昨日、挨拶運動のことを書きました。本気でやるなら「毎日」やりなさい。「一人」でやりなさい・・・と書きました。要するに、「月一」や「大勢」でやる挨拶運動は「邪道だよ」と言っているのです。何故でしょう。子ども達の気持ちになれば直ぐに分かります。学校に来る子達は、元気よく挨拶が出来る子だけじゃないんです。学校に行くのがやっとの子達もいるんです。「不登校」という言葉は好きではありませんが・・・「不登校気味」の子達にとっては、大勢で待ち構えられている「朝の挨拶運動」はストレス以外の何ものでもありません。大勢の目で見つめられ、「挨拶を強要」されるように感じるのですから、(行きたくないなあ・・・)という気持ちになっても不思議ではありません。 挨拶の目的はなんでしょう。僕は「子ども達を元気にすること」だと思っています。朝ごはんを抜いてきた子ども達を「笑顔の挨拶」で元気にする。朝から怒られてきた子ども達を「元気にする」。悩みを一杯抱えた子を「笑顔で元気にする」 「おはよう」「大丈夫か」「どうした」「大丈夫だよ」「いえーい!」「がんばれーっ!」 「Hey! What’s up?」「give me five!」「Can I give you a hug?」「Let’s hug!」 言葉は色々あるでしょうが、子ども達の表情を見逃さずに挨拶するには、子ども達が自分に集中して貰わないといけないのです。だから、一人でやらなきゃダメなんです。そして、それを「継続」していくことで、(あれ?今日は元気がないぞ・・・)(あれ?いつもより、遅い時間だな・・・)(あれ?昨日と同じシャツだぞ・・・髪の毛洗ってないぞ・・・)(痣があるじゃないか・・・・)(おや、周りの子達にからかわれて、顔が引き攣っているぞ・・)そういうことにも気がついていくのです。 PTAや学校応援団がやっている「朝の挨拶運動」を見て、駅前での「選挙運動」のように見える人も多いのではないでしょうか。そうです。「朝の挨拶運動」と「選挙運動」は確かに「似ている」のです。どちらも沢山見てきた僕が言うのだから間違いありません。普通の神経なら「見えない圧力」を感じて当たり前です。 「挨拶」は相手を「安心」させるものであり、相手の気持ちを「楽」にさせるものです。挨拶は相手を「幸せな気持ち」にするものなのです。その基本を忘れて、相手に「僕は頑張っています」とか「挨拶をしろよ!」という気持ちを1ミリでも出したら・・・それは「挨拶」ではありません。 その基本を知らず、「挨拶」の目的を忘れ、「朝の挨拶運動」をしている集団の何と多い事か・・・・。自己満足の為の「挨拶運動」にはそういう落とし穴があることを忘れないでください。千代田区の麹町中学校は「朝の挨拶運動」を廃止したそうです。学校に本当に必要なものは、そういう「何かやってるな」と見えるものではないんです。どうしても、僕が言っている意味が分からない人は、生徒と一緒に登校してみてください。