Diary 2006. 8
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8月1日 (火)  「たかやん議員日記」2006.第213弾! 

「たかやん議員日記」2006.第213弾!  8月1日(火)

5時
梅雨があけたというのに、妙に涼しい風が吹いていた。1時間ほど、遠征して汗を流し・・・本を読んでからゴミ出し。お腹がペコペコになったから朝ごはんを食べた。札幌に行ってから、テレビを見る時間が激減した。おまけにニュースも見なくなり・・・新聞だけが頼りの毎日である。

プールの事故
排水口に吸い込まれた女の子が哀れでしょうがない。一緒にいた母親の気持ちを考えると気が狂ってしまいそうだ・・・・。人災である。思考力もなければ判断力もない人間が人の命をあずかっていたということだ。楽しいはずの夏休みが、暗転してしまった。交通事故に列車事故、放火に誘拐殺人・・・そして戦争。子供たちを守るには、大人の頭と心を良くしていくしかないのか・・・うーん。

宝くじ
ロジャースの宝くじ売り場のおばちゃんが好きで、宝くじを買い続けている。「いらっしゃい!」「どうか当たりますように!」と、いつも笑顔で念力を入れてくれるのだ。買うといっても2ヶ月に1度くらいの割合。サマージャンボも900円で3枚だけ買った。はずれると、おばちゃんの「ごめんねえ・・」という申し訳なさそうな声も聞くことが出来る。何でもそうだけど、最後は人である。

パン
市役所で用事を済ませた帰り、地下でパンを買おうとすると・・・須田市長が並んでいた。『こんにちは、何してるんですか?』「パンを買おうと思って・・・残ったパンを全部」『そりゃ凄い!』「ええ、さあ、お先にどうぞ!」僕らはパンを3個買い、あとは須田市長に任せたのだった。

サッカーそして少年野球
四中のサッカー部が県大会で優勝したらしい。サッカー王国埼玉?で優勝したのだから凄い。きっと熱く燃える先生がいるのだろう。そしてその先生を応援する人たちがいたのだと思う。勿論優勝したのは子供たちだが・・・全国大会の応援に行きたいなあ・・・
一方で、少年野球の新座選抜が県大会でベスト4まで勝ち進んでいる。1回戦で優勝候補にコールド勝ちして、2回戦もコールド勝ち、3回戦は5−1と準決勝まできた。次に勝つと関東大会出場が決まる。新座の子ども達の夏が熱い。そして子供たちを応援する大人達の夏もまた熱い。新座に「観光資源」は殆どないが、「教育」という資源は無限にある。

結婚
「先生!由美が結婚するんですよ!」マルフジで教え子のお母さんに呼び止められた。「結婚式、出席してくださいね!」『いやあ、びっくりしたなあ。おめでとうございます!必ずいきます!』由美は六中で僕のクラスに3年間、テニス部に2年半いた生徒である。バレーボール、テニス、柔道・・・その全てでトップクラスの実力があった子だ。ブルマーやスカートが嫌いで、お兄ちゃんの短パンで体育の授業を受け、お兄ちゃんのズボンを履いて登校してきた伝説の女の子である。生徒指導部からは色々言われたが、体育のM先生はOK。担任は知らんぷり・・・3年生になったら、普通の女の子と同じ格好をしていたっけ・・・その子が今では警察官なのだから面白い。結婚式は来年の1月。さて、何を歌うかな・・・・・。
たかやん


8月2日 (水)  「たかやん議員日記」2006.第214弾! 

「たかやん議員日記」2006.第214弾!   8月2日(水)

妙高日記1
ここ数年、毎夏行っている妙高合宿。テニスの仲間達と今日も妙高へ向かった。メンバーは我が家の三人と立教のN先生、広尾中のI先生。関東・全国中学の本部を一緒にやった仲間である。妙高には同じく、僕らの仲間のT先生が待っている。彼の住む妙高で僕らは3日間テニスをするのだ。

オムニ
札幌のように涼しいかと思った妙高だったが・・・日中はかなり暑い。特にテニスコートは暑く・・僕らはお茶やスポーツドリンクをガブガブ飲みながらテニスをした。近くに大きな公園があり、空も大満足。長い滑り台やギッタンバッコンにはまっていた。

合宿所?
この合宿所は塾の合宿にも利用させてもらっている。軽く30人は泊まれるくらいの家なので、子ども達も大喜びだ。お風呂の外は森・・・時々熊も見えるらしい・・・・水は冷たくて美味しいし、人工的な音は全くないし・・・クワガタが家の中にいる・・・そんなところである。


みんなで飲みながらボクシングの試合を見た。ああいう判定がどこからでてくるのか分からないが、「日本の恥だよなあ・・・」「あそこまでして勝ちたいのかなあ・・・」「カッコ悪う・・・」「人としておかしい・・・」僕らの評価は散々だった。プロレスじゃああるまいし、完全にショウのような試合だったと思う。「TBSはもう見ない・・・」という意見も出て・・・とにかく納得のいかない僕らだった。

語り・・
元私立中の教員二人、現役公立中教員一人、元公立中教員一人、元私立幼稚園教諭一人というメンバーで話をすると・・・結構熱い語りになる訳で・・・僕らは夜中の1時過ぎまで、飲みながら、ああだこうだ語ったのだった。

酔った・・・
夕飯を食べずに飲んだので、みんな結構酔っ払っている。一人はソファーで寝ているし、一人は床で寝ている。僕はこれからお米をといで・・・明日はテニスの試合があるし・・・もう寝ないと・・・・夜は寒いから風邪をひかないようにしないと・・・たかやん
 


8月3日 (木)  「たかやん議員日記」2006.第215弾! 

「たかやん議員日記」2006.第215弾!   8月3日(木)

朝食当番
いつものように、朝食の当番は僕。メニューは納豆、韓国海苔、野菜炒め、なめこ汁。みんな食欲あり、綺麗に食べつくしてくれて嬉しかった。
 
朝から大騒ぎ・・・
空が突然泣き出した。「おしりがいたい」と一時間近く泣き続ける空。うんちがまたでないのだ。妙高病院に電話をして、連れて行こうとする直前・・・空はうんこをした。『でたよー!』と叫ぶ僕。「よかったねえ空!」とみんな。うんこをした空は嘘のように元気になり・・僕らを一杯笑わせてくれたのだった。

体が重い・・・
前日のテニスで体中が痛くて参った。体が思うように動かない・・・。今日のスコアーは2−6,6−0,6−0.後半になってやっと体が動くようになった。

図書館
妙高でも図書館を視察した。電気を自分で付けるという不思議な図書館で、パソコンにも電源がはいっていないし、係員もいないという珍しい図書館だった。要するに誰もいなかった訳で・・・・こんな図書館もあるんだなあと思った。

バーベキュー
テニスの後はベランダでバーベキューをした。炭で焼いた肉はなかなか美味かった。焼きソバも美味しかったし、大満足。ベランダで僕らはまた語りながら飲んだのだった。

うどん
夕飯は久々の肉うどん。みんな美味しい、美味しいと食べてくれた。さすが「もとうどん屋!」と自画自賛。そんな時代もあったなあ・・・・

南極
みんなで南極のビデオを見た。南極でスキーをするなんて・・・『何度くらい?』「ここの斜度は30度くらいかな」『気温だよ!』「ああ、気温もマイナス30度くらい・・」『わおー』「南極はこれから入ることができなくなる方向にいるから、今のうちに行っておかないとね・・・」『金と時間のある人の考えることは違うねえ・・・・』僕は南極のビデオを見て、南極へ行ったつもりになったのだった。
明日は5時起き。早く寝なくては・・・          たかやん


8月4日 (金)  「たかやん議員日記」2006.第216弾! 

「たかやん議員日記」2006.第216弾!  8月4日(金)

友達
5時起きして、妙高駅にI先生を送っていった。「また来年ね。」「うん、元気でね」僕らは笑顔で握手した。家族三人で札幌に1週間滞在できたのも、こうして妙高に2泊3日で来れるのも・・・・みんな友達がいるからだ。大学時代の、そしてテニスの友達は一生の友達だ。勿論五中・六中時代の友達にも、そういう友達はたくさんいる。利害関係のない友達というのは実にいい。お互いに、困ったときには助け合うことができるし、いくつになっても家族ぐるみで付き合うことができる。

朝ごはん
今朝の朝食は・・・ご飯、味噌汁(えのき・豆腐)、鮭、納豆、海苔、メカブ、大根おろしとチリメンジャコ・・・我が家の朝ごはんと殆ど同じだった。空も納豆と味噌汁で久しぶりに一杯食べてくれた。

緊張
合宿最後はシングルスの試合。立教のN先生とは長い付き合いだが、シングルスの試合をしたことは一度もない。65歳の大先輩との試合に僕はすっかり緊張してしまって・・・体が思うように動かない。ボールが前に飛ばないのだ・・・こんなことはテニス人生初めてで・・・ダブルフォールト3連発もしてしまいゲームカウント2−3。それから4ゲーム連取して勝つには勝ったのだが、試合内容は負けだった。65歳まで現役の体育の先生だったN先生の動きは素晴らしく、もう少しのところで僕は負けるところだった。

関越
長野道、関越ともに空いていた。N先生と僕はずっと喋りっぱなしで・・・楽しかった。

買い物
久しぶりに家族三人で買い物をしていると・・・「今晩は!」と声をかけられた。笑顔のS議員だった。「ちゃんとパパしてますね?」とS議員。彼とは西友でよく会うが、いつも笑顔で話しかけてくれるのだ。

熱帯夜
札幌、妙高と続いた我が家の旅行も今日で終了。夏休みはこれでお終い。これからは9月議会の準備と塾の子供たちとの勉強に燃える日々になる。それにしても、この暑さはなんだろう・・・亜熱帯になってしまったかのようだ。早く冬がこないかなあ・・・たかやん


8月5日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第217弾!

「たかやん議員日記」2006.第217弾!  8月5日(土)

日焼け
札幌と妙高でかなり日焼けしたらしい。頭に帽子のあとがくっきり・・・9月議会で笑われるのはいいとしても、教え子たちの結婚式が困るんだよなあ・・・
それでも、みんなが楽しみにしている週末テニスなので気合を入れて公園へ・・・。今日はちびっ子が多く、なかなか賑やかだった。面白かったのはおじさん達。昔中学生にやらせた練習をちょっとやらせたら・・・「もうだめ・・」「足がつる・・」とアップアップ。それでも出来ないショットが打てるようになると、中学生のように喜んでいた。テニスを教えていて楽しいのはこういう瞬間だ。出来ないことが、できるようになった時の笑顔が僕は大好きだ。

インカレ
大学の後輩の試合が昭島昭和の森で行われている。行きたかったのだが、どうしても時間の調整がつかず応援することができなかった。それでも(入山・大林・石井頑張れ!)と、北海道大学のネーム入りTシャツを一日着ていた。(多分明日も着るだろう。)離れていても、応援しているからね!

初うんこ
空がまた苦しみ始めた。「おしりがいたい」と泣く。おむつをしながら足を揃え、なんとかうんちが出ないように我慢しているのだ。うんちはしたいのだが、出てくるとお尻が痛いので我慢している。抱こうとしても嫌がるし・・・・でもチャンスだと思って、無理やりトイレに座らせてみた。「でる?」「でない」「ふんばれ!」「いやだ」「がんばれ!」「だっこ!」と泣き叫ぶ空。途中でママと交代し、20分くらいは頑張ったのだが・・・とうとう諦めてしまった。空も大分落ち着いて笑顔も出た頃・・・「うんちでてた!」とトイレからママの叫び声。どうやら後半の泣きは、早く便座から降りたいという泣きだったらしい。
オムツが取れる日が近づいている。

大力
31歳になる卒業生が奥さんと7歳の娘さんを連れて、我が家に遊びに来てくれた。空は「お姉ちゃん」「お姉ちゃん」とはなちゃんに付きまとい・・・はなちゃんも「空君うちに連れてかえる」と可愛い。2時間しか話ができなかったけど、幸せそうな彼らを見て、僕達もすっごく幸せな気持ちになった。身長が150センチもなかったチビッコが、僕と同じくらいになり、小学校1年生の女の子に「お父さん!」と呼ばれていた。天国にいる大力のお母さんもきっと大喜びだろう。    たかやん


8月6日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第218弾! 

「たかやん議員日記」2006.第218弾!  8月6日(日)

広島
二中の修学旅行は広島だった。写真でしか見ることなかった原爆ドーム、そして「平和記念資料館」を僕達は見た。そして語り部の話を聞いて・・・僕達は「原爆」の恐ろしさの数千分の一を体験したのだ。広島の原爆での死者数は新座市の人口とかなり近い。広島・小倉・新潟・長崎・・・もし61年前の今日、広島が晴れていなかったら・・・原爆は他の都市に落とされていたのだ。アメリカは原爆投下の可能性がある都市への空襲を禁止している。原爆の効果が分からなくなるから・・・
「戦争が終わったのは原爆のお陰だ」という人もいるが、「じゃあ戦争を始めたのは、誰の責任だ?」と聞いてみたくなる。靖国神社に祀られている兵隊達だって、戦争がなかったら故郷の墓に入っていたはずだ。アメリカが日本に対してやったことが広島にはある。アウシュビッツ、ヒロシマ・・・戦争は愚かだ。
There never was a good war or a bad peace.
「正しい戦争とか、間違った平和というものは、あったためしがない。」のである。


黒目川
第8回「わいわい川遊び」に参加した。幸弘から誘われた時は「黒目側で泳ぐ?何言ってんの!あんな汚い川で泳げる訳ないじゃん!」と言っていたのだが、実際に川を見てみると・・・まるで発寒川のように綺麗な水が流れていた。僕らはそこでまず「ゴミ拾い」をした。30分ほどで川の周りがみるみる綺麗になっていく。そのゴミの量も「年々減ってきているんです」「昔は自転車やバイク・・・ありとあらゆるものが落ちていましてね。引き上げるのに苦労しましたよ。」ということで、川が綺麗になっていくのに比例して、周辺の人の心も綺麗になっていくらしい。
更に驚いたのは、黒目側に住む魚の種類と量だ。「黒目川流域川づくり懇談会」の人たちが3時間ほどで大きな水槽を魚で一杯にして見せてくれた。
その中にはアユ・・・22匹。ウキゴリ・・・12匹。オイカワ・・・33匹。マドジョウ・・1匹。カワムツ・・5匹。タモロコ・・・1匹。クロメダカ・・・1匹。ヒメダカ・・1匹。アブラハヤ・・・15匹。ウグイ・・1匹。モクズガニ・・1匹。ヒゴイ・・・2匹。と主なものだけでもこれだけの魚が取れたのだから凄い。アユは東京湾から上がってきたアユだということで、川が綺麗になれば、海も綺麗になることが想像できる。
オイカワは関西ではハエ、関東ではヤマベと呼ばれている魚だ。僕は淡水魚のことはよく分からないが、水質がかなりよくなっていることは確かだろう。
後半は空と一緒に黒目側に入ってみた。「つめたい!」と泣きそうだった空だが・・・そのうち「あっちへいこう」「こんどはこっち」と僕の手を握り締めながら、川の中を歩く、歩く・・・川のあちこちで子供たちが歓声を上げ、大人達も楽しんでいる。そんな黒目川を僕らは初体験したのだった。
「これは新座市の財産だね」「下水道を完備したおかげだね」「本当だよ。須田市長もやるねえ・・」9月議会では「黒目川」を取り上げることを決めたのだった。


8月7日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第219弾!

「たかやん議員日記」2006.第219弾!  8月7日(月)

明賀先生のブログから・・・
地域通貨の話は幸弘からも随分聞かされていたので、前々から興味があった。「でも、本当に可能なの?」と疑問に思ってもいた訳で・・・その答えの一端が明賀先生のブログに掲載されていた。矢祭町に行かなくては・・・

エンデの遺言が矢祭町に
福島県矢祭町は国が進める市町村合併に背を向け、「合併しない宣言」をして町の歳出削減を徹底し地域再生のモデルになっている町です。
 2006年8月5日の朝日新聞朝刊の記事が矢祭町の取り組みの一つを取り上げていました。地元の商店で買い物をするとスタンプ券がもらえるのです。これ自体は最近どこでも見られることですが、そのスタンプ券の使い道です。
このスタンプ券で町の公共施設の使用料、水道使用料、固定資産税、介護保険料などの支払いが出来るのです。町民が町へ納める税金や公共料金相当分を積極的に、地元の商店で買い物をすれば、町の富の流出を抑えることができます。
 以前にも書きましたが、高速道路、新幹線、飛行機、ナショナルブランド、外国製品、全国チェーンなど等、「地方のお金」はストロー効果で中央へ中央へと吸い上げられる仕組みになっています。それを抑える取り組みが「地産地消」です。
 その「地産地消」の精神の仕上げが地域通貨だと思います。矢祭町の今回の取り組みは、地域通貨の大事な機能の一つ、 エンデの遺言の一つでもあります。
*地方のお金が中央へ流れ・・・日本のお金はアメリカに吸い取られている・・・ってか?

いくつになったの?
今日は空のママの誕生日。「いくつになったの?」と聞くと「30歳よ」という答えが返ってきた。そう言えば僕も中学校にいた頃、「30歳になったら、次の歳は29、次は28と歳はどんどん若くなることに決めたから・・・」と常に年齢をごまかしていた記憶がある。でもごまかしていたお陰で、48歳の時にも「30歳くらいですか?」と間違われたことがあるから・・・結構いいことなのかも知れない。

3歳児検診
市の「3歳児検診」に行った。保健センターの駐車場の誘導係は相変わらず横柄な態度で頭にきた。中はとってもいい感じなのに、入り口と出口で嫌な思いをする・・・・どうしてあのおじさん達は市民に顎や指で指示をするのだろう。駐車場の誘導係の教育はどこでしているのだろう・・・。暑い中の車の誘導。こっちだって「ご苦労様です。」「ありがとうございました。」くらいは言いたい。人に命令している人間に笑顔はないし、笑顔のない人間には笑顔になれない・・・。挨拶の大切さを知らない世代じゃああるまい。「今の若い者は・・・」というが、あのおじさん達と比べたら若い者の方がまともだ。西友の駐車場でも同じ思いを毎回しているから、もう慣れてきたけど・・・嫌だなあ、新座市の一員としては・・・たかやん


8月8日 (火)  「たかやん議員日記」2006.第220弾! 

「たかやん議員日記」2006.第220弾!   8月8日(火)


5時起きで、駅立ちの予定だったのだが、外は大雨。そのまま二度寝をしてみた。すると見た夢が楽しい夢で・・・
僕が待ち合わせをしていた相手は高原。何故か友達で、普通のカフェかなんかで待ち合わせている。外に出てビールを買おうとすると酒屋が閉まっていて・・・「誰か呼ぼうよ」ということになり、呼んだのが川口。「もう一人呼んだらサッカーができるね」となって、公園に最後に登場したのが中村俊輔。勿論僕らはサッカーをしたのだが、何故か僕もかなり互角にボールを蹴れた訳で・・・・ちょっと幸せな気分で目が覚めたのだった。


我が家のあるアパート(6階建て)では足場が組まれ、鳶のお兄さん達が命綱も付けずに仕事をしている。「恐くないんですか?」と聞くと「はい」と笑顔のお兄さん。思わず「かっこいい!」と言ってしまった。僕は昔から高いところが大好きで、危険なことばかりしていたのだが、流石に今は駄目だ。自分の体を自分の腕で持ち上げる自信がないから・・・昔は懸垂20回くらい軽くできたのに・・・その頃「鳶」という仕事を知っていたら・・・その道に進んだかも知れない。中学生の頃はそういう世界があることも知らなかった。

引越し
青山、新宿(百人町)、中野(弥生町)、札幌(南16条)、札幌(北33条)、函館(北辰寮)、函館(七重浜)、練馬(西大泉)、練馬(石神井台)、所沢(並木)、新座(野寺)、新座(畑中)今までの52年間に僕は11回引越しをしているようだ。10年以上住んでいたのが、新宿と野寺と畑中。そして今度が多分人生最後の引越しになるだろう。

今まで住んだところで全く記憶にないのは青山。今じゃあオシャレな町らしいが、記憶にないものは懐かしむこともできない。そういう意味では僕の原点は新宿だ。幼稚園、小学校、中学校と新宿で大きくなったのだから・・・・当然友達も殆ど西戸山の友達。だから第二学区の高校へ行けないと知った時はショックだった。都立戸山か新宿へ行こうと思っていたのだ。僕が好きだった女の子もみんな21群か22群を受験していた。もう受験勉強なんかやる気が無くなって・・・中学校3年の時は全く勉強しなかったのを覚えている。それ以来西戸山の友達とは会う機会が無くなって・・・みんなどうしているのだろう。

札幌の北33条時代は青春真っ只中だった。そこにはたったの1年しかいられなかったけど、100年分の恋をしたかも知れない。
今日はいい夢で目が覚めて、仕事以外はひたすら本を読んだ一日だった。  たかやん


8月9日 (水)  「たかやん議員日記」2006.第221弾! 

「たかやん議員日記」2006.第221弾!  8月9日(水)

長崎
広島の原爆はリトルボーイ。長崎の原爆はファットマン。10数万ずつ殺した、人殺しの名前にしては随分軽い名前だ。エノラ・ゲイに搭載されていたリトルボーイがウラン爆弾だったのに対して、ボックス・カーに搭載されていたファットマンはプルトニューム爆弾。原爆の威力は広島型より強力で、長崎の死者数も新座市の人口に近いと言われている。この二つの原爆を作ったアメリカは日本を核兵器の実験場にしたのだ。「黄色いサル」が何十万死のうと彼らにはたいした問題ではなかったのだろう。ベトナムでもイラクでもそういう思いがあったから、大量虐殺ができたのだと思う。アメリカ人の友達からあの「サルの惑星」のサルが日本人だと知った時のショックは忘れない。日本人の心の中にも、中国の人や朝鮮の人に対する蔑視があったから、彼らに対するひどい仕打ちができたのだろう・・・「人類はたったの1種類。ホモ・サピエンスだけ。」学校でそう習っていたら、アウシュビッツも南京も広島も長崎も起きなかったかも知れない。大量殺人ができる人間は無知なのだ。

台風
地球の温暖化で海水温が上がり、台風が発生しやすくなっているらしい。人間が地球に無理をさせすぎると、地球からのしっぺがえしがくる。宇宙の中でちっぽけな人間が調子に乗りすぎて、何でも分かったような気になっていると・・・あっという間に滅んでしまうこともあるのだ。戦争に頭や金を使う暇があったら、食糧や環境やエネルギーに使った方がいい。いくら核兵器を保持しても、何かを破壊する能力があるばかりで、それを元に戻す能力は人間にはない。地球を汚染することのできる能力など自慢してもしょうがないのだ。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン・・・核を保有しているということは「人殺し能力が高く」「地球汚染能力が高い」ということを自慢しているだけ。現にアメリカはハリケーンからも熱波からも国民を守ることができなかった。ブッシュは被害にあった貧しい人たちが国民だと思ってなかったのかも知れないが・・・。
核保有・・・そういう馬鹿の仲間入りだけはしたくない・・・。

シエラレオネ
大学のテニス部の1年後輩で農学部だった崇からこんなメールが僕らに届いた。

「ご無沙汰しております。5月から出張の嵐で、現在は3回目の出張で、シエラレオネに来ております。今年3月に開始され、これから3年続く、農業普及に関わる技術協力プロジェクトに参加しており、今後3年間は毎年、半分はシエラレオネに滞在することになります。今回は11月中旬まで、こちらに滞在します。
1990年から10年にわたる内戦により国内のインフラのほとんどを失ったシエラレオネですが、2002年に国連平和維持軍の調停により、反政府軍の武装解除が終了し、内戦終結宣言が出されました。その後、諸外国や国際機関の緊急支援により最低限のインフラ整備(居住地の確保や道路の修復)がなされ、現在に至っています。今後は当国の自助努力を促しつつ、開発支援が行われることが期待されており、私たちのプロジェクトもその一環として実施されるものです。

この仕事のために、10年間続けてきた日本での稲作を中断しなければならなくなったことは残念ですが、一つの国の開発を、そこに住む人たちと共に考え、実施していくのは初めてなので、これも良い経験になると思っています。住環境はなかなか厳しいですが、こうして衛星回線を使い、メール交信ができるし、テレビも見ることができるのは幸いです。」

* ベナン、トーゴ、ガーナ、コートジボワール、リベリア、シオラレオネ、ギニア・・・塾でアフリカの国は全て覚えたし、場所も分かるのだが・・・実情は全然知らない。

あの崇がアフリカの西海岸の国で凄い仕事をしている。テニスコートでは真っ黒な顔に白い歯、そしてとびっきりの笑顔だった崇。彼は今もきっとシエラレオネで、あの底抜けの笑顔で現地の人たちと汗を流しているのだろう。           たかやん



8月10日 (木)  「たかやん議員日記」2006.第222弾! 

「たかやん議員日記」2006.第222弾!  8月10日(木)

九九
今日は小学生達と掛け算に燃えた。「九九?俺全部言えないかも・・・」と言っていたMが十一、十二の段をどんどん覚えていく。六年生のHは僕より早く覚えてしまおうと十五の段まで覚えてしまった。そんな子供たちを見て、自分たちで考えた語呂合わせは本当に楽しいと感じた。やっていくうちに語呂合わせ自体が進化していって、どんどん自分たちの頭に入りやすくなっていく。それが面白いのだ。最終目標は全員が19×19まで言えるようになること。インドの学校に負けてはいられない。それにしても小学生の頭は柔らかい。「無理だよ!」と言っていたくせに「何だか簡単に覚えられそうだ」「覚えたよ!」「もっとやりたい!」とどんどん変化していく。僕の頭の中も今、数字がうろうろしている。

好きな諺
The good teacher explains. The superior teacher demonstrates. The great teacher inspires.( William A. ward)
良い教師は生徒に説明し、優れた教師はやってみせるが、偉大な教師は生徒のやる気をひきだす。

僕はいつも子供たちと一緒にやることで、何とか教師をやってこれた。最初の野外実習で「先生、この花なんだ?」と聞かれて、殆ど答えることができなかった。だから図鑑を片手に子供たちと調べまわった。そうしたら学校の周りと、黒目側沿いの草花はかなりいけるようになった。次の年からは自信を持って「これはカタバミだよ」「これはハハコグサさ」「スズメノテッポウにスズメノカタビラ」「シロツメクサとムラサキツメクサ」と教えられるようになった。でも子ども達の好奇心は満足しない。次の年も、その次の年も「たかやん、この花はなに?」とまた分からない花を聞いてくる。僕はまた図鑑を片手に調べまわり・・・その繰り返しの「野外観察」だった。一緒にやってみせた訳だから、The superior teacher demonstrates.に当てはまるのかも知れないが、The great teacherとはかけ離れていたような気がする。子供たちを「やる気」にさせる。そこにもっともっと集中していこう・・・そんなことを考えた一日だった。

誕生
教え子の快治からメールがきた。「13:00に3172gで次男坊誕生しました・・・・」3年間僕のクラスではなかったのだが、何故か僕の家にいた男で・・・卒業してからもその関係は変わっていない。8月10日か・・・覚えなきゃいけない日がどんどん増えていくなあ・・・。


Bank Band and Salyu
久しぶりに綺麗なデュエットに出会った。Bank Band and Salyuのto Uという曲がいいのだ。女性の声も綺麗だし、男性の声も味がある。二人ともどんな人か、僕は知らないのだけれど・・・久しぶりにCDを聴きながら、音楽をやりたいと思ったのだった。

ピアノ
正月から続けていたピアノの練習がいつの間にか止まっていた。音楽がない生活はどこか味気なく・・・スポーツや勉強のない生活のようだと感じていたのに・・・・。Bank Band and Salyuのお陰でまた音楽をやれそうな気がする。ちょっと心が疲れていたのかも知れない。音楽がもの凄く心地よく感じた。   たかやん



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