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7月1日 (土) 「たかやん議員日記」2006.第182弾!
「たかやん議員日記」2006.第182弾! 7月1日(土)
明治三十五年 今日は北大庭球部のOB会。品川プリンスホテルのテニスコートで先輩、後輩達とテニスに燃えた。と言ってもほとんどは先輩な訳で・・・・僕より若いのは二人だけ。久しぶりに自分は「若いんだ!」と思った。今日初めて知ったのだが、北大の庭球部は明治三十五年に創設された日本で二番目に古い庭球部なのだそうだ。一番古い大学は早稲田か慶応だったらしいのだが、それにしても全国で二番目とはたいしたものだと思った。
90歳 という訳で、90歳近い先輩や前部長先生が登場し、60歳は若造!という雰囲気の中、記念式典は始まった。テニスで体の中の水分が枯渇した僕は栓の抜かれたビールに目が言ってばかり・・・・先輩達の挨拶を聞きながら・・・まだかなあ・・・と集中できない。ふと周りを見ると、周りの先輩達も下を向いている人ばかり・・・・乾杯前の挨拶が50分近く続いていたのだから無理もない。それでも体育会系の僕らとしては一応直立不動で聞くしかないわけで・・・・
ビール 乾杯!の直後、先輩の一人が「美味い!ぬるくてもうまい!待った時間が長いと何でも美味い!」と言って、僕らを笑わせてくれた。確かにビールはかなり温く、気も抜けていたのだが・・・水分が体に入ってきた感じがした。
スピーチ ビールが入ってからのスピーチはなかなか面白かった。北大の先輩達だけではなく、東北大の先輩達や小樽商大の先輩達も面白おかしい話をして会場を沸かせてくれた。やっぱりスピーチの上手な人には魅力を感じる。口下手の僕としては、もっと練習をしなくては・・・そう思った。
12500円 札幌時代に住んでいた下宿は朝晩食事付きで12500円という、「菱和荘」という下宿だった。全員が北大生で庭球部の先輩も二人、2階に住んでいた。僕は一階の6畳一間。共同トイレに風呂はなし。冬は寒くて、布団が息で凍ってしまう。そんな部屋だった。新歓コンパ(新入生歓迎)や追コン(卒業生追い出し)の時はトリスをコップで一気飲みし、2階から雪の中へダイブするという習慣が残り、ストームを組んで車を止めるという危険なことをする下宿だった。医学部の徳田さん、法学部(だったと思う)の浜田さん、文学部の高田さん、そして獣医の吉野さん・・・僕はそこで先輩達の部屋に入り浸り、麻雀をし、酒を飲んで、そして愛を語った。テレビもラジオも無く、音楽を聴くのも人の部屋・・・そんなに貧乏で何も無くても、僕にとっては最高に楽しい1年間だった。生まれて初めて誰からも束縛されないで生きた一年だったからかも知れない。僕はテニスに明け暮れ、夜は麻雀に燃え、先輩達と酒を飲み、そしてちょっぴり恋をしたのだった。
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7月2日 (日) 「たかやん議員日記」2006.第183弾!
「たかやん議員日記」2006.第183弾! 7月2日(日)
都ぞ弥生 夢の中で「都ぞ弥生」を熱唱するのだが、何だか体中が痛くて目が覚めた。どうやらソファーで寝ていたらしい。OB会から帰ってきてからの記憶がない。気がつくとパンツ一丁でソファーの上・・・・体がいたい訳だ。「起きないから布団かけておいたわよ」と奥さん。 それにしても昨夜のOB会は楽しかった。高田さんの前口上で歌った「都ぞ弥生」。先輩達と肩を組んで歌ったのだが、みんな歌詞を忘れていないのだから凄い。前口上と共に、これからも後輩達にも受け継がれていくのだろう。
団体戦 今日は奥さんのテニスの試合。僕は空のお守りと応援で本多テニスコートへ。結局一日中コートにいて、教え子の赤ちゃんを抱っこしたり、空たちと遊んだり。応援をしたり・・・。僕は選手として試合にでるより、大会を運営する側にいたことの方が多いから、どんな大会でも大会の運営がスムースにいっているか気になってしまう。ネットの高さからスコアボードの位置、審判のコール、大会要綱、大会使用球・・・本部役員の食事、費用。記録・・・そして勿論コート進行。石神井高校の恩師も、昔中学生の大会で同じ事を言っていた。「たかむら、これはもう俺の癖なんだ。ずっと大会をやっていると気になることが沢山ある。例えばあのスコアボードの位置・・・」きっと古川先生もインターハイや全日本ジュニアで大会運営で頭を使ってきたのだろう・・・。僕が関東中学や全国中学で大会を運営していたように・・・。
杉山とヒンギス ウィンブルドンが始まった。ワールドカップに隠れてパッとしないが、やはり見ないわけにはいかない。杉山愛は中学生の時から強かった。それでも1年生の時は関東中学で補欠に入るか入らないかギリギリのところで、お母さんから電話をもらったことがある。困ったのはその杉山と大好きなヒンギスが当たってしまったことだ。僕が好きな女子選手はヒンギスとエナン。シャラポワはどうでもいい・・・・。かといって日本人選手には活躍してもらいたいし・・・杉山とヒンギス戦はセットオールとなったところで、ワールドカップにチャンネルを変えてしまったのだった。
優勝 結局奥さんのチームは1回戦負け。ところが、時折雨の振る中、コンソレーションで3回勝ち、優勝してしまうのだから運がいい。優勝商品のビールをみんなで山分けして、笑顔で解散したのだった。
選挙 滋賀県知事選と東大阪市長選で自公推薦の現職が落選した。結構なことである。小泉純一郎のやってきた「わかりやすい」「キャッチコピー」だけの政治の正体がやっと見えてきたのだ。我々の生活はちっとも好転などしていない。どんどん苦しくなるばかり・・・これじゃあ困ると反対票を投じたのだ。選挙は恐い。何が起こるか分からない・・・。勿論新座市の選挙も・・・・。
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7月3日 (月) 「たかやん議員日記」2006.第184弾!
「たかやん議員日記」2006.第184弾! 7月3日(月)
探し物・・・ 今日は一日探し物をしていた。それがなかなか見つからなくて・・・・「教員の免許状」そんなものが必要になるなんて思ってもいなかったから・・・。 その代わりに沢山の学級通信を見つけることができた。読んでいたらあっという間に時間が過ぎていき・・・・探し物は中止になったのだった。
『一生懸命』幻の学級通信第1弾! 3の2 1997 4.8 から・・
始業式前夜 はっきり言ってワクワクドキドキしています。初めての学校で、初めて君たちに会うのですから。そりゃあ興奮しています。今朝は寝言で「位置について、ヨーイドン!」と叫んでいたそうです。そう明日は僕にとっても、君たちにとっても、僕ら3年2組にとってもスタートラインなのかも知れません。
歌 僕は歌が好きです。教え子達にギターを教えてもらって・・・・しょっちゅう歌ってます。みんなで一緒に歌うのが一番好きです。明日も必ず歌うから・・・ふっふっふっ・・・
『一生懸命』幻の学級通信第3弾! 3の2 1997 4.10 から・・
プラス思考 今まで2年間過ごしてきたなかで、こんなに早く楽しくなったことがなかったから、この1年間がとても楽しみ。(学)
先生は「他人の目を気にするな」と言っていました。歌を歌わないのはやっぱり「他人の目を気にしている」からだと思います。次回からは他人の目を気にせず歌いたいと思いました。(美緒)
昨日と今日の授業を受けてまず思ったのは「学活が楽しい」ということ。最初ははっきり言って授業じゃないみたいだけど「面接の練習?」でちゃんと意味があることがわかった。これからも「楽しい授業」をよろしくお願いします。(翔)
昨日の学活が終わり、部活の友達に「先生おもしろいよ」と言ったら「いいなあ、私も2組がよかった」と言われました。すごく嬉しかったです。クラスの雰囲気も凄く「いい感じ」なので楽しく1年間を過ごせそうです。歌も頑張って歌いたいです。(めぐみ)
学校は楽しいに限る。 クラスが楽しくて、授業が楽しくて、部活が楽しくて、友達がいっぱいいて、先生達と人生を語れたら、幸せだよね。身長が伸びて、体重がちょっぴり増えて、わからないことがわかるようになって、出来ないことが出来るようになって、自分に自信がついて、どんどん自分のこと好きになっていったら 楽しいよね。そういう1年間にしようね。
今から9年前の学級通信を読みながら、2中の3年2組の仲間達のことを僕は思い出していた。探し物が見つからなくても・・・探していた何かを見つけたような気がした。
夜学 今日は塾が終わってから富士見台まで行って、僕が授業を受けてきた。マーケティングの授業は10時から0時近くまで続いた。授業は面白く、知らないことばかりだった。宿題も出た。楽しみ、楽しみ。
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7月4日 (火) 「たかやん議員日記」2006.第185弾!
「たかやん議員日記」2006.第185弾! 7月4日(火)
ヒデ 朝日の朝刊の一面がヒデとは・・・・ヒデが引退したことよりも、朝日の一面がヒデだったことに驚いた。高校を卒業するときに「大学は30歳からでもいけるけど、サッカーは今しかできない」と大学に進学せずにプロになったそうだが、正解だろう。そして30歳になったから大学へ・・・それも正解。まあ人生なんで終わってみないと何が正解かは分からないし、正解なんて無いのかも知れないけど、一つだけ言えるのは一度きりの人生なのだから、自分が思ったように生きるということだ。
転職 僕が学校を辞めようと思った理由は色々あるのだけど、その一つが「定年になってからでは新しいことに挑戦するのは難しい。」そう思ったことだった。60歳まで担任をする予定だったのだが、他にもやりたいことが沢山あったのだ。学校は楽しかったし、安定もしていたし、最高の仕事だったけど・・・それでも他にやりたい事があったから、辞めようと思ったのだ。体と頭が若いうちに、やりたいことにどんどん挑戦する。若さの特権である。
『一生懸命』幻の学級通信第10弾! 3の2(二中) 1997 4 19から・・・
家庭訪問 昔々のお話。「たかやん、何が好き?」と古都。『うどん』「ふーん」次の日、家庭訪問に行ったら、うどんがでるわでるわ・・・5杯は食べたかなあ・・。「たかやん、何が好き?」と弘樹。『アップルパイ』「わかった」次の日の訪問はアップルパイだらけ・・・「たかやん 最後に来てね」とこころ。『OK』こころの家に行くとお父さんが待っていて、朝まで飲んでしまった・・・。「たかやん 7時に来てね」『あいよ』7時過ぎに行くと「さ、お風呂に入って!」とお母さん。『はい?』ま、とりあえず入って出て行くと、おじさん3人が待っていて「待ってたよー」と徹夜で麻雀。なんてこともあったっけ・・・本当、昔の家庭訪問はムチャクチャでした。はい。
歌 半数近くがオリエンテーションで欠けてしまい、隣のクラスからはHey Judeが聴こえてきて、やっぱり歌を歌うことになった。“祈り”“交差点”“君のために作った歌”“おやすみ”“僕のそばに”と5曲歌った。 * 私はおやすみがよかった。眠りやすくて、気持ちよかった。(明菜) * 全部よかったけど、おやすみを聞いたら、少し本当に眠くなった。(正昭) * おやすみがよかったです。とても気持ちよく眠れると思いました。また寝たいときに歌って欲しいです。(美緒) * とてもいい歌だと思いました。とくに「祈り」という歌が気に入りました。(大輔) * おやすみ。ゆったりとした感じがよかった。(智亮)
ここからは今の僕 家庭訪問の話は全部本当のことである。僕は最初の家庭訪問で大失敗をした。職員会議で「湯茶の接待は受けぬように」という指示が出されたのだが、それを完全に守ってしまったのだ。「お茶一杯も飲みませんでした。」と報告する僕に、神さん(神宮司久子)は「何やってんだ!」「心を込めて出したお茶を飲まない馬鹿がどこにいるんだ!」と本気で怒った。それ以来、僕は出されるものは全部飲み、且つなるべく食べるという苦しい選択をすることになったのだ。だからうどん5杯も食べた訳・・・・。一番驚いたのは勿論風呂。出て行くとおじさん達がニヤニヤ笑って待っているんだから・・・
中学生は疲れている。勉強で、部活で、塾で、先生に、そして家庭で・・・だから時々息抜きに「歌」を歌って寝かせていたのだ。少し寝てからの授業は集中力が高まり、ダラダラ長くやるより遥かにいい授業ができた。理科の授業でギター?そんな馬鹿な・・・でも本当の話である。
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7月5日 (水) 「たかやん議員日記」2006.第186弾!
「たかやん議員日記」2006.第186弾! 7月5日(水)
Brainstorming 朝から雨。少し運動をしようと思っていたので、テレビをつけそうになったが・・・・ふと「暗誦とウォーキングを同時にやってみよう」と思いついた。ゴミを出すついでにアパートの廊下をブツブツいいながら歩き始めた。暗誦だけじゃあ飽きるし、歩くだけじゃあつまらないのに・・・・両方合わせると、なかなか面白い。もしかしたら一昨日の夜のJさんの講義が無意識のうちに働いていたのかも知れない。30分という時間はあっという間に過ぎ、そして頭の中には50の英語の諺が残った。これは病みつきになりそうだ。その後お風呂に入ってJeffrey Archerの本を音読。黙読でも遅いから音読などしたことがなかったのだが・・・これがまたよかった。 口の筋肉が動かないことには英語は話せないから・・・。
廃校を不登校児童の学校に・・・ 昔から僕が提案してきたことを東京の葛飾区が始めるらしい。特区申請をしてNPOが運営をするのだそうだ。不登校対策を教育委員会が考える時代は終わるのかも知れない。
『一生懸命』幻の学級通信第15弾! 3の2(二中) 1997.4.25 から
ビタミンI 『朝食だけはちゃんとしたものを食べさせてあげて下さい。作れないときは、作り方を教えてあげてください。』と昨日の保護者会でお願いしておいたのだが・・・・。今朝のアンケートの結果は悲惨だった。担任が合格点をあげられるのは、亜沙子、翔、加代子、くるみ、明子、めぐみ、大輔、愛梨果、宏佑、晶子ぐらい。(陸上部と明菜は除く)食べていない3人は論外として、あまりにも貧困すぎる。「ごはん、玉子焼き、ウィンナー」とか「パン、牛乳」とか「コンニャクグミ6個」「ご飯1膳」「トースト1枚」「パン、カルピス」「パン、ミネラルウォーター」とか・・・・これじゃあ子供たちが疲れるのは当たり前だし、学校で力を発揮できない訳だ。お願いしますよ、お母さん。頑張ろうよ、お父さん。朝食って毎日のことでしょう。すっごく大切なんじゃないかなあ・・・そう思いません?お金を出して塾へ行かせることより、朝食をちゃんと作ること。作り方を教えること。子ども達はビタミン“愛”不足で苦しんでいます。はい。 ともや
* 五中でも六中でも二中でも、そして塾でも朝ごはんのことはかなりうるさく言っていた。朝ごはんと成績は関係があるからだ。特に和食をしっかりと食べている子は成績上位の子が多い。ビタミンIをしっかりと補給しているから、精神状態も安定しているのかも知れない。朝ごはんは工夫しだいでどうにでもなる。牛乳とパンは料理ではない。コーヒーとトーストも料理ではない。日本の朝食は技術なのだ。その技術を子供たちに伝えるのは日本人としての責任だと思う。“愛国心”はこういうところにもあるのかも・・・。
7発? 「気違いに刃物」「北朝鮮にミサイル」朝からやってくれるわ・・・。まだ発射の用意があるというから本気である。貧乏な国が、民が飢えている国が7発も打つなんて・・・指導者が狂うと、社会主義も資本主義も同じ。本気で狂ってしまう・・・・指導者を選ぶ時は用心しないと・・・。たかやん
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7月6日 (木) 「たかやん議員日記」2006.第187弾!
「たかやん議員日記」2006.第187弾! 7月6日(木)
嬉しい便り 先日の議員日記にあった「おんぶ宿題」をもらいました!!子ども達は大喜びでした。家族にも好評だったようです。学級通信に載せましたので読んでください。
「せんせい、あのね、きのうわたしはおかあさんにおんぶしてもらってうれしかったです。」 「せんせい、あのね、きのうおにいちゃんにおんぶをしてもらったよ。」 「せんせい、あのね、きのううちのみんなにおんぶしてもらったよ。たのしかったよ。」
「20才になってもおんぶさせてください」父より 「少しは大きくなりました」兄より 「1分しかできませんでした。残念。」ばあちゃんより 「とても重くてつかれました」じいちゃんより 「○○○のからだは、あたたかくいいあせをかきました」母より
こんな手紙が新座市内の先生から届いた。僕の議員日記を先生達も読んでいてくれたのだ。それも嬉しかったが、「おんぶ宿題」を実践してくれたことがもっと嬉しかった。川越の友達もきっと喜んでくれるだろう。新座の学校にどんどん広まるといいなあ・・・・。
『一生懸命』幻の学級通信第11弾! 3の2(二中) 1997.4.21から
亮に負けた・・・ 邑亮は六中のテニス部キャプテン。そう君たちと同じ歳だ。彼の心臓に異常が発見されたのが小学校5年。「一切の運動をやめさせてください」と医者に言われ、僕は悲しくて、可哀そうで、清瀬の小児病院の駐車場で一人声を上げて泣いた・・・。何回も病院をかえて、やっと日大病院で「体育の授業程度の運動なら・・・」と許可をもらい。彼は「死んでもいい。テニスをしたい。」と六中のテニス部に入ってきた。自覚症状が出ると10年生きられる確率が50%しかない病気を背負って彼は生きている。その亮に昨日初めてシングルで負けた。お互いにマッチポイント何度かしのぎながら、結局タイブレークの5−7で負けた・・・。 亮が入部してから、六中のテニス部の3キロのランニングは無くなった。苦しいトレーニングも無くなった。練習はどんなに長くても3分まで。3分やったら最低3分は休む。そんな練習でも亮は1年生でレギュラーになり、全国大会でも関東大会でも優勝した。(他のメンバーが良かったから・・運のいい奴だ)そう思っていたが、昨日はもの凄い集中力で僕を倒しにきて、そして実力で勝っていった。県でベスト8の高校生でも僕に負けるのに・・・。まあ昔と違って、月曜から金曜まではサッカーをやっているから、力が落ちているかも知れないが・・・・。すっごくうれしいのと、すっごくふがいないのと、恐いのと・・・複雑な気持ちだった。亮を強くすることが、亮を殺すことになるかも知れない。だけど心を殺してしまうことが一番恐い。そんなことを考えながら、僕も亮と一緒に生きている。
議員日記がいつの間にか学級通信になってしまっている。でも読み始めるとなかなか止まらない。どのクラスにもたくさんの思いでがある。忘れていることもたくさんある。自分の書いた文章なのに、読んで泣くこともある。21年間で僕の書いた学級通信は3000以上・・・少しずつどこかに記録しておこうという意識があるのかも知れない。昔から家族のことなんかもよく書いていたんだなあ・・・亮もきっといつかこの通信を読むことがあるだろう。 たかやん
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7月7日 (金) 「たかやん議員日記」2006.第188弾!
「たかやん議員日記」2006.第188弾! 7月7日(金)七夕
サーバー 七夕だというのにサーバーがダウンし、昨夜からHPに日記がUPできなかった。何度試みても自分のホームページを見れないのは寂しい。
免許 どうしても教員免許が見つからないので市教委に行って聞いてみた。宮川先生と阿久津先生が対応してくれて、どうやら北海道教育委員会に連絡すれば何とかなるかも知れないということが分かった。早速道教委に連絡してみると「はい、再発行できます!」ということだった。ただ大昔のことなので探すのに大分時間がかかるらしい・・。「2ヶ月は見てください」と言われ・・・・参ったのだった。
タイ 突然タイのスティーブから電話があった。Hey! Takayan. How are you doing? Steve? How have you been? スティーブは今、タイの日系企業で仕事をしている。そして来月パパになるのだそうだ。相手は香港のお嬢さん。彼女は日本語と英語とタイ語がペラペラ・・・。そばにいた空も少し話した。Hello? Hi, Sora! 電話の向こうでスティーブが喜んでいるのがわかった。彼がタイへ行く前の日、僕の家で話をして、その時空は初めて歩いたのだ。そしてその空を見て、スティーブは泣いていた。帰る時、僕とハグした時も泣いていた・・・。スティーブはそんな奴だった。だから今でも友達なのだ。「来月パパになるんだよー」というスティーブからの報告に我が家全体がハッピーになったのだった。
9年前 『一生懸命』幻の学級通信第67弾! 3の2(二中) 1997.7.5から
タマゴッチ 親友との会話。「アメリカでもタマゴッチ流行ってるんだって」『ふーん』「でね、授業中にピーピー鳴ってうるさくて、しょうがないから・・・」『禁止と』「なるよね、普通」『うん』「ところがある学校でね。そんなにタマゴッチに集中してしまうなら」『わかった!』「そうタマゴッチの時間を作った」『タマゴッチを世話する時間を作った』「凄いと思わない?その発想」『いい悪いは別として頭、柔らかい・・・』「違うよね」『うーん、いいなあそういうの・・・』
『うちのクラスの子のお母さんがね、あんまりにも暑いから麦茶を差し入れた。』「母親の愛だね」『それを放課後、その子は友達みんなに分けてあげた。』「優しい子だ」『なのにその子は怒られた』「ルールを守れ!」『そう・・・』「分かるなあ、それ」『学校って何を教えるところなんだろうね』「うーん」
* 因みに「」は親友、『』は僕の発言。その当時に実際にあった話の再現。麦茶を友達に分けたこが体育の教師につかまって、かなり怒られた。そして僕はその子を思い切り誉めたのだった。僕には共通理解という単語を理解する能力がなかったのだろう・・・。
1997年の七夕 第69弾!から
昔々小さい頃。短冊になんて書いたんだろう。どうしても思い出せない。「運動会で1等賞とれますように」「お年玉がたくさん貰えますように」うーん、何だっただろう。 今の自分は何て書くだろう。「2組の子達がみーんな幸せになりますように」っていうのも悪くはないけど、じゃあ1組や3組の子はどうするのってなるし・・・「世界中の子ども達が幸せになりますように」っていうと、大人は不幸でもいいのかってことになったりして、なんか難しい。だからきっとこう書くような気がする。「自分が自分らしく生きられますように!」って・・・
*今自分は自分らしく生きているだろうか・・・まだまだその域には達していないなあ・・ たかやん
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7月8日 (土) 「たかやん議員日記」2006.第189弾!
「たかやん議員日記」2006.第189弾! 7月8日(土)
暗誦 今朝も散歩&暗誦で一日がスタートした。体も頭も結構いい汗をかくので、すっきりした気分になれるからいい。ゴールは300の諺。今やっと60まできた・・・。体重はなかなか70を切れないが・・・。この夏で切ってやる!
いいこと・・・ 買い物に行ったら、まず議会事務局でお世話になった佐藤さんに会った。なかなか元気そうで安心した。次に二中時代の友人に会った。隣のクラスの担任だった彼とは何故か気が合った。彼は僕が授業でギターを弾くのを知って、英語の授業の前に歌を歌うようになった。「今でも弾いてるの?」「うん、まあ時々」久しぶりに会えて嬉しかった。そして最後は五中と六中でお世話になったキノッピー。奥様が僕のことを見つけてくれて・・・・「今度遊びに来てくださいね」と言ってくれた。今日はなんだかいいことがある日だった。僕にとって知っている人に会える日は「いい日」なのだ。
オシッコ完成? 空がやっと一人でオシッコができるようになった。もうおねしょも殆どしないし、オムツの数が減らなくていい。でもうんこだけはまだオムツの中でしかしないから・・・・一日一個のオムツは必要なのである。
『一生懸命』幻の学級通信 3の2(二中)から・・・
アンポンタンチ 「たかやん!」『ん?』「アンポンタンチのチって何?」と悟。『そりゃあお前複数形のチだよ・・・』「あ・・・複数形のチ・・・・」笑う2組。アンパンタンチ。うーん、いい響きかも知れない。 *こういうつまらない会話が面白い。そんな話をした記憶が少しだけある。
ブルマーめぐみ 生徒総会でブルマー反対のアッピールをしたのはめぐみ。ほとんど全員の女性とから大拍手されて、輝いていた。他のクラスの子がもごもご小さな声で質問、発言するなかめぐみはシャキっと背筋を伸ばし、大きなハッキリとした声で発言していたのがよかった。すっごいかっこよかった。晶子もハッキリとした声でなかなかさわやかな中央委員だった。うん。 * 二中は当時ブルマーだった。掃除の時間はみな短パン・ブルマー。最初はショックだった。でも慣れとは恐ろしいもので、夏にみんなで笑顔で撮った写真がある。(ブルマーで笑顔)でも女の子達は内心嫌だった訳で・・・女生徒全員が嫌がっていたのに、体育科の反対で何年もブルマーのままだったらしい・・・。可哀そうに・・・・。
二中病 あんなに怒ったタカヤンをはじめて見た。でもタカヤンが行っていた事は正しいと思う。挨拶ができないなんて本当に恥ずかしいことだ。おはようの一言が言えないのは何故なんだろう。それはやっぱりはずかしいからだと思う。だから明日から恥ずかしがらずに自分からあいさつ(おはよう)を言っていきたい。(靖人) ○ 「おはよう!」が大きな声で言えないことのほうが恥ずかしいんだよね。今朝はすごーく大きなみんなの「おはよう!」が返ってきて、嬉しかったよ。
話を聞いているとき、先生の目が見れなかった。そんな自分が情けないと思った。先生の目が涙ぐんでいた気がした。話を聞いて心の中では理解していた気がするけど、その内容が実行できないのは理解してない訳で、結局自分は何も分かってないだけ・・・そんなんでいいのかと思う。(美幸) ○ 目を見ていなくても、心で聴いていてくれたんだね。ありがとう。大丈夫、みんな少しずつ変わっていくから・・・
*あの頃(5月)の子ども達は号令がないと挨拶ができなかった。僕はそれを二中病と呼んだ。僕が「おはよう!」と言っても「・・・・・」。でもこの後から、みんな大きな声で「おはよう!」と言ってくれるようになった。こうしてみんな少しずつ、でも確実に本当の笑顔になっていったのだ。
お風呂の中での会話 空「パパ、ちっちがいないときさびしかった?」父「うん?空がうまれるまえってこと?」 空「そう。さびしかった?」父「うん、すこし寂しかったかな。空は?」空「うん、さびしかった」父「そうかあ、パパもママもいなかったでしょ。」空「うん、だからさびしかった。でもねパパ。ババがいた!だからちっちさびしくなかった。」空はおばあちゃんが大好きなのだ。
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7月9日 (日) 「たかやん議員日記」2006.第190弾!
「たかやん議員日記」2006.第190弾! 7月9日(日)
お袋への贈り物 来週兄貴が舟見(富山県下新川郡入善町)へ行くというので、家にあったビデオをたくさん持っていってもらった。機械音痴のお袋はビデオの操作ができないと思い込み、折角あるビデオを使えないでいたのだ。それを兄貴が何度も何度も繰り返して教えて・・・遂に自分で自由にビデオを見ることができるようになったという訳だ。 中にはシャローン・ストーンのドキッとするような映画もあるのだが、それを見てひっくり返るような歳でもないだろう。もうすぐ83歳なのだから・・・・。あとは森山良子と森山朔太郎のCDを贈ろう。いい音楽はひとを健康にするから・・・・。
学級通信 議員日記に毎日昔の学級通信を載せるのもどうかなあ・・・そんなことを考えていたせいか、HPにそのコーナーを作ることを思いついた。それならそこにどんどん昔の『一生懸命』を書き込めるし、それが僕達の記録にもなるだろう。五中の1年3組で始まり、二中の3年2組で終わった20年間の『一生懸命』。いつかまとめよう・・・そう思っていたが、3000以上の『一生懸命』の中から、心に残ったものを集めて書いてみようと思う。
恵庭市長 7月になった。今月の24日には恵庭市長の中島興世さんに会いに北海道へ行くことになっている。そう「視察」である。だけど今回は北海道の友達に会いにいくついでに行く視察なので、「政務調査費」はゼロ。スッキリしていて気持ちがいい。政務調査費は勉強の為の本と新しいパソコン(我が控え室にはないのです・・・)に使おうと思っている。勿論「視察」の内容は議員日記で報告しますね。
宿題 やらなきゃいけないことが沢山あって、毎日が滅茶苦茶忙しい。先生達には宿題を貰い、生徒たちには宿題を出して・・・どっちもなかなか大変だ。でも面白いというところが小学生の頃とは違うところかな。僕は小学生の時、宿題というものをやったことがなかった。常に意識して忘れていった悪ガキだったのだ。勿論最初のうちは本当に忘れていたのだが、そのうち「忘れ物の帝王」らしく、堂々と忘れてしまえ!そう思うようになったのかも知れない。小学生の時は勉強そのものが嫌いで・・・家で勉強する子の気が知れなかった。学校で勉強して、家でも勉強するなんてばっかじゃない!そう思っていた。「遊びの天才」は毎日、朝から晩まで遊びを考えていたのだ。でもスクールの語源のスコーレはギリシャ語で「あそび」という話も聞いたことがある。もしかしたら勉強は「遊び」のようなもので、遊びのように面白いものなのかも知れない。宿題をやりながら、そんなことを考えていた。
FAX 遠くの子供たちとのFAXでのやりとりがなかなか面白い。色々な学校のテストを見ることができるのも楽しい。中には間違った問題もあるし、(やるじゃん!)という問題にもたまに当たることがある。電話よりもFAXの方が歴史が古いらしいが、メールより遥かに味があるところがいいのだと思う。 たかやん
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7月10日 (月) 「たかやん議員日記」2006.第191弾!
「たかやん議員日記」2006.第191弾! 7月10日(月)
ゴミ 「堀の内球場の隣りの公園の状態が余りにもひどい!何とかなりませんか?」と市民の方から連絡をもらった。早速担当課に連絡し一緒に見に行った。 その公園は確かにゴミだらけだった。滅茶苦茶に壊れた自転車が7台に通学に使ったと思われる自転車が2台放置してあった。テーブルの台ははがされ、滑り台やベンチは放火の跡があった。「中学生や卒業生の溜まり場になっているんですよ」「警察にも見回りをしてもらうように要請しているのですが」「直しても、直してもまた壊されるんです」「撤去した方がいいんでしょうか・・」『それは違うと思います!』
こういう時こそ「教育力」の出番なのだ。公園をゴミ箱と間違え、傍若無人に振舞うことに慣れてしまった子供たちは、まともな「教育」を受けていない。家庭でも学校でも「教育」されていない子供たちは、何をやっても怒られることなくやりたい放題。そしてやがてはそれが凶悪犯罪へとエスカレートしていく。 それでもそういった暴力の対象が物であるうちはいい。それが人間に向ったり、自分に向ったりすれば・・・誰かが傷ついたり、死んだりするようになるのだから。今彼らはSOSを出しているのだ。誰かがそれに気づいてあげないと・・・・。
少年野球をやる小学生の子供たちの心が曇らないように、市をあげてこの問題に取り組んで欲しいと思う。公園が汚れているということは、その市が汚れているのだ。その市の教育力が低下していると世間に宣伝しているようなものだ。あのゴミは県外から持ち込まれたものではない。間違いなく新座市民が捨てたゴミである。同じ新座市民の少年野球に熱心な保護者達は毎週その公園のゴミを拾っているのだ。多分(市や学校が何とかしてよ!ひどすぎるよ、これは・・・)そう思いながら・・・・。
僕が六中にいる間。テニス部の子ども達は10年間、ほぼ毎日ゴミを拾い続けた。大人達がテニスコートの周りに、六中の周りに捨てていくゴミを拾いまくった。ゴミを捨てる汚い大人ようになるまいと、子ども達はゴミを捨てないように育っていった。毎日やっていると、「六中を愛する気持ち」「新座市を愛する気持ち」みたいな不思議な気持ちが育ってくる。そうするとゴミを拾うことが段々嫌ではなくなっていくのだ。そしてちょっと幸せな気持ちにさえなっていく。ゴミを拾うことが楽しいという子にならなくても、せめてゴミは捨てない。そういう子どもたちを市をあげて育てていきたいと思う。
日本を愛する人たちは、決して日本にゴミを捨てない。煙草の吸殻のポイ捨てなんてもってのほかだ。戦前の教育を受けようが、戦後の教育を受けようが、ゴミを捨てる奴らは捨てる。それは「教育勅語」のせいでもなければ「教育基本法」のせいでもない。どんな親や先生に「教育」されたかによって変わってくる。だから「教育は愛」なのだ。愛の無い教育は教育でもなんでもないのだ。 たかやん
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