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8月5日 (金) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第216弾! 2011.8.5(金) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第216弾! 2011.8.5(金) たかやん
8月7日(日)川遊び いよいよ今度の日曜日は黒目川の「川遊び」です。集合場所は栗原1丁目公園。そう栗原橋を栗原小学校方面に向って渡り、直ぐ右側の公園です。ゴミ拾いに始まって、魚とり、魚類調査、魚教室、水質調査、投網教室、ボート、カヌー遊び、スイカ割り・・・と、半日遊べます。時間は10時から15時半までとなっています。(無料ですが、昼食等は各自、持参でお願いします)http://www.takayan-world.com/cheeringparty/kawapdf.pdf
実行委員(川掃除のメンバー)へ 明日土曜日の打ち合わせは3時から。よろしくね。
教師を目指す人へのメッセージ24 僕は「授業態度」を評価に入れたことはなかった。それは遠い昔の苦い思い出があるからだ。中学校二年の時のことだ。理科のテストで僕は満点を取った。学年で一人だけだった。僕の中学校は新宿区立西戸山中学校。新宿では有名なモデルスクールだった。ようするに頭のいい奴がたくさんいたのだ。その西戸山で学年で一番を取ることはたとえ一教科でも、僕にとっては奇跡だった。通知表は当然5。そう思っていたら・・・・・評価は4だった。「授業態度」が原因だった。佐久井先生というお茶の水を出た女の先生は授業態度にうるさかった。僕は余りにも注意されるので、頭にきて勉強しまくって、その先生をやり込めるという遊びを始めたのだ。その結果テストはできたのだけれど・・・・。結局、授業態度に対する報復だった。僕はその通知表を母親の前で燃やしてしまった。だから理科の教師になった時に「授業態度」を評価にいれる教師にだけはなるまい、そう決めたのだ。ではどうやって評価するか。そうテストの結果だけで評価するのだ。だから1学期の授業のはじめに僕はこう言っていた。「テストの平均が90点を超えたら、誰でも5です。授業通に寝ようが、僕を殴ろうが必ず5をあげます。70点を越えたら誰でも4です。・・・・・・」そしてその通りに評価した。どんなに授業態度が良いい子でも、1点でも足りなければ容赦なく4をつけたし、僕に喧嘩をうってきた子でも基準を超えれば間違いなく5をつけた。「相対評価」が当たり前の時代だったから、同僚から色々言われることもあった。でも、公立高校へ提出する内申以外はこの「絶対評価」を通し続けた。そしてそれは子供達に信頼される一つの要素になった。“自分の好き嫌いを評価に入れない。”という信頼である。 今の子供達の話を聞くと、相対評価の時代は勿論、絶対評価になった今でさえ、教師の「感情点」「好き嫌い」が評価に入っている。ノートを提出しなければ「減点」。チャイム着席をしていなければ「減点」授業中騒いだら、テストがよくても平気で「1」「2」をつける。そういう教師がたくさんいるらしい。そもそも子供達の評価に「1」「2」が多いということは自分の授業が下手糞だということなのだ。それがわかっていないアンポンタンが多すぎる。平均点が低いと喜ぶ教師も結構見てきたが、どういう神経をしているのかと思ってしまう。最近、N市のある中学校で国語の教師が1年生の五割程度の生徒に「1」をつけた。僕の感覚では「1」というのは音楽で言えば「お前は歌うな!」という数字だ。美術で言えば「お前は描くな!」という評価だと思っている。子供たちにはそれくらいのショックをうけるのだ。絶対評価になって、他市の評価は「4」と「5」がやたらと多くなっていると言われている今、いくら力がないからといって、そこまでやる必要があるのだろうか。力が無かったら、力をつけてあげるのが教師だと僕は思う。1をつけられた子達は今は2年生。もうすぐ3年生になる。本当に心配だ。僕の塾にも小学校で習った漢字が読めない中学生はいる。だから練習するのだ。小学校の漢字からやり直す。そしてできたら誉めてあげる。漢字が読めるようになると、本も好きになってくる。ただ「本を読め!」と言っても子供たちは本を読まない。読めないのだ。まず、読む力をつけてあげなくてはいけないのだ。いくら絶対評価でも、プロの教師は気安く「1」をつけてはいけないのある。通知表の「1」は自分の授業に対する評価だということを忘れてはいけない。
* ここに書いた話は、そう昔の話ではない。少なくても10年以上前の話ではない。そういう意味では最近の話である。モンスターペアレントなどと言っている場合ではない。こういう国語の教師に習った子達は不幸である。教師という職業を心から楽しんでいない・・・そういう教師達に習わなければいけない子ども達が可哀そうでならない。
今日の写真1 六中最初の卒業生、赤ジャージの3年2組です。教室の窓一杯に「六中の校歌」が落書きされています。落書きをどう思うかは人によって違うでしょうが・・・担任の僕はこの落書きを見て、涙がでてきました。子ども達が心から六中のことを愛していたからです。そして、六中で3年間学んだことを彼らは誇りに思っていました。
今日の写真2 僕の隣は元大関豊山です。バンクーバー空港で写真をお願いしたら、快く一緒に撮ってくれました。嬉しかったですねえ・・・。大好きだった大関とのツーショットですから・・・。とっても上品な素敵な方でした。
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8月6日 (土) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第217 2011.8.6(土) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第217 2011.8.6(土) たかやん
8月7日(日)川遊び いよいよ明日の日曜日は黒目川の「川遊び」です。集合場所は栗原1丁目公園。そう栗原橋を栗原小学校方面に向って渡り、直ぐ右側の公園です。ゴミ拾いに始まって、魚とり、魚類調査、魚教室、水質調査、投網教室、ボート、カヌー遊び、スイカ割り・・・と、半日遊べます。時間は10時から15時半までとなっています。(無料ですが、昼食等は各自、持参でお願いします)http://www.takayan-world.com/cheeringparty/kawapdf.pdf
教師を目指す人へのメッセージ25 ホモ・サピエンス 僕の理科の授業で最初にする話は決まって「ホモサピエンス」の話だった。 『この地球上には何種類の人種がいると思う?』と子ども達に尋ねるのだ。子ども達は「黒人、白人、黄色人種で三種類!」とか「アメリカインディアンの赤色を入れて4種類!」だとか言い始める。そこでこういうのだ。『1種類なんだよ。』『ホモサピエンスという1種類しかいないんだ。』『染色体の数は46本。』『黒人も白人も中国人も朝鮮人もみんな同じなんだよ。』そしてこう続けるのだ。『だから“教養”のある人は人種差別っていうのはできないんだ。みんな同じ人種なんだから・・・・できる人は“無知”な人なんだよ。そういう人たちは人種が1種類ということを知らない人なんだ。知らないから人種差別ができるんだよ。』『勿論男も女もホモサピエンス。まったく同じ人種なんだ。だから男女差別する人も教養のない人なんだなあ・・・』『お年よりも子どもも、障害のある人も、みんな同じホモサピエンス。だからそれを差別する奴らは大馬鹿野郎なんだ。』という話だ。最初の授業というのは結構子ども達の心に残るものである。理科の楽しさを伝えると同時に自分の考え方を話す。それが大事なのだ。実はこの話は石神井高校の長島先生の授業のパクリである。(子ども達は僕の創作だと信じている。)最初の授業で印象に残っていたので、遠慮なく使わせてもらったのだ。そう、いい話はこうして語り継がれていくのだ。僕のこの話も僕の教え子達がパクッて語りついているはずだ。 そしてもう一つ。『人は死んだらどうなる?』「星になる。」『本当?』「嘘」『いやそれが本当なんだ。』「どうして?」『地球の寿命はあと50億年と言われているんだ。』「50億」『多分、みんなは死んでいる。僕は生きているかも知れないけど。』「嘘!」『僕らの地球は死ぬ前に赤色巨星になるって言われているんだ。』「ふーん」『オリオン座のベテルギウスのようにね。』「へえ・・・」「太陽はやがて今の火星の軌道よりも大きな星になって、勿論地球はその中飲み込まれてしまう。つまりみんな一つの星になるんだ。」「ふーん。」『人類は太陽系から脱出することはできないから、みんなその地球でさよならなんだ。』「へえ。それで・・?」『みんな無機物になってね。一つの星になっちゃうでしょ?』「・・・・」『宇宙はビックバンで一つの大きな星の固まりからできたと考えると、僕らは最初も一つの星から生まれたって考えられるよね。』「うん」『ようするにだ。僕らは一つの星から生まれ、やがては一つの星になっていくんだ。』「わお。」『大好きな人も大嫌いな人もみんな同じ星になる。』「嫌だ!」人は星から生まれて星になる。子ども達はこういう話が大好きである。こういう話をしてから「天体」の授業に入ると子ども達は星に興味を持つようになるのだ。空に輝く星達が自分達の仲間なのだから・・・・・。 そしてクラスでいじめの問題が発生した時にこういうのだ。『お前は馬鹿だね。教養がないね。頭の悪い大人達と同じだね。ちょっと人と違っているからって・・・そんなことして良い訳?』『理科の授業で何を教わったんだ?』『ホモサピエンスだろ?』『星の話だろ?』 『ふざけるな!この馬鹿野郎!!』『お前はそれでも俺のクラスの生徒か!このアンポンタンが!』『腐った大人たちの真似をするんじゃない!』と僕は大声で怒鳴る。その日の為の布石という訳ではないが、そういう日は必ず来る訳で・・・・。子ども達はそういう言葉で納得するのだ。ホモサピエンス。これを読んでいるあなたにも是非この話をパクッて欲しい。
一生懸命 教え子達がこの日記を読んでくれているらしい。時々、この日記を読んだ感想が寄せられるのだ。「一生懸命を楽しみにしています。」「頷きながら読んでいるよ!」「勇気がでてきます」「落ち込んでいる時のビタミン剤のようです」流石、僕の学級通信を読んできた子ども達である。気持が中学生の時に戻っているのかも知れない・・・。僕のクラスじゃあなかった子達からも応援メールが来るし、駅で「一生懸命」を読んでくれた人の中にも感想メールをくれる人もいる。この「一生懸命」は本当に幸せである。沢山の人に応援されているのだから・・・・。
家庭訪問 今日は長男の家庭訪問があった。28歳になって、家庭訪問?と、思うだろうが・・・警視庁も埼玉県警も家庭訪問は当たり前なのである。それにしても、素敵な方だった。亮のことを心から心配してくれていて・・・親として、本当にありがたかった。家庭訪問は大いに盛り上がり・・・とっても幸せな気持になった亮父であった。
打ち合わせ 3時から、明日の川遊びの打ち合わせがあった。集まったのは全員男で・・・6時間の打ち合わせは、なかなか中身のある濃い〜話し合いだった。
広島の日 今こそ、国をあげて原子力がいかに危険かを考えていかなければならないと思う。原子力の安全神話は過去の神話と同様、為政者によって、都合のいいように作られたものだったのだ。神話を信じたばっかりに、今どれくらいの日本人が傷ついているのか・・・。どれくらいの子ども達が放射線の危険にさらさされているのか・・・。大人達は本気で考えなければいけないのだ。経済成長が第一ではないことは、高度経済成長の結果を見ても明らかではないのか・・・。水俣病もイタイイタイ病も光化学スモッグも全ての環境汚染が、高度経済成長の負の部分であることはみんなが知っている。原子力発電も同じである。確かに電気は作ってくれる・・・しかし、一旦事故が起きれば、どうしようもない状況が起きてしまうのだ。農業も畜産業にも計り知れない打撃を被るのである。日本は安全な国である・・というイメージさえひっくり返すほどの大惨事なのである。戦後最大のピンチかも知れない。だからこそ、僕らはこのピンチを凌ぐ責任がある。僕らの未来・・・子ども達の為に・・・。知恵と絆と勇気が我々の最大の武器である。日本という国はアメリカの言いなりになってはいけないのだ。そろそろアメリカから精神的にも独立しようではないか。そして、自分の国のことは自分の国で決められるようにしようではないか。
今日の写真1 今日の打ち合わせのメンバーです。真面目な打ち合わせだったのですが、途中で“ドビン、チャビン、ハゲチャビン”が始まって・・・大笑いしました。単純なゲームほど、面白いし盛り上がるということを再確認しました。
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