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7月1日 (日) 「たかやん議員日記」2007.第182弾! 7月1日(日)
「たかやん議員日記」2007.第182弾! 7月1日(日)
SKTC 今日は市のテニス大会の団体戦。今年もSKTCは出場していた。「これ何かしら?」と聞かれたので、「須田健治テニスクラブだと思うよ」と教えておいた。「それなら私たちも、TTTCにする?」と言うから、「いやあ、それはやめておこうよ」と言っておいた。たかむらともやテニスクラブ・・・・ちょっと勘弁だな。 前にも書いたが、僕は須田市長のテニスが好きだ。フォームが綺麗で、センスのいいテニスをするから・・・・。ゴルフなんか(失礼)やめてテニスをすればいいのに・・・。もう一度やってみたいなあ。二人でダブルス組んだら、壮年の部で結構活躍できると思うのだが・・・。
準優勝 県大会の女子ダブルスに続き、市の女子団体戦でも準優勝だった。今日の試合はマナーのいい選手が多く、気持ちがよかった。勝っても、負けてもみんな仲良く記念撮影などをして、友達が増えた感じだった。僕のことを知っている人も多く、かなりの人に話しかけられた。楽しいひと時だった。
北大一部落ち 正確には二部落ちというのだろうか・・・。我が母校が北海道学生王座の予選で一部リーグ最下位となり、今日入れ替え戦を行い0−7(打ち切り)で負けたという連絡があった。僕が学生の頃は当たり前のように王座で優勝し、全国大会に出場していたから、一部から二部に降格というのは信じられない気がする。しかも去年は優勝していたのだから・・・。だけど、これもまた受け入れなくてはいけないことなのだ。強くても弱くても、後輩達を応援する。それが僕達の役目だ。今週末に仙台で行われる東北大学との定期戦は惨敗が予想される。東北大学はインカレが6人もいて、今年が最強と言われているのだ。それでも僕らは仙台に応援に行く。負けると分かっていても、精一杯の応援をしたいし、彼らにも精一杯のプレーをして欲しいから・・・。僕はこの一年間「北海道大学」のTシャツを着続けた。いつでも現役たちと一緒だよ。応援しているよ!という気持ちで着ていたのだ。札幌からそのTシャツを取り寄せ、他の先輩達にも着てもらい、一緒に応援する積りだ。 立教だって、関東学生一部リーグから落ちた。嘗ての名門も実力の世界では落ちることは当たり前。くよくよしてもしょうがない。もう一度強い北大を目指し、今日から再出発をして欲しい。僕は1000キロ離れたところから、どうしたら強くなれるかを真剣に考えることにしよう。やれることはあるはずだ。メンタルトレーニングもフィジカルトレーニングもテニス理論もやれることはあるはず・・・・。それを考えるのが面白い。可愛い後輩達。顔を上げて仙台に向ってくれ。負けることなど恐くない。負ける奴がいるから、勝つ奴がいるのだ。要は精一杯やったかどうかだ・・・。それまでの練習も含めて、悔いの無いように戦ったのかということだ。悔いの無いように、今日からはじめられることは何なのか・・・それを考えることだ。 たかやん
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7月2日 (月) 「たかやん議員日記」2007.第183弾! 7月2日(月)
「たかやん議員日記」2007.第183弾! 7月2日(月)
寝坊 珍しく、空が寝坊した。僕はいつも通りに起きたのだが、何時になっても空が起きてこない。7時になって、朝ご飯を食べる時間になってもおきて来ないので、少し心配になって起しに行った。どうやら4時ごろ一度起きて、それから二度寝してしまったらしい。
ダッシュ 雨が降ってきそうだったので、僕は自転車でダッシュした。もしかしたら今までで一番はやく幼稚園に着いたかも知れない。それでも畑のところでは止まって、野菜の説明をしたのだった。
防衛大臣 原爆のお陰で、北海道がソ連に占領されずに済んだ。そういう話を聞くことは確かにある。それを言ったら、戦争をしなければそんなことは起こらなかっただろうし、もっと早く降伏していれば、広島にも長崎にも原爆は落ちなかっただろう。北海道がソ連に占領されて困るのはアメリカだった訳で・・・何よりも、新型爆弾を有色人種の国で試したかった。その為に原爆が落とされたのだと思う。アメリカ人は「しょうがなかった」と思いたい。そりゃあそうだ。自由と平等の国が「無差別殺人」をしたのだから・・・・。どこかにいい訳がなきゃ、やってられないだろう。原爆のお陰で日本は分裂しないで済んだではないか。だからアメリカに感謝しろと・・・。
防衛大臣とはどういう仕事だろう。勿論自国の国民を守るのが仕事なはずだ。その人が、アメリカサイドに立っていい訳がない。それともイラク戦争に突入したのは間違いだった。という発言の裏返しだったのだろうか・・・。それにしても本当にひどい話だ。彼も酷いが、彼を選んだ安部晋三にも問題がある。総理大臣の器ではなかったということだ。
七夕 空の願い事は「大きくなって、おそらのおほしさまを手でとれますように」というものらしい。空は星が大好きで、金星や木星を見つけては「ピカピカしてるねえ・・」と嬉しそうだ。大きくなって、空の星を手で掴む・・・うーん、子どもの夢は本当に楽しい。昔、上の娘の雪が満月を見て、「ボーリ(ボール)」と言ったのを聞いて、妙に感動した記憶があるが、子ども達の柔らか頭を毎日感じられるのだから幸せである。もう直ぐ七夕がくる。
基礎英語1 6月号のテキストを子ども達と一緒に暗誦した。一冊のテキストを全て暗誦すると達成感がある。簡単なテキストの中にも、使える表現がたくさんある。7月号も覚えてしまおう。 たかやん
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7月3日 (火) 「たかやん議員日記」2007.第184弾! 7月3日(火)
「たかやん議員日記」2007.第184弾! 7月3日(火)
Mちゃん 今朝は夏休みに見に行く映画の話と明日のプールの話で盛り上がった。気温が低いと入れないかも・・・と少し心配な僕達。明日の午後はいい天気になりますように!
突然・・・ パソコンが動かなくなった。写真などはハードディスクにコピーしておいたのだが、流石に全部はバックアップしていなかった訳で・・・・。本当に朝から困った。昨夜までは快調だったのに、こんなこともあるのよねえ・・・。
そう言えば・・ ミニコンポも調子が悪い。テープが使えなくなり、ラジオをMDに落とすのもできなくなった。愛車?のカルディナもエンジンの音がおかしいし・・・うーん。機械にも寿命があるのだ。
ラップトップ それでも日記が書けるのはありがたい。ラップトップのパソコンがあってよかった。キーボードは使いにくいのだが、暫くはこれで我慢するしかないな・・・。
メール 困ったのはメールが出来なくなったこと。設定が違うらしく、メールが読めない。僕にメールを送った人。返事が暫く行きません。ごめんなさい。
基礎英語クラブ 久しぶりに次郎が来て、「俺も英語やろうかな・・」と言う。「基礎英語クラブに入れば?」と僕。「入る、入る」と次郎。小学生から大人までみんなで基礎英語をやるのだから面白い。早速東久留米の本屋さんに二人で行き、テキストを買ったのだった。
トレーナー 次郎はトレーナーだ。僕の背中を触り、「これは駄目だ。硬すぎる・・・」と心配そう。「何とかしてよ」と僕。「任せて」次郎直伝の体操が始まった。
選挙の為に・・・ 久間防衛相の辞任の弁を聞いた。どうも「選挙の為に辞める」と言っているように聞こえた。「本当に申し訳ないことを言ってしまった。」のではなくて、選挙に悪影響を与えそうだから、責任をとると言って辞めた。僕にはそう見えた。自分から辞めたと言っているが、そうではあるまい。安部晋三の態度の変化も一貫性がない・・・。こんな人たちに日本の未来がかかっているのかと思うとぞっとする。早く選挙が来ないかな・・・ たかやん
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7月4日 (水) 「たかやん議員日記」2007.第185弾! 7月4日(水)
「たかやん議員日記」2007.第185弾! 7月4日(水)
パソコン 午前中の数時間、パソコンの修復に費やした。メールが開通し、大事なメッセージを受け取りホッとした。そして何よりホッとしたのが、書きかけの「議会報告」6月号の続きができたこと・・・。先月号とまとめて駅で配る予定だったので、かなり焦っていたのだ。パソコンは便利だが恐ろしい・・・・。いつどうやって壊れるかは分からない。どこかにバックアップしておかないと・・・。デジタルを信じすぎると危険だ。どこかにアナログな部分を残しておかないと・・・。そんなことを考えた一日だった。
残念 Mちゃんが楽しみにしていたプールの授業が流れた。天気のことはどうしようもないから、諦めるしかない。来週は晴れるといいな・・・。
椅子 我が家の椅子はクルクル回る椅子なのだが、かなり前からギーギー、ミシミシ音を立てるようになった。そこで庭に持ち出し、隙間の埃を綺麗にして、緩んだネジを締めなおし、油を注すと・・・新品の頃の椅子に戻った。何でもそうだけど、時々手入れをすることが大事なんだなあ・・・。自転車やバイクも手入れしなきゃ!
野口雨情 空とお風呂に入り、二人でしゃぼん玉で遊ぶ。飛んでは消えるしゃぼん玉を見て、僕はちょっと感傷的になって、「しゃぼん玉」の歌を歌った。幼くしてなくなっていった子ども達のことを思って作った唄だといわれている「しゃぼん玉」。歌っていたら、悲しくなってしまった。
しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた 生れてすぐに こわれて消えた 風 風吹くな シャボン玉飛ばそ
しゃぼん玉飛んだ 屋根より高く ふうわりふわり つづいて飛んだ しゃぼん玉いいな お空にあがる あがっていって かえってこない ふうわりふわり しゃぼん玉とんだ
お通夜 夕方から五中のテニス部だっためぐの、お母さんのお通夜に行った。職場でくも膜下で倒れ、そのまま意識戻ることなく、帰らぬ人となった。僕の姿を見ると、めぐは泣き出した。お母さんの遺影は昔のように素敵な笑顔だった。そしてお化粧をした顔も安らかで、とっても綺麗だった。 「おかあさん」がこの世の中からいなくなる・・・考えただけで、胸の奥が痛くなってくる。そんなめぐを抱きしめようとしたら、背が大きくて、無理だった。 同級生のエンさんは大きなお腹で来てくれた。後輩の芽久も子供を連れて着てくれた。三人の子ども達と会えて、少し明るい気持ちに戻ることができた。 たかやん
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7月5日 (木) 「たかやん議員日記」2007.第186弾! 7月5日(木)
「たかやん議員日記」2007.第186弾! 7月5日(木)
朝礼 本当に久し振りに六中の朝礼に参加した。暑い体育館の雰囲気も久し振りなら、先生達の怒る顔も久し振り・・・・生徒の気持ちになったり、先生達の気持ちになったり・・・忙しかった。校長先生のお話は「言葉の大切さ」。たった一言で人を傷つけてしまうこともあれば、たった一言で人を救うこともある。という話だった。なかなかいい話だったのだが、子ども達はあまり聞いていなかった・・・。うーむ、残念。
六中テニス部 テニス部の女子と卓球部と野球部が表彰されていた。野球部の顧問のH先生が「テニス部の3年生は本当に凄いんだよ。運動能力も高いし、勉強もできるんだ。今度、一度見てあげてよ。」と僕に言ってきた。僕は全く知らない3年生の女の子達に拍手しながら、そういう日がいつか来るような気がしたのだった。
プール 久し振りに六中のプールで泳いだ。本当に綺麗なプールだった。ゴミも虫も浮いてなくて、勿論苔も生えてなくて・・・まるでホテルのプールのようだった。僕は子ども達と一緒にわいわいシャワーを浴びて、そして一緒に泳いだ。体育の0先生は明るくて、楽しい先生で僕もリラックスしながらD君と水泳を楽しんだのだった。
お米 前にも感じたことだが、給食のお米が極端に不味かった。明らかに僕らが普段食べているお米とは違うのだ。民営化もいいけれど、内容がこれでは子ども達が可愛そうだ。食べた後に舌が痺れたから、人口調味料も心配になった。
先生達は大変だ・・・ 僕は空き時間になると、理科準備室のソファーで昼寝とかしていたものだが・・・今の先生達は大変だ。空き時間でも教室を見回ったり、ゴミを拾ったり・・・・休む時間がないように見えた。僕はよく子ども達と一緒に遊んでいたけれど、そういう余裕はないようにも見えた。 子ども達と一緒に席に座っていると、子ども達も結構大変だと思うし・・・・うーん。
トイレの匂い 久し振りに職員トイレに入ったが、あまりの匂いに驚いた。本当に臭いのだ。今度来たときに掃除をしてあげようかな?と思うくらい臭かった。トイレは家の鏡というから・・・大好きな六中のために何ができるのか・・・そんなことを考えた一日だった。
和田中 明日は杉並区の和田中学校へ行く。どういう学校か、この目で見るのが楽しみである。 たかやん
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7月6日 (金) 「たかやん議員日記」2007.第187弾! 7月6日(金)
「たかやん議員日記」2007.第187弾! 7月6日(金)
和田中 大佑と星川さんと三人で杉並の和田中に行った。和田中は僕が中学・高校の時に住んでいた、中野の弥生町に滅法近く、懐かしい通学路を走りながらの訪問だった。
民間校長 藤原校長はやたら面白い人だった。小さい頃の育ち方が何となく僕と似ていると思ったら、殆ど同じ世代で、世田谷の公務員住宅で大きくなったとかで・・・なるほどな、と思った。
詳しくは「たかやんの第三写真館」で報告するとして・・・兎に角、和田中は綺麗だった。教室も廊下も、そしてトイレもだ。
校長室には漫画や本が溢れ、ギターが置いてあった。何だか見たことのある風景?だなあと思ったら、昔の理科準備室だった。 「昼休みには30人くらいの生徒達が来ますよ」と藤原先生。まるで理準だ。
授業は45分授業。僕が議会で主張した時間を上手に使っていた。やはりコマ数を増やすことの大切さに彼は気付いていたのだ。
そして土曜日に授業をやることも同じだった。もっとも強制はできないから、今は「自主的参加」ではあるが・・・・
緊張感と安心感と・・・ 授業をいくつか見せてもらったが、先生達と子ども達の間には“緊張感と安心感”とが見えて、集中していることがよく分かった。僕が行くと、ニコニコ笑って挨拶する子達も多く、先生も生徒も余裕があった。先生と生徒の関係は教室に入らなくても直ぐに分かる・・・・そして、教室に入るともっと伝わってくる。授業は新座のいくつかの中学校より、やはり進んでいた。45分授業効果だ。
佼成高校 教え子の明が先生をやっている、佼成高校にお邪魔した。学食で350円のラーメンを食べ、音楽室を見学し、音楽準備室でコーヒーやお茶をご馳走になりながら、僕らは色々語った。帰りは二手に分かれて、僕は明と車の中で話しまくった。そして1時半。石神の我が家で星川さん、大佑と今後の打ち合わせをして、解散したのだった。 たかやん
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7月7日 (土) 「たかやん議員日記」2007.第188弾! 7月7日(土)
「たかやん議員日記」2007.第188弾! 7月7日(土)
七夕 僕の望みはなんだろう・・・。やっぱり新座の学校をよくすることかな。地域の人間にとって、学校をよくするということは地域をよくするということだ。和田中のように、地域が学校を作っていく・・・そういう発想がないと、これからの公立は潰れてしまう。自由化が進めば、力の無い学校は生徒数が減っていく・・・。それでは困るのだ。
開放感がない・・ 期末テストが終わったというのに、子ども達は「ノート提出」やら「問題集」提出で勉強を続けている。昔の子ども達のような、テストが終わった!という開放感がなく・・・“成績”に縛られた生活が続く。僕は授業態度やノートで評価をした記憶がなく、常にテストだけの成績で評価をしてきたので、余計に違和感がある。「先生は忙しい!」「子ども達はストレスから解放されない」と言いながら、お互いに疲れることをやっているように思えてしょうがない。 テストが終わった!さあ、遊ぶぞ!さあ部活だ! そういうメリハリがあるからいいのであって、ほんのちょっとしたことまで“成績”や“内申”に影響がでると思っている子ども達は、成績のために委員会に入り、成績のために生徒会をやり、成績のために部長をやるようになる。そして先生達も自分の指示に従う子を(授業態度がいい)と勘違いして評価をし、自分の指示に従わない生徒の評価を不当に下げる。 先生達はそんなに勉強ができたのかな?僕も含めて東大に行ったわけじゃあないし、みんな大したことはないのではないのかな?そういう先生達の勉強法は本当に正しいのかな?賢い子ども達は疑問に思って当然である。
昔、祐二という子がいた。理科の授業のノートを取らないことで有名だった。「何でとらないの?」と聞くと「集中して聞いているからいらない」と答えた。テストをやってみると、確かに満点近い。祐二は3年間ずっとノートを取らず、理科が5だった。彼は今なら「ノート提出していないから、評価を下げます」と4か3になっていただろう。 彼は自分の頭というノートを上手に活用していたのだ。子ども達の可能性は、僕ら凡人が決め付けてはいけないのである。
問題集については、「問題集の使い方」は教えるが、問題集の提出などということに時間を使ったことはない。そんなことをしていたら、子ども達も自分も部活ができなくなってしまう。勿論、問題集の答えは最初に配る。授業をやったら、子ども達が直ぐに家で勉強できるようにするのだ。試験の前にだけ、問題集の答えをコピー・印刷して渡すなど、第一違法だろう。校長は見てみぬ振りをしているのか、知らないのかは分からないが・・・正しいことではないことは間違いない。
藤原校長ではないが、学校モードが長すぎるとロクなことはないのだ。先生達は授業と部活に集中する。それ以外のことは地域のボランティアに任せてしまうくらいの気持ちでいれば、先生も生徒も楽しく学校生活が送れるのではないだろうか・・・・・。 授業中で歩いたら、地域のおっさんがゲンコツをくれる。掃除の時間はおせっかいなおばさんがガミガミ怒る。そんな学校も夢ではないだろう。地域の教育力を学校で発揮してもらうことはできるはずだ。余裕の無い先生に生徒指導はどだい無理なのだ。無理をするから、教師も生徒も疲れてしまう・・・。学校は教師も生徒も成長するところでなくては困る。みんな本当はそう思っているはずだ。 たかやん
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7月8日 (日) 「たかやん議員日記」2007.第189弾! 7月8日(日)
「たかやん議員日記」2007.第189弾! 7月8日(日)
パパ、やきゅうやろうぜー! 今朝6時過ぎに空に野球を誘われた。プラスチックのバットとボールを持って、にっこり笑う空。僕は「野球やろうぜ!」という空の言葉に笑ってしまったのだった。
初野球 朝は家の中だったから、殆ど野球にならず・・・夕方、本格的に初めて野球をやった。空は結構器用で、右でも左でも打てた。どちらかというと、左の方が上手なのはDNAだろう。
教育の欠格条項をなくす会 昨日は13時半から浦和の埼玉会館で「教育の欠格条項をなくす会」の活動報告会と再決起集会に参加した。(詳しくは“たかやんの第二写真館”で・・)
僕と同じテーブルに橋本かつみさんという人が座った。車椅子で席に着いた橋本さんはどうやら目が見えないらしかったのだが・・・話を聞いてみると、耳も聞えないということだった。目が見えなくて、耳が聞えなくて、しかも車椅子・・・僕には想像できない生き方を彼はしている。
かつみさんが家から出るようになったのは19歳の時。それまでは学校へも行かず、家の中にずっといたらしい・・・。かつみさんを連れてきた、山下さんによると、24,5歳の時に、生まれて初めて小学校へ行ったのだそうだ。そしてその時、親切にしてくれた女の子のことを今でも覚えていると言って、かつみさんは笑った。
山下さんとかつみさんは“指手話”という方法で会話をしている。かつみさんが“指手話”で話したことを、山下さんが僕らに通訳する・・・という方法で僕達はかつみさんのいいたいことを少し理解できたのだった。
土日 昨日は18時から21時まで塾。そして今朝は8時からお昼まで塾。お昼からはテニス。そして夕方からまた塾と結構忙しい。ただ楽しいことは辛くは感じない訳で・・・・。子ども達やおばさん達ができるようになっていくのを見ることは、本当に楽しい。今日の塾が終わったのは丁度0時。頭が物理で一杯になった。明日はMちゃんのお迎えで一日がスタートする。そろそろ6月の議会報告を印刷して、駅に立たなくては・・・・・ たかやん
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7月9日 (月) 「たかやん議員日記」2007.第190弾! 7月9日(月)
「たかやん議員日記」2007.第190弾! 7月9日(月)
寝過ごしたかと思った・・・・ 昨夜の塾が0時過ぎまでやっていたので、流石に今朝は5時起きできず・・・6時台に起きたのだった。寝不足が体に堪える歳になってきたのかも・・・・。
電話 今朝は2本の電話があった。一つは「よこいとを紡ぐ会」の宮本さん。もう一つはMちゃんのお祖母ちゃん。前、月曜日でお迎えの失敗をしているので、心配だったのだと思う。こういうセーフティーネットというのはとても大切な訳で・・・ありがたいなあと思った。
たかむらさん Mちゃん「たかむらさんの子どもは何歳?」「うん?4歳だよ」「自分でご飯食べる?」「そうだね。時々ママに食べさせてもらうけど、普通は一人で食べるよ」 「Mちゃん。たかむらさんじゃなくて、たかやんて呼ばない?」「お祖母ちゃんが、たかむらさんて呼びなさいっていうの。」「そっか・・・できたら、おばあちゃんにもたかやんて呼んで欲しいなあ・・・」そう言えば、Mちゃんは誰に対しても礼儀正しい呼び方をする。 おばあちゃんの教育なのだろうと思った。
昼間塾 医療系専門学校の東のテスト対策で、今日もずっと物理をやった。次のテストで駄目なら留年。100万円のかかったテストだから真剣になる訳で・・・・。真夜中塾に続いて、今日は昼間塾となったのだった。ああ忙しい・・・
野球2 忙しい中、空は東にちょっとだけ野球をやってもらっていた。「きてきて!」とママが呼ぶので、見に行くと・・・昨日のフォームとは別人で驚いた。右でも左でもかなりボールに当たるようになったのだ。「すごーい空!」とみんなに言われて、大満足の空であった。
夕方塾 夕方からは英会話塾。J先生と一緒に英会話に燃える。生徒は小学生から大人まで・・・レベルは違うがなかなか面白い。勿論、基本は基礎英語1。英検準1級くらいまでは基礎英語1で十分じゃあないのかなあ・・・。
6月号完成! 議会報告が完成した。印刷はこれからだが、ちょっとホッとした。イラストレーターの仕組みが少し分かってきたので、作るのは面白い。いつ駅に立とうかな? たかやん
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7月10日 (火) 「たかやん議員日記」2007.第191弾! 7月10日(火)
「たかやん議員日記」2007.第191弾! 7月10日(火)
恵の雨・・・ 体が少し疲れているので、今日の雨は恵の雨かも知れない。ありがたいと思いたい。でも、熊本の雨は降りすぎだ・・・・。自然は計り知れないほどの力を持っている。台風も近づいている。梅雨前線との関係が心配である。
測樹学 大学生の教え子からメールがあった。「どうしても分からないプリントがあるんですけど・・・」「何の教科?」「測樹学です」「教科書持っておいで」「いや、それが無いんです。プリントならあります」「兎に角全部持っておいで」という訳で、今日は2時間近く「測樹学」の勉強をすることに・・・。難解だったが、結構楽しませてもらった。今も昔も大学生は勉強しないのよねえ・・・。ああ、もったいない。
野球3 今日も雨が上がった隙を見つけて、空と野球をやった。毎日少しずつ上手になっていくから面白いのだ。昔、昔猛おじちゃんと野球をした日のことを思い出していた。
お味噌の力 僕らは三角ベースで遊ぶことが多かった。ファーストとサードとホームだけの野球である。セカンドがあるのは広い公園で遊ぶ時だけ・・・公務員宿舎の間で野球をするときは三角ベースがお約束だった。野球を始めたのは幼稚園の頃。丁度空と同じ歳くらいだと思う。近所のお兄ちゃんたちにまじって、“お味噌”で遊ばせてもらった。お味噌はピッチャーだったし、アウトにならないので結構楽しかった。やがて、お味噌ではなくなり、新たなお味噌が登場し、そして自分がガキ大将になると・・・新しいルールを考えたり、新しい遊び方を考えたり・・・そういうことが教師になって、すごーく役に立ったと思う。ガキ大将の一番の仕事は、その地域の子ども達「全員」を楽しく遊ばせることだったから・・・・。みんなが楽しんで、それでも最後は自分がヒーローになって終わる。“僕はそういう遊びを考える天才だった。”と思っていたが、きっとお味噌の頃から、歴代のガキ大将にその技を伝授されていたのだと思う。
生安部晋三 首相が生出演というので、古館との生トークを見ていたのだが・・・あまりの内容の酷さに、テレビを消してしまった。古館の質問に全く答えていないのだ。赤城農水相の顔も安部晋三の顔も同じ顔。なんとかごまかそうという顔である。美しくない顔である。古館の顔の方が何千倍も輝いて見えた。ガッカリである。 たかやん
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