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9月4日 (土) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第242弾! 2010.9.4(土) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第242弾! 2010.9.4(土) たかやん
河合隆慶 久しぶりに恩師に会えた。「この先生のお陰でね、僕は勉強をするようになったんだよ。」子どもたちの顔が輝く。「今から43年前、当時13歳の僕らに先生はこう言ったんだ。」「“新聞の裏を読め!”ってね!」「そんなこと言ったかなあ・・」と頭を掻く先生。「“新聞記事を鵜呑みにしてはいけないんだ。新聞記事が正しいと頭から信じてはいけないんだよ。”という言葉が僕には印象的だったんだよ。」僕は、先生の前で授業を始めた。子ども達の輝く目と、懐かしい先生の優しい眼差し・・・・(ああ、僕はこの人のお陰で教壇に立つことができたのだ。)西戸山で先生に会えた縁に感謝したのだった。
電話 久しぶりに先生の夢を見たので、電話をしてみた。懐かしい奥様の声が聞こえてきて・・・もう直ぐ78歳になる先生は体調を崩しておられるとのことだった。この暑さで参っているのだろう。今度お邪魔することを約束して、僕は電話を切った。もう一度先生に会いたい。夢の中ではなく、本物の先生に会いたい。そう思った。
社会 河合先生は学芸大出身の社会科の先生だった。授業は滅茶苦茶面白かった。僕は先生のことが大好きだったから、試験勉強といえば「社会」。それ以外の教科は殆ど勉強しなかったくらいだ。ところが、社会の評価はいつも「4」。どうしても「5」を取ることができなかったのだ。理由は簡単である。先生のファンは多く、みんなが僕より勉強していたのだ。なんせ秀才の多い学校で、偏差値が75までいっても、学校でトップになることなど夢のまた夢だったのだから・・・・。そのことがきっかけになって、僕は自分の子どもたちには“絶対評価”を取り入れていたのだと思う。
絶対評価 僕が教師になった当時は相対評価が当たり前の時代だった。5は7%。4は24%。3は38%という具合に評価が%で決められているのが相対評価だ。これだと、90点を取っても95点の子が沢山いれば5は貰えない。そこで、僕は最初の授業でこう宣言したのだ。「平均90点以上取ったら、どんな子でも5をあげるよ!」と。「授業中、寝ていようが、僕に逆らおうが・・・そんなの関係ない。」「テストだけで評価するよ」と。提出物や授業態度は評価されないの?と思うかも知れないが、そう宣言した時の方が子どもたちの授業態度はよかったのである。最初に評価の基準をしっかりと伝える。しかも、どんな子にもやる気がでるように伝える。それが大事なのだ。公平に評価したければ、授業態度は評価に入れてはいけない。先生の好き嫌いが評価に入ってしまうからだ。5が3になったり、3が5になったり・・・そんな評価を僕は何回か見てきた。絶対評価の方が、遥かに公平だと思うのはそういう理由である。
授業態度 もう一つ絶対評価にした理由がある。それも西戸山中学時代の先生に関係ある。2年生の時に、僕は初めて満点を取り、学年で1番になった。そう、開成、武蔵、麻布、御茶ノ水、教育大駒場、慶応、戸山、青山、新宿、駒場、富士、早稲田学院・・・そういう学校に進学した友達よりも僕はいい点を取ったのだ。きっかけは理科の先生。奈良女子大出のSという女の先生がいた。僕はその先生にしょっちゅう「たかむら君、授業態度が悪い!」と怒られていた。理科の授業のことで、友達と話をしていたのだが、それを注意されたのだ。僕は先生が嫌いになった。そして、彼女を困らせようとして勉強したのである。今思えば、随分不純な動機なのだが・・僕は先生をイジメる為に勉強した。確かに授業態度は最低だったと思う・・・。今の中学生のように寝たり、騒いだり、出て行ったりはしなかったが・・・兎に角、いやーな生徒になったのだ。それでもテストは満点。学年で一人だけの満点を取った。当然、評価は5だと思った。ところが・・・4だったのである。理由は簡単。「あなたは授業態度が悪い」。僕はその通知表を親の前で燃やしてしまった。そういう苦い思い出があるので、僕は「授業態度なんて関係ないよ!」と宣言したのだ。
ポスティング いかん、いかん。どうも日記が脱線している。今朝は散ポスティングを少しやってからは、また家にこもっての仕事になった。この暑さですっかり引きこもり状態である。
川掃除 明日は9月の第一日曜日。そう川掃除の日だ。9時に栗原1丁目公園に集合することになっている。その後は、堀之内病院で新座少年合唱団の演奏会がある。その後は、塾で味噌の天地返し・・・アンド、飲み会の予定である。
今日の写真1 左端が道哉です。1年生の時に、図書室で基礎英語をやっていて・・・多分騒いだのでしょう。僕に引っぱたかれ・・・眼鏡が4回から1階まで落下したという悲劇を経験している男です。その後、所沢の我が家の住民となり、みんなが牡蠣中毒で倒れたときは、献身的いん看病したことで男を上げた道哉です。女の子達は有希子、尚美、ポッポの三人。どの子も2年間以上一緒だったので、やはり妹のような存在です。みんな、いいお母さんになって帰ってきてくれました。
今日の写真2 ルート 小学生の塾でのお話です。ちょっとした遊びで、ルートの勉強をしてみました。√9は3・・√4は2だよ。じゃあ√16は?と、聞くと・・・「4」という答えが返ってきました。じゃあ√121は?「11」√169は「13」√225は「15」と完璧です。じゃあ√1225は?・・・これには、流石に困ったようですが・・・ちょっとしたコツを教えると、「35だ!」と分かるようになりました。中学生・高校生でもこれが出来る子は少ないでしょう。小学生達の頭は実に柔らかい。1年生でも「面白い!」「もっと問題出して!」というのですから・・・こっちも楽しくなってしまいます。
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9月9日 (木) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第247弾! 2010.9.9(木) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第247弾! 2010.9.9(木) たかやん
空がいない・・ 突然、空が「気持ち悪い・・・」と、言い始めた。流しに行って、吐きそうになっている。僕は空を残して、集団登校に加わることにした。空がいない集団登校は初めてだが、東門と1年生の見守りは休むわけにはいかない。そう思ったのだ。
空父!! 「空君おやすみなの?」「どうしたの?」「空父ーっ!」1年2組の子達は何度も話しかけてくれた。みんな空のことを心配してくれている。そして、1年1組の子達も「空父!」と呼んでくれ・・・幸せな、朝のひと時を過ごしたのであった。
9時半 委員会がスタート。決算の歳入の質問から始まった。工藤さん、朝賀さん、僕、佐原さん、工藤さん・・・と、質問は続き・・・11時半過ぎに、休憩に入った。
13時 午後は僕から質問がスタートし・・・16時半過ぎまで、びっしりとやった。最後に僕が資料を要求したところで、委員会は終了。明日も9時半から委員会・・・。
嬉しいメール たかやん お久しぶりです。新座のロジャースでばったり会った(4年程前?)以来のご無沙汰で御座います。相変わらずのご活躍ぶりをホームページで見てなんだか嬉しく思い、メールしてみました。実はボク、今、札幌在住です。(華子は練馬在住。先日、入籍しました。) たかやんにも縁のある土地で、奥さんと子供2人(4年生♂・2年生♂)で楽しくのびのびとやっています。子供達はボクの淡い希望を尻目にバスケでは無く、サッカーを選び、練習に試合に没頭中。土日はもちろん平日もサッカー漬けの毎日。なかなか遊んでくれません。したがって我が家のレジャーは専らサッカー観戦となっております。ただ、子供達が何かに一生懸命に取り組む姿はいいもんです。何だかキラキラしていて眩しい位です。 と、近況はこれ位にしておきます。
たかやんのクラスには1度もなれなかったボクでしたが、思い出はたくさんありますよ。 1番の思い出は、華子の家庭訪問です。夕方というか夜にウチに来た、たかやん。 「お前もいていいよ。」と言われ何故かボクも同席。 たかやん・華子・オカン・ボクという構図。時は夕飯時。「おいしそうでうね。」とたかやん。「良かったら食べます?」とオカン。「有難う御座います!!」とたかやん。 そこから、夕食会(家庭訪問)が始まるのですが、間が悪く(?)オヤジが早めの帰宅。 「こんばんわ」と不思議そうなオヤジ。「高邑です。華子の担任です。今、家庭訪問中でして。」とたかやん。いまいち状況を飲み込めないままスーツを脱ぎ、いつもの下着姿になり晩酌を始めるオヤジ。「先生も1杯どううですか?」とオヤジ。「何言ってんだよ!家庭訪問なんだよ一応。」とボク。「有難うございます。いただきます!」と間髪入れず、たかやん。なんじゃこりゃ!? すでに本来の目的を失った「家庭訪問」。ん?待てよ、これがホントの家庭訪問なのかも知れない。とか考えながら夜は更けていき、華子の「家庭訪問」は終焉を迎える訳だが1つ問題が。「そーいえば車・・・。」とたかやん。呑んだら乗るなですよ。一応は教師という立場もあるんだし。「送ってけ。」とオヤジ。え?・・・もしかしてチャリ?・・・・だよね。「宜しく。」とたかやん。かくして男2人のチャリ旅が始まる訳ですが・・・・・・。(ホントはチャリの二人乗りもダメですよ。)無事、高邑家に到着。 「あがってく?」とたかやん。「はい」とボク。その日は寒い夜でして、2人の身体は冷え切ったわけですが、「冷えたな。何か身体の温まるもんでも・・・・。」とたかやんは奥へと消えて、その手に日本酒のビンと湯呑み茶碗×2。「呑める?」とたかやん。 「はい。」とボク。実はウソ。ボクの初めての日本酒はたかやんとたかやんの家の茶の間で・・・だったのです。おいしかった。身体がほんのり暖かくなった。色んな話をした。
学校のコト。授業のコト。バスケのコト。好きな娘のコト。(ちなみにテニス部の幽霊部員・秋山さんにボクはぞっこんでした。)で「送ってくよ」とたかやん。 「何言ってんですか!ボクが送りに来たんです。」とボク。「そか。」とたかやん。 そんな、「横田家・家庭訪問」でした。覚えてますか?ボクは昨日のことの様に覚えています。ボクはたかやんのクラスになりたかった。けど、なれなかった。
だけど、理科の授業で「松山千春」を一緒に唄い(♪機嫌なおして「キタチ!!」とかフレーズ付けて(笑))、理準で色んな話をして・・・・6中がバスケの大会会場の時はテニス部を引き連れて応援にも来てくれましたね。 運動測定の時、全種目が終わった後、「各クラス、1500のタイムが早い奴、2人づつ出して競争だ!!」ってたかやん。結果はボクが1位でした!(ちなみにバスケ部が1・2・3でした。2位佐藤亮司3位高橋良太)すんげえ異様に盛り上がり、黄色い声援を背に良い思いをさせてもらいました!!でご褒美に校庭の真ん中で、たかやんと2人でドアップの写真を撮ってもらいました。
当時、たかやんとのドアップ2ショット写真がある意味でステータスみたいなトコがあり、それも嬉しかった思い出です。気持ちは教え子だったのです。と、思い出話は尽きません。今も新座で活躍されている、たかやん。やっぱり嬉しいです。少し離れたトコロにおりますが、遠く北の空より、応援しております。お身体に気を付け、益々ご活躍される事を切に願っております。長文失礼致しました。
たかやんの「一生懸命」を毎日読んで、今更ながらたかやんのクラスを気取っている、よこちんでした。
* 突然のメール。それもヨコチンからのメールは僕を大笑いさせた。そう、思い出したのだ。あの家庭訪問のことを。どうして、ヨコチンとそんなに近い感じがするのかを・・・。勿論、六中最初の赤ジャージだし、華のお兄ちゃんだから、しっかりと覚えているのだけれど・・・僕は2組の担任でヨコチンは3組。ヨコチンはいつも笑っていた。僕を見ると、いつも笑顔だった。僕はヨコチンが好きで、バスケット部の子達が好きで・・・それでテニス部を引き連れて、応援に行ったのだった。家庭訪問に行って・・・お父さんと飲んだわ・・・。その後、ヨコチンと二人乗り・・したわ。その後、ヨコチンと飲んだ・・・かも知れない。うーん、そんなことがあったかも・・・ * 華は華で卒業式の前に、僕の下駄箱に「たかやん!愛してる!」とマジックで描き、僕は毎朝、華に愛されていたことを確認していた。下駄箱の裏に描いたから、6年間は華からのメッセージを毎朝受け取っていたことになる。兎に角、思い出に残る兄妹だったのだ。 * ヨコチンありがとうね!今度札幌に行ったら、絶対会おうね!そして、久しぶりに日本酒でも飲もうや!! たかやん
今日の写真1 総務常任委員長の朝賀さんです。議員としても大先輩なのですが、人間として尊敬できる人です。
今日の写真2 昨日の雨の中の視察の様子です。ここはみかん畑です。写っているのは昨日、僕を家まで送ってくれた秀ちゃんです。人生の大先輩なのですが、僕は「秀ちゃん!」と呼ばせてもらっています。はい。
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9月10日 (金) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第248弾! 2010.9.10(金) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第248弾! 2010.9.10(金) たかやん 復活 空は一日で復活した。元気よく歩いていく空を見ているだけで、幸せな気持ちになる。息子が登校するところを見ることができる父親は少ないと思う。僕は、幸せな父親である。
読み聞かせ 今日は、久しぶりの読み聞かせ。1組担当のYさん、2組担当の順子。二人とも「緊張するー!」と言っていた。でも、話し始めると・・・静かに聴く子ども達。1組も2組も大成功だった。「すみませーん!お先に!」「じゃあ、みんなバイバーイ!」「空父、バイバイ!」8時45分に、ダッシュで我が家に向かったのだった。
9時30分 控え室に着いたのが9時25分。今日もバイクでギリギリだった。歩いてゴミを拾うことは勿論、自転車でのゴミ拾いもできない・・・。只管、バイクで飛ばすだけ・・・八石小の子どもたちの見守りの方が重要だし、楽しいのだ。ゴミを普段拾うことで勘弁してもらおう。
対立 総務常任委員会で、語る会が一番対立したのは政和会ではなく、公明党でもなく、民主党(刷新の会)だった。例えば、21年度決算では佐原さんは賛成、僕は反対。(向こうは市長与党だからしょうがない。)陳情は「永住外国人に地方選挙の参政権を」という動きに対してのものだったが・・・・佐原さんは「韓国・朝鮮の人に参政権を与えるのはいかがなものか」というスタンス。僕と共産党と公明党は「諸外国では当たり前のように投票できるようになっている。現に、韓国にいる日本人には投票権がある。」と、投票権を認めようというスタンス。僕が提出しようとした意見書の中身は、「非正規雇用の市の職員(学校の先生を含む)の雇用条件を改善するように努力して欲しい。」というもの。民主党の佐原さんは「民間はもっと苦しい。」と、僕の案に反対した。市の非正規雇用の方達の年収はいっても200万なのにだ。でも、政和会の小池さんが賛成してくれ、公明党の細田さんも同意してくれて、意見書に取り入れられたのである。語る会と民主党(刷新の会)、同じ会派だったら・・・やっぱり無理だったのだろう。だから、語る会が存在している訳で・・・・これでよかったのだ。議会は議案によって、色々な対立があって当たり前。自分の意見を主張する・・・それでいいのだ。本会議での討論が楽しみである。
メール2 華からもメールが来ていた。ヨコチンも華もあの日のことを実に鮮明に覚えていることに驚いた。
新座高校に進む事を決めた私を心配する母に『華は大丈夫です!』と、きっぱり言ってくれたたかやん。確か、ご飯は『おでん』だったと思います。 そのうち父とたかやんで盛り上がってしまい、『華は風呂に入って来なさい』と言われ、退席する事になった私…(笑)楽しいたかやんの家庭訪問でした。 たかやん。 身体の方は大丈夫ですか? 私もようやく結婚しました。旦那にも、昔からたかやんの話をしているので、私の大切な人だって伝わってると思います。 たかやんに出会えた事は、今でも私の自慢です★ 華子
涙 華からのメールを読んで、涙がでてきた。ヨコチンも華も僕のことをしっかりと覚えていてくれたのだ。学校の先生って、いい仕事だねえ。こんなにも愛されて、愛され続けているのだから・・・。どこで、どんなに否定されても、こういうメールをもらうと、自分を信じられる。間違ってなかった・・と、昔の自分を肯定できるのだ。華!ありがとうね。あの時の夕飯は「おでん」だったか・・・寒い夜。日本酒にはおでんだよね。僕が覚えているのは、横田家の温かさ。華もああいう家庭を作っていくんだね。今度、みんなで会おう!!我が屋にも遊びに来てね!
今日の写真1 昨夜の1時頃の我が家です。久しぶりに次郎が遊びに来て、亮に「立禅」を教えているところです。次郎は五中の11期生。我が家に半年ほど居候していた子です。つまり、亮とは一時的に家族だった訳で・・・・15歳の次郎と4歳の亮・・・そんな構図でした。
今日の写真2 読み聞かせ、初登場の順子です。彼女も五中の11期生。僕は10期生と一緒に五中を卒業したのですが、最後の年に11期生の授業も2クラス持っていたのです。不思議な縁だと思います。あの時、2年生の授業に出ていなかったら・・・次郎とも順子とも違った関係になっていたでしょう。さ、明日は奈月の結婚式です。これからギターの弦を換えて・・・少し練習しなくてはいけません。おやすみなさーい!
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