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8月1日 (水) 「たかやん議員日記」2007.第213弾! 8月1日(水)
「たかやん議員日記」2007.第213弾! 8月1日(水)
8月になった・・・ 梅雨があけたらしい。8月になった。今日は午前は病院。午後は義母のお手伝い・・ で一日が終了したのだった。
辞任?更迭? 赤城農林大臣が更迭されたらしい。辞任したと言っているが、実は更迭・・・。 格好悪いとは思わないのだろうか・・・。あれだけごまかして、ごまかして、ごまかして・・・大臣として、政治家として、男として、一人の人間として格好悪いとは思わなかったのだろうか・・・。同じことは安部さんにも言える。同世代の人間として恥ずかしいくらい格好が悪く見えてしまう。何故参院選に負けたのか・・・知らないのか、知りたくないのか分からないが・・・あの人が総理では日本は馬鹿にされるだけ。ハッタリだけの小泉純一郎の方がまだマシかも知れない。
ジェフと祐二2 Fuck you!って書いたのは、実はあたし達です。9組で書いたら超怒ったって聞いて、面白半分で・・・。けど脇田先生が泣いちゃったこと。スー先生の話を聞いたこと。学級通信を読んだ事。たかやんの話を聞いたこと・・・そしたらすごーく悪いことをしたなって思ったし、馬鹿なことをやったなって思った。もう二度とやらないようにします。スー先生に謝りたい。(華子)
スー先生の話を聞いて、たかやんと同じ事をいっているなーと思った。2組の明るいところも見せたかった。(隆生)
今は頭が混乱して何を書けばいいか分からないから、殆ど何も書けない。でも、ジェフもたかやんも人間性あふれた?人だと思った。ただそれだけしか考えられなかった。(英郎)
ジェフリー・スーがうまく喋れない日本語で、一生懸命に僕達に語りかけようとしたことが、たかやんと同じ考えだった。その時、感動した。ジェフリー・スーがどんな人だか、その短い時間の中で分かったような気がする。(彰)
スー先生にすごい悪いことをしたなあと思った。怒った時は何で怒ってんだろうって、恐かったけど、スーの話を聞いて感動しました。(麻紀)
アメリカと日本の考え方の違うところは知っておかなきゃいけないと思った。外見だけで同じ人間を差別するような人間にはなりたくない。今日のMr.スーの言葉は本当の勉強になった。(剛)
理科で人種は1種類。ホモ・サピエンスだということを学んだけど、肌の色が違ったって話す言葉が違ったって、私たちは同じ人間だと思います。スー先生が怒ったあとに話してくれたことがずっと心に残っています。今日の授業でスー先生に英語だけじゃなくて、それ以外の大切なことを教わったと思います。スー先生の最後の授業だったけど、話が聞けてよかったと思いました。(千恵)
『一生懸命』幻の学級通信第50弾! 3の2 1990.6.9 から
17年前の六中の3年2組はこういう作文を書いていた。子ども達の戸惑いと感動が伝わってくる。このお話はまだつづく・・・・学級通信の力は凄い。
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8月2日 (木) 「たかやん議員日記」2007.第214弾! 8月2日(木)
「たかやん議員日記」2007.第214弾! 8月2日(木)
祐二とジェフ3 その1の反響は大きく、当時の3年生からこれだけの感想メールが1日で届いた。あの事件を今でも覚えていてくれたことも嬉しいし、感想メールの内容もまたうれしいものだった。
16年くらい前の話なんですね。 文化を知らないと安易に言ってしまいそうな事。 雑誌やTVで知った英語を使いたくなってしまうって事。 言葉の事以外でも使い方知っていたいことが沢山あります。 しっかりと怒ってくれたジェフ!ありがとう。 感想、楽しみです。
覚えてるよ! かなり衝撃的だったよね〜…なんて、笑い話にしていいのかな あの時、アタシは内心冷めてたのを覚えてる。たぶん、アタシは関係ない!アタシは言ってない!って思ってたんだろうなぁ… 祐二よりアタシのほうがダメだよね
わぁ〜。 あの時の話だぁ。あの頃は何も解らなくて… だからと言って罪じゃないのかと言ったら…?! でも確かに学びました。みんなもそうだったのでは?… 無知でガキの塊だった私は 3年2組のあの時間で沢山の事を感じ、教わったと思っています。 祐ニも元気かな?
ジェフリースー真っ赤な棒タイに銀ぶちメガネ、小柄で髪が黒くて、ツンツンで。2年の時彼が脇田先生と一緒に教室に入ってきたのを覚えている。静かな授業にイライラしてた。単語の過去形過去分詞を答えさせたいが、誰も手をあげない。答えれるのに。「授業に参加しないのか?」脇田先生の通訳で怒ってた。ようにみえた。コトバが通じないだけで、感情は凄く伝わった。まだ、誰も手を挙げない。最後の問掛けだと言いながら、挙手を求めた。…やっと一人手をあげた。忘れもしないあの単語『cut』授業の終りに彼が名前をあげて誉めてくれた、柔道なら有効で、時間切れで勝ったようなもんだ。思春期だったか、凄く恥ずかしかったのを覚えている。翌年、ユウジのナカユビがどうしたとかいうハナシを聞いた。ユウジらしいなって思ったが、漫画の影響だと思う一方、ホントウニ海外ではイケナイコトと身に染みた。小寺勝、爽やかな男前の野球部キャプテン、正義感に熱く、俊足と赤いホッペが思い出される。彼を好きだという女子が耐えず、相談された。飯野さんのクラスだった俺の理科はたかやんとトシ小山の二段構、前述の事件をタカムラ先生から聞いた時、「もっとコの先生のハナシを聞きたい」と、思った。
さて、学級通信に戻ると・・・
私が一年のときに来たスーさんは殆ど日本語を喋れなかったのに、今日は素晴らしいことを言ってくれたなあ。スーさんの話を聞いたとき、すぐ「あっ、たかやんと同じこと言ってる!」と思った。(有佳)
最初に私がスーさんを見たときに“あんまり好きではない”と思った。正直言えばね。けど、「一生懸命」を読んでいて、スー先生の言葉を思い出して、すっごい自分がちっちゃい奴だなあとあらためて思った。見かけでしか人を判断できないのはすごく悲しいと思った。私は学校の生徒手帳にすごく不満を持っているのに、スー先生が「格好なんかどうでもいい」って言った時に(分かってるんだ!)と思った。学校の規則になんの不満もなく生きている人には分からない「何か」を知っている人なんだと思った。今日が最後の授業だということが凄く残念だった。もっともっと時間があったら、もっとお互いが分かり合えたのではないかなあと思った。(正美)
子ども達の感想はまだまだ続きます。 たかやん
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8月3日 (金) 「たかやん議員日記」2007.第215弾! 8月3日(金)
「たかやん議員日記」2007.第215弾! 8月3日(金)
ジェフと祐二4 スー先生が授業中喋っていた時、たかやんに似ていると思った。たかやんの話を聞いて、やっぱり似ていると思った。言いたいことがすごいよくわかった。(京子)
自分を一瞬見損なった。サイテー・・・・。理科で習ったばっかだったのに、スー先生の気持ちを分かってあげられなかった。(順子)
学級通信を読んで、スー先生の言いたいことがよく分かった。みんな同じ人間なんだからと思った。(菊枝)
「Fuck you!」の意味が最初分からなかった。でもスー先生に対してとても失礼なことだと知った。9組でも似たようなことがあったのを友達から聞いていたので、このことかなあと思った。たかやんの言っていた人種はたった一種類、ホモ・サピエンス。それって凄く大切なことだって、よく分かりました。だからスー先生はとっても大事なことを教えてくれたような気がした。(早苗)
スー先生の話を聞いて、僕は感動しました。(純一郎)
そして、ジェフは「祐二にあやまりたい」今朝、そう言ったのです。全職員の前でそう言いました。「祐二と仲直りしてからアメリカに帰りたい」んだそうです。なのに祐二は昨夜から行方不明。何やってんだ、あのタコは!!
今の中学校でAETやALTの先生達と子ども達がどういう接し方をしているか、僕にはよく分からない。ただ言える事は、この時の子ども達はジェフからとっても大切なことを学んだということ。そしてジェフもまた大事なことを学んでアメリカに帰っていったのだと思う。
祐二は行方不明になり、僕は必死で彼らを探した。そして朝霞の自衛隊の基地の中で、彼らを発見したのだ。それはこの事件から1週間もたったある夜だった・・。自衛たちの基地で基地遊びをしていたのだから笑える。
ジェフと祐二はこれで終わりにします。あの当時の中学校3年生はこういう感性でいたのです。学級通信を毎日書いてきて、本当によかったと思うのは、こういう風に当時の子ども達や、僕自身の思いが心にしみる時です。 たかやん
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8月4日 (土) 「たかやん議員日記」2007.第216弾! 8月4日(土)
「たかやん議員日記」2007.第216弾! 8月4日(土)
全力疾走 今朝はおじさん仲間でテニスをした。50代が二人に40代が二人、そして30代のおばさん?が二人である。 小さな子ども達は公園で蚊に刺されながら遊び、時々テニス。大人たちはコートで遊ぶという環境はなかなかよかった。 3時間の練習のあと、公園で全力疾走してみた。久し振りに走ったのだが、結構走れて嬉しかった。まだまだ走りたいし、サッカーもやりたい。全力でできることがあるというのはいいことだと思う。走るのが恐くなったら・・・・うーむ。
ライバル(17年前の日記から) 一緒に風呂に入り、夕飯を一緒に食べ、『やるか、ひさしぶりに・・・』ということになり、一局指した。このところ全然やってないが、六中名人戦じゃあ石井、飯野、山口を破り目下全勝中。小山亨に勝てば第一期名人である訳で・・・昨夜も楽勝ペース。ところが敵はわずかな隙をついて逆転してしまった。将棋というゲームは運とかがあまりなくて、もっぱら頭の差が出るゲームだから、負けるとそれはそれは頭にくる訳で・・・その相手がまだ小学校2年生の自分の息子となれば、親父としては面目まるつぶれな訳で・・・。どうやらセンスの方は向こうの方がいいらしく、完璧にやられるのも時間の問題といったところである。そう言えば亮のやつ、俺が好きなものは何でも好きで、テニスも結構やるし、麻雀も小二にしちゃあやる。将棋・テニス・麻雀で一番持ちこたえられるのは多分麻雀だろう。将棋は1年、テニスは5年でやられそうな気がする。
しかし、このライバルは夜はやけに弱気で、毎晩必ず俺の布団にもぐりこんでくる。『こら、冷たい足くっつけるな!』と言っても「さむい、さむい」と言って、せまってくる。そして2〜3分で眠ってしまうのだ。やけに可愛いライバルの寝息を聞きながら、将棋の本を読み、作戦を考える親父であった。
予告は結構当たり、将棋は向こうが上になり、テニスも5年後には負けた。囲碁ももう向こうの方が強いかも知れない。麻雀だけは何とか負けてはいないが・・最近は全然やってないので怪しいものである。
空が「パパみたいにテニスをやる。」「パパみたいにテニスを教える先生になる」と言い出した。どうやらボクの仕事はテニスを教えることだと思っているらしい。『テニスはお仕事じゃないんだよ』と言っても、「いっしょにおしごとするの」と拘る。息子達は何屋になってもいい。自分が楽しんでできる仕事をやって欲しい。一緒に楽しめることがあれば、それだけで親父は幸せである。 たかやん
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8月5日 (日) 「たかやん議員日記」2007.第217弾! 8月5日(日)
「たかやん議員日記」2007.第217弾! 8月5日(日)
わいわい川遊び いつものように5時に起きるが、少し前に比べると少し暗い感じがする。どうやら日が短くなってきているらしい・・・。当たり前か・・・。新聞をゆっくり読んで、朝ご飯をゆっくり食べて・・・ 7時半過ぎ、教え子の次郎が登場。まず二人で栗原橋の車止めを外しに行く。ところが、なかなか外れない。さび付いてしまっていたのだ。それでも何とか二人の智恵と力で車止めを引き抜いた。そして8時過ぎ、二人で畑中までドライブ。そこには幸弘が待っていた。
ゴミ拾い まず黒目川の掃除からスタートした。小さな子どもからボクより遥か上の方達まで、みんなで川の中まで入って掃除をした。一番やっかいだったのはスピーカー。誰が捨てたのかは分からないが、ひどい奴がいるものだ。電話やガラスも川の中から登場したのだった。
川ガキ講座 投網と手網でみんなで魚を捕まえた。僕も投網をやったのだが、なかなか上手くいかない。先輩達に何度も教えてもらい、やっと丸く開くようになった。投網の面白さは格別で、ボクは空が「パパ!来て!」と呼んでいるのに気付かないくらい熱中したのだった。それにしても子ども達の嬉しそうなこと・・・・最高の笑顔を見ることができたのは、やっぱり黒目川が綺麗になったからだろう。
ボートとカヌー 子ども達が魚の次に喜んだのはゴムボートとカヌー遊びだ。安全に十分気をつけてのボート遊びだったが、子ども達は全身ずぶ濡れになりながら、ワーワー、キャーキャー言っていた。
魚類調査 鯰5匹、スミウキゴリ51匹、シマドジョウ9匹、鯉(幼魚)20匹、タカハヤ15匹、アブラハヤ22匹、マドジョウ11匹、カワムツ19匹、オイカワ43匹、鮎108匹、マブナ1匹、モズクガニ1匹、ザリガニいっぱい・・・というのが今日の結果だった。去年よりも鮎は増えており、かなり形のいい鮎が沢山いたのだった。
大賑わい 参加してくれた人たちは120名を遥かに越えた。やはり栗原、野寺の人達が圧倒的に多かった。石神にも回覧が回っていたら200名は楽にいったと思う。本当に楽しい一日だった。 たかやん
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8月6日 (月) 「たかやん議員日記」2007.第218弾! 8月6日(月)
「たかやん議員日記」2007.第218弾! 8月6日(月)
広島 二中の修学旅行は広島だった。写真でしか見ることなかった原爆ドーム、そして「平和記念資料館」を僕達は見た。そして語り部の話を聞いて・・・僕達は「原爆」の恐ろしさの数千分の一を体験したのだ。広島の原爆での死者数は新座市の人口とかなり近い。広島・小倉・新潟・長崎・・・もし61年前の今日、広島が晴れていなかったら・・・原爆は他の都市に落とされていたのだ。アメリカは原爆投下の可能性がある都市への空襲を禁止している。原爆の効果が分からなくなるから・・・ 「戦争が終わったのは原爆のお陰だ」という人もいるが、「じゃあ戦争を始めたのは、誰の責任だ?」と聞いてみたくなる。靖国神社に祀られている兵隊達だって、戦争がなかったら故郷の墓に入っていたはずだ。アメリカが日本に対してやったことが広島にはある。アウシュビッツ、ヒロシマ・・・戦争は愚かだ。 There never was a good war or a bad peace. 「正しい戦争とか、間違った平和というものは、あったためしがない。」のである。
*これは去年の8月6日の日記。そして
広島 二中の修学旅行で僕は初めて「原爆資料館」へ行った。あの修学旅行は本当に意味のあった修学旅行だったと思う。それ以外は奈良・京都・・・・あそこは大人になって見ればいいのであって、中学生に見せるところではないと思う。
広島での修学旅行では子ども達が「泣いた」。僕も「泣いた」。そのことが僕はとても大事なことだと思うのだ。奈良・京都で泣く中学生はまずいない。そういう意味でも広島の修学旅行が無理やり中止になったことが残念でならない。
僕があの当時、二中でこれは凄い!と思ったものが3つある。「広島への修学旅行」と「体育祭のムカデ」と「合唱際」である。その3つだけは五中・六中は完敗だったと思う。その3つだけは・・・・・・。何で無理やり無くしてしまったのか、今でも疑問である。
これは一昨年の8月6日の日記。共通していることは「二中の修学旅行」。ボクにとって、二中の修学旅行はそれ程インパクトがあったということだ。新座の中学生達は広島にいくべきである。長崎にも行くべきである。そして沖縄にも行くべきである。京都・奈良では学ぶものが少なすぎる・・・ボクはそう思う。 たかやん
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8月7日 (火) 「たかやん議員日記」2007.第219弾! 8月7日(火)
「たかやん議員日記」2007.第219弾! 8月7日(火)
妙高 昨夜は幸弘、善保、次郎、ババツと新座の将来を語りに語った。12時過ぎに、幸弘は飲まなかったので車で、善保は代行を呼んで帰り、ババツと次郎は自転車で帰っていった。かなり飲んだのだが、今朝も5時過ぎに起きた。習慣は恐ろしい・・・・。
さあ、今日から3日間妙高である。8時に我が家に集合したのは、立教中を昨年退職した博文先生。そして今は広尾中でサッカーと水泳の顧問をしているイトちん。五中の最後の卒業生の努と満寿子。そして二人の愛娘のゆかちゃん。僕らは8人乗りのワゴン車に乗って、妙高を目指した。
運転は僕。久し振りのでっかいワゴン車だったが、直ぐに慣れた。昔乗っていたデリカと感じが似ていたが、ナビは付いているし、エアコンが後ろにも付いているし、機能はかなり違う・・・・。「たかやん!ドアをロックしてね」と満寿子に何度も言われる。万に一つでも子ども達が落ちないように・・・
妙高には12時前に着いた。いつものように秀ちゃんが笑顔で出迎えでくれた。秀ちゃんは東京のドミニコ学園の先生だった。そう僕らはみんなテニス仲間なのだ。関東中学や全国中学を有明や読売ランドで運営していた仲間が今でも付き合っているのだ。そこへ教え子の努達も呼んで、みんなでテニスという企画なのだ。
テニスは2時からスタートした。市営のオムニコートでは地元の高校生達が合宿をしていた。僕達は端のコートで練習をはじめた。子ども達は誰もいない芝の公園で大はしゃぎ。ゆかと空は本当の姉弟のように笑って、笑って本当に楽しそうだった。
テニスの方は僕とイトちんが組んで博文・秀ちゃんと2セット。4−6、6−2でファイナルは明日以降に持ち越しとなった。僕と努が組んだパパ・パパコンビはひとみ・満寿子のママ・ママコンビに6−3で完勝。努は生まれて初めてのテニスなのに、サッカー部で鳴らした足と少年野球で鍛えた球勘を生かして大活躍だった。ひとみは肘を痛めていたが、僕と組んで博文・秀ちゃんに6−2で勝ち。「やっと勝てた!」と大喜び。この二人にはいるもギリギリのところで負けていたのだ。
お風呂 秀ちゃんの家のお風呂は大きい。実に広い。そのお風呂に空とゆかちゃんと三人で入った。ゆかちゃんの髪を洗っていると、昔雪とお風呂に入ったことを思い出した。空とゆかちゃんは湯船で潜る、潜る・・・お風呂の中でもおおはしゃぎの二人だった。
そして一日目の夜は更けていった・・・ たかやん
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8月8日 (水) 「たかやん議員日記」2007.第220弾! 8月8日(水)
「たかやん議員日記」2007.第220弾! 8月8日(水)
朝食 妙高に来ると僕は食事係りと決まっている。みんなが寝静まっている中、持参した鰹節を削り、朝食作りが始まる。今日のメニューは豆腐と油揚げの味噌汁。鮭。キュウリとトマトのサラダ。酢の物。納豆。海苔。シラスの大根おろし和え。キュウリとトマトは博文先生が庭で作った野菜で、それだけは博文先生自らが包丁を持って作っていた。
アジサイ 朝ご飯を食べた後はみんなでお出かけ・・・途中でソフトクリーム屋さんに寄り、みんなでブルーベリーアイスを食べた。道路の脇にはアジサイが咲いていた。妙高は涼しいのである。空はアジサイが大好きで、「綺麗だね!」と連発。アジサイの前で写真を撮ったのだった。標高が100M上がると気温は0.6度下がるというのは理科の授業で教えたことだが・・・・妙高は日差しは強いが本当に涼しいところだ。
ケーキ 「友達が農家を改造して喫茶店をしているんだ!」という秀ちゃんの提案で僕らは手作りケーキを食べに、そのお店に行った。その家は土間があり、大きな大黒柱と梁があり・・・本当に大きな、昔ながらの家だった。裏山には手作りのフィールド・アスレチックがあり、僕らはそこでも遊んだのだった。
うどん そんなに食べたのに、おじさん達はお腹が空くらしく、家に帰ると僕は「うどん作り」。その肉うどんを「美味い!」「美味い!」とおじさん達は平らげ・・・またコートへ向った。
落雷 ところが雲行きが怪しい・・・体育と理科の教師そして山登り経験が豊富な集団は直ぐに、「危険だから建物の中に入ろう」という決断を下した。空とゆかちゃんは「こわい」と泣き出し、僕らは駆け足で建物の方に向った。それでも高校生達はテニスをやめない。稲光の距離が遠いと思っているらしい・・・。「危ないから直ぐにやめなさい!」と僕が叫び、 ようやく危険らしいということに気付いたらしい。そして高校生達が体育館の脇に避難し、僕が空を抱えて建物の中に入ろうとした瞬間。雷は直ぐ傍に落ちた。本当に間一髪のところだったのだ。空は僕にしがみつき、しばらく泣いていた・・・。
図書館 僕らは雷雨が去るのを図書館で待った。絵本を読み、図鑑を見て、そして脳科学の本を一冊読んでしまった。
結局テニスは断念して、僕らはバーベキューに燃えることにした。秀ちゃんの家のベランダに新しいバーベキューセットをセットして・・・・明るいうちから飲んで、語って、食べて・・・食べて・・・・外が真っ暗になっても、飲みと語りは続き・・・・僕らは妙高を満喫したのだった。 たかやん
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8月9日 (木) 「たかやん議員日記」2007.第221弾! 8月9日(木)
「たかやん議員日記」2007.第221弾! 8月9日(木)
木漏れ日 夜中に空が泣いて、抱っこしたりとやや寝不足だったが、朝食係りとしてはいつもの時間に起きる訳で・・今日も爽やかに起床したのだった。秀ちゃんの家は1000坪もあり、家の中にいると鳥の鳴き声と虫の音以外の音は聴こえてこない。本当に大自然の中にいる感じなのだ。新聞を読まなければ、今日が長崎に原爆が落ちた日だということは忘れてしまいそうだ。
今朝の食事も純和風。冷奴にモロヘイヤの御浸しに鰹節。納豆・鮭・ヤサイサラダ。メカブ。お新香。ちりめん大根に海苔。それに味噌汁と昨日とほぼ同じメニューだが、みんな「美味しい」とお代わりをしてくれた。
タイブレーク 今日は最終日なので、テニスは午前中。9時半からのスタート。その第一試合から白熱したゲームになった。僕とイトチン対博文・秀のダブルスがタイブレークまでもつれ込んだのだ。結果は10−8で僕らの勝利。危ない、危ない・・・ その後も試合はタイブレークが二つも続いて・・・僕らはヘロヘロになって家に向ったのだった。
大忙し 秀ちゃんの家に帰ったのが12時40分。14時には家を出なくてはいけない。僕が肉うどんを作る間に、努が空とゆかちゃんをお風呂に入れ、みんなで後片付けをして、掃除機をかけ、順番に風呂に入り、うどんを食べ・・・僕らが家の前で記念写真を撮ったのは14時5分前だった。
小笠原と妙高 「じゃあ、またね!」「来年は小笠原だよ!」いとちんと秀ちゃんは小笠原の母島へ行こうと乗り気なのだが、一人12万円かかるというツアーに奥様達は「辛い」「苦しい」を連発。今回は家族3人で2万円もかからなかったから、その差は歴然としている訳で・・・・家族3人で36万円の小笠原と2万円未満の妙高では18倍以上の差がある訳で・・・・うーむ。
熱帯夜? 久し振りの我が家は暑かった。5時過ぎに着いたのだが、妙高との温度差は歴然としており・・・空気の入れ替えをした後は、エアコンに働いてもらったのだった。それから僕らは8時半過ぎまで飲んだ。一緒にご飯を食べ、夫婦4人で語り合った。親も子どもも仲がいいというのは幸せなことで・・・大いに盛り上がったのだった。明日から仕事だ。頑張らないと!メールもきっと溜まっているだろう・・・・ たかやん
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8月10日 (金) 「たかやん議員日記」2007.第222弾! 8月10日(金)
「たかやん議員日記」2007.第222弾! 8月10日(金)
公職選挙法 選挙があると政治に関することは書けない。だから更新しないという人もいるけれど、書かないよりは書くほうがいいに決まっているから、僕は毎日書く。
公園で・・・ 最近公園でゲームをやる子ども達を見かけることが多くなった。公園で体を動かして遊ぶのではなくて、みんなで並んでゲームをやるのだ。それも一人一人別々のゲームを・・・・。僕はゲームにはまりそうで、はまらなかったからよく分からないが、子ども達本来の遊びを奪ってしまったのは大人なのだと思った。そういうゲームを開発したのは大人だし、そういうゲームで儲けるのも大人だからだ。この間の「川遊び」のように、子ども達の本当の笑顔を見たい。そしてあの歓声が聞きたい。
ゴミ コンビにの前で、煙草を取り出し、そのゴミをポイと捨てた男がいたから、「ここはゴミ箱じゃあねえぞ!」と言ってやった。石神郵便局の駐車係りのおっさんは、仕事中煙草は吸うし、その煙草をポイと道路に捨て、靴の裏でもみ消すし・・・・子ども達のマナーが悪いのはこういう大人を見ているからだろう・・・。
お風呂好き 空はお風呂が大好きだ。朝、僕がお風呂に入ろうとすると、「そらもはいる」と服を脱ぎ始めた。そしてお風呂の中でしゃぼん玉でとことん遊ぶのだ。その内、僕もしゃぼん玉にはまり、二人で大騒ぎ・・・・そして夕方、また「おふろにはいろうよ」と僕を誘う。お風呂に入って、たくさん遊び、夕飯を食べ、歯を磨いて、絵本を読んでもらい、トイレにいって、そして寝る。それが空の儀式らしい。
おねしょ そう言えば、空はおねしょをしたことがない。去年突然オムツをしなくなったのだが、一度もおねしょをしていないのだ。どうしてもトイレに行きたい時は、泣いて僕らを起す。それも年に一度あるか、ないか・・・。遠い昔、おねしょをした記憶のある僕には不思議でしょうがない。
エアコン禁止令 妙高から帰ってきたせいかも知れないけれど、こっちの暑さが異常に感じる。昔、六中のテニス部顧問だった頃、「エアコン禁止令」を出したことがあった。いつもエアコンの中で生活している子ども達は、暑いコートで練習していると倒れてしまうのだ。勿論、関東や全国の大会へ行けば、ハードな試合が待っている訳で・・・僕と、レギュラーの子達は「エアコン禁止」。お陰で、他の学校の子達が倒れても、六中の子達は倒れなかった。そんなことを思い出しながら、今日はエアコンを付けた。炎天下でテニスをしないのだから、無理をしないでエアコン。多少の電気は食うが、それでいいのだと思う。明日は久し振りに六中テニス部の子達とテニス。楽しみ、楽しみ。 たかやん
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