Diary 2011. 8
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8月1日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第212弾!  2011.8.1(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第212弾!  2011.8.1(月)   たかやん

8月じゃ!
まあ世の中、頭に来ることが多いが・・・怒らず、恨まず、腐らず、悲しまないで・・こういう時こそ、自分は何をどうしたらいいのか・・・考えて、あの“なでしこ”のように最後まで諦めないで生きていきたい・・・そう思うのである。何が起きても、あの戦争と比べたら・・・幸せ、幸せ。NHKの“おひさま”を見て泣いている空父としては、(そう、何が起きても幸せなのだ)そう思いながら頑張っていくしかないのである。子ども達を取り巻く環境は厳しい。教育に予算を使わない日本。子ども達に対する放射線の許容基準が妙に甘い日本。借金を子ども達に平気で負わせる国、日本。若者の雇用率が下がっても平気な大人達。保育園よりも道路が大事な大人達。学校の近くに平気で大型のパチンコ店を作ろうとする大人達。儲ける為になら、子ども達のことはどうでもいいのか・・・。子ども達を大事にしなくなっている日本・・・いろんな意味でそうなってきていると思う。平和な時代だからこそ、もっともっと子ども達に目を向けていきたいものである。日本の未来は子ども達にかかっているのだから・・・。

8月じゃ!2
ありゃ、そんなことを書こうと思ったのではなかった。そうそう今日から8月なのだ。この1ヶ月は何に燃えようか・・そういう日なのである。
1、 仕事に燃える。(当たり前か・・・・・)
2、 体を鍛える。(毎日のトレーニングを欠かさない)
3、 頭を鍛える。(英語、韓国語、算数などなど)
4、 指を鍛える。(ピアノを毎日弾く)
5、 心を鍛える。(掃除や洗い物などをして家事をなるべく手伝う。)そんなところかな。

教師を目指す人へのメッセージ20 切り札
どんな学校にも生徒指導の「切り札」と呼ばれるものがある。例えば職員室への呼び出しだったり、校長の説教だったり。そして保護者の学校への呼び出しだったり…だけど「切り札」を早すぎる段階で使ってはいけない。そりゃあそうだ。切り札なのだから・・。そんな当たり前のことが分かってない学校が多い。僕が最後にいた学校では「自転車で登校」しただけで、親を呼び出していた。誰にも迷惑をかけずに、(そりゃあ自転車置き場で多少迷惑をかけたかもしれないが…)誰を傷つけた訳でもないのに、いきなり親を呼び出すのだ。たかだか「校則」を破っただけで「切り札」を使ってしまったら、本当に人に迷惑をかけた時はどうするのだ。そして人を傷つけたり、自分を傷つけようとしたりした時はどうするのだ。本物の教師は「校則」を破られたことに感情的になってはいけない。大切なのは「規則」ではない。「マナー」である。教師達の言い分は「みんなが同じ事をやったらどうするの?」である。答えは簡単。「自転車置き場を作ればいいのだ。」交通事故は登校時だけに起こるだけではない。放課後だって日曜日だって起こる可能性があるのだ。そんなことをいっていたら高校も自転車通学ができなくなってしまう。そんなに交通事故が心配なら教師達も車での登校をやめたらいい。自分にはできないことを、生徒達にやらせてはいけない。煙草についても同じだ。子供達に「煙草は吸うな!」と本気で言うなら自分達も「禁煙」するくらいの信念がなくてはいけない。子ども達は「本気」を見抜く才能を持っている。本気で怒れば必ず通じるものなのだ。「煙草は吸うな!」といいながら自ぶん達は、休み時間に職員室でコーヒーを飲みながら煙草をプカプカ吸い、子ども達の前に煙草臭い息で登場する。そういうセンスのなさを疑うのである。教師の煙草の臭いは間違いなく生徒を不快にさせる。煙草を吸わない同僚も、勿論同じだ。鈍感な教師達はそういうことにも気づかない。妊婦がいても平気で喫煙する職場があったりしたのだからひどい。これはもう学校以前の問題だろう。「規則」ではない。「マナー」なのだ。去年の1月から学校の敷地内は「禁煙」となったらしいが、教師たちが隠れて吸っていることは生徒達も知っている。自分達は「法律」という「ルール」をしっかり守っているから、(守っていないことも勿論あるくせに。)おまえらも「校則」という「ルール」を守れ!と言う。そこには人を思いやる「マナー」という考えは存在しない。そして一方で「ルール」といいながら「体罰」を含め、「汚い言葉」で子供達に暴力を振るう自分達には寛容である。プロの教師はそうであってはいけない。学校は楽しいところでなくてはいけないのだ。教師だけが楽しくて、子どもをいじめてストレスを解消するところではないのだ。学校に「取り締まり系」の教師はいらない。子ども達の目を見ないで、服装は髪型にしか目がいかないような三流の教師になってはいけない。この学校は厳しいのだ。と本気でいうなら、まず自分達に厳しくなれと言いたい。勉強で厳しく鍛えようとするなら、教師はその何倍も勉強して自分を鍛えなくてはいけない。生徒に理解できない授業をすることがレベルの高い授業ではないのだ。どんな生徒も理解できるような授業をすることがレベルの高い授業なのだ。そして子ども達が勉強を楽しむことこそ大事なことなのだ。切り札は最後に取っておこう。そしてできるなら、その札は最後まで使わないでおきたいものだ。切り札は子どもが泣く札でなくてはいけない。それでこそ、切り札なのだ。
* ちょっと前に書いた話なので、タバコに関しては・・校門の前でプカプカが今の中学校。不思議と小学校の校門の外で、先生たちがタバコを吸うのは見たことがない。それはいいとして・・・切り札かどうかは、その後の子ども達の目でわかる。切り札を使った後に、どんどん悪くなったとしたら・・・そりゃあ、切り札でも何でもなかった訳で・・・あなたの選択ミスな訳ですよ。切り札を使い切って、子どもがよくならなかったら・・・そりゃああなたの負けってことです。負けっぱなしで平気の人が多いのも学校という社会の特徴です。普通の会社なら通用しないでしょうねえ・・・。子どもを伸ばすのが仕事なんですから、子どもを潰しているだけでは貢献度が0というかマイナスというか・・・切り札はいざという時までとっておく・・・使わないのならそれにこしたことはない。というお話です。

恐ろしきババの力
久しぶりに所沢のお母さん(ひとみのお母さん)のところから帰ってきた空。「お父さんとお母さんのこと忘れるところだった」というからビックリ!「ババが本当のお母さんのような気がしてきた・・・」と続ける空。「なんだとう!!」と笑いながら怒るひとみ。寂しがり屋の空だが、お母さんのところだけは平気なのである。恐ろしきはババの力である。お父さんはどうやら3番目にランクされている雰囲気である・・・とほほ。

なでしこ、なでしこ
塾の子達がここにきて、ググっと伸びてきた。それが目に見えるのが面白い。子ども達は性格も違うし、集中力も根気もやる気もみんな違う。勿論、伸び方も全然違うのである。それでも、みんなが伸びてきている・・・一番重要な“やる気”が増大している!そう思えるだけのデータがあるのだ。勿論、データだけではない。肌で感じるものがあるのである。子ども達と同じ空間で生きてきた自分にしか感じられないものをまさに感じている訳で・・・とっても、幸せを感じるのである。

今日の写真1〜3
空のバック、バタフライ、フリーのフォームです。僕が「空のフォームちょっと酷いですよねえ・・大丈夫なんですか?」すると、Nコーチは面白いことを言います。「今、フォームを綺麗にして直すところが無くなると・・・伸びてほしい時に伸びなくなるんです。」なるほどなあと思いました。フォームが汚いから、まだまだ速く泳げる可能性がある、という訳です。完璧なフォームになったら・・それで記録が伸びなくなる・・・わかる気もします。先生の一言は子どもは勿論、親もやる気にさせるのです。N先生は若いけれど、子ども達を伸ばすコツを知っているのです。

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8月2日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第213弾!  2011.8.2(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第213弾!  2011.8.2(火)   たかやん

遂に
3億円が当たった!「買っておくもんだねえ・・・」「音の静かな洗濯機を買おう!」「ナビ付きの車買おう!」「グランドピアノも買おう!」「我が家の隣にできる家を買おう。」「ナイター照明付きのテニスコートもいいねえ・・」「それは無理でしょ・・」「50mの温水プールはどう?」「それも無理じゃん」親子3人で大喜びしていたら・・・目が覚めた。ああ物欲の塊の私・・・とほほ。でも、ちょっと幸せだったかも・・・だはははは。

安全神話に重なる兄の死  千葉県 高邑 猛
軍国少年だった戦時中の自分に重ね合わせて朝の連続ドラマ「おひさま」を見ています。とりわけ主人公陽子の兄、春樹の戦死、次兄茂樹と夫和成の復員場面は涙しました。
私の長兄は地獄といわれたビルマ戦線から身一つで復員してきました。次兄は少年飛行兵で、フィリピンで戦死。1947年4月、遺骨が返ってきた日のこと・・・白布に覆われた箱がカタコトと音を立てて中から出てきた小さな白木の位牌。黙って見つめる母。むなしい兄の復員を確認した日のことは、忘れることがありません。国民に「神国日本の不敗」を信じ込ませ、無謀な戦争に駆り立てた、当時のマスコミの罪は重いと思っています。そして今、歴代自民党政権がふりまいてきた「原発安全神話」です。福島原発事故や九電の「やらせメール」で、そのうそが暴露されていますが、なお財界を中心とした推進勢力の動きは要注意です。もうだまされてはならないと思う昨今です。

* 叔父の文が新聞に掲載された。長兄とは僕の父さん、新太郎のことであり、次兄とは父さんの弟の登叔父さんのことである。僕らは小さい頃から“登おじさん”と呼んでいたが、勿論、一度も会ったことのない叔父さんだった。運動神経が抜群で、今でいうならイケメンで・・・そういう若者が10代で沢山死んでいったのが、あの戦争だったのだ。

教師を目指す人へのメッセージ21 最初が肝腎
「最初が肝腎」とよくいう。確かにその通りだ。しかしその肝腎を間違えてしまっている教師達がたくさんいる。「1年生の1番最初にびしっとルールをたたきこまないと。」と主張する教師達のことである。「チャイム着席」「ジャージでの清掃」「中学生らしい頭髪」「中学生らしい服装」とにかく最初にビシッと教え込まなければ、あとが大変である。と彼らはいう。答えはNOである。「1年生の1番最初にかわいがること。」それが大切なのだ。僕は21年間担任をやってきたが、ただの一度も1年生で担任をした子供達から暴力を振るわれたことはない。テニス部の子達と戦ったことはある。接し方が違ったのである。僕はクラスの子ども達は徹底的に可愛がった。小学校でどんなに優秀な子であっても、どんなに悪いことをしてきた子であっても関係なく一日目で「名前」を呼んで握手をしてきた。掃除も一緒にやったし、家庭訪問にはその日の子供達全員を車に乗せて、ワイワイガヤガヤ話をしながら行ったものだ。給食は毎日くじを引いて、ジャンケンで片付けをして、昼休みは一緒にサッカーをやる。毎日帰りの学活ではギターを弾いて一緒に歌を歌う。そしてテスト前には「朝勉」で一緒に勉強し、テストも一緒に受けた。勿論怒ることもある。泣かすこともある。だけど、1年の終わりにクラスが解散する時にはみんなで泣くのだ。
そういう子供達の中に徹という子がいた。中2、中3は僕のクラスから離れ、接触する機会が少なくなった子である。その子が3年生になり、いわゆるワルになった。身長、体重も僕をはるかに越え担任の教師に対してもひどい態度を取り、弱い生徒に対するイジメも始まった。そういう時に僕は彼とぶつかった。何が原因かは覚えていないが、昇降口で僕は彼の胸ぐらをつかんでこういった。『徹!なにやってんだよ。お前は!』「…・・」彼は泣きはじめた。僕より背もでかいし、力もある中3がまるで中1の子どものように泣くのを見て、僕は彼が愛しくてしょうがなかった。そして自分のやり方が間違っていなかったと思った。子ども達の心は僕と出会った時のままだったのだ。彼はそれから落ち着いた生徒になっていった。一方でテニス部の子供達とは違う接し方をしていた。僕が部活動で子どもを「名前」で呼ぶようになったのは後半になってからで、それまでは全部「苗字」で呼んでいた。僕に対しては全て敬語を使わせていたし、接し方もほとんどが命令調で暴力的だったのだ。要するに子供達は全く違う僕を両面から見ていたことになる。ただキツイトレーニングは一緒にやったし、遊ぶ時はあそんだから最後はやっぱり泣けた訳だ。でも僕に対して力で向かってくる子は思い返すとみんなテニス部の子供達だった。勿論素手で一対一で戦ったし、気合で一度も負けなかったし、今ではみんな笑い話なんだけれど、「最初が肝腎」なんだとやっぱり思うのだ。怒らなくてはいけない時はある。そこを逃してはいけない。怒るには気合が必要だ。ネチネチだらだら怒ってはいけない。怒ったら、さっぱり忘れてしまうぐらいの技量がなくてはいけない。それができないのだったら、怒らない方がうまく行くかもしれない。昔は学校に一人や二人、怒るのが名人という先生がいた。今はあまり見当たらない。だったら家で鏡の前で練習することだ。気合を込めてイメージトレーニングをすることだ。笑顔も怒る顔も練習で作れるものなのだ。

痛っ!
朝、やはり痛みが走る。まずいなあ・・・と、思う。家族を守る為には、まだまだ倒れる訳にはいかない。今日は猛おじちゃんが検査入院した。この間の電話で「朋矢、ちゃんと病院に行くんだぞ!」と、叱られた。どうやら僕の日記を読んで、左胸が痛いことを知っていたのだ。若かった(20代)おじちゃんがいつの間にか80歳になった。そんな日がいつか来ることはわかっていたのだが・・・。時の流れの速さを感じるのである。小さい頃の僕は、おじちゃんのベッドで御伽噺を聞くのが大好きだった。僕を心から心配し、そして叱ってくれる人がどんどんいなくなった今。おじちゃんにはまだまだ元気でいてもらわないと困るのである。がんばれ!猛おじちゃん!僕もがんばるよ。
今日の写真1・2
我が母校、新宿区立西戸山中学校は「新宿西戸山中学校」にリニューアルされました。校歌も新しくなったということで、ちょっと寂しい気もしますが・・・でも廃校よりは大分ましです。北門の前の都営住宅はこんな高層ビルになっていました。向こうに見えるのは小学校です。

今日の写真3
さわむら屋は残っていました。ちょっと感激です。中学校の周りで残っていたのは、直樹の実家の「佐野薬局」と「沢村屋」くらいだったからです。僕が新宿に住んでいたのは13歳まで・・中一の時、中野に越して・・・中三まで西戸山に電車通学をしていました。中野に越してなければ、22群の戸山高校か青山高校、21群の新宿高校か駒場高校に行ってましたから・・・多分、教師にはなってなかったと思います。あの引越しが運命の分かれ道だったのでしょう。今よりいい人生だった可能性もありますが、今より幸せな人生はないような気もします。石神井時代は楽しかったし、北大時代も楽しかった・・・何より学校時代は超楽しかったですね。そして、今が一番楽しい訳で・・・、それだけいい出会い、いい縁があったということです。やっぱり僕は幸せだなあと思うのです。

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8月3日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第214弾!  2011.8.3(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第214弾!  2011.8.3(水)   たかやん

教師を目指す人へのメッセージ22 
ノート勉子供たちに力をつけるには、いいフォームで勉強することを教えなくてはいけない。それには「ノート勉」がいい。ノート勉は簡単だ。まず授業に集中してノートを取る。目いっぱい部活をやって、疲れていても寝る前に枕元にその日のノートをちょいと並べる。そして目を閉じて授業を思い出すのだ。そして思い出せたら寝てしまう。思い出せなかったら、ノートを見て思い出すのだ。記憶は寝ることで“長期記憶”になることが確かめられている。その脳の仕組みを利用するのだ。そして朝・・・目を覚ましたら、また昨日の授業を思い出すのだ。これを“思い出し勉”という。このノート勉の効果は絶大である。嘗ての教え子で、この勉強法で学年で一番になり、浦和高校でも一番になり東大へ行った子がいた。安くて、時間が節約できて本当にいい勉強法だと思う。このノート勉が出来るようになると、自然に授業に集中するようになる。「授業に集中しなさい!」と言っても、子供たちはなかなか集中できないものだ。だけど「ノート勉は楽しいぞ!この勉強法は科学的根拠があって、しかも時間はかからないんだ!」というと、子供たちはやり始めるのだ。そして自然に授業に集中するという訳だ。
ノートの取り方も色々ある。“マインドマップ”を描いたり、絵を入れてみたり、色々工夫してノートを取ることで、脳はどんどん進化していく。自分が黒板に書いたままのノートを見てもつまらない。それは写しただけだから・・・・。だけどそれが変化して子供たちの中で消化しているのを見るのは楽しい。だからなるべく授業中に子供たちのノートを見ることだ。たくさんのノートを見て、良いノートがあったら、みんなの前で大声で誉めることだ。ユニークなノートがあったら誉めることだ。
よく「ノート点検」をする教師がいる。あれはよくない。第一にノート勉の権利を奪っている。仮にAを付けたとしても、教室でみんなの前で誉めたことと比べたらたいしたことはない。子供たちは教師に誉められるのを待っている。Aという数字で誉めるのと、教室でみんなの前で誉めるとでは全然違うのである。「ノートを提出しないと減点です!」などと言っている教師はアマチュアだと自分で言っているようなものだ。普段の授業の中で子供たちの生のノートを見ていないのだから・・・・プロの教師は“授業”というドラマの中で子供たちの変化を見なくてはいけない。そういう意味では教師は舞台俳優でもある。舞台で発言した台詞は訂正はできないのだ。授業は舞台。真剣勝負なのである。そういう意味でも教師は“役者”なのだから、目にはいつも力がなくてはいけない。舞台で目が死んでいたら観客は幻滅してしまう。観客はお金を払って来ているのだ。そのお客を楽しませ、やる気にさせるのがプロなのだ。三流の役者でも毎回一生懸命演じていれば二流になる。そして魂をこめれば一流になっていく。授業の中で子供たちのそばに行くチャンスを逃してはいけない。どんどんノートを見に行くことだ。そしてどんどん誉めることだ。そしてひどいノートがあっても他の子と比較してけなしてはいけない。その子のノートの変化をみるのだ。どんなに汚いノートでもその子に真剣に接していれば、ノートはどんどん変化していく。それが面白いのである。舞台は毎日ある。だけど同じ舞台は二度とない。

ノートを写すな!
僕は塾の子にはノートを写すな!と言っている。「黒板に書いたものを写すのは駄目だよ。一度、記憶に落とし込んでから書くことが大事なんだ!」そう言っている。そう記憶しながらノートを書け!と、言っているのだ。写すのと、記憶しながら書くのとでは全く違う結果になる。ノート点検をしても、そんなことは全くわからないだろうけれど・・・・だから、僕の話を理解した子ども達は黒板を見ながらは書かないはずである。黒板を見て、一度脳みそに落とし込んで、それから黒板を見ないで書くのが僕のやり方である。

参った・・
めったにないチャンスなので、空と一緒に隣町のプールへ行った。「競争しよう!」と空。「やるか!」と僕。得意の平泳ぎで勝負したのだが・・・結果は惨敗。痛み止めを飲むのを忘れて泳いだら・・・痛いの痛くないのって・・・。10年前に小笠原小中学校のプールで泳いで以来のことで・・・僕の泳ぐ筋肉は完全に弱っていた。それに加えて、空のタフなことといったら・・・こっちがゼエゼエ言っているのに、どんどん泳いでしまうのだ。クロールは肩から肘が上がらず・・・バタフライは背筋が痛くて全くできる気がせず・・・空に自信をつけさせただけの空父であった。とほほ・・・。

筋肉
僕はテニスコートを逆立ちして2週はできた中学生だったが、5年くらい前にやろうとしたら、3歩しか歩けなくて・・・ショックだった。鉄棒で車輪をやれる中学生だったが、2年くらい前に懸垂をしようとしたら・・・1回もできなくて、大ショックだった。筋肉は使わないと衰えていくのだ。そうだ、筋肉を鍛えよう。テニスは勿論、水泳も鉄棒も少しはできるようなオッサンになろう。出っ張ったお腹を引っ込めて、せめて見た目くらいは何とかしよう。そう決心した空父であった。なでしこ、なでしこ!

洗い物
今日は家事の手伝いに燃えた。朝ごはん、夕飯共に洗い物をした。洗い物はいい・・・無我の境地になれるから・・・終わった後はスッキリした気分になり、更にいい。明日もやるぞ・・・。

今日の写真1
全く記憶にない写真です。僕がバスケットをやっていることだけは確かなのですが・・・ここがどこなのかもわかりません。誰かわかりますか?

今日の写真2
北大のテニスコートの土手です。このメンバーは僕が1年生の時の3年生と4年生で・・・僕が撮ったんでしょうけれど・・・東北戦?いやいや・・春の大会?うーむ。何なんでしょうねえ・・この写真もわかりません。

今日の写真3
同じ日の同じ土手だと思います。これは全員1年生で・・金井、伊藤、佐野・・僕の同級生達です。一体誰の試合を見ているんでしょうねえ・・。さっぱりわかりません。高田さんならわかるかなあ・・・。それにしても3人とも可愛いですねえ・・・。大学生ってこんな顔してましたっけ・・・。

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8月4日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第215弾!  2011.8.4(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第215弾!  2011.8.4(木)   たかやん

8月7日(日)川遊び
いよいよ今度の日曜日は黒目川の「川遊び」です。集合場所は栗原1丁目公園。そう栗原橋を栗原小学校方面に向って渡り、直ぐ右側の公園です。ゴミ拾いに始まって、魚とり、魚類調査、魚教室、水質調査、投網教室、ボート、カヌー遊び、スイカ割り・・・と、半日遊べます。時間は10時から15時半までとなっています。(無料ですが、昼食等は各自、持参でお願いします)http://www.takayan-world.com/cheeringparty/kawapdf.pdf

教師を目指す人へのメッセージ23 僕の失敗
最初に担任した3年4組でのことだ。何月頃だったか、女の子達が4人授業をサボっていなくなったことがあった。僕は空き時間に子供たちを捜しに行った。彼女達はあるアパートの屋上にいた。
『何やってんだ!心配したぞ!』と僕。すると彼女達からこういう言葉が返ってきたのだ。「あたし達のことを先公が心配する訳ないじゃん!」「なんであんたがあたし達の心配するわけ?」
『俺は・・・・俺はお前達の担任だー!馬鹿やろーっ!』僕はどうしたらいいか分からず、彼女達を置いたまま学校に帰ってきてしまった。
そして隣に座っていた3組の担任のベテランのT先生に『こういう時、どうしたらいいんですか?』と聞いたのだ。そうするとT先生はこう言った。「あんたに分かったら俺達やあ飯の食い上げだよ。」そしてニヤッと笑って僕に煙草を差し出したのだ。僕は煙草をやめていた。中学生に「煙草を吸うな!」という以上、自分が吸っていたらしめしがつかないと思っていたのだ。だけど・・・僕はその一本を吸ってしまった。一服すると確かに少し落ち着いた気分になった。
それがきっかけで、僕はハイライトを一日50本吸うようになってしまった。人間は弱いなあって思う。僕は彼女達のことはそれから先もずっと分からなかった。考えて見れば当たり前なのだ。23年しか生きていない男が、それも男だけ3人の兄弟の中で育った男が15歳の女の子達の気持ちが分かるわけがないのだ。それでも卒業式の日にみんな泣いて抱き合えたのも、彼女達が結婚式に僕を呼んでくれたのも、僕が彼女達から逃げなったからだろう。全然分からなくても、分かろうとするエネルギーがその時の僕にはあったのだ。
同じクラスの話だ。掃除の時間に2階の僕の教室から雑巾が落ちてきたことがあった。それを見て激怒したのが、僕の副担のO先生。このO先生は恐くて有名な英語の女の先生だったのだが・・・・「誰だーっ!雑巾を落とした奴は!」と叫び、僕のクラスまで職員室掃除の生徒を行かせ、落とした子を職員室に連れて来させたのだ。そして僕の目の前でいきなり訳も聞かずにバシッっと本で頭を叩いたのだ。(助けて!)という目のF子。だけど・・・僕は情けないことに、そのO先生が恐くて何も言えなかったのだ。僕が担任なのに、僕の前で行われている理不尽なことから自分の生徒を救うことができなかった・・・。その時のF子の僕を見る目を僕はずっと忘れられないでいる。そして今でも後悔しているのだ。
自分のクラスの子を救えなかったら担任の資格はないと。
それから僕は戦うようになった。どんなことがあっても担任している子達の側になっている自分がいた。勿論悪いことしたときは一緒に謝った。職員室前に一緒に並んで正座もした。F子の時のように後悔したくはなかったのだ。もう二度とああいう思いをさせてはいけない。僕はそう思ったんだ。

* 23歳の自分・・・想像しただけで恥ずかしい・・。まるで中学生のような精神構造だったのでは・・・そんな気がするのだ。15歳の彼らより8年多く生きていただけで、何もわかっちゃいなかった・・・そんな23歳だっただろう。教師は新任でも「先生」「先生」と呼ばれ、誰もが勘違いするものなのだ。どんな仕事だって一人前になるのにはある程度の時間はかかる訳で・・・常識的には5年、いや3年は見習い期間のようなものだろう。

幸せな時間
「今、幸せだなあ・・・」「この瞬間を忘れないぞ・・・」「僕は本当に幸せな男だ・・」そう思える瞬間が、人生にはどれくらいあるだろう・・・。自分が健康で、家族が健康で、そしてみんな笑顔でいられる。子どもの成長を目の当たりにしている・・・。今日もそんな瞬間が確かにあった。これから先、今よりも若くなることはなく・・・今よりもパワーアップした自分に出会うことはなかなか難しい。これからの人生で今の自分が一番若く、そして健康である確立は高い。だとしたら、今のこの人生が幸せの絶頂である訳で・・・毎日、この幸せに感謝して生きていくのが人の道なのではないか・・・そんなことを考える空父であった。でも・・・来年の今の方が今の自分よりも健康で若返っているような気もするんだけれどね。マジでトレーニングするぞ!ははははは。

今日の写真1
「お父さん、何描いて欲しい?」と空。「うーん、バラとたんぽぽかな」と僕。すると、空は何も見ずにあっという間にこの絵を描きました。「よく覚えているね」「覚えてないよ。想像で描いたんだよ。」「うーん」絵が苦手な僕にはそれこそ、想像できないことで・・・

今日の写真2
いつどこで撮ったのか・・・記憶にない写真です。でも、幸せそうな笑顔なので載せてみました。本人の了解はとっていません。後で怒られる気もします。

今日の写真3
猛おじちゃんと将棋を指す僕です。勝てた!と思ったら・・・負けました。囲碁では5段ですが、将棋でもかなり強い叔父ちゃんです。

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8月5日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第216弾!  2011.8.5(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第216弾!  2011.8.5(金)   たかやん

8月7日(日)川遊び
いよいよ今度の日曜日は黒目川の「川遊び」です。集合場所は栗原1丁目公園。そう栗原橋を栗原小学校方面に向って渡り、直ぐ右側の公園です。ゴミ拾いに始まって、魚とり、魚類調査、魚教室、水質調査、投網教室、ボート、カヌー遊び、スイカ割り・・・と、半日遊べます。時間は10時から15時半までとなっています。(無料ですが、昼食等は各自、持参でお願いします)http://www.takayan-world.com/cheeringparty/kawapdf.pdf

実行委員(川掃除のメンバー)へ
明日土曜日の打ち合わせは3時から。よろしくね。

教師を目指す人へのメッセージ24
僕は「授業態度」を評価に入れたことはなかった。それは遠い昔の苦い思い出があるからだ。中学校二年の時のことだ。理科のテストで僕は満点を取った。学年で一人だけだった。僕の中学校は新宿区立西戸山中学校。新宿では有名なモデルスクールだった。ようするに頭のいい奴がたくさんいたのだ。その西戸山で学年で一番を取ることはたとえ一教科でも、僕にとっては奇跡だった。通知表は当然5。そう思っていたら・・・・・評価は4だった。「授業態度」が原因だった。佐久井先生というお茶の水を出た女の先生は授業態度にうるさかった。僕は余りにも注意されるので、頭にきて勉強しまくって、その先生をやり込めるという遊びを始めたのだ。その結果テストはできたのだけれど・・・・。結局、授業態度に対する報復だった。僕はその通知表を母親の前で燃やしてしまった。だから理科の教師になった時に「授業態度」を評価にいれる教師にだけはなるまい、そう決めたのだ。ではどうやって評価するか。そうテストの結果だけで評価するのだ。だから1学期の授業のはじめに僕はこう言っていた。「テストの平均が90点を超えたら、誰でも5です。授業通に寝ようが、僕を殴ろうが必ず5をあげます。70点を越えたら誰でも4です。・・・・・・」そしてその通りに評価した。どんなに授業態度が良いい子でも、1点でも足りなければ容赦なく4をつけたし、僕に喧嘩をうってきた子でも基準を超えれば間違いなく5をつけた。「相対評価」が当たり前の時代だったから、同僚から色々言われることもあった。でも、公立高校へ提出する内申以外はこの「絶対評価」を通し続けた。そしてそれは子供達に信頼される一つの要素になった。“自分の好き嫌いを評価に入れない。”という信頼である。
今の子供達の話を聞くと、相対評価の時代は勿論、絶対評価になった今でさえ、教師の「感情点」「好き嫌い」が評価に入っている。ノートを提出しなければ「減点」。チャイム着席をしていなければ「減点」授業中騒いだら、テストがよくても平気で「1」「2」をつける。そういう教師がたくさんいるらしい。そもそも子供達の評価に「1」「2」が多いということは自分の授業が下手糞だということなのだ。それがわかっていないアンポンタンが多すぎる。平均点が低いと喜ぶ教師も結構見てきたが、どういう神経をしているのかと思ってしまう。最近、N市のある中学校で国語の教師が1年生の五割程度の生徒に「1」をつけた。僕の感覚では「1」というのは音楽で言えば「お前は歌うな!」という数字だ。美術で言えば「お前は描くな!」という評価だと思っている。子供たちにはそれくらいのショックをうけるのだ。絶対評価になって、他市の評価は「4」と「5」がやたらと多くなっていると言われている今、いくら力がないからといって、そこまでやる必要があるのだろうか。力が無かったら、力をつけてあげるのが教師だと僕は思う。1をつけられた子達は今は2年生。もうすぐ3年生になる。本当に心配だ。僕の塾にも小学校で習った漢字が読めない中学生はいる。だから練習するのだ。小学校の漢字からやり直す。そしてできたら誉めてあげる。漢字が読めるようになると、本も好きになってくる。ただ「本を読め!」と言っても子供たちは本を読まない。読めないのだ。まず、読む力をつけてあげなくてはいけないのだ。いくら絶対評価でも、プロの教師は気安く「1」をつけてはいけないのある。通知表の「1」は自分の授業に対する評価だということを忘れてはいけない。

* ここに書いた話は、そう昔の話ではない。少なくても10年以上前の話ではない。そういう意味では最近の話である。モンスターペアレントなどと言っている場合ではない。こういう国語の教師に習った子達は不幸である。教師という職業を心から楽しんでいない・・・そういう教師達に習わなければいけない子ども達が可哀そうでならない。

今日の写真1
六中最初の卒業生、赤ジャージの3年2組です。教室の窓一杯に「六中の校歌」が落書きされています。落書きをどう思うかは人によって違うでしょうが・・・担任の僕はこの落書きを見て、涙がでてきました。子ども達が心から六中のことを愛していたからです。そして、六中で3年間学んだことを彼らは誇りに思っていました。

今日の写真2
僕の隣は元大関豊山です。バンクーバー空港で写真をお願いしたら、快く一緒に撮ってくれました。嬉しかったですねえ・・・。大好きだった大関とのツーショットですから・・・。とっても上品な素敵な方でした。

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8月6日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第217 2011.8.6(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第217 2011.8.6(土)   たかやん

8月7日(日)川遊び
いよいよ明日の日曜日は黒目川の「川遊び」です。集合場所は栗原1丁目公園。そう栗原橋を栗原小学校方面に向って渡り、直ぐ右側の公園です。ゴミ拾いに始まって、魚とり、魚類調査、魚教室、水質調査、投網教室、ボート、カヌー遊び、スイカ割り・・・と、半日遊べます。時間は10時から15時半までとなっています。(無料ですが、昼食等は各自、持参でお願いします)http://www.takayan-world.com/cheeringparty/kawapdf.pdf

教師を目指す人へのメッセージ25  ホモ・サピエンス
僕の理科の授業で最初にする話は決まって「ホモサピエンス」の話だった。
『この地球上には何種類の人種がいると思う?』と子ども達に尋ねるのだ。子ども達は「黒人、白人、黄色人種で三種類!」とか「アメリカインディアンの赤色を入れて4種類!」だとか言い始める。そこでこういうのだ。『1種類なんだよ。』『ホモサピエンスという1種類しかいないんだ。』『染色体の数は46本。』『黒人も白人も中国人も朝鮮人もみんな同じなんだよ。』そしてこう続けるのだ。『だから“教養”のある人は人種差別っていうのはできないんだ。みんな同じ人種なんだから・・・・できる人は“無知”な人なんだよ。そういう人たちは人種が1種類ということを知らない人なんだ。知らないから人種差別ができるんだよ。』『勿論男も女もホモサピエンス。まったく同じ人種なんだ。だから男女差別する人も教養のない人なんだなあ・・・』『お年よりも子どもも、障害のある人も、みんな同じホモサピエンス。だからそれを差別する奴らは大馬鹿野郎なんだ。』という話だ。最初の授業というのは結構子ども達の心に残るものである。理科の楽しさを伝えると同時に自分の考え方を話す。それが大事なのだ。実はこの話は石神井高校の長島先生の授業のパクリである。(子ども達は僕の創作だと信じている。)最初の授業で印象に残っていたので、遠慮なく使わせてもらったのだ。そう、いい話はこうして語り継がれていくのだ。僕のこの話も僕の教え子達がパクッて語りついているはずだ。
そしてもう一つ。『人は死んだらどうなる?』「星になる。」『本当?』「嘘」『いやそれが本当なんだ。』「どうして?」『地球の寿命はあと50億年と言われているんだ。』「50億」『多分、みんなは死んでいる。僕は生きているかも知れないけど。』「嘘!」『僕らの地球は死ぬ前に赤色巨星になるって言われているんだ。』「ふーん」『オリオン座のベテルギウスのようにね。』「へえ・・・」「太陽はやがて今の火星の軌道よりも大きな星になって、勿論地球はその中飲み込まれてしまう。つまりみんな一つの星になるんだ。」「ふーん。」『人類は太陽系から脱出することはできないから、みんなその地球でさよならなんだ。』「へえ。それで・・?」『みんな無機物になってね。一つの星になっちゃうでしょ?』「・・・・」『宇宙はビックバンで一つの大きな星の固まりからできたと考えると、僕らは最初も一つの星から生まれたって考えられるよね。』「うん」『ようするにだ。僕らは一つの星から生まれ、やがては一つの星になっていくんだ。』「わお。」『大好きな人も大嫌いな人もみんな同じ星になる。』「嫌だ!」人は星から生まれて星になる。子ども達はこういう話が大好きである。こういう話をしてから「天体」の授業に入ると子ども達は星に興味を持つようになるのだ。空に輝く星達が自分達の仲間なのだから・・・・・。
そしてクラスでいじめの問題が発生した時にこういうのだ。『お前は馬鹿だね。教養がないね。頭の悪い大人達と同じだね。ちょっと人と違っているからって・・・そんなことして良い訳?』『理科の授業で何を教わったんだ?』『ホモサピエンスだろ?』『星の話だろ?』
『ふざけるな!この馬鹿野郎!!』『お前はそれでも俺のクラスの生徒か!このアンポンタンが!』『腐った大人たちの真似をするんじゃない!』と僕は大声で怒鳴る。その日の為の布石という訳ではないが、そういう日は必ず来る訳で・・・・。子ども達はそういう言葉で納得するのだ。ホモサピエンス。これを読んでいるあなたにも是非この話をパクッて欲しい。

一生懸命
教え子達がこの日記を読んでくれているらしい。時々、この日記を読んだ感想が寄せられるのだ。「一生懸命を楽しみにしています。」「頷きながら読んでいるよ!」「勇気がでてきます」「落ち込んでいる時のビタミン剤のようです」流石、僕の学級通信を読んできた子ども達である。気持が中学生の時に戻っているのかも知れない・・・。僕のクラスじゃあなかった子達からも応援メールが来るし、駅で「一生懸命」を読んでくれた人の中にも感想メールをくれる人もいる。この「一生懸命」は本当に幸せである。沢山の人に応援されているのだから・・・・。

家庭訪問
今日は長男の家庭訪問があった。28歳になって、家庭訪問?と、思うだろうが・・・警視庁も埼玉県警も家庭訪問は当たり前なのである。それにしても、素敵な方だった。亮のことを心から心配してくれていて・・・親として、本当にありがたかった。家庭訪問は大いに盛り上がり・・・とっても幸せな気持になった亮父であった。

打ち合わせ
3時から、明日の川遊びの打ち合わせがあった。集まったのは全員男で・・・6時間の打ち合わせは、なかなか中身のある濃い〜話し合いだった。

広島の日
今こそ、国をあげて原子力がいかに危険かを考えていかなければならないと思う。原子力の安全神話は過去の神話と同様、為政者によって、都合のいいように作られたものだったのだ。神話を信じたばっかりに、今どれくらいの日本人が傷ついているのか・・・。どれくらいの子ども達が放射線の危険にさらさされているのか・・・。大人達は本気で考えなければいけないのだ。経済成長が第一ではないことは、高度経済成長の結果を見ても明らかではないのか・・・。水俣病もイタイイタイ病も光化学スモッグも全ての環境汚染が、高度経済成長の負の部分であることはみんなが知っている。原子力発電も同じである。確かに電気は作ってくれる・・・しかし、一旦事故が起きれば、どうしようもない状況が起きてしまうのだ。農業も畜産業にも計り知れない打撃を被るのである。日本は安全な国である・・というイメージさえひっくり返すほどの大惨事なのである。戦後最大のピンチかも知れない。だからこそ、僕らはこのピンチを凌ぐ責任がある。僕らの未来・・・子ども達の為に・・・。知恵と絆と勇気が我々の最大の武器である。日本という国はアメリカの言いなりになってはいけないのだ。そろそろアメリカから精神的にも独立しようではないか。そして、自分の国のことは自分の国で決められるようにしようではないか。


今日の写真1
今日の打ち合わせのメンバーです。真面目な打ち合わせだったのですが、途中で“ドビン、チャビン、ハゲチャビン”が始まって・・・大笑いしました。単純なゲームほど、面白いし盛り上がるということを再確認しました。

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8月7日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第218弾!  2011.8.7(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第218弾!  2011.8.7(日)   たかやん

教師を目指す人へのメッセージ26 副担任
僕は二十一年間、ずっと担任をしてきたので副担の仕事をしたことがない。だから副担の気持ちもよく分からない。副担といっても実に色々で、担任のサポートをしてくれる人から邪魔をしてくれる人まで本当に様々だった。一番感動したのは宮下先生が副担になったとき。僕より5年先輩の体育の先生なのだが、あっという間に新学期の事務的なことをやっておいてくれたのだ。新学期の担任は名簿を作ったり、教室の整備をしたり、学級通信を書いたり、それこそ何とかいいスタートを切ろうと必死になる。出席簿、学級保健簿、生徒指導票・・・そういったものを副担が作ってくれたら・・・これはもう万々歳である。宮下先生はそういうことを実にさりげなくやっておいてくれる先生だった。そして学期末の通知表。今はパソコンにデータを打ち込んでというパターンが多いようだが、昔は全部手書き。勿論所見は担任が書くのだが、それ以外のところは全部宮下先生がやっておいてくれるのだから嬉しかった。
僕がいないときにクラスで問題が起きても、「たかやんだったら何ていうかな?」「あたしは知らないわよ。担任はあたしじゃないんだから。」と言って、子ども達と僕との関係を大事にしてくれた。そして女の子達が僕にもいえないことがあると、宮下先生に相談に行っていたらしい。
一方で、事務的なことは何でも副担の仕事にしようとする担任もいる。もともとは担任の仕事なのだから、それはいただけない。担任と副担、お互いを思いやらないといい関係にはならないのだ。どんな人間関係も同じだと思うけど・・・・
僕は一度も副担をしなかった。僕にとってクラスというのは「生きがい」そのものだったから。僕が管理職試験を受けなかった理由は「担任」ができないから。校長になっても
「担任」ができて、「授業」ができて、「部活」ができるというのなら、今頃は校長をやっていたかも知れない。僕は部活人間のように言われていたらしいけれど、それは違う。僕はクラス人間である。テニス部とクラスとどちらを取るといわれたら、間違いなくクラスを取るタイプなのだ。それは通信にも表れている。学級通信「一生懸命」は毎日発行できたが、部通信「ボール行きます!」は年間70号がいいとこだった。学校に自分の「学級」があるということは、学校に自分の「家族」がいるということだ。だから僕は教師という職業を続けられたのだ。
僕には副担という仕事はできない。そういう能力に欠けているのだ。だから担任を持たない学年主任にも教頭や校長にもなれない。そういう意味では実に幸せな教師人生だったと思う。21年間、僕には常に「家族」がいた。そう不思議なことがある。「家族」の名前は忘れないということだ。僕にしてみれば当たり前のことなのだが・・顔も名前もみんな覚えている。何十年経っても忘れない。自分の学生時代の友達は忘れているというのに・・・・担任というのはそれほど子ども達にのめり込んでいくものなのだ。
川遊び
今日は黒目川の川遊び。朝の8時から実行委員のメンバーが集まり、本部の設置に取り掛かった。机や椅子を運び、テントを張り、9時半からの受付に備えた。実行委員のメンバーは五中のOB・OGが7割。あとはひばりヶ丘の駅立ち仲間?である。

250名
今日集まってくれた人達は250名を超えた。天気がよかったこともあるかも知れないが・・・配ったチラシが500部だったことを考えると、もの凄い確率で来てくれたことになる。特に若い夫婦と子ども達というパターンが多く・・・黒目川は大いににぎわったのだった。

会計報告
250名以上集まってくれた今日の「川遊び」だが・・・決算は0円である。みんながボランティアで協力してくれたお陰である。スイカやお弁当は実行委員の自己負担。だから会計報告もない。自己負担額も15000円くらいで、15人で割れば1人1000円なのだ。その15000円であれだけの子ども達が大喜びしてくれたのだから、僕らは大満足な訳で・・・天気にもメンバーにも恵まれた「川遊び」であった。

誕生日
今日はひとみの誕生日。空が「お母さんていくつなの?」って言うから「うーん、32になったんじゃあないかな・・・」と空父。「じゃあ、お父さんはいくつなの?」と空。「いくつに見える?」「32くらいかなあ・・・」「ごめん、もうちょっと大人なんだ・・」「いくつ?」「37歳だよ」「ふーん、そうなんだ」そらに実年齢がばれるのは近い将来だろう・・・。

今日の写真1
今朝の8時半過ぎの本部の様子です。純一以外はみんな五中の卒業生です。純一は五中ではありませんが、純一の奥さんが五中の卒業生なので、純一も卒業生みたいなものなのです。

今日の写真2
10時前から受付は大忙しでした。受付嬢も五中の一期生の真弓ちゃん・・・今日の僕は殆ど何もしなくてもよかったくらいで・・・みんな教え子達が動いてくれました。今までの「川遊び」の中で、最高の川遊びだったと思います。それくらい大人も子どもも楽しんでくれたのです。

今日の写真3
午前中の「手網教室」で早速魚を取って、大喜びの子どもです。こういう笑顔が堪らなくて、おじさんたちは頑張ってしまうのです。いやあ、本当に楽しい川遊びでした。みなさん、本当にありがとうございました!

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8月8日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第219弾!  2011.8.8(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第219弾!  2011.8.8(月)   たかやん

教師を目指す人へのメッセージ27 アダルトチルドレン
機能不全な家庭に育ち、自分や自分の周りの人たちに問題を引き起こし、生きづらさを抱えている人のことをアダルトチルドレン(AC)という。機能不全の家庭というのは要するにこどもを傷つける家族のことで、例えば虐待の起こる家族、仲が悪く怒りの爆発する家族、愛の無い冷たい家族、秘密があまりにも多い家族、親とこの関係が逆転している家族、子どもを過度に甘やかし、溺愛する家族。依存症にとらわれている家族で育つ大人がアダルトチルドレンになるのだそうだ。
実際、僕の周りにはアダルトチルドレンがたくさんいるし、アダルトチルドレンになりそうな子供たちもたくさんいる。それだけ機能不全な家庭がたくさんあるということで、多分その率は年々増え続けるのではないかと思う。
「自分が父親の代わりになれれば・・・」そう思ったことは何度もあるし、実際そのつもりで子供たちと接したこともある。でもどんなにそう思っても、父親にはなれないし、幼児期の記憶まで消すことはできないというのが結論だ。
僕らにできることは自分の子どもをアダルトチルドレンにしないこと。それしかないと思う。「教育は愛」だし、子ども達は「教師」との出会いで素晴らしい奇跡を起すものだが、それでも家庭の力はそれ以上に影響を及ぼすということを肝に銘じておいたほうがいい。
だからといって、何でも家庭のせいにするのはいけない。家庭で苦しいからこそ、学校では心が開放される子達もたくさんいるのだから。

今日の塾も楽しかった。夏休みになっても毎日のように子ども達に会える僕は幸せである。子ども達の中には勉強がうまくいかず・・・ちょっと元気のない子もいる・・・でも、そういう時期もあって当たり前なのである。何でもかんでも上手くいっては面白くない。出来なかったことが出来るようになる・・・それを見るのが楽しいのである。そして、頑張った子達に「頑張ったね!」と心から言えることが幸せなのである。
花音
3年生の花音は引き算が苦手だった。何度やってもできない。練習しても練習しても、なかなか3分が切れない。簡単にいうと、45670という数字から4567を引いて、出た答えの41103からまた4567を引いて・・・それを10回繰り返すと答えは0になるのだが(当たり前でしょ)・・・その引き算が苦手で苦手で、同じような足し算と掛け算、そして割り算の4種目全てを一度にやって・・10分以内で合格・・・という計算のトレーニングで、今日は6年生3人を抑えてダントツの1位だったのだから驚く。子ども達の可能性というのは凄いものだと思うのである。子ども達が駄目になるのは、大人が駄目だと決め付けるのが第一歩である。悲しいねえ・・・。

3200m
今日の空の練習はきつかった。午前中も2時間程運動してかなりへばっていたはずだが・・1時間半で3200mも泳ぐのだから本当に凄い。例によって、記録を付けたのだが・・・
1. フリー
2. 板フリー(バタ足)
3. 板を股に挟んでフリー
4. バタフライ平、片手バタフライ&バタフライ
5. 背伸びバック、片手バック&バック
6. 平泳ぎ
7. バタ足平、片手フリー、フリー
8. バタフライ&フリー
9. バック&フリー
10. 平泳ぎ&フリー
11. フリー
12. 板ドルフィン
13. 板バック
14. 板平
15. 板フリー
16. 板ドルフィン
17. 板バック
18. 板平
19. 板フリー
20. 板ドルフィン
21. 板バック
22. 板平
23. 板フリー
24. 板ドルフィン
25. 板バック
26. 板平
27. 板フリー
28. クールダウン
29. バタフライ平&片手バタフライ
30. 片手バタフライ&バタフライ
31. 背伸びバック&片手バック
32. 片手バック&バック
33. 平泳ぎ
34. 平泳ぎ
35. バタ足平&片手フリー
36. 片手フリー&フリー
37. バタフライ
38. バタフライ
39. バック
40. バック
41. 平泳ぎ
42. 平泳ぎ
43. フリー
44. フリー
45. バタフライ
46. バック
47. 平泳ぎ
48. フリー
49. バタフライ
50. バック
51. 平泳ぎ
52. フリー
53. バタフライ
54. バック
55. 平泳ぎ
56. フリー
57. バタフライ
58. バック
59. 平泳ぎ
60. フリー
61. バタフライとバックのダッシュ&スロー
62. 平泳ぎとフリーのダッシュ&スロー
63. バック&フリーの超スロー
64. バック&フリーの超スロー  で、50×64=3200
*この間、空と一緒に泳いだ空父はこの距離がどのくらい凄い距離なのかを実感できるのである。この練習をやったら直ぐに痩せそうだが・・・その前に生きてはいられないと思う・・・。
今日の写真1
大和田から初参加のマーちゃんです。最初のゴミ拾いから最後の片付けまでフル参加してくれました。新座の環境を本気で考えている人で、放射線や電磁波、そして遊戯施設などにもかなり詳しい人です。昨日はお疲れ様でした!!

今日の写真2・3
親子連れが多かったですねえ。パパは子ども達と魚とり、ママはカメラマン・・・という構図があちこちで見られました。みんな笑顔で、僕らも嬉しくなって・・・これは午前中の魚とりの様子です。

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8月9日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第220弾!  2011.8.9(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第220弾!  2011.8.9(火)   たかやん


6時過ぎからモムチャン・ダイエットで汗をかく。シャワーを浴びてからピアノの練習。洗濯物を出して、ゴミ出しをして、新聞に目を通す。今日の塾日記を2枚書き、議会報告を作成し・・・朝ごはん。洗い物をして・・9時から高校生の塾が始まった。


体調の悪いひとみの代わりに“チャーハン”を作り、午後の小学生の塾が始まった。2クラス終わると、もう夕方。目の前のウェルパークに買い物に出た以外は、ずっと家に居た空父であった。

長崎
実は長崎には行ったことがない。「いいところだから一度おいでよ」と言われているのだが、なかなかチャンスがない。大学受験の時に、長崎にするか、鹿児島にするかで、ちょっぴり悩んだことはあるのだが・・・・。今日は長崎に原爆が落ちた(いや、落とされた)日。6日と同じように忘れてはいけない日である。

教師を目指す人へのメッセージ28 お話の力
子どもの前に立って、お話をする。簡単そうで難しいことである。人生経験の少ない若い先生には語れることが少ないかも知れない。それでもお話はしなくてはいけない。自分が実際に経験したことを、そして本や映画で学んだことを・・・・。それがあなたを成長させるのは間違いないから・・・。
お話をするのに、下を向いたり、黒板の方を見たりしながら・・・という人は余りいないだろう。子ども達には自分の目を見せ、自分の気持ちを伝え、そして子ども達の目を見て、反応を見ることが大事なのだ。
僕は最初の1年間、特にその半年間。教室へ行くのが怖かった。45分(当時は45分授業だった)授業が長く感じてしょうがなかった。大学を卒業したばかりで3年の担任になり、しかも2年生1クラスを持っていた僕に、余裕は全然なかったのだ。だけど、そのことが次の年からの「お話」の種になるのだから面白い。苦しいことがあれば、それは「お話」になる。悲しいことがあれば、それが「お話」になる。勿論、嬉しくて感動したことも、立派な「お話」になっていくのだ。
前にも言ったが、授業は“舞台”なのだ。あなた方は役者で、生徒は観客。それを忘れてはいけない。よく、授業に集中していないと怒る先生がいるが、あれはおかしい。自分の話がツマラナイということに気が付いていない。生徒が集中できないのは99%、先生達の力不足である。
何度か無言で授業をしたことがあった。黒板で言葉を伝えながら、一言も発しないで授業をやったのだ。教室は静まり返った・・・・。たまにはそういう舞台も面白い。そういう遊びもまた大事なのである。
お話上手な先生は生徒を惹きつける。惹き付けられた生徒は、間違いなくその教科を一生懸命勉強するようになる。まずは先生を好きにしてしまうことだ。決して生徒に媚を売ってはいけない。実力で好きにしてしまうこと。それがポイントだ。そこを勘違いすると大変なことになる。生徒は大人をよく見ているから・・・。
周りの先生が「学校のルール」や「決まり」にうるさいとしよう。「授業の受け方や態度」に成績を影響させていたとしよう。それを真似てはいけない。教師がメダカ症候群になってはいけない。そんな役者はあなたの周りにゴロゴロいるだろう。そんな役者はもう必要ないということだ。大根役者になってはいけない。誰でも演じることができるような役者は大根役者そのものだ。若くても、自分にしかできない役を演じることだ。それが出来るようになれば、子ども達一人一人の個性も認められるようになる。それが出来なければ、子ども達の違いにも気が付かないヘボ役者になってしまう・・・・。若くても、それだけは分からなくてはいけない。
いじめを確認することはできませんでした。などという教師達は、そういう教師集団なのだ。みんなと同じ言葉を言って、平気でいる集団は生徒の目の変化に気付かない。生徒の変化に目がいかない教師ほど、役に立たない教師はいない。
「生徒の目を見て、話をする」この当たり前のことを忘れてはいけない。子ども達は「本気」を見抜く天才だ。あなたたちも天才たちから毎日見られるのだから・・・。

洗濯機
お風呂の中で「空、明後日新しい洗濯機来るんだぞ」と空父。「え・・・可哀そうだね。捨てられちゃうんでしょ?」と空。「大丈夫だよ。多分リサイクルされると思うよ。」と空父。「それならいいけど・・・でも、可哀そうだな、やっぱり」と空。冬のボーナスで買う予定だった洗濯機をやっと買い換える。余りにも音がうるさくて・・・近所迷惑というのが一番の理由である。今の洗濯機の寿命は9年程。空よりちょっとだけお兄さんの洗濯機。長い間、ありがとうね。僕らの汚れ物を綺麗にしれくれてありがとうね。
今日の写真1
川遊びといっても、「お魚教室」でお勉強もしました。鮎の雄と雌の見分け方をみんなで習っているところです。説明しているのは東久留米からの助っ人の小松原さんです。

今日の写真2
その説明を、中学生のような顔をして聞いている、我が“川掃除”のメンバーです。川掃除を始めて、この8月で丁度3年になります。本当にいいメンバーが集まってくれています。

今日の写真3
川遊び、最後のイベント・・・スイカ割りには長い列ができました。スイカ3個でどれくらい楽しんだでしょうか・・・。子ども達を見る大人たちも笑顔、笑顔でした。

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8月10日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第221弾!  2011.8.10(水)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第221弾!  2011.8.10(水)   たかやん

教師を目指す人へのメッセージ29 こわい職業
ある小学校の6年生の話である。落ち着きの無いM君を担任のS先生は毛嫌いしている。毎日M君を言葉で傷つけていることにも先生は気付かない。担任の先生は自分が学校で一番優れた教師だと思っているから、自分の感性だけが正しいと思い込んでいる。ある時はM君の母親を呼びつけ、「この子はADHDです。」「病院で検査をしてください。」と要求する。最近になって「M君は中学校の普通学級には無理です。特殊学級へ行かせて下さい。」と言い出した。「普通学級へ行ったら、ついていけなくてM君のためになりません。」というのだ。
実はS先生はM君の実力を知らない。小学校6年間の漢字を全部読めることも、分数の足し算引き算ができることも知らない。M君を見ていないから気付かない。今、小学校6年生でそういう子どもがどれくらいいるだろう。通分ができない中学生など、ざらにいるのだ。そのくせ「僕はM君とずっと一緒にいるんです。M君のことはお母さんよりも分かります。」と平気でいう。人間っていうのは一緒にいる時間で理解するものじゃあない。そんな簡単なことすらこのS先生は知らないのだ。
大体僕がS先生なら、M君が中学校へ行っても困らないように、毎日放課後一緒に勉強するだろう。先生っていうのはそういうものなのだ。このS先生は自分が何もしないで「普通学級は無理です。」と決め付けるのだからどうしようもない。こういう人が先生をやっていることにも驚くが、こういう先生を野放しにしている管理職の能力の低さにも驚く。
M君はS先生が嫌いだから、先生の言うことを聞かないのだ。先生が自分のことを嫌いだと全身で感じているのだ。M君にとってはそれが精一杯の抵抗なのだ。
中学校の担任でさえ、子ども達にとっては大問題である。それが小学校ともなるとこれはもう死活問題といってもいいくらい、子ども達の人生に影響があるのである。先生の一言で子ども達は「やる気」を出し、先生の一言で子ども達の心は「死んでしまう」のである。
S先生には先生としてよりも、人として大切なものが欠けている。
どんな子にだって、きらっと光る何かがあるのだ。それを見つけようとするかしないかが先生の分かれ道なのだ。S先生はその分かれ道を間違って選んでしまったらしい。先生はそれでも生きていけるが、子ども達は毎日少しずつ先生に自分の心を殺されていく。先生という職業は本当に恐い職業なのである。

* この話には後日談がある。M君は立派な高校生になった。勿論、普通科の高校に進学したのだ。S先生の目は節穴だったのである。教師という仕事はこわい仕事だと思う。教師の一言一言がどれだけの子ども達の可能性を奪っていったか・・・自分がそういう言葉を発してなかったのか・・・考えるだけで怖くなる。

嬉しいメール
五中の卒業生からこんなメールが来た。僕と子ども達の先生に対する思いが同じことに驚いた。それはこんな内容だった。

先生の目
私を見ていてくれているなぁ…と感じた先生は、美術の関先生と体育の宮下先生です!国語の渡辺弥生先生も少しそう感じました。 たかやんには、もっと私を見ていてほしかったですが でも毎回、理科の授業は楽しみでした! 私は勉強より美術が好きでした。だから美術を嫌いにはなりたくなかった。関先生で良かったです。関先生とは私は波長が合っていて、少しの緊張感も程よく、大好きな先生でした。

宮下先生はたかやんと同じような目を持っていらっしゃいました。体育の授業の出席確認をする時から名前を呼び、必ず目を合わせ、一人一人の僅かなサインを見逃さない先生でした。

弥生先生はいつも優しい雰囲気で穏やかでおしとやかで、字も綺麗で黒板やプリントを見ると綺麗な字だなぁ…と見惚れ、ノートに書く文字を良く弥生先生の字をお手本に真似ていました。 褒めて下さった事も忘れていません。

そしてインパクトのあった先生はやはり、神宮司先生と甲神先生です。もちろん、たかやんもです! またまた話は変わりますが、最近、アコースティックギターを物置から出してきて弾いています。 "ゆず"の『虹』という歌です。コードは携帯で検索したら簡単だったので、気分転換に弾いています。歌詞も好きです。 数日前から朝顔も咲いていますよ!
来年は向日葵を咲かせたいです! また長くなりまして、すみません!
毎日、たかやんを応援しています 明日はどんな一日になるかな…
たかやん、おやすみなさい

* 神宮司、甲神、宮下・・・僕の母さん、兄さん、姉さん先生である。関、渡辺弥生・・・僕の親友、そして妹のような先生である。共通していることは、みんな優しかったということ。子供たちを見る目が優しかったということ。子ども達はそういう先生の目をずっと大人になっても覚えてくれているのだ。

ひまわり
「大人になっても、先生はみんなの先生だから・・・」陽子先生は、時々素敵なことを言う。「何があっても、俺はお前達の味方だから・・・」僕も子ども達にずっとそう言ってきた。そして、これからもそういい続けたい・・・そう思うのである。

今日の写真1
この二人・・・どの二人だかは想像にまかせます。実は新座中学の同級生です。一人は五中に行き、一人は新座中に残りました。昭和52年にはそういうことが起こっていたのです。その二人が卒業以来初めて会いました。僕の「君たち、同級生だよ!」という一言で・・・。

今日の写真2
オイカワなどに混ざっているのが鰻です。黒目川で採れた天然の鰻です。黒目川には本当に沢山の魚がいるのです。子ども達に残したいですよねえ・・・。

今日の写真3
ゲリラ豪雨の中で片付けをしたスタッフ達です。雨に打たれてずぶぬれになりながらの記念撮影・・・我が家の庭で、「川遊び」をやりとげた・・・充実した顔をしています。こういう若いスタッフのお陰で、こんかいの「川遊び」が運営できたのです。感謝、感謝です。

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