしていた。男の子も女の子も教師もとにかく公平にジャンケンという訳だ。座る席もくじ、後片付けもじゃんけんというのが僕のクラスのルールだった。
ある時体が不自由な子をいじめた子達がいた。僕はその子達に給食を持ってくるようにいった。そしてみんなの見ている前で3人の子達にその給食を頭からかけてしまったのだ。その日の給食は「フルーツポンチ」。教室全体から「悲鳴」が上がった。
僕はその時子ども達にこういった。「フルーツポンチがかかったって、髪の毛は洗えば元に戻るんだ。でも一度言葉で傷ついた心は元には戻らないんだぞ!分かったか、この馬鹿たれが!」この間、その子達とクラス会があった。その時フルーツポンチをかけられた子が二人いた。その二人がこう言ったのだ。「たかやん、あの時は本当に怒ってくれてよかったよ。いや、本当に怒ってくれてよかった。」そしてその時いじめたYに向ってこう言ったのだ。「あの時は本当にごめんな。俺達何にもわかってなかったんだ。でも今日来てくれて本当に嬉しいよ。本当にごめんね。」フルーツポンチの思い出である。


6月9日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第85弾!

「たかやん議員日記」2004.第85弾!  6月9日(水)

野次
昨日「一般質問」が始まった。刷新の会の加藤幹事長の一般質問もあった。僕たち新人は幹事長の質問を聞くのは初めてである。だからとっても楽しみにしていたのだ。ところが発言する前から野次が飛ぶのである。野次を飛ばすのはいつも同じH議員。僕らはじっくり聞きたいから耳を澄ませているのに、言葉尻をとらえて、野次。話の途中で野次・・・これには本当に頭にきた。この間の3月議会でも僕が並木平八議員のことを「並木平八先生」と呼んだら、「先生じゃない!」と野次られた。僕は議員だから先生って言ったのではないのに・・・学校の癖で「先生」って呼んでしまっただけなのに・・・そういうちょっとしたいい間違えまで野次られるのだから嫌になる。議会だからそりゃあ主義主張は違う。違うから会派が違うのだ。違う主張を聞くから、自分の主張も聞いてもらえるのではないかと思う。

たかやん
僕のあだ名は何十年も「たかやん」である。子ども達も親もそう呼ぶ人が多かったから、「たかやん」と呼ばれるとすぐに反応してしまう。今日は県会議員の吉田よしのりさんに「たかやん」と呼んでもらった。議員でそう呼ぶのは羽根善保、田中幸弘に続いて3人目。距離が近くなってきた証拠である。議会事務局の人たちや、役所の人たちにもいつかはそう呼んでもらえるのだろうか・・・・僕が一番嫌な呼び名は「邑議員」とか「議員さん」という呼び名である。滅茶苦茶遠い存在のような呼び名に感じるからだ。知らない人からも「たかやん」と呼ばれるような身近な議員になりたいなあと思う今日この頃である。


6月10日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第86弾!

「たかやん議員日記」2004.第86弾! 6月10日(木)

ドライカレー
フルーツポンチの思い出を日記に書いたら、尚代からこんなメールが来た。

私が中一のときにも同じようにクラス内でいじめがあって、
智がいじめられてたんだけど、やっぱりたかやんは怒りました。
怒って、給食の乗っていた机を蹴飛ばしました。
その日のメニューはドライカレーでした。
フルーツポンチの話を読んで、その日のことを思い出しました。
いじめた中には今も私が時々連絡を取っている人が一人いて、
それは笹島広志なんだけど。
ひろがフルーツポンチの彼等と同じように、
たかやんに怒ってもらえてよかったと思っているといいなぁと思いました。
*実はこの尚代達というのはこころ達の代の子達で・・・・あのフルーツポンチ事件よりも3年前のことになるのだ。うーん、そう言えばドライカレーが教室中に飛び散った記憶がかすかにあるかも知れない。きっとその時の「一生懸命」を読めばはっきりすると思う。学級通信にはほとんどの出来事をそのまま書いていたと思うから。そう・・・テニスコートでコーヒー牛乳事件というのもあったなあ・・理準でも何かやった記憶がある。やられた方は覚えているんだよねえ。やった方は忘れちゃうけど・・・・・ 
傍聴
今日は傍聴する人が少なかった。午前中はほとんどゼロ。午後はテレビ局が来たりして、結構賑やかだったが・・・傍聴人が少ないとやはり寂しいものだ。今日は午後から新人議員が二人初めての「一般質問」をした。二人ともかなり緊張していたように感じだ。3月議会の自分を見ているようだった。二人ともお疲れ様でした。

たかやん


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